一分間の奇跡
街外れに放置された赤い電話ボックス。
ガラスは曇り、受話器のコードはほつれている。
だが噂があった――決まった時刻にかければ、死んだ人と一分だけ話せる。
恋人・美咲を事故で失った慎一は、夜更けにそのドアを押し開けた。
受話器を震える手で取る。
「……美咲?」
「……慎一?」
声が重なった瞬間、世界が止まった。
涙で視界が滲む。
死んだはずの彼女の声が、たしかにそこにあった。
それから毎晩一分間、二人は話した。
「ねぇ、あの川辺の桜、今年も咲いてるのかな」
「きっと咲いてるよ。あの日、一緒に写真を撮ったよな」
「そういえばさ、夏祭りの時の浴衣、赤だったよな」
「え? 私、水色だったはず」
「旅行は海辺の旅館だったろ」
「違うわ、山の温泉だった」
ほんの少しの違和感。
それは会話を重ねるほどに積み重なっていった。
ある夜。
慎一は勇気を振り絞って聞いた。
「なぁ、美咲……あの日のこと、覚えてるか?」
「……事故の日のこと?」
「そうだ。君は、もう――」
「死んだのは、あなたでしょ」
沈黙が走った。
「……俺は生きてる。死んだのは美咲だ」
「違うわ。私の世界では、あなたのお墓がある」
二人は気づいてしまった。
お互いが愛していた人とは似ているけれど――別人だと。
翌晩も、慎一は電話ボックスの前に立った。
決まった時刻、受話器の向こうで微かな雑音が走る。
手は震え、耳が熱を持つ。
……だが、彼は電話をかけなかった。
声は同じでも、彼女ではない。
自分が愛した美咲は、もうこの世にはいないのだから。
数日後、慎一は花束を手に墓地を訪れた。
風が木々を揺らし、石の上に影を落とす。
彼は花をそっと供え、目を閉じる。
「……もう大丈夫だ。ありがとう、美咲」
静かに呟くと、頬を伝う涙が花に落ちた。
風の中、彼女の声がほんの一瞬だけ聞こえた気がした。
けれど目を開けたとき、そこにはただの静かな墓石だけがあった。
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