藍色
「どうしよう……」
朔夜は深い深い溜息を吐いた。
朔夜の想い人、奈津の隣の席という幸運を力業で掴んだのはつい先日。そしてそんな愛しい彼女を、思いっきり拒絶したのも同じ日だ。
自分らしくもない。いつもだったらあれくらい上手く丸め込んで、どうとでも出来た筈なのに。
同じ台詞を他の誰かに言われたのなら、どちらでも変わらないと思っただろう。他でもない奈津だったからこそ、嫌だったのだ。
あれ以来、奈津と会話していない。
自分から拒絶した手前、いつものように奈津に絡みに行くのはどうしても気が引けて、いくら朔夜であっても流石に何も無かったかのようには話したくはなかった。
それに、真っ直ぐに朔夜を見つめる奈津相手に“柊朔夜”を演じるのはなかなか骨が折れる。奈津にそんなことをするのは、朔夜だって望んでいないのだ。
結果。元々口数の多くない奈津は朔夜へ視線を向ける事すらないという哀しい現状になっていた。
「どうしたんだ、凹んでるなんて珍しい」
珍しく放課後のサッカーの輪に加わらず、芝生に座りぼうっと思案に耽る朔夜。そんな朔夜の後ろからひょいと顔を覗かせたのは、朔夜の数少ない本音で話せる友人の一人だった。
今の今までサッカーに参加していた、宮代青葉というその青年は手に持つタオルで額の汗を拭い、朔夜の隣へ無造作に腰を降ろした。
「好きな子が遠い」
ぽつりと零した朔夜の声に、スポーツドリンクを呷っていた青葉が盛大に噎せる。
「お前って好きな子とか居るの?! え、マジで?」
咳き込みながらもまじまじと朔夜を見つめる青葉の顔には有り得ない、信じられないという気持ちがありありと浮かんでいて。そんな青葉の顔を見た朔夜は口を滑らせたと後悔するが、既にもう遅かった。
「誰だよ、うちのクラスの子?」
「教えないから」
断固とした口調で宣言すると、青葉はまだ気になるという素振りを見せるものの、しぶしぶといった様子でそれ以上詮索するのを止めた。
「で? 朔夜はなんかやらかしちゃったワケ?」
面白そうに藍色がかった目を細める青葉に若干腹は立つものの、想い人への対処の仕方というものがイマイチ分からない。仕方なく、本当に仕方なく、朔夜は青葉へ出来る限り誤魔化して話をすることにした。
「で、つい冷たい態度をとってしまったと。……ぶふッ、く、はっ、腹痛いっ!」
「…………笑うな」
人が恥を忍んで話したって言うのに。腹を抱えて笑い転げる青葉の硬い腹筋に朔夜は無言で拳を入れた。
それでも苦しそうに笑う友人は無造作に目尻に滲む涙を拭う。
「にしても、朔夜にも好きな子ってできるんだなあ」
「何それ、どーゆ意味?」
ぽんと放られた言葉に朔夜が不機嫌に眉を寄せると、思いの外真面目な顔をしていた青葉がだってさ、と言葉を続ける。
「お前の女の子に対する扱い見てたら、誰だってそう思うだろ」
女の子の扱いとは、誰とでも常に同じ距離を保つことに重きを置いている朔夜の行動だろう。分かりやすく特別な存在をつくらないそれは確かに、恋なんてしませんと言っているようなものだ。
告げられた言葉は思い当たる節がありすぎる。
でも。
「……奈津さんは、違うし」
そう告げてからしまったと思うがもう遅い。ばっと隣の友人を見ると、それはそれは楽しそうに笑んでいる。にまにまと緩む顔を取り繕ろおうともしない青葉に、朔夜はなんだか拍子抜けして。
もう話してしまってもいいかと溜息をついた。
「奈津さんは俺のこと気づいてて。声かけたら第一声が『どうしてお前はいつも欠片も思っていない事を言う?』だよ。信じられる? もう吃驚しちゃって。しかも話してみたら指摘すること全部がまた的確でさ。それ全部どうでもいいって言うんだよ、全部」
「……それはまた、すげーな桐生さん」
「うん。いつも強気なのにたまに弱ってるともう可愛くて可愛くて。ああ俺この子が欲しいやって、初めて思った」
「じゃああの席替え、わざと仕組んだのか?」
思いの外前のめりな朔夜の独白にそう言えば、と声を上げる青葉は、当たり前だと告げる朔夜の視線に再び口を閉じた。
「あーあ、折角奈津さんの隣になったのに。奈津さんが俺にそんなに関心無いって、分かってたのに」
でもあれは嫌だ、と思い出して頭を抱える朔夜を眺める青葉の藍色の瞳は何となく穏やかな光を宿していて。ふ、と息を吐くと、思いっきり朔夜の背中を叩く青葉。
斜面のついていた芝生に座っていた朔夜は突然押されたことにバランスを崩しながらも、なんとか転けずに立ち上がった。
「痛ってぇ! 何すんの、青葉!」
顔をしかめて振り向いた朔夜に、びっと指を突きつけて。
「悩め!」
たったの一言。それだけ言うと、青葉は再びサッカーに加わろうと腰を上げて走り出す。
後に残されたのは、呆気にとられた顔をする朔夜のみ。
はあ、と吐いた息は白く染まって空へと昇った。