その10
ごほり。一際大きな咳と共に血の塊が口から吐き出され、地面に飛び散る。
奇妙な不快感と痛みが腹部から迫り上がってくる感覚。だがそれも体を枝が貫通しているのだから仕方ない。
「あー、いたいた」
そんな状態のシオンを見つけたクリスの第一声がそれだった。あまりにも緊張感のない言葉。テーブルの下に落ちた銅貨を見つけたくらいの声色。
「ありゃま、これはまた綺麗に刺さっとるねぇ。大丈夫かい?」
続いてやって来たソフィアすらこの様子。心配はしているが、それは転んだ時と同程度の度合い。
死に瀕してる相手に掛ける言葉としては軽すぎる。
————早く楽にしてくれ。
やってきた2人の姿を見て、シオンが思ったのはただそれだけ。だが、言葉にしようにも口から溢れるのは肺に残った空気とそれに押し出された血液だけだった。
「じゃあ、抜くわよー。3、2!」
「がっ……!?」
その願いが届いたのかクリスが身体を掴んで引き抜いてくれた。だが、それは酷く乱雑で、無遠慮で、思い切り。しかも3カウントで抜くと思わせて2で抜いた。バラエティのドッキリのようなシチュエーションではあるが、噴き出すのは笑いのSEではなく血飛沫だ。
「きったな」という言葉と共にシオンを寝転がした彼女は若干半笑いで、ざまぁみろと言わんばかり。
そのまま捨てられるように寝転がされたシオンは息も絶え絶え。しかも、ささくれだった太い枝から乱暴に引き抜かれたせいで、内臓が傷付き、出血も止まらない。みるみる内に血溜まりを作っていき、それに比例して全身が土気色に変わっていく。
もう直る見込みがないのは素人目にも理解出来るはずだ。
「よっこいしょ……っと」
それを見たソフィアは特に慌てる事なく、集めていた地面に散らばるシオンの『内容物』を周りの土ごと集めて彼のどてっ腹に空いた穴へ詰める。
他者から見ればとんでもない光景だ。しかし、彼女の手付きは慣れたもの。まるで何度も似たような事をしているかのように。
「ぽんぽん……うん、ばっちり」
ソフィア曰くばっちりであるらしいが、シオンの呼吸はとうに止まっており、できたのはせいぜい腹の穴を塞いだことくらい。それは既に相当量を失った事で止まりかけていた出血を止めた程度で意味は見受けられ無かった。
「……ったく、いつまで死んでんのよ。ほら、さっさと起きなさい!」
動きを止め、物言わぬ死体になった彼を前に、イラついた様子で蹴りを脇腹辺りに入れるクリス。なんとも冒涜的な光景だ。誰かが見ていたら通報されてもおかしくない。
とはいえ彼女は錯乱しているわけではない。堂々と、はっきりと、「死んでんじゃない」と発言したのだから。先程のソフィアと同様『慣れた』様子だ。
クリスの蹴りで吹き飛んだシオンの死体は一度止まった後、びくりと痙攣を起こしたように小さく震えた。
その震えは止まることなく、だんだん大きくなり、まるで倒れたマリオネットが起き上がるように、見る者の精神を削るような————、
「毎度の事だけどきっしょ」
まぁ、端的に言えばその言葉が全てだ。気持ち悪い動きをしながらうめき声と共に立ち上がった。
「うぉおおおおおお……」
「はい、シオンちゃん。おはよぉ」
「……はおぉ、ござー、あす」
呂律が回らないのか酷く舌っ足らずな言葉ではあるが、それは間違いなくシオンの声。
誰かに操られているわけでもなく、自らの意志でソフィアの挨拶に返事をする。
別に彼は生き返った訳ではなく、ただ起きただけ。始めから死んでいたのだ。
それは、とある偶然の連続が生み出した不完全なる不死。死んでいるが故に死なない、動く屍。アンデット。
「ホント便利なもんよねー、ゾンビってのは。私はなりたくないけど」
————そう、シオン・リンドウはゾンビである。
「おあぇ……お、おま……お前ええええええええ!!」
徐々に呂律が戻ってきたが動きはぎこちなく、映画に出てくるゾンビのような動きで叫び声をあげながらクリスに襲いかかる。
彼女には言いたい事が……というか文句が山ほどあった。
何故両手がグチャグチャにされた場面を見ていながら「しっかり掴まってて」などと不可能な指示を出したのか。
何故3カウントすると見せかけて2で抜いたのか。
何故思い切り抜いたのか。
そして、何よりも「全体的に一言多いわああああああああああああ!!」
「うわっ、来るな! 気持ち悪い!」
「びぶっ!?」
ともあれ、勢いだけで突っ込んだので秒殺だった。カウンター気味の蹴りを貰い、再び地面に転がるハメに。
動きが映画のゾンビのようなら末路も映画のそれ。主役のアクションの見せ場として派手にぶっ飛び、その後は記憶にも画面にも残らないモブゾンビそのもの。
「う゛ぇ゛え゛え゛え゛え゛ん゛!! ソ゛フ゛ィ゛ア゛さ゛ーん゛! ク゛リ゛ス゛か゛い゛し゛め゛る゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛」
その一撃で勝ち目がない事を理解して、ソフィアに慰めを求めて泣きつく。なんとも情けない男である。
「よしよし、痛いところはあるかい?」
「主にお腹辺りぃ……」
そう言ったシオンの腹部からは、もう既にあの大きな穴を埋めていた土の塊が消えていた。そこに残るのはちょうど穴と同じくらいの大きさで少し青みを帯びた肌。事情を知らない者が見てもそこに体を貫通する程の穴が空いていたとは思わないだろう。
これは曰くゾンビ再生力。どんな怪我でも大体は塞げば元に戻る。死んでも、ある程度の栄養があれば生き返る。
ダサいネーミングに反して途轍もない能力だ。
とはいえ、それも万能ではない。
部位の欠損に対しては、綺麗に残っていれば別だが、今回のように跡形も無い場合だと代わりの『肉』が必要になる。
サンドイッチに挟むハムすら買えない今の掃除屋の財布状況を考えれば、しばらくは腕無しかソフィアお手製の義手での生活を強いられるだろう。依頼料が入れば話は別だが。
「はぁ……とりあえず今日この辺で野宿ね。さっさとテントでも『あー、みんな聞こえてるー? さっきの連絡、取れなくてごめんねー』
一難去ったとはいえ、シオンが実質穀潰しと化した事で作業が更に遅れる事実から来る頭痛と先程までの疲労から、とっとと休みたかったクリスのテント設営の提案を遮ったのは、遅まきながら連絡を返してきたリューナクの声だった。
『何かあったの?』
「遅いわ……もう、終わった」
『あらそう。ああ、そう言えば進捗はどう?』
こっちはやっと終わったわよ、と恐らく胸を張りながら言ってるであろう堂々とした彼女の言葉に、思わずクリスは返答に窮してしまう。
『どうしたの?』
「……どうもしてないけど。あれよ、半分くらいは終わってる。明日の夕方には帰れると思う、多分」
本当は屋根を解体しただけだが言い出せず、とりあえず嘘をついた。バレないようにするために、明日早くから作業を始めれば昼くらいには終わるだろうと予想の終了時刻を添えて。
『そう。あ、そうだ。言い忘れてたのだけど、近くの泉には行ってないでしょうね?』
「……えっ?」
意外な言葉にクリスだけでなく、他の2人もビクッとした。当然だ、今現在その泉にいるのだから。
『そこの泉は依頼主の村の信仰対象! 使ったり汚したりはもちろん、侵入すら禁止よ!』
使った。汚した。侵入した。
既にやってはいけない事をコンプリートしていた彼女らには耳に痛い話だ。
「え、エエ……ワカッタ」
『それじゃあ気を付けて!』
やや片言になったクリスを気にすることもなくリューナクは連絡を切った。
シオンとソフィアの視線が責任者代理の彼女に突き刺さる。
ヤバい事になった、と今日何度目かになる言葉を吐き出す前に口の中で噛み殺した。そんな事をする前に思考を回さねば。
この状況を打破するためには、あの馬車の残骸を片付けてここにいた痕跡を消してこの場から去るのみ。
「……皆! さっさとあれ片付けてこっから離れ「お、お前たち! ここで何をやっている!」