その4
————なぁ、異世界さんって信じるか?
————あー、あのこっくりさんのn番煎じみてーな奴? 信じるかよ。
授業と授業の間の休み時間に2人の男子生徒がそんな話をしていた。
異世界さんとは、彼らの通う学校に伝わる七不思議のうちの1つ。放課後、誰も居なくなった教室で誰にも見つからずに扉の絵を描いた紙を黒板に貼り付け、「異世界さん、お願いします」と三度唱えれば扉が開き、その向こうから謎の存在が現れて質問に答えてくれる……というものだ。
それはこっくりさんという存在が世に知れ渡ってから散々擦られ続けてきた、何でも教えてくれる妖怪の類。異世界さんもその有象無象の亜種の1つ。ともあれ小中学生なら露知らず、彼らはすでに高校生。流石にそんなものは信じない。
「えーっと、確か黒板にコレを……っと。誰もいねぇよな?」
と、思っていたが放課後の誰もいなくなった教室に私服で乗り込んできた彼——林道志音は違った。見た目よりもずっと精神が幼い……とは一概には言い難い。これは願掛け、いわゆる藁にもすがる思い、と言ったものだろうか。
「頼む頼む頼む! 未来ちゃんに何て告ったらOK貰えるか教えてくれよー!」
彼は同じクラスのマドンナ的存在である、里見未来という女子生徒に恋慕しており、明日想いを告げる予定らしい。
「もう3回目だしそろそろ、いっちょこう……バシッと! 殺し文句みてーな!」
なお、既に2回振られている。そもそも、全て曖昧な笑顔で「ごめんね」と言われたので殺し文句もクソも無い。脈がないのだから何が「3回目だし」なのか。駄目なものは駄目なのだ。あえて言うなら里見未来から「もう辞めてください」ときっぱり言われるのが志音への殺し文句だろう。精神的な。
まぁ、その事に本人も薄々気付いているからこそ、こんなオカルトに頼っているのだが。
「さぁて、行くとするか。『異世界さん、お願いします』『異世界さん、お願いします』『異世界さん、お願いします』!」
扉の絵を黒板に掛け、誰もいない事を確認した志音は息を整えて、始動のワードを三度唱える。
「来い来い来ぉーい!!」
————だが、何も起こらない。
「……『異世界さん』。いや、『異世界様、お願いいたします』『異世界様、お願いいたします』『異世界様、お願いいたします』!!」
言い方を変えて随分と謙ったものの、やはり何も起こらない。日が落ちかけ、薄暗くなった教室には遠ざかっていくカラスの声が虚しく響くだけ。
「……だよなぁ。ンなもん本当に起こるわけねーよなぁ」
口では始めから起こるはずもないと分かってましたと言わんばかりだが、目に見えて落胆した様子でわざと大きな音が鳴るように誰かの机に乱暴に腰掛ける。ガタガタと机が揺れるその音は、扉の絵から微かに出た本来鳴るはずのない軋むような小さな音をかき消すには充分すぎるほどだった。
「はぁ……骨折り損骨折り損。馬鹿馬鹿しー。こんな場面誰かに見つかる前にさっさと片付けて帰んべ」
そうして愚痴を吐きながら扉の絵を取り外そうとした瞬間————、
「なっ……う、うおおおぉぉぉぉぉぉ!? マジかぁーー!!」
本来ならば開くはずのない絵に描いた扉が強烈な光と轟音を響かせながら開いた。あまりにも非現実的で、ある種の幻覚にも思える光景を前に、志音はしばらく呆然としててぼーっと眺めている事しかできなかった。
だが、すぐさま本来の目的を思い出し叫ぶ。
「異世界さぁぁぁぁぁぁん! 未来ちゃん……えーっと、ウチのクラスの里見未来ちゃんにオッケーを貰える告白の仕方を教えてくれぇええええええ!!」
この一世一代の叫びに対して扉は光と轟音を返すばかりで一向に何も教えてはくれない。それ以前に神様やら何やらが出て来る様子すらない。
「おーい……あのぉー? ぼちぼち何か教えてくんない?」
この沈黙を先程のくだらない質問に対して却下か拒否のどちらとも考えずにしばらく大人しく待っていたが、待てど暮らせどただただ変わらずに光と音を放つだけの扉に対して痺れを切らした志音は様子を見に近づいていった。
————彼は知らないが異世界さんには1つ、大切なルールがある。
『質問をしたら答えが返って来るまで静かに待つ』。それが異世界さんをするにあって唯一にして最大の禁忌。破ればどうなるかは誰にも分からない。
そして今、その禁忌は堂々と、軽々しく、あっさりと踏み躙られた。その結果なのか、はた厚顔無恥にも答えを急かしてくる志音に腹を立てたのか、異世界さんはお帰りになるようで扉がゆっくりと閉じていく。
「な、何だ!? えっ、ちょっ、やめっ……!?」
————周囲のモノを強烈な勢いで吸い込みながら。
ブラックホールを思わせる吸引力を前に人間の抵抗など、まるで掃除機に吸い込まれる小さな羽虫のようなもの。そのまま、あっさりと吸い込まれて扉の中に消えていった。うるさい虫を片付けて満足したのか、音も無く扉は閉まり元の絵に戻った。荒れ果て教室には静寂と床に落ちた扉の絵が残るだけ。
その日、男子生徒が1人、何の痕跡も残さずこの世から消え去った。新たなる七不思議誕生の瞬間だ。
————これがシオン・リンドウと名乗る男の始まり。否、林道志音の終わりと言うべきか。