怪談:デッドエンド
子供の頃は暗がりが怖かった。
そこに何かが潜んでいるのではないか、そして潜んでいる何かは自分に害を為そうとしているのではないか。ほら、今にもその闇の塊が蠢いて――
そんな風に、ついつい考えてしまっていた。
だが、それは単なる子供の空想だったのだろうか。闇の中に潜むものは、私達を常にその内へと引きずり込もうとしているのではないだろうか。
ある夏の夜のことだ。私は数人の友人と一緒に、山中に向かった。そこには、出るという噂のトンネルがあった。
車に乗って、若さと暇に任せた肝試しというわけだ。
灯りもない山道を、ヘッドライトを頼りに三十分ほど走って、私達はそのトンネルの前に着いた。
一度車を脇に寄せて、私達は車から降りた。眼の前にあるのは、石造りのトンネルだった。外灯が壊れているのか、その中を見通すことは出来ない。入り口の横には、事故多発注意の看板が、半ば朽ちながらも立っていた。
雰囲気が出ている、本当に出るかもしれないなどとはしゃぎながら写真を撮ると、私達は車に戻って、ゆっくりとした運転でトンネルの中に入っていった。
初めは、なんという事もなかった。黒いタオルに包まれたかのように真っ暗ではあるものの、車のライトは点いているし、トンネルも一直線のようで危険もない。
なんだよ、結局何もないのか。そんな事を私達が言い始めた時だ。
びたん、と何かが張り付くような音が車の右手からした。
私達は皆、話を止めてさっと右手を見た。ついに何かが来たのかという思いが半分、どうせ虫でもぶつかったんだろうという思いが半分。そんな私達の顔色が、一瞬で変わった。
右手の窓ガラスに、黒い影があった。いや、影ではない。これは手形だ。
「おい、誰だよ、これやったの。冗談キツイぜ」
運転していた友人の笑い声が震えていた。
車内に居た誰かに出来るわけがない。どう見ても、手形は外から着けられている。
びたん、と今度は左手から音がした。びくりとしながらそちらを見ると、やはりそちらにも黒い手形が着いていた。
三度目のびたん、という音が鳴った辺り、で私達は震えだした。
「おい、これやばいよ」
「スピード上げろ! さっさと逃げないと不味い!」
そんな声を私達が上げるまでもなく、運転していた友人はスピードをあげていた。友人はカチカチという、歯が鳴る音を出していた。
一気に車の速度が上がるが、外が真っ暗なだけに、それは体感では良く分からない。トンネルが何処まで続いているのかも。
張り付くような音は叩きつけるような音となり、音の間隔も短くなっていく。気付いた時には、まるで豪雨のような音の連打となっていた。すでに両脇のガラスは真っ黒に染まっており、残るのは前面のガラスだけ。
私達はどうなってしまうのだろう。もしかしたら、車を突き破って、あの黒い手形が――いや、手そのものが染み入ってくるのではないか。そう、思った時だ。
「危ない!」
運転していた友人が急ブレーキを踏んだ。私達はシートベルトに胸を圧迫される。
どうしたことかと思って友人を見ると、友人は目を潤ませながらがたがたと全身で震えながら前方を見ている。
私達は彼の視線の先を見て、震えの理由を知った。
いつまでも続く暗いトンネルは、そこで行き止まりになっていた。いや、正確には行き止まりではなく、右側にある程度の角度をつけてカーブした道になっていたのだ。その事を示すための外灯は止まっており、壁面は何故か真っ黒に染まっていた。
壁の前には、花瓶が置かれている。事故多発という看板が立っていたが、事故が起こっていたのはここだったのだ。
あのまま猛スピードで突っ込んでいたら、私達も今頃は――
そう考えると、手形とは別の恐怖で背筋が凍った。
その時にはもう手形も消えており、車は無理のないスピードで右に曲がった。曲がると、トンネルの出口はすぐそこだった。当然、急いで山を降りた。
その場では気付かなかったが、後になって私はあることを思い出した。それは、声のことだ。あの手形が貼り付き始めた時、私達は次々に声を上げた。
だが、その声の中に一つ、聞き覚えのないものが混じっていた気がするのだ。
「スピード上げろ! さっさと逃げないと不味い!」
そう言って、友人を煽った声。
あれは一緒に乗っていた誰の声でもなかったような気がする。
では、誰の声だったというのだろう。
おそらくは、あの手形と同じナニかだ。アレは私達を、自分達と同じモノに引きずり込もうとして、あんなことをしたのだろう。そう思う。
トンネルの前で撮った写真を現像することは無かった。これ以上、私達は闇に近づくべきではないと、皆が思ったからだ。