その9
「なんなのアレ! 何で燃えないの!? 何で爆ぜないの!?」
この数分の間でもう3度目になるクリスの叫びが馬車の上で木霊した。彼女とてゴーレムを相手したことくらいある。何度も。だが、こんな状況は始めてだった。
燃えず、爆ぜず、再生する。
1人のアホの迂闊な行動と不幸の連続が作り出した、藁の皮を被った末恐ろしいモンスター。彼女がヒステリックに叫ぶのも無理はない。唯一の欠点は動きが緩慢だったことくらいだろうか。そのおかげで3人とも無事に馬車まで逃げる事が出来た。
「んー? どうして炎が効かなかったんだろう?」
「魔術に耐性がある素材で作られてるからっすかね?」
ソフィアの不思議そうな呟きにシオンがそう返す。だが、流石に魔術に無知な彼ですら言っててそれは無いと思った。あの火力を前にほとんどダメージがないのは、耐性があるといっても何だかおかしい。その事を理解できないほどのアホじゃない。
「そうねぇ……そうなのかねぇ……」
だが、もうそれくらいしか思い付かないのか、自分を納得させるようにソフィアは何度もそう呟いていた。
「なー、クリス! これからどーするよー!」
シオンが叫ぶ。今、馬車は見張り台の周辺の森をぐるぐるとあてもなく走っているだけで、目的らしいものはない。しかし、こうしていれば少なくとも追跡者に追い付かれず時間を稼ぐ事は出来る。
「知らん! こーいうときの判断はボスでしょーが!」
「や、でも……」
彼はネックレスに向けて何度も「ボス、応答求む」と呼びかけるも反応は無かった。今はリューナクも連絡が耳に入らない程忙しいのだろう。生活が掛かっているという点では同じだが、危険度には天と地ほどの差がある。
「……つーことだから、よろしく」
「あぁ! もう!」
緊急時にリューナクに繋がらない場合の対応は決まっており、他のメンバーが一時的に責任者となる。月交代で。ちなみに今月の担当はクリスだ。
「何はともあれ、あれを放置は出来ないわ! 作戦会議よ! 作戦会議!」
とは言ったものの……こちらに武器はほとんど無く。ソフィアの魔力は環境改変と先程の炎で切れかけ、次に大きい一撃を撃ち込むのが精々。元々役に立つとは言いがたいシオンは両腕を失って更に無能度を増している。
対するゴーレムはと言えば、コアを破壊すれば止まるもののそれ以外の弱点は不明。魔術耐性があり、なぜか炎が効かない。爆破も無理。武器を持っていたとはいえ一撃で人間の腕を両断できるほどのパワー。
「って言ってもよぉ……」
「どうしたもんかねぇ……」
そんな状態で良い作戦が練れるはずもなく、時間だけが無為に過ぎていく。
「もう依頼主に丸投げしねぇか? 我々の依頼は見張り台の撤去だけですって!」
「良いわけないでしょ! 馬鹿なの? というかこの状況じゃ撤去も出来ないわ!」
「それじゃあ、あの化け物倒す手段があんのかよ! ねーよな!」
「誰のせいだと思ってんのよ……!」
絶望的なムードの中、焦るクリスと投げやりなシオンはもはや一触即発。いつ目的を忘れ罵り合いになってもおかしくなかった。
「俺が悪いのかよ————!」
「他に誰が————!」
ヒートアップする2人の頭上に突然水が降り注いだ。まるでそんな事をしている場合ではないと諌めるように。
「2人とも、落ち着いたかい?」
「……はい、ばっちりっす」
「……でも次からは運転してる時はやめて下さいね。事故るから」
ソフィアの落ち着いた声と冷えた空気が2人を強引に冷静にさせた。そのおかげか、彼女の行動の真意が手に取るように分かる。
————今は協力しなければいけないのに、無為な仲違いをしている場合じゃない。
彼女は3人で協力すれば、この窮地を突破出来ると信じていた。だからこそ貴重な魔力を消費する事になっても止めたのだ。勝つために。
「にしても、ほんっと強引っすねぇ……服も水吸って重いし……ん?」
水。重い。濡れた服を絞りながら不意に呟いた言葉の中にあった、その2つのワードが頭の中で何度も反響する。俺たちは重要なモノだと主張するかの様に何度も何度も。そもそもあの藁は確か、見張り台の屋根に使われていて————。
「あーーっ!!」
「っるさ!? 突然何よ!」
「どうしたの、シオンちゃん?」
「屋根! 屋根だ! アレ屋根ぇ!」
何かを理科したものの語彙力が足りない上に興奮しているせいで謎の生物の鳴き声が如く屋根という単語を叫ぶシオン。残念な男である。もちろん、それでは誰にも理解出来ない。
「うんうん、お屋根がどうしたの?」
「屋根! 屋根が! 藁で! 藁で!」
身振り手振り(とはいえ手はないが)を用いて騒ぎ立てる全てがうるさい彼に対して、ソフィアが少しずつその言葉の意味を紐解いていく。
「うん、藁だねぇ」
「藁が! 藁がね! すごいの! 水が!」
「お水……?」
「あーーっ!?」
そこでクリスがシオンの言おうとしている事に気付いた。
「水か! あの藁、雨水を無茶苦茶吸ってたから耐性も相まって燃えないのか!」
そして、即座に彼が言おうとしている事を正しく出力する。と、同時に頭を抱えた。どうしてそんな簡単な事に気付けなかったのかと。魔術耐性に意識を持っていかれてたせいで外的要因を考えるのを忘れていた。
「そう! そうそう!」
「あらま、それなら燃やすよりも……」
「「「凍らす!」」」
3人の声が揃う。それは反撃の狼煙が上がった事を意味していた。
「凍ったらそのままぶっ壊す!」
「魔力はまだ残ってるから大丈夫よ〜」
「あれくらい遅いなら俺でも囮にはなれそうだな」
先程までの絶望的なムードから一転、事態は良い方向に進んでいく。だが、なんとも過ぎた逆転劇だ。これでは出来過ぎている。こういう時はだいたい何かある。まるで坂から転がり落ちるように。その事を3人は思い付いてすらいない。それも仕方ないだろう。今は手にした希望という名の劇薬で脳を侵され、悪い事を考えられないようになっているのだから。
「……よし! なら、戻るわよ! あの藁人形に痛い目見せてやる!」
だが、すぐに現実を見せつけられる事になる。
「行くわよ! 掃除屋————ッ!?」
鬨の声を遮ったのは、まさか機敏に動く事は無いだろうと思われたゴーレムが茂みから走り出てきた姿だった。しばらくは誰も何も話さない。馬車の揺れる音や、足音を除けば静かなものだった。
「……はぁ?」
やっとのことで絞り出したシオンの呆けたような、空気が抜けたような呟きを最後にまた静まり返る。言葉が出ない。大前提が崩れたのだから。
「あっ、えっ……そ、そうだ! ソフィアさん! 凍らせて!」
「う、うん! ええ、と……こ、"凍れ"!」
我に帰ったクリスの指示で、ソフィアへゴーレムに向けて展開した魔法陣から氷の剣を放つ。だが、悪い事は繋がるようだ。
焦りを含んだクリスの指示に急かされたのだろう、その魔術にはしっかりと狙いを付ける事が出来ていなかった。更に放たれる瞬間、地面の窪みで馬車が少し揺れた。本来ならば些細な2つの事象。僅かな標準偏差に過ぎないズレは、組み合わさり致命的な誤差を生み出す。
「あっ!?」
氷の剣はゴーレムの肩を掠めるように飛んでいき、その後方に立っていた木に見事命中。ぱきん、という音は木が凍りついた事を意味すると同時にソフィアの魔力が底を尽きたアラームでもあった。
「ね、ねぇ……どうなったの?」
「……ご、ごめんねぇ」
その一言で全てを理解したクリスは馬に鞭を振るい、速度を上げる。
「クリス……あ、いや、クリスさん。どーするんすか? 何か、運転が酷く荒っぽいっすけど」
「逃げる。逃げながら策、考える。だから黙ってろ」
その言葉を皮切りにゴーレムとの熾烈なレースが始まった。
————これが事の顛末。男が串刺しになるまでの流れだ。