鈴木出社する
# 鈴木出社する
4月12日 晴れ。
鈴木はいつものように7:20発のZ線下り列車に乗って出社する。20分程で電車は会社の最寄り駅に着く。会社は少し郊外にあるため電車の乗客は多くはなく、たいてい座席に座ることができる。R駅で降りる。R駅で降りる面子も同じである。スーツ姿の中年男性と鈴木と年齢が近いと思われる女性。彼らはタイミングが合えばそのまま話しながら駅を後にする。同じ会社に勤めているのだろう。「今日もお疲れ様です」と心でつぶやき、彼らとは逆方向に歩く。
会社までは駅から徒歩2分。途中のコンビニに寄ると10分。今日は缶コーヒーとアーモンドチョコレートを買った。店内に客は鈴木ひとり。レジの店員も変わりがない。大学生風の男。名札には「リュウ」と書いてある。黒髪、メガネ、痩身。流れるようなバーコードさばき。リュウは明瞭な日本語で「250円になります」と言う。リュウの目をちらりと見て小銭を手渡す。リュウは伏し目のまま手を差し出す。鈴木がいつもレシートを受け取らないのを知っているので、レシートを渡そうともしない。「ありがとうございましたー」とリュウ。
コンビニを出て1分ほどで会社につく。会社は雑居ビルの2階。階段を上がって廊下に出るとすぐのテナント。スチールの扉に「青田企画」のプレートが張ってある。ドアノブを回して入る。
「おはようございまーす」と挨拶をすると社長がにこやかに「おはよう」と返す。
7:51、着席。PCが起動している間、缶コーヒーを飲む。メールが2件。
1件目。昨日の22:13受信。
青田企画 鈴木様
お世話になります、飛田です。
お見積りをお送りします。
ご確認お願いします。
そっけない文面と添付ファイルが1つ。
次のメール。今朝、6:30受信。
鈴木様
報告書を送ります。
黒井
さらにそっけない文面と添付ファイルが1つ。添付ファイルは両方共パスワード付きで圧縮されている。パスワードを知っているのは社長のみ。早速USBメモリに添付ファイルを保存し社長に渡す。
「社長、飛田さんから見積もり、黒井さんから報告書が届いていました」
「お、ご苦労さん。いつも悪いねえ」
「いえ」
「黒井さんは元気そうだった?」
「メールには近況は書いてなくて、なんとも…」
「ほっほっほ。そうかそうか」
社長の机には手帳とボールペン以外なにもない。PCすらもない。社長はUSBメモリを受け取ると、社長室に入っていった。社長室にPCが置いてあるためである。
USBメモリでファイルをやり取りするたびに、入社したばかりの鈴木に社長秘書の横山静香が言ったことを思い出す。
「社長はインターネットが嫌いなの。2年前までは見積もりも報告書も、全部郵送だったのよ」
「今時珍しいですね」
「そうね」
それがなぜメールを使うようになったか、そのときは聞きそびれた。
事務所にひとり残された鈴木。特にやることもない。PCでニュースサイトを見る。
8:30、横山静香出社。いつもの黒スーツ、タイトスカート、ストッキング、黒ハイヒール姿に小さな手提げバッグ。
「おはよう」
「おはおうございます」
といつもの挨拶を交わす。
「社長は?」
「社長室で見積もりと報告書の確認をされています」
「そう」
横山静香は鈴木の正面の席に座る。横山静香の席にもPCはない。仕事は全部電話でやるらしい。
「今日も良い天気ね」
「はい」
「今朝は何を食べたの?」
「いつも通りのご飯と味噌汁でした」
「美味しかった?」
「うーん、味噌汁はちょっと薄かったかなあ」
「健康的でいいじゃない」
「そうですね」
横山静香はいつも涼しい目で鈴木の目を見ながら話してくる。だいぶ慣れたものの、鈴木は恥ずかしくて時折目をそらす。
「横山さんは?」
「チーズバーガ、ポテト、烏龍茶」
「いつもどおりですね」
「そう、習慣を大事にしてるのよ」
「毎朝ファストフードなのにスタイルいいですよね」と言いたいが、いつも言えない。代わりに
「朝のファストフード店って、いつも顔見知りのお客さんだったりしませんか?」と聞いてみる。
「ほぼそうね。今日は水曜日だからバタコさんがいたよ」
「バタコさん?」
「そう。いつもバタバタ慌ただしく入ってきて、慌ただしく食べて、バタバタ慌ただしく出ていくからバタコさん。私がつけたあだ名よ」
「顔もバタコさんみたいな?」
「すんごい美人」
「そのファストフード店の商品には美人のもとが入ってるんですかね」と言おうとして、言えない。
「今度紹介してあげようか?」
「知り合いなんですか?」
「ううん。水曜の朝その店で私と待ち合わせして、バタコさんが入ってきたら私が教えてあげるから後は鈴木君が頑張るのよ」
「急いでるなら、ウザがられませんかね?」
「そうかも。私はバタコさんをナンパしようとしてウザがられる鈴木君を見ながら朝ごはんを食べるけど」
「僕も大人しくバタコさんを観察するだけにします」
「それがいいかもね」
横山静香はにっこり笑いながらあっさりそう言って、社長室に入っていった。