湊鼠-1
お久しぶりです!
お待たせいたしました。
柊朔夜が、あの桐生奈津とつき合っている。
学校中を駆けめぐった噂は、ほとんど間をおかずに生徒たちに事実として認識された。
言わずもがな、朔夜のごり押しによってである。
朝や放課後はもちろんのこと、休み時間や教室移動に至るまで、朔夜はことあるごとに奈津を特別だと周囲に知らしめた。
「おいで、奈津さん」
にっこり笑って手を差し出す朔夜に、真っ赤になって大人しく従う奈津の姿を見た生徒はクラスメイトだけに留まらず。結果、噂が真実として急速に広まる要因になった。
それはある意味では朔夜の狙い通りであり、ある意味では不本意な結果になった。不機嫌に眉を寄せた朔夜は、今現在で目に見える不本意な結果を、自席からじとりと睨みつけた。
教室の前のドア近くに立っている奈津。そこまでならまだいい。問題は、クラスメイトの男子生徒と奈津が親しげに会話を交わしているところにあった。
そわそわと落ち着きのない男子生徒はともかく、相手をする奈津も満更ではなさそうなのは何故なのか。悶々とする朔夜はそれ以上奈津を視界に入れるのをやめるため、机に突っ伏した。
朔夜とつき合っているというのに、奈津が急にモテだした。
朔夜にとって不本意な結果であり、まったく面白くない。そのくせ奈津は朔夜にそんな素振りはちらりとも見せずに、全くのいつも通りで接してくるのだ。
今までさして他人に興味を持っていなかった奈津は、けして目立つ生徒ではなかった。だからこそ隠れていたけれど。奈津はとびきりの美人とまではいかないものの、十分可愛いと言われ得る容姿を持っているのだ。艶のある黒髪に、やや目尻の上がった猫目。身長は平均程度だが、華奢なせいか実際よりも小柄に見える。
可愛いというより美人系の顔立ちの奈津が笑うと、きゅっと目尻が下がってぐっとやわらかい表情になるのだ。そんなギャップがどれだけ魅力的かなんて、朔夜は嫌と言うほど知っている。
「朔夜?」
カタ、と隣の椅子を引く音とともに落ちて来たのは、奈津の凛とした声ではなく、慣れた友人のものだった。
「……なに、青葉」
「余裕ねーなあ、お前。あんだけガード固めといてまだ不安とか、どんだけだよ」
顔も上げずに返事をすれば、奈津の席に座ったであろう友人、宮代青葉が苦笑するのが聞こえた。朔夜のごり押しの全貌を知っている友人の呆れたような声に、朔夜は低く唸る。
「あんな弊害が出ると思わなかったんだよ」
放課後の今、教室に残っている生徒もそう多くはないだろう。そんな打算の後に本音を返せば、青葉は余計に笑ったようだった。
自分に余裕がないことなんて、自分がいちばん分かっている。ふてくされた表情のまま頭を上げれば、楽しそうに目を細める青葉と視線がかち合った。
見せびらかした自分が悪い。それは分かっている。それでも奈津が“柊朔夜の彼女”としてではなく、“桐生奈津”という見方をされるとは思っていなかった、というのは朔夜が甘かったのだろうか。
「だってお前、あんな可愛いところ見せられたら気になるだろ」
「奈津さんは可愛いよ」
やれやれ、とでも言い出しそうな青葉に半ば対抗心を燃やしてそう答えれば、青葉はおもむろに丸めた教科書で朔夜の頭をはたいた。
ぱこん、と軽快に鳴る音に満足そうにひとつ頷くと、そうじゃなくて、と思案するように腕を組んだ。
「桐生さんは朔夜が好きなんだろ」
無言のままじろりと青葉を見た朔夜の表情には、だから何だという不満がありありと浮かぶ。幼い子どものように素直に感情を表にだした朔夜に、青葉はふっとため息をついた。
「俺な、女の子って恋してる時がいちばん可愛いと思うんだ」
朔夜はたったそれだけで、青葉が何を言わんとしているのかを察した。
「桐生さん、最近随分と雰囲気変わったからな」
「…………」
ちらりと奈津に視線を向ければ、奈津は朔夜に気づく様子は欠片もみせずに未だ、クラスメイトの男と話している。それにはっきりと面白くない感情を抱いた朔夜は、そんな自分からも目を逸らすように軽く頭を振った。
確かに最近の奈津は朔夜から見ても、随分と雰囲気がやわらかくなった。それはふと気を抜いた瞬間だったり、ふいに朔夜と目の合った瞬間だったり。本当にふとした瞬間に、今までの他人を寄せ付けない頑なな雰囲気とは違う、ふっとほころぶ優しい表情を見せることが増えた。
そうやって徐々に朔夜に心を許しはじめた奈津の挙動は、いちいち問答無用に可愛いのだ。
奈津のそういった表情を見るたびに内心で喜びを噛みしめていた朔夜。
それが急に男に近寄られる理由となったという事実に、再び机に頭を伏せるのだった。




