朱色
腕の中の奈津の、小さな旋毛を見下ろす。
「ねえ、奈津さん」
声をかけると小さく震え、おずおずと視線を上げる奈津が可愛くて仕方ない。
「他の奴の名前なんて、呼ばないでよ」
真顔で言いきる朔夜から、必死で視線を泳がせる奈津を許さないとばかりに、こつりと奈津の肩へと頭を落とした。息を呑んで硬直する奈津に構わず、朔夜は縋るように自身より小さく華奢な奈津の身体を抱きしめる。
「な、んで、そんなこと」
ビシリと音を立てそうなほど固くなった奈津は、耳まで朱色に染まっている。
「好きだから」
何の躊躇いもなく口にする言葉は、紛れもない朔夜の本心。奈津から嫌われていることも避けられていることも、きちんと気づいていた。奈津は慣れればすぐに感情が顔に出るから、奈津と少しでも親しい間柄なら朔夜じゃなくたって気がつくだろう。
それでも惹かれた。言葉も態度も飾ることのない奈津から、好きだと言われてみたかった。
無言のまま硬直する奈津に構わず、朔夜はぽつぽつ言葉を落とした。
「好きだから、傍にいたいんだよ。好きだから、呼びたいし呼ばれたいんだ」
朔夜がこんなに真っ直ぐに誰かと向き合うのは何時ぶりだろう。柔らかな笑みを湛えて、ちょっと困ったように眉を下げてはにかめば、女の子たちは何時だって上辺の朔夜に騙されてきた。
朔夜は慣れていないのだ。自分の本心にまっすぐ眼を向けて、まっすぐ向き合ってくれる存在に。
「……朔、夜」
沈黙を守っていた奈津からの不意の呼びかけと、そっと叩かれた腕に僅かに肩を揺らした朔夜。それを拒否の合図だと受け取って、名残惜しそうに奈津をその腕の中から解放した。
「奈津さん、なに笑ってるの」
奈津はどんな顔をしているのだろうと恐る恐る覗き込むと、頬に赤みを残したままの奈津はそれでも、堪えきれないとでも言うように肩を震わせて笑っていて。
嫌がられたと思ったのに。思わずむっとする朔夜の機嫌が分かったのか、奈津はますます面白そうに笑みを深めた。
「いや、いつものお前らしくもないなと思って」
「当たり前でしょ、俺は本気だからね」
まさか信じていなかったのかと目を剥く朔夜に、奈津は慌ててかぶりを振った。
「分かっていたんだ、けど」
「……何。まだ原が好きだとか言うの?」
バツが悪そうに目を逸らした奈津は、急激に温度の下がった朔夜の声とその言葉に、ぎくりと身体を強ばらせた。そのまま泣き出しそうに顔を歪めた奈津は、自棄になったように勢いよく朔夜を睨みつける。
「さ、朔夜、の、せいだろう!」
名前で呼べと言ったことを律儀に守り、それでもきっと朔夜を睨む奈津。一度赤みの引いた白い頬が再び、じわじわと朱に染まっていく。
そんな奈津の反応を予想もしていなかった朔夜は、驚きに目を丸くした。
「……先輩は、もうすぐ卒業してしまうのに」
もどかしいとばかりに唇を噛む奈津の羞恥に潤む瞳は、朔夜を真っ直ぐ見つめていて。
「ここ最近、お前のことばかり考えてしまうんだから」
唐突に落とされた爆弾にしばし、朔夜は硬直した。それはもう、動きを止めた朔夜を不思議そうにこわごわと窺う奈津の様子も目に入らないほどに。
「……それ、反則」
沈黙に耐えかねた奈津が朔夜に声をかけようとした瞬間、朔夜はその言葉の意味を漸く理解した。
あの奈津が、卒業する直人よりも朔夜の方が気になると言ったのだ。一気に赤面する顔とにやけが止まらない口元を片手で覆い隠して、怒ったように睨んでくる奈津を見る。
「あいつより、俺の方が好きってことだよね?」
ストレートな朔夜の物言いにぱくぱくと口を開閉させた奈津は結局、何も言わないままにふいっとそっぽを向いた。否定も肯定もしないで黙り込むその態度は、朔夜の言葉を肯定している何よりの証で。
「……お前が構ってくるのが悪いんだ」
苛立ちの色が滲む声にも、いつものような厳しくも鋭い張りはなくて。どちらかといえば羞恥の割合の多いその声に、朔夜はますます自分の体温が上がるのを感じた。
「奈津さん、俺を萌え殺す気なの」
「も、もえ……?」
訝しげに朔夜の言葉を反芻する奈津の動作も、一度そう見えてしまえばどうしたって、朔夜の目にはどうしようもなく可愛らしく映るのだ。
「おいで」
手招きすると警戒するように身体を引くけど、瞳の中には最初の頃のような明確な嫌悪の感情はどこにも見当たらない。それがまた嬉しくて、朔夜は自然、頬が緩むのを押さえられなかった。
渋々、あくまでも渋々といった態度を崩さずにじりじりと近づいてくる奈津を待ちきれずに、するりと細い肩へ腕を絡ませる。
「俺、両想いだって思っていいんだよね?」
無抵抗のまま朔夜の胸に顔を埋める奈津はそれでも頑なに、朔夜の望む答えは返してくれなくて。
「お前は卑怯だ」
髪の間から覗く、朱色に染まったちいさな耳朶を見つけて朔夜は苦笑する。きっと奈津も、朔夜と同じで慣れていないのだ。それなら、これくらいが今の奈津の精一杯なのだろう。
「いいよ奈津さん、今はそれで我慢してあげる」
胸元にある奈津の顎を優しくすくい上げ、朔夜はひたりと奈津と目を合わせた。
動揺から揺れる奈津の黒曜の瞳に気づかないフリをして、心から愛おしむような甘い甘い微笑みを贈る。
「覚悟してて。言わずにはいられないようにしてあげるから」
お久しぶりです。
こんな亀更新におつき合いいただきありがとうございます!




