すききらい(2)
「優果さん、次何飲まれますか?」
颯斗くんは目をくりくりさせながらこちらを見る。最近の男の子ってなんでみんな可愛いんだろう。肌はつやつや、髪の毛もふわふわ。
そんな可愛い颯斗くんを見ていたら、なぜだかシュークリームを思い出した。皮が柔らかくて、中に生クリームとカスタードクリームがダブルで入ってる、とろっと甘いやつ。ここ最近食べていない。
「シュークリーム、食べたい…。」
思わず呟くと、颯斗くんは大真面目にメニューを調べて、「ここにはないみたいですね」と言った。小洒落たバルにそんな可愛らしい食べ物、あるわけが無い。
「ううん、いいの。白、もう1杯貰おうかな。」
私が言うと、颯斗くんは「僕も同じのにします」と微笑みながら店員を呼んだ。いい子だな、とぼんやり思う。
颯斗くんは職場の後輩だ。私より5つも若い。それでも2人でいて居心地がいいのは、彼がとても真面目で可愛い子だからというのもあるし、私が彼のことを弟みたいだと思っているからというのもある。あんまり年下扱いすると拗ねてしまうから、気をつけてはいるけれど。
颯斗くんに交際を申し込まれたのが2週間くらい前。それから、とりあえず返事は保留で、まずは一緒にご飯に行こうと私が言い、仕事の後にこうして2人で出かけるようになった。今日は4回目のデートだ。
誠二と別れてからもうひと月半は経っていた。いつもなら平気でOKするのだけれど、颯斗くんは職場の後輩だ。しかも、なんだか凄く純粋そうな子だ。今まで仕事でも飲み会でも接点が無かったから、あまり彼の人となりを分かっていない。そういった懸念点があって、私は颯斗くんとの交際を慎重に判断することにしていた。
颯斗くんは本当にいい子だった。
お店を決める時は私にも確認してくれるし、若いのに聞き上手だし、目を合わせてにこにこしてくれるし、ちょっとボケたところもあるけど頭がいいし、手がしなやかで指先まで綺麗だし、別れ際は優しいハグをしてくれる。
有り体に言えば、私は颯斗くんのことを普通に好きになっていた。
それでもまだ交際するのに躊躇いがあるのは、彼が若いからだ。
私は自分が好き嫌いの多い女だという自覚がある。
わがままなんて可愛いものではない。これは嫌い、というものが明確で、その感情を呑んで許すことができないのだ。だからわがままなんて言う隙もなく、嫌になったら我慢できなくて、切り捨ててしまう。
こういった自分勝手なところが、彼に悪影響を与えることを恐れているのだ。自意識過剰かもしれないが、颯斗くんはかなり私のことを好いてくれているらしく、それが尚更プレッシャーになっていた。
ここのバルは初めて来たけれど魚介が美味しい。最初のカルパッチョもつやつやで美味しかったし、アヒージョもピザも具材が豊富で美味しかった。オリーブオイルのコクがきちんと感じられるのもポイントが高い。
到着したばかりのパエリアもやはり美味しかった。久しぶりにがっつりお米を食べる気がする。こういう洒落た貝も普段はなかなかお目にかからない。
あまりに美味しくて黙々と食べていた。ふと颯斗くんを見ると、目を輝かせてこちらを見つめている。
「えっと、ごめん食べてばっかりで。何かあった?」
スプーンを置いて見つめ返すと、颯斗くんは「あ、いや、すみません」と慌てたように笑った。
「優果さん、ほんとに綺麗だなって思って。」
「え、急にやめてよ。」
思わぬ言葉にどきどきする。颯斗くんは言葉がストレートなのだ。
「いつも思ってたんです。優果さん、食べる姿が綺麗ですよね。」
「え、食べるとこ?・・・そうかな?」
「綺麗ですよ。箸とかフォークとかの持ち方もですけど、口の開き方とか、咀嚼のスピードとか、全部綺麗です。口に入れてから飲み込むまで、ずっと見ていたくなるんです。」
「・・・そっか。ありがとう。」
食事なんて何十年も続けてきた行為だ。男の前でだって何回もしてきている。それでも、その行為を特に意識したことはなかったし、男に褒められたことだってなかった。
唐突に注目されて、私は大いに照れていた。なんとなく気恥ずかしくて、次のパエリアを口に入れることができない。
「僕、優果さんのそういうところ、すごく好きです。」
颯斗くんはそう言って、丸く淡い目でじっとこちらを見つめてくる。
降参だった。これは堪らない。
私はうっかりときめいて、颯斗くんが可愛くてかっこよくて仕方なくて、離れたくないと思ってしまった。
その日、私は初めて颯斗くんと一夜を共にした。
◇
「でね、颯斗が来月に熱海に行きましょうって言ってくれて。」
こんがりと焼けたホッケをつまみながら、優果の声は弾んでいた。
「桃吾のリベンジしてきてあげる。お土産は期待していいよ。」
「なに?リベンジって。」
桃吾は不思議そうな顔をして優果を見つめる。優果は呆れながら見つめ返した。
「何とかチャンに振られて行けなかったんでしょ?熱海。」
「ああ、それか。」
無関心に桃吾は返事をした。元々熱海に行きたかったわけでも、彼女に執着していたわけでもない。そもそもあれは誰だったっけ、とぼんやり思い返す。
「まあ、紅葉はちょっと過ぎちゃうと思うけど、寒すぎずいい季節だしね。凄く楽しみ。食べ歩きして、川を見て、ゆっくり温泉入るんだ。颯斗は海鮮が美味しい宿を選ぶって張り切ってるんだけど、正直熱海ならどこ行っても美味しいに決まってるし。」
「優果、ご機嫌だね。」
桃吾は小さく笑って日本酒を煽る。徳利を傾けて猪口を満たしていると、優果も自分の猪口を差し出してきた。
「ふふ、まあね。ぶっちゃけ、めちゃくちゃ可愛くて。颯斗くんてば天才。」
優果は締まりのない顔をして、ふにゃりと笑った。
「激ハマリするの分かってたから最初は遠慮してたんだけど。もうダメだわ。颯斗ってほんとかわいい。」
「ほんとに激ハマリしてんね。顔とろけてるじゃん。」
桃吾が笑いながら指摘すると、優果は「いけない、いけない」と手で頬を抑えた。にやけすぎた顔を戻しながら、日本酒をくいくいと飲み干す。しかしまた優果は目尻を垂らして、ほうとため息をついた。
「颯斗にね、『優果さんは食べてるところが綺麗ですね』って言われたの。一挙一動が綺麗なんだって。そんなの言われたの初めて。あれ、すっごく嬉しかった。」
うっとりしながら口元を手で隠す優果を、桃吾はじっと見つめた。
「・・・まあ、言われてみれば綺麗だよね。好き嫌いはするくせに。箸の持ち方あってるし、魚は骨以外残さず綺麗に食べるし。」
「そういうマナーみたいなことじゃないのよ。」
優果はケラケラと笑って揚げ出し豆腐をつまんだ。ふっくら柔らかな豆腐から湯気が立っている。見ていると、桃吾もやけに甘い出汁の味が恋しくなった。そろりと箸を小鉢へと伸ばす。
「優果は、綺麗って褒められるの嫌いなんじゃなかったっけ。」
「それは見た目の話でしょ。顔とか髪とか体とか。それは、こっちだって綺麗って言われるためにあれこれ工夫して来てるんだから当たり前って話。」
すました顔で優果は言うが、男はそんな単純なことを褒めたいのでは無いだろう、と桃吾は思う。彼女が、自分に綺麗と思われたいと努力する、そのことに男はグッとくるし、そんな彼女だからこそ綺麗に見えるのだ。優果はやっぱり男心を分かっていない。
「というか、他人事みたいに言うけど、桃吾だって綺麗とかかっこいいとかって誉め言葉、嫌いでしょ。」
優果はニヤリと笑って、ずいと箸をこちらに向けた。
このお行儀の悪さを颯斗くんには隠しているのだろうか、と桃吾は思う。
「嫌いじゃないよ。褒められてるのは分かってるし。それに女の子の方から、どこが好きなのか教えてくれるのは有難いしね。」
「なにそれ。やらしーい。」
優果が大袈裟に身を引いてみせる。桃吾はすました顔をしていた。
「やらしくなんかないよ?それで俺がその子の好きなとこをツイてやれば、女の子は喜ぶんだから。男女の円滑な交流には必要な情報だよ。」
もっともらしく言ってみせるが、目が笑っている。優果も思い切り顔をしかめた。
「ほんと桃吾くんって品がないんだから。」
「そんなことないよ優果ちゃん。あくまでコミュニケーション。人と人とのふれあいの話ですから。」
馬鹿らしくなり、どちらからともなくケタケタと笑う。
「まあ実際、桃吾って、人との交流上手いけどね。普通に羨ましい。」
優果は背もたれに身を預けて、小さく笑った。
「上手いというか、割り切ってるからね。優果みたいに好きとか嫌いとかにこだわってないだけだよ。」
桃吾は穏やかな顔で優果を見つめた。彼女の前に置かれた猪口が空いていることに気づき、そっと徳利を傾ける。
「まあさ、颯斗くんはかなりいい子だね。それはよく分かるよ。あ、熱燗終わった。もう一本いくか。揚げ出し豆腐旨かったな。」
食べ物の話をすると、優果も身を乗り出してきた。
「枝豆も追加しよ。あともつ煮も食べたい。」
「手羽先もいいな。」
二人でメニューを眺めながらあれこれと言い合う。
俺たちって、いい大人なのにまだ食べたい盛りなんだよな、と桃吾はぼんやり思った。
それからも優果の颯斗くんトークは続いた。
今日の優果は本当に上機嫌で、注文を取りに来た店員とも楽し気に軽口を叩いている。『酔いどれ小町』には何度も来ているので、馴染みの店員が多いのだ。
「では、ご用意しますんで少々お待ちを。」
去り際、店員がチラリと桃吾に目をやる。桃吾は思わず顔をしかめた。もう少し自然にしてもらわないと困る。優果はキョトンとしていた。
「なあに?桃吾っておじさまもイける口だったの?」
からかうような口ぶりに内心ホッとしながら、桃吾は苦笑してみせた。
「んなわけないでしょ。大体あの人、妻子持ちだから。」
「てことは、独身ならワンチャン狙ってたってことかあ。」
「ないない。・・・まあ、あと5歳若かったら、ありだったかもしれないな。」
冗談に冗談を重ねてクスクスと笑う。
熱燗が運ばれてきた。お互いの猪口に注ぎ合うと、どちらからともなく乾杯する。腹の中がじんわりと温まり、ポカポカしてくる。桃吾は小さく息を吐いた。この満たされた心地がたまらなく好きだ。
「桃吾は?最近は新しい出会いとかないの?」
優果が桃吾を見てにっこり微笑んだ。桃吾はさりげなく視線をずらしながら、テーブルの木目を撫でた。
「さあ。別に同じだよ。昨日はマイコと会ったし、たぶん明日も会う。カオリはたまに面倒な時があるけど、最後には甘えてくるから分かりやすくて楽しいよ。サキさんは、なんか忙しそうであんま会ってないな。」
「サキさんって証券会社のお姉さんだっけ?」
「そうそう。」
「あの人こそ遊んでるだけじゃん。もうこのまま会うのやめたら?」
「連絡来なかったら、それでもいいかもね。」
「その受け身姿勢が良くないと思うんだけど。桃吾が決めれば済む話じゃん。」
桃吾は、はあ、と息を吐いて椅子にもたれかかった。機嫌が良いのは構わないが、説教されるのは面倒だ。
「これでいいんだよ。俺は困ってないから。」
やや強引に言い切って、残っていた手羽先をどんどんと優果の取り皿へ乗せた。
「ちょっと、多いって。」
「いいじゃん。優果、手羽先は好きだし。手羽先も優果のこと好きって言ってたよ。」
「なにその両思い。やだよ。」
「ほらほら、枝豆と豆腐も来ましたよ。やったね優果、モテモテだ。」
タイミング良く料理が運ばれてきたことに内心ほっとしながら、桃吾は優果の皿を食べ物でいっぱいにしていく。優果がケラケラと笑って、競うように桃吾の皿へも料理を取り分け始めた。
妙に楽しくなった二人は、その後もひたすら飲み続け、終電を見送り、タクシーで帰った。翌朝は、当然のことながら頭痛に苦しむ羽目になった。