その4
「はぁ……無駄な足掻きを……ッ!?」
キノコのエキスだらけになったシオンの死体を捨て、叫んだシャグマの方を振り向く。どうせ下らない最後の足掻きだと踏んで。
だが、甘かった。
「じめぇ……」
「貴様が動けばコイツの命は無いぞ!」
シンプルに失念していた。端の方でずっとじめじめしてたソフィアの存在を。
キノコ軍団に捕えさせた彼女の首を軽く掴んだシャグマはまだまだ青ざめてはいるが少し余裕が出てきた様に見える。
完全ではないのは先程のクリスの発言があるからだ。もしも味方を無視して突っ込んできたらどうしよう、と内心では思っているのだろう。
または、あまりにも話に絡んでこないのでじめじめしているので全く無関係の人を連れてきた可能性も捨てきれていないのかもしれない。
「ソフィアさん!?」
捕えられたソフィアの姿を見て、今度はクリスが青ざめる番に。まさか湿度が高いと自衛すらままならないとは思いもよらなかった。無視できるのはシオンに対してだけ。死んでも簡単に生き返れるゾンビならば多少雑に扱っても問題ないから。
「まーっしゅっしゅーぅ!! やはり貴様の仲間だったか!」
「……テメェ!!」
「おっと動くな! 動いたらこの細い首が絞まっちゃうかもよぉ?」
シャグマが少し手に力を入れるとソフィアは苦しそうに「じめっ……」と、呻く。
それを見てクリスは焦りながら「要求は何!」と叫ぶ。
「んー? 聞こえんなぁ?」
だが、返ってきたのは言い直しの要求。
ムカつく顔で耳に手を当てながらこういう台詞を吐くのはシオンが似たような事をよくやっていた。これは自分が優勢な時限定で使用出来る『敬語使えや』のサイン。普段なら「いい加減にしろ」と拳で答える所だが、今は素直に従わないとソフィアが危ない。
「よ、要求は……な、何、ですか……」
「しゅっしゅぅー! そうだなぁ! 何はともあれ、とりあえず武装解除! 持ってる武器を捨てろ!」
「分かっ……り、ました」
優越感に浸るシャグマを他所にクリスは背負った鞄から武器を探し、地面に放り出す。そんな状態でもクリスの眼には強い殺意の炎が絶えず灯っていた。
ナイフ。拳銃。爆弾。————これじゃない。武器では魔物とキノコを同時に処理出来ないし、爆弾ではソフィアを傷付けてしまう。
「ひゅ~、危なかった~!」
火薬。ノコギリ。仕込み針。————これでもない。
「ほらほら、どんどん捨てろ捨てろぉ~?」
金槌。爆弾。ピッケル。————違う。
「えっ、まだあるの?」
爆弾。起爆スイッチ。爆弾。————違う。違う。
「ねぇ、なんか爆弾、多くない?」
爆弾。爆弾。爆弾。————本当にそう。何でこんなに用意したんだか。湿気でほぼ全部が不発弾だ。
いくつ目かになる爆弾を取り出した後に、ぴたりと鞄を探る手が不意に止まった。————これなら、イケる。
「……あっ、終わった?」
「まだよ。ほら、これ。煙玉ッ!」
煙玉の『ま』のタイミングでクリスは手にしたそれをシャグマに向かって投げ付けた。
まさか従ったと思っていた相手が不意に何かを投げてくるとは思わず、ソフィアの首を絞める事も飛んできた物体をキャッチする事も出来ず、兎にも角にも自分を守る為にガードを選択した。恐らく、何を投げられたかも理解していなかったのだろう。そうじゃなければ生命線と言っても過言ではない人質の首から手を離す愚行は決して行わないはずだ。
爆ぜた煙玉は白煙を放ち、視界を白で埋め尽くす。
「……げほげほ。くぅぅぅ……! 舐めやがってぇ!! 人質がどうなってもいいのかッ!!」
煙が晴れて、真っ先に眷属が捕らえている人質の状態を確認する。見せしめに右目くらい奪ってやろう、と興奮気味に。
「どうぞどうぞ! ソイツならお好きなよーに!」
「じめじめ……」
しかし、ソフィアはいつの間にかクリスにより救出されている。
「え、えっ……!? な、何で貴様らニュー眷属の死体捕まえてんのおおおぉぉぉぉぉぉ!?」
そう、今まさに眷属が捕まえているのは、煙で視界を奪っている間にクリスの手により入れ替えられたシオンの死体。盾、身代わりと死後の方が役に立つ男である。
「こ、こ、ここここんのぉ!! 死体風情が我様の邪魔をすんなよぉ!!」
とはいえ、それは掃除屋にとってだけのこと。敵対する相手にとっては迷惑極まりない。
「気持ち悪ぃ死に顔晒しやがってよぉぉ! 気持ち悪りぃんだよぉぉぉ!!」
そして、その敵対者に当たるシャグマは死体を地面に叩きつけて何度も踏み躪る。当然の摂理だ。だが、怒りのせいか彼女の視界は狭まり、いつの間にか死体の口に放り込まれていた1本のキノコが砕けるのに気づく余地もない。
「形成逆転ね、キノコちゃーん?」
「……クソぉ! 馬鹿にしやがってぇ!」
さっき地面に投げ捨てたナイフを手に、薄ら笑いを浮かべるクリス。場面だけ見ればどちらか悪役か分からない。シオンが生きてこの場にいれば茶化すのは目に見えている。
「おいおい、俺が寝てる内にずいぶん小悪党が板についたな。えぇ、クリスぅ?」
「ましゅぅ!?」
そう、この様に。
「ったく、遅いのよノロマ。遂に召されたのかと思ったわ」
「……ホントに一言多いまな板だな。小悪党より先に脂肪の塊をその平たい胸板につけろよ」
「テメェを肉塊にしてやっても良いんだぞ?」
そんな掃除屋の面々にとっては、いつもの#殺伐__ほのぼの__#としたやり取りを繰り広げている2人をシャグマは呆然と眺めていた。
当たり前だ。死人が急に蘇ったのだから。
更には、それを見て驚くどころか皮肉と罵倒(と、ついでに回し蹴り)をぶつけるクリスに対しては、もうドン引き通り越して恐怖しかない。
「な、何なんだよお前らぁ……」
「ゾンビですよ、シャグマ様ぁ~?」
「アンタだけだけどね」
「ゾン……? 何かよく分からないけど……もうお前の方が魔物じゃん……」
恐怖と劣勢で涙目になりかけたシャグマだったが、急にその顔がぱぁっと明るくなる。何か有効策を思いついたようだ。
「そうだ! よく分からんが、つまり今の貴様は不死の眷属という事だけは理解できた! それだけ分かれば充分! さぁ、行け! ニュー眷属! 他の眷属と共に我様が逃げるまでの時間を稼げ!」
びしり、と音がしそうな程の勢いで指を指すシャグマ。だが、一方のシオンは唐突に指を突き付けられて固まっていた。
なんで敵に命令してんだコイツ。そんな表情で。
「どうした? 早くやれ! はーやーくー!!」
しばしの沈黙の後にシャグマが口を開く。
彼女はまだシオンを支配下に置いてると思っている。
「え、えっ? なんで?」
だが、キノコこそまだ生えているがシオンの洗脳はもう解けてるし、そもそも洗脳された事自体に気付いていない。途中ノリノリでシャグマ様とか言ってたが、その辺は空気を読んだのだろう。
そのせいか2人の間にはまるで、知り合いの背中かと思って後ろから肩を叩いたら別人だった時のような、何とも微妙な空気が流れていた。
「くふっ……あはははっ! 最高! サイコーよアンタら!」
その歪な掛け違いにいち早く気付いたのはクリスだった。彼女の吹き出した笑いが微妙な空気を破る。
片や自信満々、片やぽかんとした顔。馬鹿な2人の間の抜けた掛け合いと対応の温度差が彼女のツボに入ったらしい。
急に笑い出したクリスに、まだ状況を飲み込めない2人は困惑するばかり。
「えっ、怖っ……」
「すわ狂ったか!?」
「あははは!! 馬鹿! ホント馬鹿ばっか! いひひひっ……あー、お腹いたぁ!」
いつもならこのようなカオスな状況を鎮め、話を前に進めてくれるはずのクリスがこのザマではどうしようもならない。ソフィアのじめじめを聞きながら彼女の笑いが収まるのを待つしかない。