新世界
床に転がっている俺の目の前の壁が炎に包まれていた。急いで立ち上がろうとしたが、左手を床についた瞬間に肩に激痛が走って俺は再び床に突っ伏した。左肩に目をやると服に小さな穴が空いており、そこから血が流れ出ている。一見、矢を抜いた後のようでもあるが、それなら衣服を切ってるはずだ。なんならへし折れた矢が刺さっていてもおかしくはないのに、それとはまた違う傷のようだ。そこで初めて気づいたが、来てる服も何だかおかしい。見慣れないという意味で。傷に触れようと上げた右手もおかしい。少なくとも俺の手じゃない。俺が動かしているのに、俺のじゃない。40代半ばだった俺の手はこんなに綺麗じゃなかったし、腕も明らかに細い。
自分の体を見れば見る程に違和感は増していく。俺の体じゃない。顔に触れるとそれも俺のではなかった。最近伸ばしっぱなしにしていた髭もなくなっているし、輪郭が違う。アウラ神は俺を違う世界に送り込むみたいなことを言っていたが、俺はてっきり自分の体のままでいられると思っていた。最後の何かに滑り込む感覚はまさか、俺の魂だけが他人の体に入り込んだって事か?ならば俺の炎はどうなってるんだ?燃え盛る壁の熱気が痛みをもたらしていることが既にあり得ない異常事態。熟練した炎の使い手は火への耐性が出来上がると言って良い。家族よりも深い絆で結ばれるからだ。
沸き上がるパニックを抑え込みながら俺は炎を呼び出そうとしたが、突如体が妙な反応を示し、俺の全身を耐えがたい激痛が襲った。まるで体の中を溶岩か何かが駆け巡るかのような、内側から全身を焼かれるような、これまでに経験した事のない痛みに俺はうめき声をあげてのたうち回った。するといきなり声が飛び込んできた
「……リス様!……メです!……を……てはなりません!」
痛みでかき消されて殆ど聞き取れないが、俺の耳元で誰かが怒鳴っている。次の瞬間に俺は服を掴まれて引きずられていった。やってきた時と同じような唐突さで痛みと痙攣が収まり、俺の耳には様々な音が飛び込み始めた。大小の爆発音。何かを断続的に叩いているような乾いた音。それに重なる重たい音の連射。遠い怒鳴り声。焼けた金属と血の匂い。花火の火薬が燃えた後の匂いも混じっている。
少し引きずられた先で俺は壁にもたれかかるように座らせられると、視界いっぱいに大男が入って来た。その男、デニスはヴァリウス戦闘スーツの市街戦型に身を包み、首からAR54自動小銃を下げて……って何だ?何故俺はそんな事を知っている?当たり前のように頭の中に男の名前が浮かんできたのも驚きだが、俺はそもそも≪戦闘スーツ≫も≪自動小銃≫も何なのかを知らない!いや、知らなかったと言うべきか?認識した瞬間から俺は銃や戦闘スーツの知識を持っている事に気が付いた。火薬を燃やして弾丸を筒から発射する銃。機械と魔道の接点で作られた鎧である戦闘スーツ。そして心配そうに俺を覗き込んでいる大男はデニス。この俺、ボリス・アイゴル・バグラシオンの護衛部隊隊長だ。
どうやら俺が入り込んだこの体の元の持ち主の知識が俺にも共有されるようだ。突然思い出す形で。その思い出される知識には感情の残り香とでも言うか、元の持ち主が対象に抱いていた感情もある程度残っている。銃や戦闘スーツには少しの嫌悪感。デニスには信頼の念を感じる。そんな事を考えていると黙っている俺の状態が心配なのか、デニスが眉をひそめ始めたのでとりあえず声をかける事にした。
「デニス、俺は一体どうなってるんだ?ここは何だ?」
かすれた声で俺が聞くとデニスは安堵の表情を浮かべたが、俺の肩を見ると顔を曇らせて傷の処置に掛った。慣れた手つきで服を持っていたナイフで切り、止血剤と化膿止めが塗り込まれている包帯を巻きつけていく。
「ボリス様、良かった、あなたがバーストした時は死んだと思いましたよ。大丈夫、肩を撃ち抜かれているだけです。いや、バーストした時点でダメなんですけど、生きている以上はこんな傷だって治りますよ。直ぐに父君が助けに来ます。不意打ちで遅れを取りましたが、大丈夫、我々がお守りします」
応急処置の手は止めず、俺を安心させようともう直ぐ助けが来ると繰り返すデニス。彼の言葉で引っかかったのは≪バースト≫だ。銃や戦闘スーツと違って意味を思い出すのに時間がかかった。この体の元の持ち主、ボリスにはそこまで馴染みがなかった事柄のようだ。
バーストとは、未熟な者や身に余る量の魔道エネルギーを使用とする者が、何らかの原因で集中力を欠いた瞬間に、体内を流れる魔道エネルギーが暴走する事象を指す。ボリスの記憶によると平時では非常にレアだが、苛烈な戦闘中だとバーストはそこそこの頻度で起こる、らしい。と言うのも、ボリスは今日まで実戦経験も無ければ、バーストした事のある人間を見た事が無かった。それもそのはず、バーストした者は良くて即死、運が悪いとあまりの激痛に絶え間なく悶えながら長くても数日で死に至る。発動しようとした魔法は暴走したり、何も起きなかったりと様々らしい。魔道エネルギーが流れる体内の魔動脈はぐちゃぐちゃになり、二度と魔法は使えなくなる。少なくとも、死ぬまでに魔法を発動させられた前例はないらしい。
炎を呼び出そうとした時、俺を襲った激痛の正体はバーストの後遺症なのかも知れない。そして、恐らくだけど、体の元の持ち主であるボリスはバーストの瞬間に死んだ。抜け殻となった体に俺の魂が滑り込んだのだ。断片的な知識が残っているのはせめてもの救い。おかげで言葉は通じているし、この世界の常識もある程度は分かるだろう。思い出せればの話だけど。対して俺自身の、ヴォルゴン・ガーナスとして生きてきた記憶などはそのまま全て残っている。
あまり気が進まないが、死んでしまったボリスの名を暫くは語る事にしよう。記憶喪失だと言えば信じてもらえるだろう。実際に彼の記憶は断片的なのだし。だが、先ずはこの状況を切り抜けなくては。周りで続いているのは戦闘の音で、俺の傷も敵に撃たれてできた。銃を使う魔物など考えただけで恐ろしい。今のうちにデニスに状況を説明してもらおう。色々な事が起こりすぎて頭がパンクしそうだが、魔物どもと交戦中なら俺も戦わなくてはならない。そのために違う世界までやってきたのだ。
「デニス、何故俺がバーストしたと思う?何がどうなっている?どれくらい時間が経った?ここはどこで、何故戦闘が起きている?ほとんど何も思い出せない」
ちょうど俺の傷の処置が終わって銃の弾倉を換えていたデニスは俺と視線を合わせないようにして体の半分を部屋の奥に向けた。
「バーストは≪顎≫で何度か見た事があります。おそらく、あなたは火の玉か何かを出そうとしたのでしょう。その瞬間に流れ弾に当たり、魔法は暴発、壁に火を点けてしまいました。倒れるのが見えたので急いで駈け寄ったら、あなたは立ち上がろうとしてまた魔法を発動させようとしたのでしょう、そのまま倒れ込んで苦しみだしました。急いで射線の通っている所からここまで引きずってきた次第です。戦闘の理由は……」
一瞬俺を振り返って困った顔をしてからデニスは続ける。
「あなたが「籠城しているようで気分が悪い、今読みたい本がある」として郊外の家に行くと言い出したので、最低限の護衛だけで屋敷を出たのが1時間前。屋敷に着く手前で敵の不意打ちに会い、15分ほど前から屋敷の中に後退しながら迎撃戦を行っております。交戦状態に入った瞬間から救援信号は飛ばしているので、もう少しの辛抱でしょう」
デニスの言葉からは俺、いや、ボリスへの批判が聞き取れた。察するに、実際に籠城していたのだろう。それを読みたい本があるなどという理由で、魔物が徘徊する所を無理矢理抜けてきた、と。護衛部隊としてはたまった物じゃないな。自分の体は少年のそれにも見えるし、曖昧なボリスの記憶からも年齢が若い事は何となく分かる。それにしても、護衛が付く身分の者がこうも無責任ではいかん。
「すまない、デニス。俺がわがままで。それで、魔物の数と構成は分かっているのか?」
「……え?」
目を丸くしたデニスが信じられない事を聞いた様子で振り返った。
「ボリス様?お気遣い、感謝します。しかし、魔物の構成とはどういう意味でしょうか?」
「……は?」
今度は俺が驚く番だった。どういう事だ?間違いなく戦闘中だぞ。俺が乗っ取る形になってしまったボリス自身、反撃を試みて負傷している。その敵の構成を聞いているのにどういう意味とはどういう意味だ?
「何を言っている、敵の構成だ。魔物は何体いて、銃を装備した個体は何匹くらいと見積もっている?まさか、全魔物が火器で武装しているのか?」
「……ボリス様?敵の中に魔物は一匹も確認されておりません。装備からして中規模の傭兵団と当たりをつけています。自走砲は無いっぽいので屋敷ごと我々を吹き飛ばせはしないが、ファルド重機関銃が聞こえてくるでしょう?AR54も我々の音だけではない。先頭車両は戦車ライフルでやられました。だからギャングや小さい傭兵団ではないと思います。バグラシオン家と知っての狼藉です」
「……まさか、敵は全員人間だと?そう言っているのか?」
「それはそうでしょう、どうしたんですか、いきなり?≪顎≫の外に魔物が出てくるなんて≪大厄災≫の時だけですし、ここは帝都ホルンの郊外。一番近い≪顎≫から400kmは離れています」
俺は血の気が引いていくのを感じた。なんて事だ。この世界にも確かに魔物はいる。アウラ神が間違えて魔物のいない世界に送り込むわけはないし、ボリスの記憶にも引っかかる。魔物は確実にいるんだ。≪顎≫と呼ばれる場所から殆ど出ないらしいのは俺の世界の昔と酷似している。それなのに。人間と人間が殺し合いをしている!?そんな馬鹿な事があってたまるか!嘘だろ!?嘘じゃないのか!?
口をあんぐりと開けて俺が呆けていると燃えていた壁が大きな音を立てて部屋の中に崩れてきた。向こう側から戦闘スーツに身を包んだ人影がどんどん飛び込んでくる。中でもひときわ豪華なスーツに身を包み、燃え盛る剣を手に持った人物が俺を見て駆け寄って来た。
「ボリス!無事か!!」
とどろくような声には聞き覚えがあった。ボリス、いや、もう自分と分けて考えるのはやめよう、俺の父親だ。バグラシオン家当主、≪炎剣のアイゴル≫その人だ。
「デニス、貴様、何をしている!?ヤルグと連携を取って迎撃の指揮をとれ!」
俺を抱きかかえた父が矢継ぎ早に命令を下していく。隣には無線兵(無線なる声を遠くまで届ける機械を使う兵、らしい)が控えて復唱している。抱きかかえられた俺は体が感じる父親が助けに来た安堵感と、信じがたい事を知った衝撃で思考がめちゃくちゃだ。周りの風景もぼやけて目眩がする。
突如、無線兵が血相を変えて叫ぶ。
「F19区でチューリップの展開、発射を確認!」
一瞬その場の空気が凍り付き、全員が動きを止めた。
「着弾に備えろ!!」
そう吠えた父親が炎の結界らしきものを広げながら俺に覆いかぶさると同時に衝撃と記憶がやって来た。チューリップ。可愛らしい名前とは裏腹にその実はとんでもない兵器。自走式40連装ロケット砲。20秒で40発全てを撃ち尽くし、最大射程は20kmもある。俺のいた世界では考えられない代物だ。いや、そもそも俺のいた世界では人間同士の争いが考えられない物だった。破壊と殺しの技術が異様に発達した世界。魔物に向ければ良いのに、互いを消滅させるのに使われている。俺は……俺は一体どうやってこの世界を魔物から守れば良いのだ?
着弾の度に激しく揺れる床と父の巨体に挟まれて動けない俺は限界を迎え、意識が飛んだ。




