バグラシオン家①
この世界に転生してから一週間が過ぎていた。俺は読んでいた本を机に置いて窓の外を見ると、新兵たちが戦闘スーツの訓練に出かける所だった。つまり、もう直ぐ正午。父と対面する時が近い。
「……ふぅ」
思わずため息を漏らしながら俺は目頭を押さえた。転生してきてから休む間もなく働き続けた感覚だ。あの日から今日まで会っていない父親と昼過ぎに話をする事になっている。ここまでに使命に目覚めたボリスとして生きていくと決めた俺は、とにかく新たなイメージ作りと情報収集にいそしんでいたのだが、その結果が問われる話し合いになるだろう。失敗は許されない。まだ少し時間はあるし、俺は念のため、何か見落としていないかと、ここまでの日々を振り返る事にした。
この世界に転生してきたあの日、チューリップの斉射で意識を失った俺は、気が付いたら帝都の貴族街にある屋敷のベッドに寝かされていた。肩の傷や意外に結構あった裂傷などは処置をされていて、ベッドの横には心配そうに俺を覗き込む使用人のアリナが座っていた。
彼女は5年近くボリス、もとい俺の専属として身の回りを世話してくれていた使用人で、ボリスと仲が良かった。少なくともボリスの体に残る記憶と感情からアリナに対して信頼と淡い恋心のような物を持ち合わせていたのが分かる。
「ボリス様?気分はいかがですか?血だらけで運び込まれた時は心臓が止まるかと思いましたよ」
耳に心地よい声だ。異世界の俺から見ても美人だし、ボリスが好きになるのも頷ける。だがそれが困る。本当の俺は右も左も分からない異世界の中年で、ボリスの体を使っているだけ。体に残っている記憶や勝手に抱く感情は少年ボリスの物で、それに引きずられて変な事を口走ったらまずい事になるだろう。冷静に、慎重に話をしたい時に相手の声で自分の鼓動が速まるのは邪魔でしかない。特に彼女はボリスを良く知っている。違和感を抱きやすいだろうからことさら慎重になる必要がある。とは言え、ボリスを良く知る者たちとはこれからもたくさん接するだろうし、今の内から俺が初めての実戦と負傷で変わった事を広め始めた方が良い。
「心配かけてすまない、アリナ。俺の行動が軽率だった。まさかこんな事になるとは思わなかったが、それが浅はかだったよ。デニス達にも後で謝らなくては」
本を読みたい我儘で家を飛び出すボリスが言いそうにない事だが、これがアリナに通れば他の人たちにも受け入れられるだろう。全てが手探りの予測に過ぎないのがもどかしいけど、戦場と変わらないと思えば良い。人間同士が争っていると知って一時思考が乱れたが、戦場で切り替えの遅いやつは真っ先に死ぬのを俺は知っている。そう、俺の戦いはまだ終わっていない。形を変えたに過ぎない。この世界を知り、信頼を勝ち取り、魔物どもを滅ぼす。全てはそのためだ。
「まぁ……!ボリス様……そんな事を仰って下さるなんて……」
アリナは目を見開いて驚いている。やはり本来のボリスは素直に非を認めたりしなかったようだな。ここは一気に自分が大きく変わった、これまでの自分とは違うんだとアピールをするべきだな。後で周りから見て変な行動に出た時にいちいち言い訳を考えずに済む。
「ああ、今回の事で色々分かったんだ。自分の責任とか、周りへの迷惑とか、これからなすべき事とかもね。これからは務めを果たすのに邁進していくつもりだ。今までアリナにも大変な思いをさせてきたが、これからも俺を支えて欲しい」
かすれた声で喋りながら俺はアリナの反応をうかがう。目を見開いたまま、少し前のめりに聞き入っている。俺が話すにつれて彼女の目の奥に涙が浮かんできて、アリナは慌ててそれを拭った。
「ボリス様にそう言って頂けるなんて、感激の極みです。勿論、これからも全力でお仕えさせて頂きますとも……!」
そこまで言ってからアリナ周りをチラリと見てから俺に顔を近づけ、熱く囁き始めた。
「私には最初から分かっていました。ボリス様は必ず皆の期待以上のお方になられると。だって、バグラシオン家の男児が、一部の輩が言うような人間であるはずがありませんもの。そうですとも、ずっと近くで見てきたアリナには分かっていました」
俺に向けるアリナの瞳には全幅の信頼と期待が入り混じり、輝いて見えた。とても申し訳ない気持ちになる。アリナは色々陰で言われてきたであろうボリスをずっと信じて、彼が周りの評価を覆して活躍するのを心待ちにしていたのが分かる。彼女の夢が目の前で叶ったと言っても良い。でも、それはボリスが成長したからではない。無関係の中年がボリスの体を乗っ取っただけなのだ。彼女が信じて仕えてきた者はもう居ない……
「あ、ああ、ありがとう、アリナ。ところで、何か書くものとバグラシオン家の歴史が収められている物を持ってきてくれないか?これまでは少なからず蔑ろにしていた気がするので、我が一族の歴史にもう一度触れたいんだ」
目をそらしながら俺がそう言うと、アリナは慌てて手を振りながら抗議してきた。
「ボリス様、なりません!お医者様は絶対に安静が必要だと仰ってました!だって、ボリス様は……」
再び目の潤んだアリナの声が小さくなる。
「……ボリス様はバーストを起して……生きているのが奇跡だ、って」
俺はシーツの下から動かせる方の腕を出して、泣きそうになるアリナの手を握った。
「大丈夫だよ、アリナ。泣かないで。俺は見ての通り生きているし、実はバーストを起した時にビジョンがあったんだ。声が聞こえてきて、バグラシオン家の男児としての務めを果たせ、と。でなければ世界は闇に包まれる、と。誰の声か分からないけど、そこで悟ったんだ」
内心で、よくまあこんな出まかせを言えるもんだと、そう自分に驚きながらも俺は言葉を続けた。
「傷も見た目ほどに酷くは無いし、バーストして生き残った前例なんて無いだろう?医者もきっと良く分かっていないんだよ。だから無難に安静を申し付けてるんだよ、きっと。この程度なら問題ないけど、ベッドからは出ないと約束するし、無理もしない。だからさっき言った物を持ってきてくれないか?」
これはあながち嘘ではなかった。30年も戦っていると負傷もそれなりにする。肩に風穴が空いたくらいで戦線離脱をする方が珍しい、そんな激戦を繰り返していたんだ。今は体も若いし、大した傷じゃないと言うのは俺の本音だった。
手を握られて固まっていたアリナはいぶかしげに俺を見ると、決意したのか、唇をキュッと結んで俺の手をシーツの下に戻した。
「分かりました。ボリス様がそう仰るなら信じます。バグラシオン家の歴史でしたね?直ぐにお持ちします。ただし、物を書くにはまだ早いです。読書には目をつぶりますが、日記をつけるのは後日にしてください。良いですね?」
ボリスは日記をつけていたのか?これは願ってもない物が出てくるぞ。周りの反応からボリスの性格や趣味を推理する必要が無くなる。当然俺は日記も持ってきてくれるように頼み、分厚い書物を数冊、ベッドの隣の机に並べてもらった。窓の外は既に暗くなっていたので、水と明かり用のランプ(これも俺の世界には無かった電気とか言うもので動く代物だった)を置いてもらい、一人になりたいとアリナに伝えた。彼女は絶対にベッドから出ないように俺に念を押し、軽く会釈して静かに部屋を後にした。
さぁ、俺が引き継ぐことになった体の持ち主、ボリスとある意味での対面だ。君がどんな人間で、君の家はどんなものか、教えてもらおうかボリス。枕を背中側に立てて、俺は適当に選んだ選んだ一冊を開けて読み始めた。
最初に意外と思ったのは分厚い書物の大半がボリスの日記であったこと。思考を全て垂れ流している感じで何ページも他愛のない事柄で埋め尽くされていた。対してバグラシオン家の歴史は面白みに欠けるほど簡潔に、とうの昔に死んでしまった歴代当主の功績や失敗を長々と並べていた。足して二で割れば結構面白くなりそうなのに、などと考えながらとりあえず読み進める事に。
水も尽きて、目が痛くなりだした頃に一通り読み終わって、俺はボウっと天井を見上げながら情報を整理することにした。
一つにはボリスの人柄だが、これは思っていた以上に苦労しそうな感じがする。俺の世界では『死者に対して何も良い事が言えないのなら、その口を開けるべからず』と言われていたが、流石に悪態をつきたくなる。ボリス・アイゴル・バグラシオン。バグラシオン家の次男として生まれた16歳の少年。生まれて間もなく母を事故で亡くし、乳母や使用人たちに育てられた。10歳年上の兄、アレクセイ・アイゴル・バグラシオンは長男らしく優秀で、ボリスは父親が自慢する兄を見ては嫉妬していた。だが、自分が兄を超えてやろうなどとは微塵も思わず、苛立ちを日記にぶつけていた。
何と言うか、40代半ばの俺から見て、ボリスは母が居ない事で甘やかされ、忙しいから滅多に会えない父に不満を抱き、自分を気にかけてくれる兄を疎ましく思い、終いにはバグラシオン家の在り方を否定するに至っていた。若さゆえの極端な思考であらぬ方向に行ってしまったワガママなガキだった。理解できなくはないが、俺には共感が出来ない人物。俺が16歳の時には魔物の侵攻が始まっていて、炎使いとして皆を守るための修行に明け暮れていた。ボリスは母を失くしているが、俺は生まれてすぐに両親が死んでしまい、孤児院で育った。もちろん、俺の世界とこの世界は違う。孤児院と言っても、もしかしたらここでは至れり尽くせりの生活水準だったかもしれない。人間同士が争っているこの世界と単純比較はできないが、それでもボリスの行動は褒められたものじゃないと感じる。
そんなボリスが使命に目覚めたのを周りに納得させるには時間がかかるだろうが、逆にバグラシオン家の歴史はとても共感できるものだった。俺の最終目標、魔物の駆逐にとってこれ以上ないくらい好都合な一族だ。
俺は歴史書に手を伸ばして表紙に描かれている紋章を眺めた。
「ニ・シャグ・ナザド」
俺がゆっくりと声に出してみたのは紋章に記載されているモットー。古語で『一歩も退くな』という意味だ。そう、バグラシオン家はこちらで言うところの武家。それも炎使いの一族で、なんと、≪顎≫に巣くう魔物の討伐や、≪顎≫内での護衛に特化していたのだ。魔物の恐ろしさも、害も身をもって知っている一族だ。俺の目標に共感する者がいるなら、その筆頭がバグラシオン家だろう。モットーの『一歩も退くな』は600年前の戦いで、≪顎≫からあふれ出した魔物どもから町を死守した、オレイナス・バグラシオンが片足を失いながらも叫び続けた事に由来する。皇帝直々に指揮をとっていた援軍が到着した時には傭兵を含む守備隊の9割が戦死しており、門を破られる間際だったらしい。当時の皇帝はその場で平民の我流魔道使いであり、小さな傭兵団を率いていたオレイナス・バグラシオンを貴族とし、魔物に関する事なら昼夜を問わずに皇帝に直訴できる権利を与えた。
俺には分かる。目を閉じると決死の覚悟で町を守る戦士たちの姿が浮かび上がってくる。彼らの覚悟、恐怖、決意、痛み、全てが手に取るように分かる。俺も同じだからだ。違うのは、援軍など来ず、破られた門から魔物どもが町の中に入り込み……いや、やめよう。嫌な記憶を振り払って本を机に戻した時、扉が開いて誰かが入って来た。




