その6
「ふっ……!」
振り下ろされた大木を回避し、それを足場にして駆け上がり、その勢いのままミノタウロスの顔——肉が腐り、露出した鼻骨に飛び蹴りを叩き込む。
堅い。クリスの脳内に浮かんだのはそんなシンプルな感想だった。足から上ってくる鈍い痛みに彼女は少し顔を歪める。
これが普通のミノタウロスなら、こんな綺麗に顔への蹴りが入れば倒れていてもおかしくない。
これが普通のスケルトンなら、この威力の蹴りが入れば砕けていてもおかしくない。
だが、眼前のミノタウロス・ゾンビ……もといスマッシャーはびくともしていない。
「まーっしゅっしゅぅ!! その程度の攻撃! 我が最終兵器に効くわけなかろう!」
「ベースが良いだけでしょうが!」
振り落とされ、空中で体勢を立て直しながらクリスは叫ぶ。実際その通りなのだ。
シオンへの洗脳の際に、シャグマの胞子による戦闘能力の変化はない事は分かっている。
問題はミノタウロスの死体がほぼ生前と同じ戦闘力で、さらには擬似的な無限の体力を手に入れて動いている。それが問題だ。
有効打がなければジリ貧。最終的には負けるだろう。
対処法を考える彼女へ大雑把に振られた大木が他の木と仲間であるはずの眷属達を薙ぎ倒しながら迫る。
やはり単調。攻撃範囲が広ければ当たるなど考え方が浅薄だ。第2世代とは思えぬほど。
「……ん?」
振り抜かれた大木をジャンプして躱し、そのまま倒れてくる木々の枝を伝って器用に避けていく。
何かがおかしい。その最中で彼女の頭に浮かんだのはそんな違和感。でも何がおかしいのか分からない。
スマッシャーの背後まで周って枝から降り、落下の勢いを利用して左腕にナイフを突き立てる。やはり効いてる様子はなく、再び振り落とされた。
「ましゅーぅ!! ちょこまかとうっとおしい!!」
ナイフでは不足を感じたクリスは着地と共に足元のピッケルを手に取る。些か不恰好だが威力はナイフよりはマシ。しかし、大木と競り合うにはまだまだ足りない。
————剣があれば。
ふと過った言葉を頭を振って打ち消す。
そんな物はいらない。あっても使わない。逆に邪魔。
シオンがいつか言っていた。コウメイだかコウホウだかの優れた聖職者は道具を選ばないらしい。なるほど金言だ。
ならば武器が無ければ勝てないなんてのは言い訳、それが頭に浮かんだ事自体が腹立たしい。
腹の底から迫り上がってくる怒りは彼女の口角を無意識のうちに吊り上げていた。
「ふっ、ふふっ……」
「な、何を笑っている! 気でも狂ったか!」
「……いや、さ。なんか自分の不甲斐なさがヤになってね」
「む? それはあれか! 我様に屈服するということか?」
返事の代わりにナイフを投げ付ける。何よりも強烈な否定の印だ。
「ひっ!?」シャグマの小さな悲鳴がしたが彼女に刺さる事なく、スマッシャーの腕がその否定を弾き飛ばす。
「う、うぉぅ……よくやったぞスマッシャー……ったく、驚かせおって……アレ?」
視界を塞いでいた腕が下がるとクリスの姿がない。
どこに行ったのかと辺りを見渡すも見えるのは遠くの方にいる掃除屋の2人だけ。
まさか逃げたのかと思った瞬間、頭上から声が降って来た。
「コッチよ、ウスノロ」
————大量の爆弾と共に。
「ばっ……!?」
こんな森の中で爆弾とか馬鹿じゃないのか!?と、叫びそうになったシャグマだが、あまりの事態に脳が理解を拒んだせいであんぐりと開いた口を閉じる事なく固まってしまう。
一方で、理解する為の脳がないスマッシャーは主を守る為に即座に動き、その強靭な腕でしっかりと爆風を浴びせないようにガードする。
その1秒後、大きな轟音を立てて大爆破……
「……あ、あれ?」
とはならなかった。代わりにそれ自体がバラバラと腕に当たり地面に落ちていく音が響くだけ。
当然だ。殆どが湿気って本来の使い方は出来ないのだから。
「な、何が……ッ!?」
困惑するシャグマの横を何かが強烈な勢いで掠める。続いて堅いものが砕けた音。
恐る恐る音の方に向くと、スマッシャーの顔面にピッケルが突き刺さっていた。
当たったのが自分じゃなくて良かった。
何事もなかったかのように自らの顔面からピッケルを引き抜く従者の姿を見て、シャグマは心からそう思う。
彼女自身は見た目通り、幼い少女と変わらぬ身体能力しかない。故にあんな速度で飛んできたピッケルを避ける事は出来ないし、刺されば死ぬ。間違いなく。
いつの間にか目と鼻の先まで近づいていた死の気配に思わず身震いしてしまう。
「ふ、フェイクとは姑息なマネをッ! 出てこい! 叩き潰してやる!」
「はいはい、仰せの通りに!」
その叫びに反応して茂みの影、完全な死角からクリスは言葉通りに飛び出て来た。その手には大型のスコップが握られ、スマッシャーの右腕を削ぎ落とさんと振りかぶられていた。
「す、スマッシャー!!」
「遅いわよ!」
防ぐも躱すも間に合わず、彼女の振り下ろしたスコップは強靭な腕を一閃で切り落とす。血飛沫の代わりに大量の胞子を噴き出して。
かつての藁のゴーレムの時とは違い、今度こそ一鍬両断と相成った。
関節あたりを狙い、
湿気って爆発しない爆弾をばら撒いて囮にして、その隙に死角から攻撃する。相手が普通のミノタウロスだった場合には爆弾が使い物にならないのを見抜かれて反撃されるような安易な作戦だが、今回は有効らしい。
一見すればゾンビであるため防御なんてしない様に思えるが、スマッシャーは別。どういう仕組みかは不明だが主を守る事を最優先にカスタムしているようで、それが仇となり不死身で無敵のミノタウロス・ゾンビに主という弱点が出来あがっていた。
「さて! 次は左腕を貰おうか!!」
「ひ、ひぇっ……」
再度の戦況の後転にクリスの気分は高揚し、テンションが上がっていく。安易ではあるが作戦成功はいつでも嬉しいものだ。
鼓動は高鳴り、体温も上がって————、急に天地がひっくり返った。
「あ、れ……?」
立つことすらままならず、棒の様に倒れ込む。ぐるぐると回る視界と鈍化していく思考では考えが纏まらない。息が苦しい。体が動かない。指の1本すらも。
「よ、よかった……効いた……あっ、いや!?ま、まーっしゅっしゅーぅ!! やっとこさ胞子が効いた様だな!! ざまーみろ!!」
「な、に……?」
完全に麻痺して動けなくなったクリスの姿に、ようやくシャグマは安心して大威張り出来るようになったらしく、ふふんと鼻を鳴らしてから得意げに種明かしを始めた。
「それはゴクエンタケの胞子ぃ! 吸えば……まっしゅしゅぅ!! 言わずとも分かるだろう?」
————ゴクエンタケ。胞子。毒。でも、ガスマスクを。
朧げな思考の中で原因を探るが、短い言葉のれんぞがぽつりぽつりと浮かんでは消えるだけ。答えに辿り着けない。
今のクリスでは分からないが、シャグマやその眷属達から発されていたのはゴクエンタケと呼ばれるキノコの胞子。ゴクエンタケは毒性が高く、特別な調理も無しにひと齧りしようものならまず死ぬ。とはいえ、胞子は少し吸った程度なら問題ない。少しクラクラする程度で済む。
また、胞子は平均サイズは掃除屋の面々が装着している安物のガスマスクのフィルターの目と『ほぼ』変わらない。これなら普通の作業をする上でなら問題ないだろう。
だが、ごく一部の平均よりも小さな胞子はフィルターを突破して彼女の体内に少しずつ取り込まれていた。その状態で激しく動いた事で呼吸量および回数が増え、それに比例して取り込む量も増えていた。
更に運が悪いことに、クリスはとある加護の影響で毒が体に影響を与えるのを遅らせている。これは解毒までの猶予を得るためのものだが、今回は裏目に出てしまった。先程感じた違和感の正体はこれだった。
もうワンランク上のをケチらず買えば胞子を吸うことは無かった。
加護が無ければもっと早く異常に気付けた。
そもそも意固地にならずに剣を持って来ていればさっさと勝負が付いた。
この、やや自業自得の連鎖によりクリスの体に毒が回り切るハメに。
「効きが遅くて少しだけ……ほんのすこーしだけ焦ったが! その妙な仮面のせいか? まぁ、よい! ゆけ! ドドメだ! スマッシャー!!」
シャグマの声でスマッシャーは緩慢とした動作で足を振り上げると、動けないクリスにしっかりと狙いを付けて、そのまま踏み潰す為に足を思い切り下ろした。
「う……ぁ……」
「死ねえぃ!!」