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あいなべ屋

大通りから一本外れた路地に、小さな看板がある。


流木を組み合わせて作られたフレームの中に、金色のインクで『あいなべ屋」の文字が並ぶ。小さな古民家の玄関口には、貝殻やシーグラスが埋め込まれており、コンクリートの無機質さをきらりと和らげている。ささやかな歓迎は客の心を温かくする。

戸を開けると、香ばしい出汁の香りと煮えた野菜の甘い香りにふわっと体が包まれた。

「いらっしゃいませ。」とにこやかに現れた女性こそ、この『あいなべ屋』店主のアイさんだ。


―お忙しいところ、当誌のインタビューを引き受けていただきありがとうございます。


「いえ。私も初めてのことで、驚いたんですけど。この店は特に大々的な宣伝もできてなかったのでありがたいです。」


―今回は、20~40代の女性が選ぶお気に入りのおひとり様スポット、という企画でアンケートを実施しまして、そこでたくさんの方から『あいなべ屋』さんのお名前が挙がりました。


「たしかに女性のひとり客、多いです。まあ、そもそもうちのお客さんはだいたい一人か二人で来るんですけどね。そういう店なので。」


―そうなんですね。とっても興味深いです。『あいなべ屋』さんのコンセプトを教えてください。


「コンセプトというか、うちはみんなで同じ鍋を囲むというルールのお店です。」


―同じ鍋を囲むというのは、家族揃ってこたつで鍋を囲む、みたいなイメージでしょうか。


「ああ、そんな感じです。さすがですね。理解が早くて助かります(笑)」


―恐縮です。


「うちは毎日ひとつの味の鍋を作っています。それをひたすらこの土鍋に足して、このテーブルに運びます。あとはお客さんが好き勝手にとって食べて、お腹がいっぱいになったら帰っていく形ですね。」


―本当に家で鍋を食べるような形式なんですね。お店の中は大きな掘りごたつが一つだけですが、お客さんは全員ここに座るんですか?


「そうです。いわゆる相席です。」


―なるほど。『あいなべ屋』さんというのは、相席の「あい」と、店主のお名前の「あい」のかかったネーミングだったんですね。とっても素敵です。


「ありがとうございます。私はすごく気に入ってますし、お客さんも覚えやすいみたいで、好評なんです。」


―相席のお鍋というと、ちょっと珍しい気もします。お客さんの反応はいかがでしょう。


「今は結構常連さんもいますけど、初めての方はびっくりされますね。知らない人と同じ鍋なんてつつけない、って帰ってしまう人もいます。鍋用の箸は別にあるんですけど、そういうことじゃない、って嫌がったり。そこは向き不向きなので、仕方ないですよね。」


―そうですよねえ。失礼ですが、相席となると、トラブルがあったりもするのではないでしょうか。


「トラブル・・・まあ、ゼロとは言えないですね。酔ったお客さんが鍋にスマホを落として、お鍋がダメになってしまったり。それに怒った他のお客さんが掴みかかって、喧嘩になったり。あとは、普通に味や値段に不満があって、私に怒鳴ったり。どこでもあるようなクレームですけれど。」


―そういったトラブルの対処って、大変ですよね。アイさんはお若いですし、女性ですし、お客さんによっては少し強気に言われてしまうこともありえそうですよね。


「ああ、ありますね。大変な時は、あいのかわ君に出てもらっています。ほら、あっちで会釈してる。」


―あら、体格のいい男性が厨房にいらっしゃいますね。どうも、こんにちは。


「いつも、あいのかわ君と私の二人でお店をやっているんです。無口ですけど、その分お客さんと口論になったりもしないし。喧嘩の仲裁やヘビークレームの対応にぴったりなんです。」


―体も大きくて、強そうですね。何かスポーツでもされてるんでしょうか。


「合気道です。『あいなべ屋』の『あい』は、合気道の『あい』でもあるんですよ。」


―トリプルミーニングだったんですねえ。あいのかわさん、心強いです。ちなみに、アイさんとあいのかわさんのご関係を伺ってもよろしいですか。


「店主と店員です。最初は私だけでやるつもりだったんですけど、あいのかわ君と出会って、一緒に働いてもらうことにしました。」


―なんだか運命的ですね。そのお話、詳しくお伺いしてもいいですか。


「大した話ではないですよ。 あいのかわ君は、この店の近所に住んでいて、私を見かけて一目ぼれしたんです。交際を申し込まれたんですけど、私は結婚している身ですので。お付き合いはできませんが、ここで一緒に働いてくれれば四六時中一緒にいられますよと言ったら、では雇ってくださいということになって。」


―思わぬ展開でした。アイさんは既婚者でいらっしゃったんですね。とっても興味深いです。失礼ですが、あいのかわさんはお辛くはないのでしょうか。


「さあ、どうでしょう。少なくとも、私と居るときは嬉しそうにしてますね。同じ場所に居られるだけで幸せと言っていましたし。手先も器用だし、私につっかかるお客さんにはすぐに対応してくれるし、いい働きをしてくれてます。」


―それは、アイさんにとって、これ以上ないくらい良い働き手ですね。あいのかわさん、これからも頑張ってください。応援しています。


「ありがとうございます。伝えておきますね。『あいのかわ君』というのは私がつけた呼び名で、私が呼んだ時にしか反応しないので。」


―またもや驚きでした。あいのかわさんは本名ではなかったのですね。勝手に呼んでしまって失礼しました。本当のお名前は何なのかとっても興味深いのですが、複雑なご関係のようですので我慢したいと思います。

アイさんのご主人はどんな方なんですか?


「旦那はアメリカで働いています。」


―海外でお仕事だなんて素敵ですね。離れて生活をして、旦那さんも心配されているのではないでしょうか。


「いえ。私も普段はあっちで生活しているので。日本にもときどき帰るし、心配はしてないですよ。」


―そうでしたか。では、今は一時帰国してお店を経営されているわけですね。


「そうですね。前からちょくちょく帰国していたんですけど。冬になると、無性に鍋が食べたくなってしまって。あっちだと誰も一緒に鍋を食べてくれないので、こっちに帰ってきて居酒屋とか行ってたんです。でも、わいわい鍋を囲むシーンってあんまりないんですよね。私はそれがやりたいのに。それで、自分が鍋の店をやればいいんだ、と思い立ちました。」


―斬新な発想ですね。では、この建物はもともとアイさんご夫婦の持ち物だったのでしょうか。


「いえ、買いました。日本でこんなお店がやりたい、冬だけでいいから、と旦那に相談したら、じゃあいい物件を見繕うよと言ってくれて。建築関係の仕事なので、知人から良さそうな物件を紹介してもらえたそうです。」


―なるほど、旦那様の伝手だったのですね。古民家をリノベーションされていますが、アイさんのこだわりはありますか。


「こだわりがないのがこだわりですね。私は、お鍋の店ができる快適な建物であれば問題ないです。旦那がデザイナーを雇って、今風のリノベーションをしてもらったみたいです。」


ーなるほど、アイさんからのオーダーは特段なかったのですね。旦那様に知識と交友関係があってこそ実現したお店ということが窺えます。


「あとは、まあ財力ですね。」


―そうですよねえ。謙遜せずはっきり言い切ってしまうスタンス、素敵です。

続いて、お鍋のことをお聞きしたいと思います。まず、お鍋というチョイスは、やはり冬になると恋しくなるからということでしょうか。


「冬になると食べたくなるし、やっぱりみんなで食べたいじゃないですか。お鍋って。いろんな具材を煮込んで、途中で豆腐を足したり、ご飯や麺を入れたりして。その時そこにいる人の気分で味が変わるのが、お鍋のいいところだと思うんですよね。」


―ああ、とっても素敵です。お鍋の醍醐味ですよね。では、それを実現させるために、相席形式でのお鍋のお店に決めたのでしょうか。


「それもあります。同じお鍋をその日のお客さんみんなで囲むのって、一蓮托生感があるでしょう?誰かがえのきを注文したら、それ以降はみんなえのき入りの鍋を食べないといけない。そういうごった煮感が楽しくて。ひとりでご飯を食べてる時は味わえないですし。」


―本当にそうですよね。一蓮托生、運命共同体。『あいなべ屋』さんでしか味わえない感覚が、おひとり様のお客さんにも親しまれている理由なのかもしれません。

お鍋の出汁だけは、あらかじめアイさんが決めていらっしゃるんですよね。


「そうです。昨日は寄せ鍋だったけど、今日はキムチ鍋とか。日によって変わります。」


―お客さんからリクエストされることもあるんでしょうか。


「勝手に要望を言う人はいますけど、出汁を決めるのは私の仕事なので。そこはお客さんの言う通りとはできないですね。お断りしています。」


―そうでしたか。やはり、お鍋は一種類だけ、というのはこだわりなんですね。


「こだわりというか、その方が楽じゃないですか。準備とか片付けが。なるべく簡単な作業でお店を回したいし、そのために相席形式にした、って部分もあるので。そのルールは変えられないですね。」


―なるほど、『あいなべ屋』さんにとって揺るぎない部分ということですね。ルールは大事です。では、お店を始めるにあたっては、迷うところもなく比較的スムーズに進められたのでしょうか。


「いえ、最初は焼肉のお店もいいかなあと思っていました。」


―おお、ここで驚きの新情報が飛び出しました。お鍋に一直線かと思っていましたが、焼肉屋さんの可能性もあったのですか?


「そうですね。焼肉屋って、年中繁盛するじゃないですか。私もいつだって食べたいですもん、焼肉。」


―経営上の事情で悩まれたということでしょうか。


「せっかくなら利益を出したいなとは思いました。私がやりたいってだけのお店なので、赤字なら赤字で仕方ないんですけど。あと、当時は私が焼肉観主義だったのもあります。今は違うので、お鍋屋さんになりました。」


―おっと、初めて聞くフレーズが飛び出しました。『焼肉観主義』とはどういった考えのことなのでしょうか。


「平たく言うと、世の中って焼肉みたいだなってことですね。」


―だいぶ平らな言い方をしていただきました。もう少しでこぼこしたご説明をお願いできますでしょうか。


「焼肉って、いろんな具材が網の上に乗っているじゃないですか。それぞれがそれぞれの焼け方をして、美味しそうになるものもあれば、焦げちゃうものもあったりしますよね。でも網の上では、美味しそうにならないと食べてもらえないんですよ。ゴールできないんです。だから、美味しく焼けなきゃいけない。そうやって気を張ってるんです。他の肉への対抗心も芽生えるし。誰が一番美味しそうになれるかっていう、競争なんです。それが網の上で生きるということなんです。」


―焼肉の肉や野菜に自分を重ねる見方というわけですね。網の上の具材のように、周りより優れていなければ良い人生にならない、といった考え。たしかに、現代はそういった風潮が強まっているように思います。


「私、今までそうやって生きてました。無意識に。人生って焼肉だなって。でも、結婚してからそれがだんだん変わってきて。むしろ、人生ってお鍋だなって思うようになったんですよね。だから、焼肉屋はやめて、お鍋のお店にしました。もともとお鍋も食べたかったし、ちょうどいいなって。」


―突然の急ハンドルでお鍋にたどり着きましたね。人生とお鍋の似ているポイントを伺ってよろしいでしょうか。


「いろんな具材がいるのは変わらないんですけど、結局みんな同じ鍋の中、同じ出汁に染まっているんだなと思ったんです。焼けるとか焦げるとかの優劣なんて些細なことで、具材が違うんだから火のとおり方はそれぞれ違って当然で。でも同じ出汁の中を泳ぐしかないし。出汁って、鍋の中の具材が溶け合って出来ているんですよね。自分の風味も他人の風味も、ちょっとずつ溶けだしてる。同じ出汁を作る同じ鍋の中なんだから、対抗してても仕方がないなって。焼肉の時より、まろやかな気持ちで人生を見つめるようになったんだと思います。」


―とっても素敵な変化ですね。人生は鍋のようなもの、たしかにそうかもしれません。競い合ったところで、同じ空を見て同じ土を踏むことに変わりはありません。

旦那様とのあたたかな生活で、アイさんの中にあった焼肉観主義、つまり競争心のある張り詰めた生き方みたいなものが、徐々に溶けていったのでしょうか。


「あたたかいのかは分からないですけど、旦那は優しいですね。このお店にも快く協力してくれましたし。私のお願いは大抵叶えてくれます。」


―お鍋に負けないくらいお熱いご夫婦ですね。愛情深い旦那様、素敵です。少しあいのかわさん(仮称)が気の毒になりますが、こればかりは仕方がないですからね。


「あいのかわ君には夫婦とか関係ないですから。一緒にいたい、を叶えているので大丈夫ですよ。アメリカに戻る時も一緒に来ていますし。旦那も、誰より忠実なボディガードだって褒めていました。」


―お店を飛び出して、ボディガードもされているんですね。店員を超越した立場で、一目ぼれを超越した愛をお持ちのあいのかわさん(仮称)。尊敬の念しかございません。ちょっと拝ませていただきます。

では、最後は恒例の質問で締めさせていただきます。アイさんにとっての『あいなべ屋』さんを漢字一字で表してください。お手数ですが、この色紙にお書きいただけますか。


「はい。」


―お、ペンを動かす手に迷いがありませんね。やはりあの一字になるのでしょうか。では、書き終わりましたら発表をお願いします。


「はい。ずばり『金』です。お金にゆとりがあるから始められたお店ですから。この古民家も、あいのかわ君も、お金があったから手に入りました。お客さんも、お金を払ってここに来てくれるわけですし。お金があるから成り立ってる場所だと思います。」


―なんとも予想外なお言葉で締めていただきました。ちょっと生々しいとも言えますが、アイさんの素直なお気持ちをお聞きできたかと思います。誠にありがとうございました。これからも『あいなべ屋』さんがたくさんの人に愛されることをお祈りしております。


(自筆の色紙『金』を手に微笑むアイさんの写真)

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