その5
「ハッ! 無駄よ! うちの馬鹿への洗脳はとっくに切れてんのよ!」
数分後、何も無かったかのようにクリスはシャグマへと向き直る。
「……お、おぅ」
「……いや、無理だろ! 何も無かった事にして普通に進行するのは!!」
「さぁ! これでチェックメイト! それともまだ足掻くか?」
あくまでもシラを切り通すつもりのクリスはシオンのツッコミを無視して続ける。
とはいえ彼女の言葉通り、戦況は掃除屋側に傾いていた。
キノコの軍勢は役立たず。人質作戦は失敗。時間を稼ぎ逃走する予定も実行前に破綻。もはや打つ手はないように見える。だが、なぜだかシャグマの顔は自信に溢れているように見えた。
「まーっしゅっしゅぅー!! 貴様が馬鹿笑いしてる最中に我様が何も策を打ってないとでも?」
「へぇ、とんだ大口叩くじゃない。それとも逃げるためのハッタリ?」
「つーか、手を打つ暇があったんならさっさと逃げろよ……」
余裕ぶりながらもクリスはざっくりと状況を確認する。
シオン。特に異常なし。洗脳されてる様子はない。
ソフィア。相変わらずじめじめしてるが同じく異常なし。すぐ手の届く位置にいる。
魔物。第3世代含め雑魚ばかり。問題なし。
周囲に変化らしい変化はない。
以上の観点から魔物が逃げるためのハッタリだと判断。
彼女の判断はおおよそ間違いではない。だが、たった1つ、それだけにして致命的な判断ミスがあった。
「まっしゅっしゅぅ! これを見てもまだ同じ事が言えるか? ————さぁ、来い!!」
シャグマの叫びと共に後ろで何かが動く気配を感じて掃除屋の2人は振り返る。
「なっ!?」
「マジかよ……」
そこにはミノタウロス——いや、そう呼称するには既に外見が崩れ過ぎていた。
『それ』は先程から彼らが解体していたミノタウロスの死体だったもの。しかし、死体でありながら自らの足で大地を踏み締めて直立している。
先程から掃除屋により少し解体されていた部位は、何重にも生えた菌糸で繋ぎ止められているのだろうか、歩を進めるたび、不自然にずれ、その隙間から白いモノが覗く。
一方で肉体には何もしていない(それとも何かする時間が足りなかった)ようで、腐った肉がぼとりぼとりと重力に従い地面に落ちていく。
眼窩に残っていた左目も起き上がった時に落ちてしまったのか、ぽっかりと空いた空洞だけが残り、もう何処を向いているか分からない。
その悍ましい姿は正しくゾンビそのもの。掃除話の『もどき』よりもその名を冠するに相応しい。
シャグマの言っていた『策』とは、胞子を転がっていた死体に寄生させ、自らの眷属に変える事だったようだ。
「グロ気持ち悪りぃ……」
「アンタも似た様なもんでしょうが……体格の差くらいしか違いないわ……」
シオンの反応に思わず軽口を叩くがクリスは内心微妙に焦っていた。腐った肉体と菌糸のせいで眼前のミノタウロスゾンビの戦闘力を測りかねていたせいだ。
このサイズならば多少準備しないと苦戦はするが負けはしないだろう。だが、それは普通の個体の話。
シオンと似たようなもの——何度も生き返るならかなりヤバめ。それが彼女の今出来る最大の判断。
「どぉだ貴様ら!! これが我様の最終兵器、名付けて『スマッシャー』だァァァ!!」
シャグマの叫びと共にミノタウロスは、声は出ないが咆哮するかのような動きをした後に拳を掃除屋に振り下ろす。
緩慢で単純な動きは避ける事は容易く、急いでソフィアを抱えたクリスはもとよりシオンですら簡単に避けれたが、3人がいた地面には小さいクレーターが出来上がっていた。
元々は死体だったとは考えられないパワーだ。当たっていたら怪我では済まないのは想像に難くない。
「……確かに、これなら逃げるよりもコッチのが良いよなぁ」
「言ってる場合か! アンタはソフィアさんと一緒に離れてて!」
「アッハイ」
クリスは抱えたソフィアをシオンに預けると、いつのまにかシャグマを肩に乗せたミノタウロスに向き直る。
「形勢再逆転だな、まな板ぁ~?」
「チッ……!」
自分が言った事への意趣返しのような態度に対してクリスは小さく舌打ちを打つ。だが、実際どうするべきか。
脳みそは完全に腐り切っていたのか動きこそは第1世代のように単調ではあったが、攻撃力は生前と変わりない。先程の一撃で彼女の頭にその事実がしっかりと焼きついていた。
対するこちらはナイフ1本と地面に散らばる武器になりそうなものがいくつか。クソガキノコには充分すぎるがミノタウロスハントには物足りない。こんな事ならば笑ってないでさっさと倒せばよかった。
「ソフィアさんが居てくれれば……」
魔術で強力な武器を作ってくれたなら、環境を砂漠にでも変えてくれればと考えるも即座に打ち消す。無いものねだりをしても仕方がない。
じめじめとソフィアの呻く声を背に、「適性湿度の」と心の中で付け加えてからナイフを構える。
ちなみに、シオンの事は始めから戦力カウントしていない。知らず知らずのうちに自分が戦力外通知を受けた事などつゆ知らず、彼は何か思いついたのか武器が抜けたカバンをガサゴソ探っていた。
「まっしゅっしゅぅ! では行くぞッ! 蹂躙せよ!! スマッシャー!!!」
勝ちを確信して上機嫌にシャグマはクリスに指を指す。
主人の指示を確実に遂行するためなのか、はたまた身体に染みついた本能の破片が素手では不十分だと判断したのかミノタウロスは近場の巨木を引き抜く。
そして、ダメ押しとばかりにキノコの眷属達がワラワラと周囲から追加で生え始めていた。
酷い戦力差だ。1人だったならきっとこんな不利な戦いはしないだろう。
「……来い。まとめて斬首してやる」
だが、今はもう1人じゃない。
息を大きく吐いてから、啖呵を切ったクリスの顔付きは真剣そのもの。視線だけでもその辺のスライムくらいなら殺せてしまいそうだ。
「ひっ、ひぃ……!? な、何をやっている眷属達よ! さ、さっさとやれぇ!」
————情けない戦いのコングが今、鳴らされた。