其の壱
古来より日本には多くの妖が人と共に生きていた。共に生きるその得体の知れぬ存在に畏怖の念を抱く者、それと共存し恩恵を得る者。生き方は様々あった。
それらの力は強大であったが同時に儚いものでもあった。その存在が気付かれずいつしか消えていく妖さえあった。
しかし、その存在は決して過去のものではなく今直息づくものだった。
京都。古来より「天子の住む都」を意味し日本の中心として朝廷が置かれ多くの天皇が愛し、住んだ街。現在も趣深く、此処だけ時間が止まったかのようなこの街の片隅に一軒の御茶屋。
趣あるその店は創業数百年の老舗で、店主の家系は辿れば天皇家の傍系に繋がる家柄ではあるが政よりも京の街と御茶を愛した先人たちの気質は今でも受け継がれている。
今代の店主は先代が早々に隠居した為、25歳にして店主と当主を兼ねていた。
「おおきに、是非またお越しください」
店主の名前は都守 央。すらりとした長身に黒い髪、丸いフレームの眼鏡を掛けたその顔は男前との呼び名が高い。立ち居振る舞いも流れるように優雅でどことなく品がある。老舗の御茶屋を切盛りする央は大学卒業と同時に店を継ぎ、今年で3年目になる。敷居が高い老舗のイメージを、その格式を壊さずに誰でも入りやすい店へと変えたその手法は周囲の店からも高く評価されている。
「今日はもう店閉めるから、みんな帰ってええよ」
店を閉めれば従業員を帰し残っていた仕事を片づけ、店の二階の自宅で一服していた。元々は家族全員で住んでいたのだが、今では央一人で住んでいる。両親は隠居してからは別宅に移り住んだ為、こちらに来ることは月に一度か二度店に様子を見に来るときくらいである。
しかし、あくまでも住む“人”が央だけであり家の中は実に賑やかなものだった。
この家には妖が住んでいた。
「おい家鳴、あんまり騒いでると菓子やらんで」
「いやや、ボンさんのいけず」
「…俺ももう25やぞ?いい加減ボンさんはやめてくれ」
「ボンさんはボンさんでっしゃろ?今更変わらんよ」
「…もうええわ、ボンで」
央には、正確には都守の人間には妖が見えていた。初代が臣籍降下する際に、権力に頼らずに自分の愛する都を守りたいと陰陽師となった。元々力が強かった初代は都に害をなす妖を陰陽師として払っていた。そして自分の子孫には自分と同じように都を守って欲しいと一種の呪を掛けた。それは自分のように都を愛する者に異形のもの、妖の姿が見えるようにするというものだった。
もちろん異形のものに畏れを抱く者はその力を棄てることも可能だったが、都守の者の多くはその力を使い都を守ることを望んだ。そしていつしか都守の家は都の守護としての加護を受けるようになっていた。ここ数代の当主は妖と共に生きることを望み、妖もまた都守の人間と共に生きることを望んだ。その結果として住み着いたのがこの家鳴だった。家鳴たちは央の生まれる前より住み着き、小さな頃より央の良き遊び相手だった。
「ボンさん疲れているのか?」
「我らと遊ぼう我らと遊ぼう、息抜きは大切なこと」
「悪いんやけど、今日はまだやらなあかんことあるんや。また今度相手しておくれ」
「我らはいつでもボンさんの相手をするぞ」
そう央が口にすれば玄関より声聞こえた。声の主は央の返事を待たず階段を上ってきた。足音の主は幼馴染の夏八木 朱音だった。もっとも幼馴染とはいえ朱音は21歳である為、央にとっては妹のような存在だった。
「お邪魔してます、アキくん!家鳴たちにもお土産持ってきたから良かったら食べてね」
「朱音お嬢のお土産、我らの好物。おおきに」
「ええのよ、うちのお菓子なんやもん」
「朱音、今日は依頼主はどうした?」
「一緒に来はったんやけど、えらい恥ずかしがりやで姿見せへんのよ。ほら、都守の主様に頼みたいことがあるんやなかったの?」
朱音が央の元を訪ねたのには理由があった。妖からの相談事が舞い込んできていたのだった。妖を理不尽に滅することのない都守の存在は妖たちにとっては頼りになるもので、自分たちでは解決が困難なことを相談しに来るものも少なくなかった。そして今夜も相談したい妖がいると朱音に言われ待っていたのである。
「…お久しぶりです、都守の若様」
「なんだ、若槻の家の座敷童やないか。なんや、どないしたん?」
「実は…、今の家に我では太刀打ちできぬ悪鬼が紛れ込んだのでございます。若様、我の家を助けておくれやす」
「座敷童で太刀打ちできん悪鬼か、それはまたえらい面倒な相手やな」
相談の依頼主は央もよく知った座敷童であった。この座敷童の現在の住処は若槻という老舗の呉服屋だった。ここ数十年その家に住む座敷童は若槻の家族を大層気に入り自身の加護を与えていた。
話を詳しく聞けば最近若槻の家の次男が一枚の絵を買ってきたらしいのだが、どうやらその絵に良くないものが憑いていたらしい。呉服屋の業績がわずかに右肩下がりになっているという。座敷童の加護のおかげでその下がり具合は緩やかではあるらしい。この座敷童は其処らのものよりは格が高く力も強いはずである為、現状座敷童の力の方が劣っているということになる。
はてさて、一体どうしたものかと考え込む央の横で座敷童も頭を抱えている。朱音と家鳴は気楽なもので土産に持ってきた和菓子を口にしている。朱音の言い分としてはみんなで悩んだところで解決する訳ではない。だったら頭を使うことが苦手な自分は、先ほどからうずうずしている家鳴の相手をするのだと。
「此処で考えたところで答えは出ないやろな。座敷童、俺の式をお前の処に送ろう。お前の願いを聞き届けようやないか」
「我の願いを…。ありがたい、若様。よろしくお願いします」
「少し待っとってな、今用意する。悪しきものの正体、都守の名の下に必ず明かそう」
央は平伏する座敷童にそう告げれば自身の式神を用意し始めた。今もなお陰陽道の学は受け継がれている都守の家では当然に式神を使役することができる。
「今回は朱音が持ってきた話やからな、火を宿すものを式としよう」
夏八木の家もまた守護の家のひとつであった。夏八木の家は元々都守に仕える家柄であり、都の守護を特に南を預かっていた。南の守護と言えば朱雀であり、夏八木の家は五行では火を司ることとなっている。夏八木の他、各方位を守護する家は娘を巫女としていた。朱音も例に洩れず夏八木の巫女であり、火の巫女であった。巫女はそれぞれ四神の加護を得ている。しかし、その力を使うには都全体の守護である都守の当主の許可が必要だった。四神の力とはそれほどまでに強大なものだったのだ。
「よし、式は火車にしようか」
央が式札にそっと息を掛ければ火車が姿を現す。もっとも央の式神は全て人型をとっている為、火車も人型であった。身の丈は央よりちょうど頭一つ分程小さく、透き通るような白い肌に深紅の髪がよく映えている。はっきりとした顔立ちは美しく、高い鼻が特徴的である。現代美人の火車は、恐らく人に姿が見えていたら芸能関係者にスカウトされること間違いないだろう。
「おや、我の出番か?主殿久しいのう」
「久しぶりやな、火車。今回はお前に頼みたいことがあるんや」
「火を宿すものとして頼んだで?あんたは今回夏八木の代表みたいなもんやからさ」
「これは姫さん、この火車にお任せください。ほんで主殿、我の仕事とは?」
こうして央の指示を受けた火車は座敷童と共に若槻の家へと向かった。
「朱音、若槻の家はどうなんや?」
「そうやな…、」
都守の家は都全体の守護であったがその全てを掌握することは容易ではなかった。都守の家は京都では有名だったが都守と繋がりが深い家はそう多くはない。都守が気に掛けるのはどちらかと言えば不良案件を抱える家であり、それ以外の家は各方位の守護が詳細を補うことで都の守護は成り立っていたのだ。
朱音の話によれば、現在の若槻の家は当主とその妻に二人の息子、そして娘が一人。主に当主が切盛りし妻もそれを支えていた。長男も仕事の一部を引き継ぎ、次男も仕事を補佐していた。一人娘は早々に嫁いでおり現在は京都を離れているらしい。次男が問題の絵を買ってきたのは三カ月前のことだった。次男に絵画鑑賞の趣味はなく買ってきた絵も特に大家の作という訳ではなかったのだが、何故か執拗に店に飾ることを望んだらしい。そしてその絵を飾ってからというもの業績はわずかに右肩下がりになったという。
「家族仲はどうなん?実は親父さんが浮気しとるとかないん?」
「目キラキラさせて言う話やないやろ、アホ!そういう話は一切聞かんし、あそこのおじさん愛妻家で有名なんよ。大恋愛の末に結婚したらしいで」
「ほな兄弟仲は?なんか嫌いあってるとかないん?」
「それも聞かん。長男は昔から家を継ぐ気でおったみたいやし、次男の方もお兄はんを支えるって言うとったらしいし」
なんでなんかな、と小さく呟く央の瞳には窓の外に見える景色が映っていた。
その日の京の空はやけに暗く、月はどことなく紅く染まっているように見えた。




