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01.絶体絶命からの逃走


「エリカ、貴女との婚約は今ここで破棄させてもらう!」


 大ホールに響き渡る、朗々たる美声はパウエル王太子のもの。

 見目麗しい金髪碧眼から発せられるその声と、言葉の辛辣さとが相まって醸し出す壮絶な色気に、女生徒がまた一人、失神して崩れ落ちる。


 ここは王立学園の卒業パーティ会場、その開会式の真っ最中だ。


 舞台上には、パウエル王太子と共に学園を牛耳る生徒会の面々が、いずれも険しい顔でこちらを睨んでいた。

 そんな彼らに、かいがいしく寄り添われている女生徒がいる。

 彼女の名は、アンナ。

 いつの間にか生徒会室へと入り浸り、彼らを虜にした男爵令嬢だ。


 ほら、か細い体をかきいだき、涙目で震えるその様子は、いたいけな子ウサギのよう。

 ピンクブロンドの巻髪が、艶やかに軽やかに、その愛くるしい顔を包んでいる。

 そんな彼女の琥珀色の瞳から、今、うるみも限界とばかりに、宝石のようなひとしずくの涙が落ち——それが、さも柔らかそうな胸の谷間で跳ねたとたん、数名の男子生徒が鼻血を噴いて慌てた。


 まあ、気持ちはわからんでもない。


 そして、今や会場じゅうから非難の目を向けられ、絶体絶命の状況に立たされているのが、このあたし。

 公爵令嬢エリカ・トラントゥールである。

 国の筆頭公爵家長女にして、パウエル王太子の婚約者……いや、それはたった今、破棄されたんだった。


 強張っていた身体から、意識して力を抜いた。

 のど元まで出かかっていた弁明も、今となっては意味がない。


 だってあたしは、気づいてしまったんだ。

 この世界が、前世でやり込んだ学園乙女ゲーム「イケメンボイス☆パラダイス」と同じだってこと。

 

 このゲームのヒロイン主人公は、子ウサギ女、アンナなのだ。そして生徒会の面々が、攻略の対象。

 ヒロインアンナは、彼らと出会い、数々の会話やイベントをこなしながら、健気な献身ぶりやドジっ娘の愛くるしさ、細々とした気遣いを発揮して、好感度を上げていく。

 そして最後に、卒業パーティで公爵令嬢エリカを断罪して、真実の愛と幸せをつかみ、パートナーと結ばれるのだ。


 そう、だから、あたしは邪魔者。

 悪役エリカにはこの後、お家追放に加え、修道院送りや国外追放など、その時々の罪に合わせた仕置きが待っている。

 

 でもまあ、しょうがないかな。

 だって、本当に嫌な女だったんだ、あたし。

 

 赤ん坊の頃からその美しさで溺愛され、間違った方向に甘やかされ続けてきたエリカは、高慢で意地悪でかんしゃく持ちに育った。

 幼少の頃の呼び名は紫爆弾。すぐに怒る紫髪のこどもだったからだ。

 タネチリエリカ、なんていうのもあったっけ。気の短さを評してのことだとわかっていても、触れると爆ぜて種を散らす雑草(タネチリソウ)の名を貴族子女が付けられるなんて、よほどのことだ。


 要するに、人望などまるでなかったのだ。 

 つまり現在、顔と身分しか、いいところがない。


 しかも、一目惚れして無理やり掴み取った王太子との婚約は、形ばかり。

 だからエリカは、その一向に進展しない彼との仲や、厳しい王妃教育のストレスを、これでもかとばかりにアンナへの嫌がらせで発散してきた。


 そのいじめは陰湿そのもの。申し開きのしようもない。

 嗚呼せめて、もう少し早い段階で気が付いていたなら——。


 でも、もう遅い。

 悪事の報いは、受けなくてはならないだろう。


 幸い、どの結末でも死ぬことはなかったはずだから、これからは前世の記憶を頼りに、粛々と市井で生きていこう。

 心配なのは、前世がフリーターだったから、取り立てて何の特技もないことなんだけど。


 やるしかないんだ、あたし。


 そう決意して顔を上げたあたしに、パウエル王太子が言った。


「納得できないという顔だな。何か言いたいことがあれば、聞くが?」


 王太子であるからには当然、生徒会長でもある。

 金の美髪をさらりと揺らし、吸い込まれそうな青い目を細めて問うなんて反則だ。

 完璧超人の張りのあるいい声に、油断すると腰が砕けそうである。

 あたしはぐっとこぶしを握り締めてこらえ、いいえ何も、と返事を返す。


「はっ。今更どの口が言うのやら。まったく、悪い女だな」


 黒髪翠眼の副会長、ゴールト様の放つ、荒々しい重低音ボイスにきゅんとくる。

 彼は騎士団長の息子だ。つまりはマッチョな、文武両道の雄々しいイケメンである。

 そういえばゲーム仲間が、この貫禄ある声を評して「子宮にくる」と言ってたっけ。

 いや本当、じかに聞くと破壊力が半端ない。

 ああもう、無造作に下ろした前髪から、射るような瞳で見ないで! 何かが溢れちゃうから!

 要するにあれだ、いろいろごちそうさまです。

 前世が覚醒して間がないからか、暴走気味の思考を持て余したあたしは、そっと頬を赤らめる。


「そうやって、しおらしくするのが貴女の新しい手口なのでしょうか? 全ては無駄ですけどね」


 銀髪赤目の会計担当、クリス様が冷たく吐き捨てる、圧迫Sっ気ボイスにめまいがする。

 いやもう、貴方以上にその、中指で銀縁眼鏡を押し上げる動作が似合う人はいないから! 

 知的なイケメン面から放たれる、刺すような視線はさすが宰相の孫! しかも細マッチョって! 萌え死なす気!? このクール眼鏡男子がー!


 思わず声を上げそうになったあたしは、慌てて生唾を飲み込んだ。

 危ない危ない。挙動不審に注意!


「「ショックで声も出ないんじゃない? こっちの怒りはその比じゃないけどね!」」


 書記と庶務を受け持つ伯爵家兄弟、フレリオ様とシュリオ様が明るく声を揃える。

 茶髪くせっ毛で金色猫目の小柄な童顔天使たちめ、わざわざ中等部から声変わり前のフレッシュボイスをハモらせに来てんじゃないよ! そんな悪い双子たん、お姉ちゃんぎゅうぎゅう抱きしめちゃうぞ!


 無垢な美少年たちの初めての反抗期を目の当たりにしたあたしは、にへらと笑み崩れそうな頬をなんとか保ちつつ、内心、絶賛小躍り中である。

 ていうか、もういい加減限界が近い。誰か、助けて……。


「さあ、そろそろ答えなきゃだめだよエリカ嬢。遊びの時間はもう終わりだからね?」


 青髪灰眼、会計監査のナイジェル様が甘く囁く紳士(ジェントル)ボイスにトキメキが止まらない。

 断罪中の悪女相手にすら、垂れ流しますかその色気!

 ほんのり垂れ目の甘いマスクで高長身って、それなんていう女子ホイホイ? 

 さすが昨年度卒業生で元生徒会長さま、キング・オブ・カリスマだ!


 ちなみに今の彼はというと、外務省にお勤めである。つまり我が国の気品ある癒し系軟派師が、とうとう外交の場でその手腕を発揮しちゃう日も近いってわけ。

 ダメ、危険! 古今東西のレディはきっと、この声だけで身ごもっちゃうに違いない! 

海外の乙女たち、逃げてえー!


 あああ、もうだめ、いろいろ我慢できません……!


 攻略対象たちが持つ、属性異なるイケメンボイス。

 色とりどりの大好物に狙い撃ちされたあたしは、我を忘れて思わず叫んでしまった。


「イケボでなじられるとか、もうご褒美でしかないからー!」




***




 はっと我に返った時にはもう後の祭りだった。


 舞台上の彼らは怪訝な顔で固まっている。

 ギャラリーたちのいる後ろなんて、尚更振り向けない。


 会場に、不気味な沈黙が落ちた。

 突然の公爵令嬢ご乱心に、皆、何が何やらわからないのだろう。


 と、いうことは、逆にチャンス!?

 勢いでゴリ押ししたら、なんとかなるはず。

 不測の事態は、緊急対応した者が制す!


 あたしはすっと背筋を伸ばし、唐突に公爵令嬢然とした佇まいに戻った。

 

 首を少しだけ傾ける。自慢の紫髪がさらさらと流れていくように。

 夜空のサファイアとも称される憂いある瞳は、これ見よがしに瞬かせてからゆっくりと伏せる。

 微かに震わせたまつ毛が、頬に長く濃く影を落とすさまは、きっと自慢の肌を魅せるだろう。

 陶器のように白く滑らかに、思わず触れたくなるほどに——。


 照明の位置まで計算した自己演出。

 こんな状況に置いてなお、公爵令嬢エリカは気高くあるのだと見せつける。


 誰かがはっと息を飲んだ。


 そうだ、刮目せよ。

 このあたしの、不可侵の美しさに。


 あたしはじっくり間を取ってから、改めて舞台を見上げ、彼らに告げた。


「わたくし、エリカ・トラントゥールは、それらの罪を全て認めますわ。ですのでここで失礼して、自領で謹慎致します。恐れ入りますが、わたくしへの処遇が決まりましたら使いを出して頂けますか? 粛々と従いますことを、今ここで誓います」


 それだけ言うと、完璧な所作で礼を取り、何事もなかったかのように背を向けた。


 ていうか、何事もなかったのだ。

 あったのは、ただの公開婚約破棄とあたしへの断罪だけ。

 オーケイ、それでいい。


 あたしは、勝負を制したカウボーイのごとき充実感を胸に、その会場を後にし————ようと、思ったんだけど。



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