雑な批判しかできない人間は、きっと己のせいでストレスが溜まっているだけなのだ
部屋の明かりを落としたまま、
ベッドに横になってスマホを眺めていた。
特に見るものがあるわけでもなく、
指だけが勝手に画面を滑っていく。
流れてくるのは、いつもの言葉たちだった。
「全部自民党のせい」
「解体しろ」
「国民を舐めるな」
同じ形の怒りが、同じテンポで、同じ方向に流れていく。
しばらく見ているうちに、なんとなく気分が重くなる。
内容じゃなくて、
その“雑さ”に引っかかっているのが分かる。
原油が上がれば「政府のせい」
物価が上がれば「無能」
そして最後は決まって「解体しろ」
画面を閉じる。
別に、政治を擁護したいわけじゃない。
ただ、その言葉の軽さが、やけに残る。
このまま部屋にいると、同じことをぐるぐる考え続けそうで、
上着だけ羽織って外に出た。
夜の空気は、思っていたより冷たかった。
少し歩くだけで、頭の中のざらつきが、
ほんの少しだけ静かになる。
本当に壊したいのは、そんな大きなものじゃないだろうに。
もっと手前にある、どうにもならない何か。
自分の生活とか、評価とか、他人との距離とか。
そこに触れたくないから、
遠くのものを壊そうとしているように見える。
たぶん、ああいう人間は、現実でも少しだけズレている。
会話の噛み合わなさとか、タイミングの悪さとか、
評価されない理由とか。
そういう小さな違和感が積み重なって、
本人だけが取り残されていく。
でも、それを認めるのは難しい。
認めた瞬間、自分の中の何かが崩れるから。
だから、外に原因を作る。
政治が悪い。
社会が悪い。
仕組みが悪い。
そうやって、原因を遠くへ遠くへ追いやっていく。
遠ければ遠いほど、触れなくて済むから。
誰もいない道をしばらく歩いて、立ち止まる。
ポケットの中のスマホを取り出して、もう一度画面をつける。
また同じ言葉が流れてくる。
「解体しろ」
その文字を見ながら、ふと思う。
この人たちは、本当に何かを壊したいのだろうか。
それとも、壊したい“ふり”をして、
自分を守っているだけなのだろうか。
たぶん、後者の方が多い。
壊す覚悟がある人間は、もっと具体的に考える。
何を、どう変えるのか。
その先に何があるのか。
ただ叫ぶだけの言葉には、その先がない。
空っぽのまま、音だけが大きい。
画面を消して、ポケットに戻す。
夜の静けさの方が、さっきまで見ていた言葉よりも、
よっぽど現実に近い気がした。
もし本当に「全部あいつのせい」で済むなら、
どれだけ楽だっただろうと思いながら、また歩き出した。




