その7
「まっ、ボスが消極的なのはいつもの事だし? 俺がサクッとやってやりますよ!」
「あっ、ちょっと! 待ちなさいっ!」
ゾンビ故の警戒心の薄さか、無知故の蛮勇か、はたまた何も考えず突っ走ったのか、思案中のリューナクに痺れを切らしたシオンはスコップを片手にコボルトへ飛びかかる。
クリスがいたならブチ切れ通り越して卒倒レベルの迂闊な行動だ。
彼の頭からは既に弱い魔物という考えが先行して、魔術を使える点が頭から抜けていた。
「とっととくたばんな! 仕事の邪魔だ!」
そして、そのままコボルトの顔面にスコップを叩き付ける。
重く、鈍い音が響く。
「いっ……っってぇ!?」
それに続いてシオンの悲痛な声とその手から弾かれて吹き飛び、後方で地面に落ちたスコップの音も。
言わんこっちゃない。リューナクの頭の中でイマジナリークリスがそう嘲笑う。きっと今、混乱気味に自分の手とコボルトを交互に見るシオンには現状を理解出来ていないだろう。
あの枯れ木のようなしわがれた手に、恐らく渾身の一撃を弾かれた事など。実際は硬化の魔術を使っていたと思われるが、それを知らない彼にとってはまさに奇想天外。予想外な出来事だったのは察すに余りある。
「な、なん……えっ、ちょっ、何か身体が浮いて……?」
理解が追いつかないままのシオンを更なる混乱が襲う。身体の自由を奪われ、宙に浮かされる。
事ここに至ってようやく、彼の瞳に自分へと向けられた魔物の右手にいつもソフィアが使っている様に魔法陣が展開されているのが写った。
あっ、コイツ、そう言えば魔術使えるんだっけ。もう手遅れなどという言葉すら生温い理解速度。その代償は高く付く事となる。
「ちょっと、ちょっと待てって!? それで何するつもりだ!?」
空いた左手に同じ様に魔法陣を纏わせると、先程自分に向けられ、弾かれ、遠くへ落ちたスコップを引き寄せ、その先端をシオンの首筋へ向けた。これは今から貴方を断首しますという非常に分かりやすい死刑宣告だ。
それを理解出来ないほど彼はアホではない。だが、騒がずにはいられない。それ以外に出来る事などないのだから。
「ねぇ、ボス!? なんで見てるだけなん!? たすけ————」
ざしゅり、ごと。
騒音がふいに止む。それと同時に苦悶の顔で固まったシオンの首と血のついたスコップが転がった。
いらない部分を落として満足したのか、コボルトは力が抜けてぐったりとした身体だけを手元に引き寄せると、腕辺りに狙いを付けて思い切り齧り————「それはさせないわ」
銃声が轟く。リューナクが今更になってようやく引き金を引いたのだ。
ほぼ不意打ち、頭部を正確に狙い撃った一発。しかし、その弾丸はコボルトに届く事なく不自然な軌道で逸れた。
やはり弾除けの魔術か、とその様子を見たリューナクは口の中で呟く。
シオンが勝手に特効を仕掛けた際に、それをわざわざ硬化させて防いだ事で反射はない事の目処は立っていた。とはいえ、あのコボルトがもしかしたら銃の事を理解していならば、その防御もブラフの可能性もある。躊躇していたが、彼が食べらそうなのを見て反射的に引き金を引いていた。
額の冷や汗を拭う。結果的に打ち抜くことは出来なかったが運良く反射もされず、シオンから意識を逸らす事が出来たが危険な行動だった事には変わりない。
「フッ……まぁ、いいわ。来なさいコボルト……いいえ、バーバヤーガ? 貴方の身体に! その魂に!『D & C 』の恐ろしさをしっかり刻みつけてあげるわ!」
眼前の敵をもはやただの雑魚ではない事を認め、しっかりとライフルを握り直す。
ただ状況は最悪。こちらの武器はこれ1本、相手の実力は未知数で少なくとも弾除けが発動している。しかもリューナクの専門は狙撃手、こんな真っ正面の戦いはあまり得意ではない。
その証拠にあんな大口をカッコつけて叩いたものの————、
『どうすんのよこれぇ!? どう勝つのよぉぉぉ!?』
心中はかなり荒れていた。もちろん策なんてものはない。そもそもバレた時点で不利だったのにシオンが特効してむざむざこちら側の戦力を削ってくれたおかげで状況は更に悪化している。もう全て忘れて帰ってシャワーを浴びて寝たかった。
「ギヒヒ……」
彼女のそんな本心を見透かしたかのようにコボルトもといバーバヤーガは下衆な笑いを浮かべると再び魔法陣を右手に纏う。何かの魔術を発動する準備だろうか。
「そんな見え見えの魔術が発動出来ると思った? 甘いわよ」
それを見て、即座にリューナクはライフルを向けた。そして、そのままバーバヤーガのやや足元へとぶっ放す。
この無意味に見える行動に、対象すらも少しだけ困惑したかのような反応を示す。
「ギャッ……!?」
だが、その反応は弾除けすらも貫通して右腕を撃ち抜いてきた弾丸によって塗りつぶされた。滴る血と共に魔法陣が霧散していく。
「あら、跳弾は始めてかしら?」
弾除けの魔術は一見、飛び道具に対しては無敵の様に見えるが弱点が2つある。
1つは、常時発動であるため消費魔力が多い事。そこいらの魔術師が使えば10分程度持てばいい方。だから本来なら使われれば切れるまで待つのが正攻法だが、相手の魔力量が推し量れない上に、姿を隠せばシオンが狙われるこの状況ではそれを選ぶのは悪手だ。
もう1つは、自らが『標的』でないと発動しない事。つまりは今し方リューナクがやった様に跳弾などには無力なのだ。だが、こんなものは普通弱点とは呼ばない。狙って出来るものではないのだから。
「さぁ、恐れなさい! これが『D & C』のボスであるリューナク・エンゲルの実力よ!!」
しかし、彼女は別だ。流石、元・暗殺組織のボス。この様な事態すらも想定して対策をいたのだろう。
ここで1つ疑問が浮かぶかもしれない。『なぜ、跳弾で頭や急所ではなく腕を撃ったのか?』と。
簡単だ。それは『シンプルに難しい上に、始めての試み』だったから。
確かに想定はしていたが、弱点1の方が楽なので弾除け相手に跳弾狙いなどやる意味がそもそもないので実行した試しはない。机上の空論に過ぎなかったからだ。
『いよっしゃァァァ! 成功ゥゥゥ! 何ごともやってみるものねェェェェェェ!!』
実際、リューナクの心中は成功した事に対しての歓喜に震えていた。