緋色
青く澄んだ空に向けて吐き出した息が白く染まる。
冬は苦手だ。
強く吹いた冷たい風に身を震わせ、桐生奈津は首を竦めた。
帰ろうとして視線を巡らせると、視界の隅に手を繋いで寄り添うカップルの姿が映る。小柄な彼女を優しい眼差しで見つめる男子生徒の眼差しに、じくりと胸が疼いた。
「なーつさん。とうとう寂しくなった? なら俺とつきあおーよ、超優良物件だよ」
「……柊か。放せ、付き合わない」
「嫌。奈津さん可愛いから無理」
いきなり背中から回された腕と頭に乗せられた顎に驚いたものの、直ぐに声の持ち主に思い当たる。
そのままぎゅうと抱き締められて、奈津は辟易した。
柊朔夜。
180cmを越える長身に甘いマスク。奈津はその奔放な性格から男女両方に好かれるこのクラスメイトが苦手だった。
「まだ見てるの?」
肩口に落とされた頭から、理知的な光を宿すアンバーの瞳が覗く。
見る角度によって様々な色を魅せる瞳に思わず見惚れると、それを察した男は猫目を細めて嬉しそうに笑った。
この男は嫌味なほどに周囲の人間の機微に聡い。その上で、自分が他人にどう見えるか全て知っていて動いているのだ。
「卑怯な奴」
「奈津さんにそう言って貰えるなんて嬉しいな。俺のこと、よく分かってる」
奈津の精一杯の嫌味は、本当に嬉しそうな微笑みの前ではどうしようもなく無力だった。
「ね、だから俺に堕ちてきて? 大事にするよ」
奈津が見つめていたカップルをさして興味もなさそうに眺めた朔夜の口から、蜜のように甘い言葉が零れ落ちる。
「……いらない。帰る」
動きを止めた隙に弱まった抱擁を抜け出ようと身じろぎした奈津を、朔夜が再び抱き込んだ。
「待って奈津さん、これ貸してあげる」
それは唐突に。
振り返ろうとした視界一面が、鮮やかな緋色に覆われる。
それが朔夜のしていたマフラーだと気がついて、奈津は気がついたことに少し後悔した。
「必要ない」
「ワガママ言わない。寒いの苦手なのに、なんで何もしてないの」
ぐるぐる巻きにされたマフラーから顔を出そうともがく奈津に、朔夜は無造作とも言える気安さでそれにさ、と言葉を放った。
「見たくないものは、見なくていいんだよ?」
それは怜悧な刃の様に、奈津のやわらかな心に真っ直ぐに突き刺さって。
「……っ、ふ、」
不意にぶわりと盛り上がる涙を堪えられなくて、きつく唇を噛みしめた。
人の感情の機微に聡いこの男が嫌いだ。
見透かされるようなアンバーの瞳が嫌いだ。
その狡猾さを隠そうともしない態度が嫌いだ。
視界を覆うマフラーで遠慮なく涙を拭ってから顔を出し、だらしなく相好を崩した表情を隠そうともしない朔夜を睨む。
「かっわいいなあもう! なんでそう、弱いとこ突くと急に脆くなるかな」
「…………」
それを分かっていて突いてくるこの男は最低だ。
そしてそこに堂々と付け込んでくる潔さも。
「好きだよ、奈津さん。俺が隠してあげる。代わりでもいい。だから俺にしな?」
こうやってね、と奈津に巻いたマフラーを叩く男に、奈津は返事をしなかった。緋色のマフラーから感じる仄かなあたたかさに黙って顔を埋める。
「大丈夫、俺は側にいるよ」
望んだ時に望む言葉を与えてくるから。
だからこいつは嫌いなんだと奈津は無言で朔夜の足を力一杯踏みつけた。