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アンバーの瞳  作者: 尹茅
story:2 色燦々
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紺色

「ごめんなさい、うるさくしちゃって。私たち、別の場所に移動するね?」


 目の前で小首を傾げる女の子が、かつて片想いをしていた直人の彼女であると、奈津は知っていた。知っていて尚、にこりと口角を上げて微笑む。


「いえ、先輩。私たちが退きますよ、ここは私には寒いですし」


 さらりと言ってのける奈津に、夢穂の側に歩み寄る直人が僅かに眼を見開いた。そんな直人の様子を、奈津をその腕に閉じこめていた朔夜は見逃さない。

 ふたりの間に見えない火花が散ったことに、夢穂と奈津は気がつかなかった。


「あれ……。あなた、桐生さんよね、ナオくんの後輩の」


 ぱちぱちと瞬きする夢穂に、奈津はぎくりと身体を強ばらせる。

 直人が彼女といるときに、奈津が会話を交わしたことは一度もなかった。それは奈津が彼らに遠慮していたからであり、寄り添うふたりと対峙する気を持ち合わせていないという、自身の脆い気持ちからでもあったけれど。

 それなのに、何故夢穂は奈津の存在を知っているのか。

 自身を捕らえている朔夜の腕にすら気がつかず、抵抗する気がまるで起こらないほど、奈津は静かに動転していた。


「あれ、先輩。奈津さんのこと知ってるんですか?」

「ええ、委員会が同じで、いい子だってよく聞いていたから」


 それでも奈津が自分を取り戻せたのは、朔夜の朗らかな声が響いたから。後ろから抱き込まれているようになっているせいで耳元で響く、聞き慣れてしまった低音は何故だかとても落ち着いた。

 奈津がふうっと息を吐いたころには、夢穂はすっかり朔夜に意識を向けていた。


「へえ、じゃあキミがあの有名な朔夜くんなの」

「やだな先輩、有名なんかじゃないです」


 奈津を抱き込んだまま話すせいで直人の視線が気になると同時に、朔夜の吐息が耳元を擽る。むず痒いそれらの感覚に我慢が出来なくなった奈津は、思わずぐいと朔夜の頬を押しのけた。


「っ、奈津さん?」


 珍しく戸惑ったような朔夜の声と、思わずと言ったように洩れた夢穂の含み笑い。奈津がぱっと夢穂を見やると、肩を震わせて笑っていた夢穂は直人に窘められ、バツが悪そうに口元を隠した。


「ふふ、ごめんね、かわいくて。桐生さん、朔夜くんのことが好きなのね」


 夢穂の、あまりにも自然すぎる口調に反論も出来ずに身じろぎした奈津。そんなことに気がつかない夢穂は、どこか硬くなった表情の直人にも目がいかないとばかりに微笑んだ。


「朔夜くんが私とばっかり話すのが嫌なんでしょう」


 びしりと音を立てて固まる空気。目に見えて固くなったそれに、夢穂はきょとんと目を丸くした。


「夢穂。あんまり桐生を困らせないの」

「はは、分かります? 奈津さんたら素直じゃないんですけどね」


 すぐさま放たれるふたつの言葉は、果たして誰の為のモノであったか。頬を撫でる直人の指先にくすぐったそうに目を細めた夢穂は、母犬に甘える子犬のようにその手のひらに頬をすり寄せた。

 それと同時に、再び朔夜の腕の中へと抱き込まれた奈津。夢穂を撫でる直人の視線が自分を観察するようなものであることに、このとき初めて気がついた。

 途端、身体の末端から急速に凍り付いていくような感覚に襲われる。


 何故なら奈津は、この視線を知っている。

 朔夜と同じ、ただひたすら冷たく冷静に、周りを観察する目線。


 すべて気づかれている。

 朔夜とは違うけれど確かに、直人は奈津の知る限り、すべてにおいて聡かった。朔夜とおなじように賢いということは、朔夜とおなじくらい、奈津のことはお見通しということだ。


 あれだけ見てきたはずなのに。

 奈津は原直人という人間の本質の片鱗にたった今、初めて気がついたのかも知れなかった。


「……行くぞ」


 羽織っていたままだった紺色のブレザーを翻して、奈津が音もなく立ち上がる。ちらと朔夜に視線を投げれば、憎たらしいほど聡いこの男は心得たとでもいうように軽く頷いた。

 朔夜はきっと、奈津が何から逃げだそうとしているか知っている。知っているからこそ、奈津の意を汲んで従おうとしているのだ。


「じゃあ先輩たち、俺らはこれで失礼しますね」

「ごめんね、邪魔しちゃったよね」


 にっこり。まさにその擬音が当てはまる完璧な笑みを浮かべ、朔夜が軽く会釈する。

 それに対して、直人にぴたりと寄り添い、申し訳なさそうに眉を八の字に下げる夢穂。夢穂の心配がまったくの見当ちがいだということを指摘する者は、この場にはひとりもいない。


「桐生、また図書室で」


 一度気づいて見てみれば、朔夜とそっくりおなじ種類の笑みを浮かべて。柔らかくそつなく微笑む直人に、奈津はかたくこわばる顔を向けた。


「……ええ、また。先輩」

「奈津さん」


 軋んだ音を立てて開く扉を押さえ、奈津を促す朔夜を見る視線が縋りつくような情けないものになっていることは自覚している。自覚していても、それを止めることは今の奈津には難しいことだった。


 年季の入った屋上の扉は、ひどく耳障りな音を立てて閉ざされた。

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