その3
「……魔物か。しかも、その姿は……第3世代?」
クリスは一瞬だけ呆気に取られたが、即座に構える。彼女のこれまでの経験が目の前に居る少女が人間ではないと告げていた。
ほとんど人間じゃないか。そう心の中で毒突く。
————酷くやりにくい。子供に手を出すみたいで。
実力は大した事ないだろう。恐らくはそこに転がるミノタウロスや、過去に戦ったラミアよりもずっと下。目測では蹴りが入れば一撃で終わる可能性すらあるくらい。
しかも、相手はこちらをかなり見下し、油断しているのを微塵も隠すつもりもないらしい。これなら懐に入るのは簡単だ。
「……隙だらけよ!」
「ましゅ……?」
地面を蹴り、最高速度に一瞬で到達し魔物が反応するよりも早く射程距離に入り込む。
「う゛あぁぁぁーーー……」
「ッ……!?」
だが、足を後ろに振りかぶって後は蹴り抜くだけというところで虚な顔したシオンが魔物を庇う様に立ちはだかった。
それを見てクリスは蹴りを中断し、無理やり後ろに飛び退く。
「びっ、びっくりしたぁ……じゃなかった。こ、コホン……ん゛ん゛っ! まーっしゅっしゅーぅ!! 少しはやる様だが、流石に仲間は攻撃出来ないようだな!」
魔物は一瞬だけ素に戻ったかのような反応をしたが、咳払いを1つするとまた偉そうにクセの強い高笑いをしてみせる。余裕の表れだろうか。
ちらりとシオンの方に視線を向ける。正気に戻ったのか先程よりは顔色が良くなり、挙動不審な様子でクリスと魔物を交互に見回していた。その事に魔物は気づいていない。
「アンタ、そいつに何したの?」
「しゅっしゅっしゅー! よくぞ聞いてくれたなぁー! そいつは我様の胞子に犯され、眷属となったのだ! なぁ、眷属ぅ!」
「え゛っ!?……は、はい?」
「ほらなァ! 貴様の仲間は我様の手足となったのだぁぁぁ!!」
緊張感が一気に消えた。何だか喜劇の一幕の様な雰囲気にクリスは全身の力が抜けていくのを感じる。とっとと終わらせようかと思った瞬間、魔物は「そして、眷属は1人だけではない!」と叫び、指を弾くと————、
地面から、木から、死骸から。
————キノコが生えてきた。
「……ずいぶん可愛らしい眷属ね。串に刺して、炭火焼きにでもしてあげようか?」
「ふふん! いつまでその減らず口を叩けるかなぁ?」
キノコは凄まじい勢いで成長し、ある所まで大きくなると、手を模したように生えた柄の部分が動き出し、生えてきた場所から自らを引き抜く。空気に晒された『下半身』には根が絡まり合い足を形成していた。
ものの数秒で大小短長様々なキノコの軍団が完成だ。
「これは、うーん……?」
彼女の経験はこのキノコの軍団を第1世代のスライム程度と告げている。つまり、雑魚だ。
「ほらほら、泣き叫べぇ! 助けを呼べよぉ! それとも許しを乞うかぁ? まーっしゅっしゅ!!」
「我が主我が主」
その事を知らずに高笑いする魔物にシオンが話しかける。
「我様の事はシャグマ様と呼ぶがよいぞ!」
「あー、じゃあ、シャグマ様」
「どうした、ニュー眷属?」
「煽りが足りませぬぞ? もっとこう……頭下げろまな板ぁ、とか……」
それは数の有利を見てこっちについた方が優勢だと感じた、観察眼のない馬鹿が調子に乗った安易な行動。
「まな板? あぁ、あの貧相な乳か!」
「そうそう! あのかっっったそうな胸板!」
2人は笑う。魔物……シャグマはクリスより胸が圧倒的に大きかったから。それはクリスにとって最高の煽りだったのだろう。笑い声に掻き消されて2人の耳には届かなかったが彼女の中の何かが、大切な何かがキレた音がその証明だ。
シャグマは一通り笑って満足したのか「行くがよい! 眷属達よ!」と、号令を掛ける。
すると、キノコの軍団はそれに従い、クリスに襲いかかった。
「うおおおぉぉぉぉぉぉ!!」
ついでにゾンビも。
「俺は今洗脳されてるからぁ! 戦ってる最中にその胸……は、いいや。えー、そうだ! 太ももとか尻とか触っても仕方ねーよなァァァ————びぶっ!?」
前のめりで飛びかかったシオンは、振り上げられたクリスの長い足から繰り出された踵落としにより地面に叩き落とされて悶絶するハメに。
体の右側に打ち込まれた事により強烈なスピンが掛かり、地面に落ちる僅かな間で彼の体の向きは上下反転し、仰向けになっていた。
「ましゅぅ!?」
「ちょっ……く、クリスぅ……ごめ、ごめんって! 洗脳、解かれたァ! 解かれましたァァァ! もうあなたの味方でぇす!!」
躊躇の無い攻撃にシャグマは驚き、シオンは何の意味もない弁明を始める。だが、クリスの耳にはどちらとも届いていないようだ。彼女は倒れたシオンに馬乗りになり、彼のガスマスクを外して顔を直に殴りつける。何度も。何度も何度も。
この間、一言も発していないし、ガスマスク越しに見える瞳もハイライトが消えていた。それ故に恐ろしい。
剣呑なる雰囲気を察したのか、キノコの軍団は暴行現場の周りを野次馬の如く囲むだけで、どうしたものかと立ち往生している。一方、彼らの主人はというとその光景に対して完全にドン引き。
ガッ、ゴッ、と骨と骨がぶつかる音が響くたびに「うぇ」だとか「えぇ」だとか呻き声のようなものを吐くだけ。
「ごめ……ゆ、ゆる、じで……」
「……」
「ちょ、チョーシ、こい、て……まじだ……」
「……」
「ご、ごめ————」
最後にシオンの顔に渾身の拳が叩き込まれると同時に彼の体がびくんと大きく跳ね、そのまま脱力したかのようにぐったりとして動かなくなった。
「えっ、ま、マジぃ? ……こ、殺した、の……? 自分の、仲間を……!? しかも素手で……」
シャグマのドン引きした声に一仕事終えて立ち上がっていたクリスの顔が向く。返り血で濡れたガスマスクが、壊れたブリキ人形の様にぎごちなく、ゆっくりと。
「ひっ……!」
「お前は2つ、大きな勘違いをしている」
「い、行け! 我が眷属よ!」
怯えを含む主の号令でキノコ軍団はクリスへ飛び掛かる。相対する彼女は丸腰で、側から見れば勝ち目はゼロ。実際シオンやその辺の冒険者に対してならば物量差で勝てるだろう。
「1つ。この程度の魔物は、私にはゴミみたいなもの。武器すら要らない」
だが、クリスは飛び掛かってくるキノコの軍団を猛烈な勢いのラッシュで殴り飛ばし、全て捌いていく。
「えぇ……じゃ、じゃなくて! ええぃ! 一斉に! 同時に!! 飛び掛かれぃ!!!」
このままでは勝てないと察したシャグマによって作戦が変わり、号令通り同時に飛び掛かって来た。先程の様にランダムではないため、いくら猛烈なラッシュとはいえ捌くのは難しいだろう。
「2つ。私は目的のためなら、使えるもの全てを利用する」
そう吐き捨てると足下に転がるシオンの死体を盾にした。所詮はキノコ、人1人を盾にすれば簡単に軽減出来る。
というか、そもそもクリスにはキノコの1体や10体や50体程度、当たっても大した問題はない。だが、なんか当たりたくなかった。生理的に。
ギリギリ殴るくらいの接触時間はセーフだが、それ以上はデッドライン。そもそも別に盾にするならシオン(生体)でも良かったが(生体)だとうるさいし。
「そ、そこまでだ! こっちを見ろぉぉぉぉぉぉ!」