バグラシオン家③
「カーン、カーン」
正午の鐘が俺を回想から現実に引き戻す。ベッドで目が覚めた瞬間から、俺は一貫して人が変わった事、これまでのボリスではないのを前面に出してこれたと思う。これから父とする話にも関わってくる事だが、俺の様子はそろそろ広く伝わっているはず。記憶喪失であることも含めて。父がそれを信じてくれていれば、元のボリスがするはずのない提案も受け入れてくれるだろう。少なくとも、そう思いたい。
最後に読んでいた本を棚に戻し、俺は図書室を後にした。目指すのは屋敷の反対側にある父の書斎。ボリスが怖がって避けていたのか、書斎に近づくにつれて体が勝手に緊張してきた。こう言った意図せぬ反応も邪魔だから、ボリスがこれまでに踏み込んだことが無い環境に身を置く必要性を強く感じる。その為にも父の説得が必要だ。
書斎の前に辿り着いた俺がノックをすると中から「入れ」と言う声がした。左腕があまり動かないように首から吊るしている布と、それが引っかかる襟を正し、俺は扉を開けて中に入る。まず目に飛び込んできたのはこちらに背を向けて窓の外を眺める大男。俺の父親の姿だ。窓を背にするように置かれている机の上には書類の束が無造作に積まれている。
「父上、ボリスです。本日は父上に大事な話があって参りました」
俺の言葉を聞いて振り向いた父の顔には疲れがにじみ出ていた。年はまだ45歳と、ヴォルゴンとして生きていた俺と変わらないが、10歳くらい老けて見える。短く整えている髭には白髪が混じっており、目の下のクマが目立つ。それでも筋骨隆々の体からは自信と力強さが伝わってくる。ベテランの戦士を絵にかいたような男だ。
「ボリスか。もう少し回復するまでお前を呼び出すのは控えていたが、自分から来たならもう良かろう。言いたい事はこちらにもある。だが、まずはお前が何の話をしたいのか、それを聞かせてもらおうか」
低い声でそう言うと父は机の後ろに座り、手を顎の下で組んだ。俺に座れとは言わない。やはりな。父の言いたい事もおおよその想像がつく。
「父上、まずはこの度の私の軽率な行動を詫びたいと思います。身勝手な理由でバグラシオン家の兵や父上を危険にさらした事を深く反省しております。今後は同じことが無いように努め、いかなる罰も受ける所存であります」
思った通り、それを聞いた父は完全に固まってしまった。それもそうだろう。これまでのボリスとは真逆に近い事を俺はやっている。正直、綱渡りをしている気分だ。異質さは隠しようが無いが、こうまではっきりとひけらかす必要があるのかも分からない。ボリスは精神を病んでいる、そう思われたら今後の事にも支障が出るが、以前のボリスを演じていては何も進まない。
「……これは驚いた」
椅子に深く座り直し、腕を胸の前で組んだ父は首を傾げ、俺を初めて見るような目でまじまじと眺めている。
「まさかお前が自分からそう言いだすとはな。いや、報告でお前が様変わりしているのは聞いていた。聞いていたのだが、これは予想以上だ。父としては喜ばしい事だが、こうまで違うと別人に見える」
これだ。我が子を他人と間違える親はいないだろう。文句ばかり並べたてたボリスの日記だけを読むと次男には興味のない、冷めた父親だと思う人も居るだろうが、決してそのようなことは無い。父から漂ってくる香水の香り。目を覚ますと部屋にそれと同じ残り香が漂っていた日がある。突き放してくる息子にどう接したらよいかが分からない、不器用な人なのだろう。そんな人間に「あなたの息子は死に、私が体を乗っ取っている」とは言えない。言えないが、息子を演じ切ることも不可能だ。意を決して俺は父の目を真っすぐに見ながら喋り始めた。
「父上の仰る通り、以前の私とは別人になったと、自分でもそう思います。私がバーストしたあの時、まるで時が止まり、頭の中に様々な映像が浮かんできました。それは何年にもわたって魔物どもに蹂躙されてきたどこか別の世界の映像でした。私がその世界の住人であったかのような、とても他人事とは思えない光景です。それがどれほど続いたかは分かりませんが、気が付くと私は床に倒れていました。そのビジョンを見たせいか、これまでの記憶が酷く曖昧になってしまうのと同時に、私は自分のやるべき事をハッキリと悟りました。バグラシオン家の男児として。この世に生を受けた人間として。私は生涯を魔物の根絶に費やさなければならない、と。そう確信しております。この新たな信念に照らし合わせると、私の行動は悪戯にバグラシオン家の兵力を削いでしまった、恥ずべきものであったと認識しています」
さぁ、どうだ?俺が別人に見える、その言い訳だ。嘘はなるべくつかず、しかしバーストを誰かが生き延びた前例が無いのを良い事に、確認のしようがない事柄を並べてみた。多分に本心を含んでいる言い訳だ。このスピーチと今後の行動で信じてもらうしかない。俺がただ使命に目覚めたボリスである事を。
「……いやはや、予想のはるか上だ。俄かには信じがたい話だが、目の前のお前を見ていると不思議な説得力も感じる。少なくとも、魔物を根絶したいと思う気持ちは本当のようだな。只ならぬ意気込みを感じる。さて、どうしたものか……」
父はそのまま黙ると何か考え込み始めた。邪魔にならないよう、こちらも息をひそめて次の言葉を待つ。程なくして父が何か決めたように頷くと、腕を解いて俺の方を見た。
「良いだろう。息子がこうまで変わると言うのは中々に馴染みがたいが、そう言う事にしておこう。私の方の話も先日のお前の身勝手な行動についてだった。反省しているのは分かった。だが、罰を免れられるとは思わない方が良いぞ?」
「無論です、父上。ただ、一つお願いがございます。肩の傷が癒え次第、新兵たちの訓練に参加したいので、傷の回復が遅れる罰だけは勘弁して頂けませんか?」
父が驚きのあまり口をポカンと開けて俺を見ている。流石に驚きすぎではないか?俺の覚悟には納得したようだし、理不尽な願いでは無いと思うのだが……
「いやはや、もう言葉もない。私の考えていた罰こそが新兵たちの訓練に参加してもらう事だったのだが、自らそれを望むなんて、これでは罰にならんではないか」
父が苦笑しながら頭を振る。
「人が変わったと言っても、私を困らせる癖は変わっていないようだな。罰についてはまた考えておく。どうせ肩が治るまでは訓練への参加もできぬしな。先日の襲撃だけでも頭が痛いのに、もう何が何だか分からなくなってきたよ」
そう言うと父は立ち上がり、壁の棚から茶色い液体の入った瓶とグラスを一つ取って机に置いた。
「お前にはまだ早いが、私はやらせてもらうよ。で、話はその事だけか?他にもあれば聞くが、私は忙しい。お前の兄も契約を終えてこちらに向かっている。先日の襲撃も兼ねて決めないといけない事が山積みだ」
グラスに液体をなみなみと注いで父は一気にそれを飲み干した。重厚香りとアルコールの匂いがこっちまで漂ってくる。体が驚いているのを感じる。ボリスは父が飲んでいる所を見た事が無かったようだな。
「はい、話はここからです。単刀直入に言います。バーストの結果、私は従来の方法で魔道を使う事が出来なくなりました。代わりにこれまでに無い魔道の使用法に目覚めたのですが、今の私は魔道使いとすら呼べないのかも知れません」
俺が言い終わると同時に空気が一変した。グラスをゆっくりと机に戻した父の目が俺を見据えると、全身から放たれる彼の威圧感に気圧されそうになる。思わず膝が震え出しそうになるのを抑えながら、俺は右手の人差し指に小さな炎を灯して父の前に差し出した。
「これをご覧ください。このように、私は炎を呼びだすことは出来ますが、これではまだまだ魔物との戦闘の役には立ちません。従来の魔道が使えないという事は、さらに私が基本のシールド展開もできない事を意味します。魔道使いが生身の人間を遥かに凌駕する要因の一つ、打たれ強さが今の私にはありません。これではセオリー通りの魔道使いとしての働きは出来ません。そこでお願いです。数か月後に迫った私の高校入学。これを無しにして、代わりにバグラシオン家で訓練を続ける許可を頂きたいのです」
これこそが俺の思いついた作戦だ。これも嘘は殆ど言っていない。俺の世界では高等技術とされた魔道による防御法、それがこっちではマナを使った基本中の基本であると知った時は驚いた。いずれは出来るようになるが、戦場に出る魔道使いが自分で自分の身を守れるのは常識とされている。戦術もその上に成り立っているから、このままでは味方の足を引っ張りかねない。ボリスは戦闘技術やセオリーからほど遠い帝都の高等学校への進学が決まっていたが、そんな事に時間を費やしている場合ではないのだ。
静かに俺の話を聞いていた父がゆっくりと俺の指先で踊る炎に手を伸ばした。今にも触れそうな位置まで来てから不意にため息とともに手を落とし、彼はそのままもう一杯酒を注いだ。空気をひり付かせていた威圧感ももう感じない。
「やれやれ、今日はとんでもない日だな。心臓に悪いよ。お前がバーストした事は当然知っているが、正直なところ、実感があまり無かった。だがこれで確信が持てた。その炎は確かに一般の炎の技でも、バグラシオン家の秘術でもない。そこいらの魔道使いなら見ただけでは分からないかも知れないが、代々炎使いである一族の当主には分かる。その炎は確かに異質だ。もう消して良いぞ。それだけでもややこしいのに、なんだ、あれだけ行きたがっていた高校には行かないだと?代わりに訓練をしたい?どんどん事態が難儀になっていくではないか」
「父上?私が普通の魔道使いとしては役に立たない事でそれほどの問題が?」
言われた通りに炎を解放した俺は率直な疑問を口にした。何がそんなに困るのか、俺には良く分からない。魔物と戦って生きて帰る為に連携は必要不可欠。新たな力があるならそれの修練を積むのも当たり前のこと。ボリスが行きたがっていた高校など、何の役にも立たない。父はこの提案を喜んで受け入れると、そう踏んでいたんだが、何か間違えたか?
「分かっていないようだな?まぁ、これまでお前を家の事に関わらせてこなかった、そんな私にも非はあるかも知れない。全ては今の状況に由来する。お前が負傷し、我が兵たちが20数人死傷したあの襲撃とも関係のある事だ。もっと言うと、皇帝陛下が関心を示しているほどの由々しき事態だ。バグラシオン家の今後にも関わる。次男坊一人が高校に通うか通わないか、その程度で何が変わるのか、って目をしているな。良いだろう。お前の兄もそろそろ到着する頃合いだ。お前の先ほどの言葉も……」
その時、父を遮るように扉をノックする音と、元気な声が飛び込んできた。
「父上!只今戻って参りました!」
俺と父が目を合わせると彼はフッと笑い、扉の向こうの人物に入ってくるように返事をすると再び俺の方を見た。
「丁度良い。バグラシオン家の家族会議と行くか」




