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02.紆余曲折からの再会


「……エリカ? エリカだよね?」


 慣れ慣れしく背後から呼び止められて、思わずビクリと反応してしまう。


 ちっ、しくじったわ! 

 出口まであと3歩だったのに!


 こうなったら、多少わざとらしくとも、もう何も聞こえないふりをするしかない。


 あたしはそのまま足を動かす。

 もう誰も邪魔だてするなよと念じながら。


 ——ところが。


「K駅前のコンビニで深夜シフトだった、S系彼氏が大好物の山川恵梨香だよね?」


 ちょ、なに人の個人情報垂れ流してんだよ。

 そこ一番恥ずかしいとこじゃん、っていうか——……。

 

 ——誰だお前。


 あたしは思わず振り返った。


 そこには、祈りの形に手を組んだ、男爵令嬢アンナがいた。

 先ほどのか弱い子ウサギはどこへやら、今の彼女は大きく身を乗り出し、キラキラと目を輝かせ、どちらかと言えば子ウサギを狩る側のオオカミのような……そう、言うなれば、まるで別人のようだ。


 彼女は言った。


「わたし、アンナだよ! 恵梨香をオタク道に引っ張り込んだ張本人の、イケ☆パラ大好き神倉杏奈!」


 マジで別人かよ!

 ていうか、え? あれ? 今、なんて言った。

 あたしは、改めてまじまじと彼女を見た。


「……杏奈?」

「杏奈だよ!」

「まじ杏奈?」

「マジもマジ。超マジだから!」

「子宮にくる、って言いまくってた?」

「うん、今もきてる。痺れまくり」

「そりゃ、そんだけ近けりゃね」

「その話、小一時間聞かせたい」

「……あたしも、聞きたいかも」


 見た目は変わってしまっても、言葉を交わせば分かり合える。

 彼女は間違いなく、あたしの親友の杏奈だった。

 

 信じられなくて、でも疑う余地もなくて、あたしたちは互いに見つめ合う。

 やがてアンナは、フリルたっぷりの可愛らしいドレスをヨイショとたくし上げると、イケメンの囲いをすり抜けて、舞台からエイッと飛び降りた。


「ごめんなさい王太子様、皆さま! ちょっとした誤解があったようです。わたくし、もう一度エリカ様と話してきますわね!」

「アンナ嬢!?」

「心配無用ですわ! ちょっとした誤解だったんです。それでは皆様、ごきげんよう!」


 あたしたちは、あっけにとられる面々をその場に残し、手に手を取ってその場を去った。

 駈け出さなかっただけでも褒めてもらいたい。




***




「恵梨香、会いたかった!」


 別室に入って扉を閉めるなり抱き着いてきたアンナを、あたしはまだ信じられない思いで受け止めた。

 鼻先を、柔らかくウェーブしたピンクブロンドの髪がくすぐる。


「アンナ……まじで杏奈なの?」

「本当だよ! ああでもわかる、その気持ち! 時を超えて巡り合えたこの奇跡!」

「うわ、まじ杏奈なんだ……」

「どういう意味よ」


 だってその舞台がかったような話し方、興奮した時の杏奈そのまんまじゃん。

 懐かしい気持ちがこみ上げてきて、あたしは彼女を抱きしめ返した。

 以前の彼女とは、見た目も立場も変わってしまったけど、それはきっとお互い様だ。

 ふんわり、やわらかな感触が心地良い。


「……胸すげーな」

「ふふん、素晴らしきかなヒロイン人生! 第二の人生は概ねこれで乗り切ってきたと言っても過言ではない」

「使うなよ」

「いや前世にはなかったもんですから」

「確かにな。今回は負けたわ」

「選手交代! 我が親友には貧乳人生を贈呈する」

「要らんわ!」


 弾む会話が懐かしすぎて、涙が出そうだ。

 けれどあたしは、ふとあることに気が付いて、彼女を抱くその腕を解いた。

 杏奈が琥珀色の瞳を、きょとんと丸くする。


「どうしたの?」

「いや、そういえばまだ謝ってなかったなって。いろいろ意地悪してごめん。あたし、思い出したのがついさっきなんだ」

「やだ恵梨香、そういうゲームの仕様なんだから気にしないで! それより、あの時は私を助けてくれてありがとう」

「あの時……?」


 その途端、あたしの脳裏に前世の最期の場面がよぎった。


 迫るトラック。

 それに気づいていない杏奈。

 彼女の耳にはイヤホン。

 ちらりと見えるにやけ顔。


 あのバカ、きっと大音量のイケメンボイスに聞き入っているに違いない。

 あたしは思わず駆け出して、彼女の背中を思いっきり押したんだ。


 それから、それから……あ、しまった、って思った。

 だってもう、あたしの逃げる余地はなかったから。


 でもま、あの子が助かるなら……いいか、って。


 だって、あたしを孤独から救ってくれたのは、杏奈だったから。

 あたしにゲームを教えてくれて、退屈な毎日の繰り返しから連れ出してくれた。


 あの子の趣味を知ったのは、たまたまゲーム購入のレジをしたのがあたしだったからだけど。

 常連客だったあの子に「こんなのが好きなの?」と声を掛けたら、キラキラした瞳で機関銃のように返事が返ってきたっけ。


 その勢いに押されているうちに、いつの間にかゲームやマニア本の貸し借りをするようになって。

 地方出身者のあの子と、親とは絶縁状態のあたし、どちらも一人暮らし。

 お互いの家を行き来し合う仲になるのも、あっという間だった。


 だから、あの子が助かるなら、それでいいかなって。

 あたしと違って、あの子が死んだら悲しむ人がたくさんいるんだから、って。


 そう思って、なんだか誇らしい気持ちすら持って、衝撃に身を任せたんだ。

 

 なのに——。

 なのに——。


 あたしは思わず、杏奈の手を握り締めた。


「っ、あっ、杏奈、なんで?」

「何が?」

「あんた、死んじゃったの?」

「え? ええ、まあ、そうだけど」

「なんてこと……! あたしがやったことは、無駄だったってこと?」

「え?」

「あんただけでも、た、助かって欲しいと、あたしの分も生きてって、思ってたのに……」

 

 鼻がツーンと痛くなって、視界が一気にぼやけた。

 杏奈、杏奈、ごめん。

 あたし、結局あんたに何も返せなかったんだね……。

 

 とめどなく涙がこぼれる。

 公爵令嬢かたなしだ。

 感情抑制なんて、お手の物だったっていうのに。


 けれど、そんなあたしの顔を覗き込み、アンナは言ってくれたんだ。


「違うんだよ恵梨香。わたし、ちゃんと助かったから」

「え……?」


 涙でにじんだ視界の向こうで、ふんわりと微笑むアンナ。


「だから言ったでしょ。あの時はわたしを助けてくれてありがとうって。わたし、ちゃんと助かったんだよ。あの時、怪我一つしなかった。代わりに恵梨香が死んじゃったのはすごくショックだったし、目から溶けちゃうかってくらい毎日泣いてばかりいたけど、そこからどうにか立ち直って、ちゃんと大学も卒業して、就職して、結婚して、子供産んで」

「ちょっ、ちょっと待て」


 理解が追い付かないんだけど。


「ん?」

「けけけけ結婚!?」

「うん、結婚した」

「ここここ子ども!?」

「うん、3人。女、男、女でね」


 おお、それはまた賑やかですな。

 ……って、そうじゃなくて。

 なんだろう、もう突っ込みどころ満載で訳わからん。


「ん?」

「……あああああんた、なんでここにいるの? 死んでないの?」」

「いや、死んでる。死んで生まれ変わったんだよね、わたしたち」

「な、なんで死んだの? いつ死んだの?」

「老衰。享年87歳」

「ろろろろろ——!?」


 ぶふぉぉぉっ!

 と茶を含んでいたら噴いていたに違いない。


 このやろう、簡単に理解の範疇超えやがって!


 驚き戸惑うあたしを見て、アンナがけらけら笑っている。

 くそうこいつめ、もう何聞いても動じないぞコラ。

 あたしはこぶしを握り締め、固く心に決めたのに。


「恵梨香ったら面白過ぎる! ふふっ、心配しなくても大丈夫。わたし、幸せだったんだよ。子どもたちは皆いい子に育って、ちゃんとそれぞれに巣立っていってくれたし。夫婦二人の生活に戻って、旦那が先に死んじゃって、しばらく一人でいたけど、おひとり様もそれなりにちゃんと楽しんだもん。最期、子どもと孫とに看取られて、わたし、安心して逝ったの。思い残すことなんて、何一つなかった。ひ孫も、一人だけど、いたんだよ。充実した人生、幸せだった。みんな、恵梨香のおかげ。だからありがとう、恵梨香。いつも心で思ってた。けど、やっと直接言えるよ。恵梨香のおかげで、わたしすっごく幸せだったんだよ。たくさん人生を楽しんだ! だからもしも生まれ変わることが出来たなら、今度はわたしが恵梨香を助けるって、ずっとずっと、思ってたんだよ」


 アンナの言葉はあたしの決意を軽く押し流した。

 油断させといてそうくるとか、相変わらずの天然人たらしである。


 あたしの涙は、情けないくらいにとめどなく流れていく。

 それもこれも、親友の幸せだった過去がたまらなく嬉しいせいだ。


 なのにアンナは、あたしをどうにか泣き止ませようと、自分がどれだけ幸せな人生だったかをずっと話し続けるもんだから、あたしはますますボロボロ泣いてしまった。


 ほんと、空気の読めん親友のせいで泣き止めない。

 つまりあれだ、全部お前のせいだアンナ。


「わたしね、恵梨香が死んじゃって、本当に辛かった。あの時一番責められたのは、ブレーキの不整備が見つかったトラックの人だったけど、わたしももっとまわりに気を配るべきだったのに」

「あた、あたしは……アンナが助かってよかった、って思う。あたしの人生、あんなだったしさ、どうせなら、最期ぐらい、いいことしたいし……まあそれでも、あの人たちは、気にも留めないだろうけどさ」


 言い終えて眉根を寄せてしまったのは、胸がちくりと痛んだからだ。

 両親のことなんて、口にするんじゃなかった。

 あたしはちょっとだけ後悔して、唇を噛み締めた。

 するとアンナは、キッと瞳を怒らせて言ったんだ。


「ばか恵梨香! 何が『あの人たちはあたしになんて興味ない〜』よ! 言っとくけど、恵梨香が亡くなって一番悲しんでたのは、確実にご両親だからね!」

「——え?」


 予想もしない言葉に、あっけにとられるあたしを睨み上げ、アンナはまくし立てた。


「ばか恵梨香にばか両親! 揃いも揃って大馬鹿なんだから! 両方とも、ただ不器用なだけなんだよ。わたし、恵梨香の死後に直接会って、そのことがよくわかった。あなたたち、とても似てるの。口下手で臆病で強がり——。恵梨香が思っていたことと同じことを、あの人たちはずっと恵梨香に対して思ってたんだよ。恵梨香と向き合ってそれが決定的になるのが怖くて、そのままになっていただけなの」


 言葉を切ったアンナは、あたしをふわりと抱きしめて、言った。


「あの子と仲良くしてくれてありがとう、って、何度も何度も言われたわ。本当なら事故のこと、責めたかったに違いないのに。一緒にたくさん泣いた後、わたしの心配までしてくれた。いつまでも泣いてちゃあの子が浮かばれないから、あの子の分までいい人生を送ってくれって。いいご両親だったわ。恵梨香のこと、ちゃんと愛してた。わたしがあの事故から立ち直れたのは、恵梨香のご両親のおかげなのよ」

「そ、そんな、こと……」

「いい加減、素直になりなさい恵梨香。あなたは、愛情を受け取り損ねていただけ。本当はちゃんとそこにあったのに、気づいていなかっただけ。お互い不器用なせいですれ違っちゃっただけよ。ご両親、後悔していらしたわ。いつかもう少し大人になった時、落ち着いて話ができて、和解できる日がくると信じていたのに、って。だからさ、恵梨香ももう、許してあげなよ。そして、認めてあげてほしい。愛されてたんだって……わかるよね? その涙が証拠だよね?」


 アンナの言葉に、あたしはただ頷きを返すのが精いっぱいだった。

 心が——胸の奥底の、硬くて冷たかった部分が、じんわりと温かくなる。

 アンナを抱きしめ返しながら、思う。

 この胸のありがとうとごめんなさいを、いつかあたしも両親に伝えられますように、と。


 そうして、散々泣いたり笑ったり抱き合ったり、忙しく感情をぶつけあったあたしたち。

 ようやく落ち着いた頃に化粧を直そうと、代わりばんこに覗いた手鏡の中には、美しいままに涙をこぼす、可憐な男爵令嬢と、端麗な公爵令嬢がいて。


 本当だったら目も当てられないような酷い泣き顔のはずなのに。

 ゲーム補正ってすごいねと、また二人で笑った。

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