その2
「じめぇ……じめじめぇ……」
ギコギコ、じめじめ。ギコギコ、じめじめ。
ノコギリを引く音の合間にソフィアの鳴き声が混じる謎のBGMの中、ふとシオンが口を開く。
「そーいやさ、ミノタウロスって何世代になんだっけ」
「2世代よ。こんな脳筋な見た目でも多少は賢いから」
50年前、魔王と共にこの地上に現れた魔物は人類よりも早いスピードで進化をしていた。初めは第1世代。後の世でそう呼ばれる事になる魔物はスライムのように不定形であったり、ゴブリンやオークのように人型のシルエットをしているが知能が低いものを指す。
次に第2世代。例としてはそこに転がるミノタウロスや先程の話に出てきたラミアなど。第1世代の魔物が進化の過程で別の生物の特徴を身に付け、知能も上がっているものを指す。
リザードマンやハーピィのように水辺や空に適応した形をしているものもいるが基本的にはほとんどが人型だ。
魔物達の進化は世代が進むにつれて、徐々に天敵たる『人間』に近づき、隙があれば越えてやろうとするために種全体が最適化されてるようだ。または、『誰か』の作為的な手が加わっているかのよう。それは言うなれば『神』だろうか?
とりあえず、今はまだ第3世代と呼称するほどの劇的な進化を遂げた魔物の出現報告はない。だが、出て来るとするなら完全に『人間』になっているかもしれない。
「ほらほら、ソフィアさんを見習ってさっさと手を動かす! アンタもさっさとこんなとこからオサラバしたいでしょ?」
「じめぇ……」
「うぃうぃー」
そんな事を考えているとクリスから檄が飛ぶ。
俺もじめじめすればいいのか?と、さっきの想像の100倍は下らない返答を用意していたが黙っておいた。きっと良いことなんてないし。
ギコギコ、じめじめ。ギコギコ、じめじめ。
しばらくは誰も口を開く事なく作業が進んでいく(例外あり)。
単純作業の最中でシオンの頭に浮かぶのは取り留めない事。
今日の晩飯の事。明日発売の雑誌の事。出発の前に呼び出されて不在のボスの事。
そのひとつひとつが浮かんでは消えていく。
何だか眠りに落ちる直前のように頭の中がぼんやりとしていた。
「ちょっと? 何を切ってるつもり?」
クリスの声で再び我に返ると、手にしたノコギリは既に右足の骨を切り終え、延々と地面を擦り続けていた。
どうやら何の成果も産まない無意味な動きを繰り返していたらしい。
「あー……悪い……なーんか、ぼーっとしてたわ……」
「大丈夫? 風邪、はないか。ほら、アンタが居た世界だとナントカは風邪ひかないー、って言うんでしょ?」
「あー、うん……そー、だな……」
一見成立しているようで、普段の2人の会話から考えれば不自然なやり取りを終えるとシオンは別の部位にノコギリを当てる。顔に付けたガスマスクのせいでクリスには確認出来ていないがその顔色は元から血色が良くない事を考慮しても悪く、まるで死体に戻ったかのようだ。
「……ねぇ、本当に大丈夫?」
「いけるいける……さっさと、終わらせて、かえろーぜ……」
「まぁ、アンタがそう言うなら良いけど……」
別人の様に落ち着き払ったシオンに何だか不気味さすら感じながらも彼女は作業に戻った。
ギコギコ、じめじめ。ギコギコ、じめじめ。
再び、しばらくは誰も口を開く事なく作業が進んでいく(例外あり)。
単純作業の最中でシオンの頭に浮かぶのは取り留めない事。
エリンギの事。マイタケの事。ブナシメジの事。
そのひとつひとつが浮かんでは消えていく。
何だか眠りに落ちる直前のように頭の中がぼんやりとしていた。
「ちょっ、またやってんの!?」
クリスの声で再び我に返ると、手にしたノコギリは既に左足の骨を切り終え、延々と地面を擦り続けていた。
どうやらまた何の成果も産まない無意味な動きを繰り返していたらしい。
「あー……悪い……なーんか、ぼーっとしてたわ……」
「大丈夫なの、ねぇ!? 」
「あー、うん……そー、だな……」
成立しているか怪しい、やや不自然なやり取りを終えるとシオンは別の部位にノコギリを当てる。顔に付けたガスマスクのせいでクリスには確認出来ていないが、実際のところ彼の瞳孔は不自然に開かれており、視線は定まっていない。
「……ちょっと休んだら?」
「いけるいける……さっさと、終わらせて、かえろーぜ……」
「……やばくなったら言いなさいよ」
正気を感じさせない同僚の姿に何だか不気味さすら覚えながらも彼女は作業に戻った。
ギコギコ、じめじめ。ギコギコ、じめじめ。
三度、しばらくは誰も口を開く事なく作業が進んでいく(例外あり)。
単純作業の最中でシオンの頭に浮かぶのは取り留めない事。
茸。キノコ。きのこ。きのこきのこきのこ。きのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこきのこ。
そのひとつひとつが頭の中で糸を伸ばし、根を張っていく。
何だか眠りに落ちる直前のように頭の中がぼんやりとしていた。
「ちょっ、ちょっと!? 何……? 何があったの!?」
クリスの声で再び我に返ると、手から生えた毒々しい色のキノコを延々と骨に擦り続けていた。
どうやらまたしても何の成果も産まない無意味な動きを繰り返していたらしい。
「あー……悪い……なーんか、ぼーっとしてたわ……」
「大丈夫……じゃないわよねぇ!? だって手からキノコ生えてるもんねぇ!? 本当にどうしたの!?」
「あー、うん……そー、だな……」
もはや破綻した不自然なやり取りを終えるとシオンは別の部位にキノコを当てる。
「ま、待ちなさいってば!」
意味不明な動作をするシオンの手をクリスが掴む。それと同時に彼の肩からぽこん、とコミカルな音を立てて手から生えたキノコと全く同じものが生え出てきた。
「うわっ!?」
「いけるいける……さっさと、終わらせて、かえろーぜ……」
あまりにも唐突な現象に驚いて思わず蹴りが出た。だが、シオンは蹴りをモロに受けて地面に転がりながらも、その事に何の反応も示さずにただ先程までと同じ動作を繰り返そうとする。まるで壊れたレコードが延々と同じ箇所を繰り返すかのようでかなり不気味だ。
「な、何なの?」
「まーっしゅっしゅーーぅ!! まさか人間が我が胞子に感染するとはなぁ!!」
困惑する彼女の背後の茂みから、クセの強い笑い声と共に何かが飛び出して来た。
「誰だッ!」
振り返るとそこには1人の白髪の少女が偉そうに腰に手を当て、こちらを見下すかの様な不適な笑みを浮かべて立っている。
ただ、普通ではない点を挙げるとするならば、頭にはシオンから生えた毒々しい色のキノコのカサに似た被り物 (らしき)モノを被り、それとは対照的に白いを通り越して不気味に見える肌と真っ白なワンピースのコントラストが嫌が応にも彼女を人間ではない異形の存在である事を表していた。