火星人、バタックス
勤務先である市役所を出る時、後ろから声をかけられた。
「お疲れ様、佐藤くん!帰りさ、コンビニ寄らない?」
「おーいいね。
…しかし寒くなったね」
マフラーを巻きながら駐車場へ向かう男と相槌を打つ女。
佐藤は、昨日も一昨日も同じ会話を交わしたことを思い出した。
すっかり日が暮れるのが早くなった今。
佐藤らが立ち寄ったコンビニにはホットスナックの他に、おでんや肉まんが並んでいた。
「ニ八〇円になります。レシートは必要でしょうか」
「大丈夫です」
お支払い方法をご選択ください、というアナウンスと同時にバーコード決済を選ぼうと手を伸ばしたその時。
「すみません、追加でピザまんお願いします。
……ごめん、後で払うから!」
ひょっこり現れた彼女の名は、田中。佐藤が勤務する市役所の同期だ。
彼は仕方ないとばかりに肩を落とし、支払いを済ませた。
コンビニを出ると冬独特の澄んだ匂いと冷たい風が頬を撫でる。二人は思わず身震いをさせた。
冬はこれから深まっていくのだ。まだまだ根を上げるには早い。
「ありがとう!コレ、ピザまん代」
「はい、たしかに」
相当腹が減っていたのか、田中はさっさと金を渡したらピザまんを頬張った。
のびるチーズに佐藤も食欲をそそられる。
田中の幸せそうな顔は佐藤に愛おしさを感じさせた。いわゆる、“守りたい、この笑顔”というヤツだろう。
そんな彼らは付き合ってもう三年が経っている。結婚だって視野に入れ始めた。
「…一口、もらってもいい?
もちろんこっちの唐揚げと等価交換という形で…」
少しかしこまった言い方に彼女は苦笑し、佐藤の手元にある唐揚げを一つつまんだ。
「いいよ。チーズ全部食べちゃったケド」
ピザソースしか残っていないソレに、相変わらずだと佐藤は笑う。
今、この瞬間にプロポーズできたらどれだけ快いか。
佐藤は己のヘタレさに慚愧しながら、未だ来ないいつかに思いを馳せる。
二人は佐藤の車に乗り、帰路に着こうとする。
「じゃあ今日も駅までお願いしまーす」
調子良く話す彼女からは佐藤のような悶々とした気持ちはない
ここで、佐藤は自分の瞼が重いことに気がついた。最近、パソコン作業がほとんどだったからかと原因を推量する。
「あれ、佐藤くんもしかして眠い?」
「ちょっとね。でも心配だし、運転交代してもらってもいい?」
彼女は交代を快諾し、座席の移動を始めた。
「今は交通マナー徹底月間だからね。
未来の課長ともなる人が事故ったら大変だよ」
慣れた手つきでエンジンをかける田中を横目に佐藤は背もたれを倒した。
先程とは打って変わって耐え難いほどの眠気に佐藤は会話もままならなくなってしまう。
「おやすみ佐藤くん」
彼女の声には、母のような安心感と温かみがある。
いつか、お礼に何か奢ろう。
そう決意すると、佐藤はこの上なく幸せな顔でゆっくりと、深い深い眠りについていった。
「サトー!交代の時間はとっくにすぎているぞ!」
ゴツ、と鈍い音と共に刹那的な痛みが頭に響いた。どうやら細長い何かで叩かれたらしい。
目を覚ますと土や鉄の不快な臭いが鼻をくすぐりだす。
一体いつから風呂に入っていないのだろうか、全身が汚いし、何より大量の皮脂が小鼻に溜まっている。
「…アラームがライフルって、物騒ですね。
もっと優しく起こしてください、田中さんみたいに」
「タナカァ?寝ぼけてるとこ悪いが伍長殿は起きてらっしゃる。
これ以上お叱りを受けたくないならちゃんとしろよ」
適当に返事をしたのち、時間帯確認のため空を見上げだ。
すると、なんとも迫力のある大きな球が見えた。
確かアレは火星だったか。手を伸ばせば届きそうな火星に目を凝らすと、塵のようなモノがこちらに向かってきた。
「なにか、きてる…」
男の言葉にいち早く反応したのは“伍長”と呼ばれた男だった。
「来たぞ!火星人だ、近接班はライフルを装備しろ!」
伍長の指示とほぼ同時に大きな地響きが轟く。
震源には、地球人とは言い難い桃色の怪物が立っていた。頭部は眉間から二つに分かれ、肥大していた。
「目標おおよそ二十人分!五メーターを超えています!」
「ご、伍長、殿。アレはなんですか」
見たこともないそれに男は軽いパニック状態に陥った。周囲も同様に困惑の色を隠せていない。
男らはただ、“火星の見張り”を任されていただけだった。このようなイレギュラーは事前の説明には無かったと記憶している。
そもそもこれはイレギュラーなのか。
「…説明している暇はない!総員、ただちに砲撃開始!」
この要塞は、大きな穴に布を当てがっているだけの簡易要塞だ。
おそらく事情を知っているであろう兵士達はライフル片手に要塞を飛び出した。
一人、二人、一度に何人も飲み込まれていった。アレの大きな口に。
兵士らの絶叫はドラマなどの創作物とは全く違う。本物の恐怖を真っ向から感じてだんだん冷や汗が垂れてきた。
彼らはどこに消えた。消えたのか?いいや、死んだんだ。
ヤツの栄養になって。
理科の授業で習ったはずだ、食物連鎖。
余計な思考ばかりが足をすくませる。それは男を叩き起こした彼だってそうだ。
目にも止まらぬスピードで弾丸を避ける尻のようなヤツは気づけば二回り近く大きくなっている。
「貴様も行かんか!新兵だろう」
どんっと背中を押され、簡易要塞から足が出た。