縁結びの女神様は、婚約破棄などお構いなし!!
藤乃 澄乃様主催の『バレンタイン恋彩企画』参加作品です。
「そんなにバレンタインか?」というツッコミは心の中だけにしていただけるとありがたいです。すみません。
1.
「標的発見!」
サンドラ・ドゥーランド伯爵令嬢は、クラムソン川に架かる橋の上を指差した。
ジョシュア・マグガレット伯爵子息は、サンドラの指差す方を見た。
確かにそこには、今日の目的のキンバリー・モンテス侯爵子息がいた。
「じゃあ、いってらっしゃい、ジョシュア」
とサンドラは、ジョシュアの背を押す。
「なんでだ!」
ジョシュアは踏みとどまって文句を言った。
「だって私、あの人と話すの苦手なんだもの」
とサンドラはさらりと言う。
「俺も苦手だ」
ジョシュアは首を振った。
「いや、あの人は女をバカにしてるから、男が行った方がいいと思うわ」
とサンドラは言う。
「いや、あいつは無能な男は石ころ以下の扱いするから、俺じゃダメだと思うぜ」
とジョシュアは言い返す。
二人は、むむうと睨み合い、ジャンケンで決めることにした。
「「じゃんけんぽん!」」
「うああ〜」
サンドラの悲鳴が上がった。
横でジョシュアは勝利のポーズをとっていた。
「よし、行ってこい!」
とジョシュアが、サンドラの背を押した。
「あんたね! 男なら少しは……」
「聞こえね〜」
サンドラの訴えは、みごとにジョシュアによってかき消される。
サンドラはジョシュアを睨んだが、ジョシュアはどこ吹く風だ。
仕方がないので、サンドラは行く決心をした。自分の胸をとんとんと叩き、大きく深呼吸する。
「ふう。じゃ、行ってくるわ」
サンドラは足を踏み出した。
「がんばれ!」
とジョシュアが、サンドラの背中越しに応援の声を掛けた。
サンドラは冷静を装って、橋の方に歩いてゆく。
キンバリーは、クラムソン川の橋の上で、画架を立て、優雅に絵を描いていた。どうも川辺で期日より前のバレンタインを楽しむ恋人同士の絵を描いているようだ。流れるような筆運び。まるで自分に酔っているかのよう。
ナルシストめ、とサンドラは思った。
サンドラはキンバリーを驚かせないように、ゆっくりと側に立つと話しかけた。
「ごきげんよう、キンバリー様。今日も絵を描いていらっしゃるの」
キンバリーは邪魔が入って一瞬顔を顰めたが、相手がサンドラだと分かると仕方なく振り向いた。
「ごきげんよう、サンドラ・ドゥーランド様。今日は少し時間ができましたのでね。趣味の絵を」
とキンバリーは事務的にボソボソと言った。
サンドラは相変わらずの態度だなと思った。しかしここで引くわけにはいかない。
「それはよろしゅうございましたわ。税の見直しの件で忙しくされていると聞きましたから」
サンドラは、キンバリーが自分に早く消えて欲しいと思っていることをよく分かっていながら、わざと笑顔でのんびりと話かけた。
キンバリーはバカにしたような顔をした。
「税? ご婦人の口からそんな言葉が出るとはね。ご婦人が、税みたいな大切なことが理解できるとはしりませんでした」
とキンバリーは答えた。
この発言……! ほんっと腹立つ男、とサンドラは思った。
しかしサンドラは笑顔を貼り付けたまま崩さない。今日の私は主演女優賞を目指してるから。
「そうでもございませんわ。税と聞くと。こう見えて私も領地視察に出ることもありますからね」
とサンドラはにこやかに言った。
「へえ? あなたのようなお嬢さんが? サロンでくだらないお喋りしている方がお似合いそうですけど?」
とキンバリーは意外そうな顔をした。
くっ……!
またもサンドラは腹が立った。
これで本人は悪意ないつもりなんですからね。キンバリー・モンテス!
しかし、サンドラは腹にグッと力を込めて我慢する。
そしてキンバリーの様子を注意深く見ながら、
「ええ。私はよく父の鷹狩りについて行きますの。私、鷹を育てるのが上手ですので。だいたい、鷹狩りのついでに領地視察って流れですわ」
とゆっくりと言った。
さて、キンバリーは食いつくか?
サンドラは少しハラハラした、
キンバリーの目が見開いた。
お、わかりやすい反応だ、とサンドラは思った。サンドラは心の中でバンザイした。
「鷹ですか!」
とキンバリーは目を輝かせた。
しかし、先程までのキンバリーの発言に腹が立っていたので、
「まあ、女のすることですから、キンバリー様は興味ございませんでしょうけどね!」
とサンドラは厭味を言った。
キンバリーはその厭味には少しも気づかず、
「女性のくだらないあれこれについては興味ありませんが、鷹は別ですよ」
と答えた。
サンドラはまたも腹が立った。
もうこれで三度腹が立ったから、今日のところはお終いにしようか、とサンドラは思った。キンバリーと話すと腹が立つので、会話は3回イラっとするまで、と自分ルールを決めていたのだ。
食いついたんだから、これでよかろ? ジョシュアにはそう説明しよう。主演女優、これにて撤退します!
「あ、ごめんなさい、体調が優れなくなったので、失礼しますわ、キンバリー様」
とサンドラは急にくるりと向きを変えた。
これ以上キンバリーの側にいたら本当にムカついて吐くかもしれないもの、嘘じゃないわ。
するとキンバリーがサンドラの腕に手をかけた。
「待って! 鷹を見せてもらえないだろうか」
普通、体調を心配するところですよね!? 人の体調より鷹ですか!?
サンドラはキンバリーの厚かましさに呆れた。
もうこれ以上はキンバリーの側にいるのは勘弁!
サンドラは、
「また別の機会にしてくださいませ」
と答えた。
「サンドラ様!」
キンバリーはなおも縋りつこうとする。
サンドラはイラッとして、キンバリーの腕を振り払った。
そこへジョシュアが助けにやってきた。
「キンバリー様。いいですよ、鷹を見せても。ちょっと話をしましょう」
そしてサンドラにウインクした。お疲れ、早くこの場を立ち去って呼吸を整えてこい、と。
サンドラはジョシュアに頷き返した。あとは、頼んだ……!
サンドラはその場を離れながら思った。
やはりキンバリー様は、鷹なら食いつくのね。
サンドラとジョシュアは、キンバリーが鷹になら食いつくのではないかと思った。今の王太子は鷹狩りがお好き。人に慣れた良い鷹を持っていることは鷹狩りでの成功につながり、ひいては出世に繋がった。
特に、キンバリー・モンテスくらいそこそこ才能に恵まれた者ならば、王太子に目をかけてもらう機会を今か今かと待っていたはずだ。良い鷹がいると聞いたら食いつくだろう。
だから、サンドラとジョシュアは鷹をキンバリーとの交渉の材料にした。
キンバリーに、ジョシュアの妹のスーザンとの婚約を破棄してください、とお願いするために。
あんな性格の男は嫌です、とスーザンが泣いて頼んだので、兄のジョシュアも親友のサンドラも、放っては置けなかった。
「助かったよ、ありがとな」
ジョシュアは、立ち去り際のサンドラの耳元で囁いた。
「なんの。私たち、腐れ縁の仲じゃないの。でも、ごめん、ちょっと新鮮な空気を吸わせて」
とサンドラは口元を押さえた。
2.
さて、サンドラがクラムソン川の橋を降りかけた時、
「くっくっ、くっくっくっ」
と忍び笑いの声がした。
欄干の陰に隠れるようにして、小鬼が座っていた。
サンドラは驚いて二度見した。
こ、小鬼!?
何、私、疲れてんのかな……?
キンバリーの破壊力凄いな〜幻覚見えるようになったか〜
「くっくっ、くっくっくっ」
小鬼はまだ笑っている。
サンドラは気味が悪くなった。
笑ってる? こわっ!
しかし、こっちを見て笑っていると言うことは、きっと何か知ってるか、悪いことを企んでいる顔なんだろう。
うーん、関わり合いたくないけど、仕方ない、悪いこになっても困るから、とりあえず吐かせてやろう、とサンドラは思った。
さっきのキンバリーの件でムカついていた怒りをぶちまけたかったのもある。
サンドラは、小鬼の前に立ち塞がった。
そして小鬼が驚いている隙に、むんずと両手で捕まえた。
小鬼はまさか自分を真正面から捕まえにくる奴がいるとは思わなかったのだろう、呆気なく捕まった。
「な、なんだおまえは! わしを放せ!」
と小鬼は、顔を真っ赤にして怒っている。
「こっちのセリフだわ。何なのよ、あなた。なんで私を見て笑ったの?」
とサンドラは言った。
「誰が言うもんか。俺はおしゃべりだが、言わないね」
と小鬼はサンドラを睨みつけた。
『俺はおしゃべり』? サンドラは笑いが込み上げてきたが、平静な顔を取り繕った。
「あら、強情なヤツね」
サンドラはわざと言う。
「そうだろう、そうだろう」
と小鬼はニヤリとした。
「小鬼様がわざわざ人間界に現れるなんて、きっとよっぽどのことがあったんでしょうねえ」
とサンドラはチラリと小鬼を見た。
「そうだな。女神様からの大事な用事だ。おっと言えないけどな」
小鬼は、小さな顎を空に突き出して、ふんぞり返った。
「そりゃあ、女神様の御用事じゃあ言えないわね。さぞ大事な用事なのよね?」
「そうだな! 縁結びの仕事だからな、言えないな!」
小鬼はえへん、と咳払いした。
縁結び!? サンドラは驚いた。しかし顔には出さない。
「それは、すごく難しい仕事なんでしょうね?」
とサンドラは言う。
「そうだな! 女神様の決めた通りに縁組するのが俺の仕事だ。さっきも離れるべき二人を離したぞ。誰にでもできる仕事じゃないんだ」
と小鬼は威張った。
もうここまで来ると小鬼は、喋らないという決意はすっかり忘れて、得意になっている。
「へえ〜」
サンドラは感心したふりをした。
離れるべき二人……。あの場所ってことは、キンバリー様とスーザンのことかしらね。
そして急にムクムクと湧いてきた興味に従って、
「じゃあ、私の縁結びの相手とかも分かるんだ? さすがに知らないかしらね?」
と聞いてみた。
「わしに分からないことなどないぞ! おまえの未来の夫はクリント・スタイルズだ!」
と得意げに小鬼は言った。
「えっえ〜」
とサンドラは不満そうな顔をした。
「何だい」
と小鬼はむすっとする。
「いや、相手が人間だったから普通だな、と」
とサンドラはがっかりして言った。
「おまえは人間なんだから、伴侶も人間に決まってるだろう」
と小鬼は呆れ顔で言った。
「いや、だって小鬼と出会っちゃうくらいファンタジーなんだもの。ほら、なんかよく分からない凄い神様みたいなものとかに見染められて……的な? そういうの、期待しちゃったわよ」
とサンドラが残念そうに笑った。
「バカ言ってんじゃないよ。結婚は普通がイチバンさ」
と小鬼が窘めた。
「そう?」
サンドラはまだ残念そうだ。
「でも、クリント様って言ったよね? ジョシュアじゃないんだ」
とサンドラは少し意外そうに言った。勝手にジョシュアだと思っていた。幼馴染の腐れ縁だったから。
「ほう」
と小鬼は呟いて一度むっと目を閉じると、またパチリと目を開けて、
「なんだ、おまえ、クリントって奴とは一度婚約を解消してるのか」
と言った。
「そう」
とサンドラは頷いた。
「だが、仕方ないね。縁結びの女神様が決めた事には逆らえんよ」
と小鬼は強い口調で言った。
「縁結びの女神様ねえ。本当の本当にそんな神様はいらっしゃるの?」
とサンドラは胡散臭そうに小鬼を見る。
「あの人の決めた縁組以外で結ばれた例を俺は知らんな」
と小鬼は答えた。
「ねえ、知り合いなんだよね?」
サンドラが急に甘えた声を出した。
小鬼は「なんだ?」といった顔をした。
「その縁さあ、変えてもらえないかな?」
とサンドラは言う。
「嫌なのかい? クリントって男が」
と小鬼が意地悪そうに聞いた。
「私じゃないのよ、向こうがね」
とサンドラは残念そうに答えた。
「じゃあ直談判に行けよ。覆った例を俺は知らんがね」
「え、そんな簡単に会えるものなの? 縁結びの女神様とやらに? お手軽ね!」
とサンドラはパッと喜んだ。
小鬼はハッとして慌てた。
サンドラが本気で会いに行こうと思っていることに気づいたからだ。
小鬼は顔色を変えて、
「簡単には会えないね」
と急に意見を変えた。
しかし、サンドラは捕まえていた小鬼の頬をもう片方の指で摘んだ。
「わしに何をするんだ、無礼者め!」
と小鬼は喚いた。
「会わせてよ。とりあえず女神様に言うだけ言ってみるから」
「わしを下ろすんだ!」
と小鬼はしゃがれ声を張り上げた。
「嫌よ。会わせると約束するまでは」
とサンドラは口を尖らせた。
「この性悪女め! 誰が会わすか!」
と小鬼は手足をバタバタさせて言う。
「性悪って……」
サンドラはむっとした。
「だいたいなあ。あの人はとうに人の分だけ縁組決めてあるんだよ! あんたがこの縁組辞めたってな、そのクリントって男が他の者とくっつけるわけじゃあないんだぞ!」
と小鬼は説明した。
サンドラはハッとした。
「え、そうなの?」
サンドラは急に小鬼の頬から指を離した。
「その話、詳しく」
「詳しく、じゃねえ!」
と小鬼は手で頬を撫でながらそっぽを向いた。
「じゃあ、クリント様は、私との縁組が無くなっても、キャスリーン様と結ばれることはないわけね?」
サンドラはボソッとした声で確認した。
「ないね」
と小鬼はサンドラの乱暴に怒っていたので、そっけなく言った。
「ああ、そうなの……」
サンドラの声は覇気を失った。
キャスリーン・ロビンソン侯爵令嬢。
サンドラは、クリントとキャスリーンが両想いなのを知っていたので、身を引いたのだった。16歳でクリントと婚約した時から、とっくにクリントとキャスリーンの噂を聞いていたから。
サンドラはどうやって婚約を解消しようかということばかり考えていた。そうして何やかやと理由をつけて、サンドラとクリントは婚約を円満に解消した。
でも、そうか、クリント様と、キャスリーン様は結ばれる運命にはないわけだ。私の努力は何だったんだろう? なんで私は身を引いたんだろうね? サンドラは少し虚しくなった。
「あーあ」
とサンドラは納得のいかない声を出した。
小鬼が片目を瞑る。
人間の考えは分からない、といった顔だ。
「ま、いいや! じゃあさ、気を取り直して。社交界の縁組全部聞かせてよ。これを機に、わたし、ゴシップ女王になることにする!」
サンドラは朗らかに宣言した。
「手始めに、ダレン王太子は、ジェニファー・リード侯爵令嬢とヒラリー・バーグンド公爵令嬢と、どちらと結婚なさるの!?」
サンドラは今一番社交界で好奇の目で見られている三人について口にした。
小鬼はくだらないモノを見る目でサンドラを一瞥すると、
「ジェニファー」
と言った。
「よっしゃ〜! 私の勝ちよ、スーザン!」
サンドラは思わずガッツポーズをした。ジョシュアとスーザンと賭けをしていたのだ。
「賭け、ダメ」
と小鬼は言った。
「うーん、俺はしゃべりすぎだな、どう考えても」
サンドラはふふっと笑った。
「あんたはいい小鬼よ」
「調子がいいね」
と小鬼は睨んだ。
サンドラは笑ったが、それからふと真面目な顔になると、
「でも、話を戻すとさあ、クリント様と私がよりを戻すってことよね? どうやって? 自然としてたら戻るの? なんか気まずくない?」
と聞いた。
「あんた次第だろ?」
と小鬼は言った。
「あんたはクリントってやつのことをどう思ってるのさ?」
「別に好きでも嫌いでもない。私の相手じゃないと思ってたから、何も考えないようにしてた。クリント様にはキャスリーン様って好き合ってる人がいるのよ」
とサンドラは素直に言った。
「キャスリーン? クリントはそいつと縁が続くことはないね」
と小鬼は淡々と答えた。
「好きだから結ばれるってことはないだろう? 心変わりだってあるし、タイミングだってあるし、家の都合だってあるし」
それはそうだな、とサンドラは思った。
小鬼はサンドラが納得の顔をしたので、満足そうに目を細めた。
「縁結びの女神様は、気持ちで決めるんじゃないよ、結局『縁』を結ぶだけさ」
「そうか」
とサンドラは言った。
「まあ、俺はあんたに結ばれるべき縁を教えたよ。この縁は変わらない。気まずい? 知らないよ。そんなもの、あんたの気持ち次第だ」
と小鬼は言った。
3.
2月14日、バレンタインデー。
急にクリント・スタイルズ宛に、二枚の絵が送られてきたので、スタイルズ侯爵家は騒然としていた。
送り主は、サンドラ・ドゥーランド伯爵令嬢からということだった。クリントの元婚約者ということで、家中は何事かとざわついたのだ。
送られてきたのは、人の背ほどもある大きな絵画だ。
一枚は、サンドラの絵姿だった。
もう一枚の絵は神話をモチーフとした、太陽を引く白馬の絵だった。
何の手紙も注釈もなく、使者も何も聞かされず、ただ絵だけが送りつけられたのだ。スタイルズ侯爵家の者は皆頭が「?」マークでいっぱいだった。
どこかに送り届ける予定だったものが、間違ってこちらに届いたのか?
のわりには、しっかりと使者は「クリント様に」と言った。
しかし、頭を悩ませても仕方がない。
スタイルズ侯爵は、
「送り返せ」
と短く言った。
クリントは慌てて止めた。
「父上、何か意味があったのに送り返してしまったとなると、後々の火種になる可能性もあります。とりあえず事情を調べるのが先です」
スタイルズ侯爵は「それもそうか」と思い直し、取り敢えず、絵に布を掛けて、どこぞの部屋にしまっておくように、と使用人に命じた。
「では、何のつもりかと、さっさと問い合わせろ」
とスタイルズ侯爵は言い、
「はい」
とクリントは答えた。
しかし、クリントはサンドラの絵姿を見てから、もうすっかりサンドラのことで頭がいっぱいになってしまった。
なんという美しい絵だろう。色遣いも筆運びも何もかもが柔らかく、サンドラの朗らかな笑顔を余すところなく表現していた。
絵からはサンドラへの好意が滲み出ていた。この絵を描いた人は、きっとサンドラのことを想っている。でなければ、こんなに人を美しく描くことができるだろうか?
クリントは、その絵描きの想いに嫉妬した。
嫉妬? 何に? 絵描きの才能に?
昔の婚約者が誰かに想われていることに?
絵描きが熱情を持ち人を愛していることに?
そして自分はなんて惨めなのだろうと思った。
もう私の周りに愛などない。
しかし、そんなものを今思ったところで何にもならない。
クリントは頭を振り、もやもやとした気持ちを追い払おうとした。
クリントはすぐさまドゥーランド伯爵家に使者を送った。
そして、サンドラの絵姿に少なからず動揺していたので、使者の帰りを今か今かと待った。
しばらくすると使者が帰ってきた。
しかし、驚いたことに、使者はなんとサンドラまで連れて帰ってきた。
「サンドラ様!?」
クリントは驚いた。
「どうして……?」
「お久しぶりですわ、クリント様。急にすみません。でも、あなたの使者が何かわけ分からないことを言っていたものですから」
とサンドラも少し戸惑った様子で答えた。
「絵ってなんですの?」
クリントは訝しんだ。
サンドラは全く『絵』に身に覚えがなさそうだ。
クリントは使用人に例の絵を持ってこさせた。丁寧に布に包まれた大きな絵を 使用人たちは大事そうに抱えてくる。
クリントはそろそろと布を剥いだ。
サンドラはゾッとした。
「この絵……!」
サンドラは分かった。これはキンバリー・モンテス様が描いたものだ。
キンバリー様が、なぜ私の絵を?
そして、この太陽を引く馬! この馬は王太子の馬だ。王太子が名馬を持っていることは皆が知っている。そしてこの馬を導くようにして描かれた尊大な鷹の姿。
「こわっ」
サンドラは思わず独り言が口に出た。
クリントはサンドラの独り言に驚いて、ハッと振り返った。
それから、それもそうかと納得した顔をした。
「怖いですよね。自分の絵姿など、ストーカー案件ですよね」
サンドラも頷いた。
絶対にあの日のあの橋の上でのやり取りをきっかけにした絵だ。不気味でしかない。
サンドラの目に異様な光が差していたので、
「何か身に覚えは?」
とクリントは聞いた。
「これは、キンバリー・モンテス様の絵ですわ」
とサンドラは断言した。
キンバリー・モンテス! クリントは切れ者だが空気を読まない男の顔を思い出した。
「それは厄介な男に絡まれたもんだね」
「そうですね」
「なんでこんなことになったんだ?」
「彼に、私の育てた鷹を差し上げる約束をしたんですわ。嬉しかったんじゃなくて? それが絵に溢れたんじゃないかしら」
サンドラは呆れたように呟いた。
「で、なんで、うちに送ってきたんだ、キンバリー様は」
とクリントは言った。
「それは、さっぱり分からないわ」
とサンドラは首を振って答えた。
「でも、たぶん何かの間違いでしょう。絵姿とか恥ずかし過ぎるわ、持って帰っていいわよね? キンバリー様に返しとくから」
とサンドラはクリントに言った。
「待って」
とクリントはサンドラを止めた。
「この絵。キンバリー様の用件は鷹だけじゃないだろう」
「だけじゃない?」
「これはあなたへの恋文みたいなものなんじゃないのか?」
「はあっ!?」
サンドラは変なところから声が出た。
「あり得ませんよ、クリント様! キンバリー様ですよ!?」
クリントは首を振った。
「しかし、この絵のあなたの美しい表情、威風堂々と飛ぶ鷹、あなたを讃えているとしか」
「私は芸術のげの字も分かりませんから、絵のことなんてさっぱりよ」
サンドラは首をすくめた。
しかしクリントは嫌な予感がしてならなかった。
「悪いことは言いません。気をつけなさい」
「まあ、それは、こんな絵を勝手に描かれて気持ち悪いったらないので、それは気をつけますけど」
とサンドラは答えた。
「しばらく私の方からも護衛を出しましょう」
とクリントは言った。
「いえいえいえ、それには及びません、クリント様。私たちの婚約はもうとっくに解消されていますもの。関わっていただく道理がございませんわ」
サンドラは慌てて手を振った。
「しかし、あなたに危害が加わっては私は申し訳がたちません」
とクリントは表面上の理由を言った。
心の内では、あのサンドラの絵姿に対する激しい動揺があった。今も、クリントの心を掻き乱している。
その心を全く知らず、サンドラはふっと笑った。
「大丈夫です。うちも伯爵家ですもの、護衛の一つや二つ、何とかいたします。それに今回の件の発端は、私とマグガレット家の兄妹ですから、もし護衛を頼むならジョシュア様に頼みますわ」
ジョシュア……。
サンドラの口から漏れる別の男の名前に、クリントは自分でも分からないが胸が締め付けられた。
「私を頼ってくれていいんですよ、サンドラ様。あの婚約解消の件は、悪かったと思っているから」
「何を仰っていますの? キャスリーン様の手前、後悔するような仰り方はいけませんわよ」
とサンドラはクリントを叱るように言う。
クリントは少し寂しそうな目をした。キャスリーンとうまくいっていれば、こんな思いはしないのだろうに。
今日だって、キャスリーンからチョコレートの贈り物はなかった。
サンドラはクリントの含みある目にギクリとしたが、それ以上立ち入ったことは聞かないことにした。
小鬼が言っていた。私の未来の夫はクリント様だと。
これから、どういう状況でかわからないけれど、私とクリント様が結ばれるというのだ。
縁とはこんなにふわふわしているものなのか。
小鬼よ。私はおまえの言葉に翻弄されている。おまえの予言は、私には少し強烈だったようね。
サンドラは小鬼から『縁』を聞いたことを少し後悔した。
ケケケ、とどこからか小鬼が笑ったような気がした。
「とりあえず、サンドラ様。この絵は少し狂気的だ。想いがこもり過ぎている。あなたから返さない方がいい。私から返す。元々スタイルズ家に届けられたものなのだから」
とクリントは言った。
もしかして、とサンドラは思った。
今日この日に、この絵がスタイルズ家に送られたこと自体が、何かの縁のきっかけになるのかしら?
そう思うと、全てが何かに仕組まれているかのようで、サンドラは果てしない大きな力を想像して、怯えるしかなかった。
4.
キンバリーは、サンドラに愛の絵を送りつけたので満足していた。
橋の上では向こうから話しかけてきた。しかも育てた鷹をくれる、と。そのかわり、スーザン・マグガレット伯爵令嬢との婚約をやめろ、と。
それは、私を愛しているからなのだろう?
だから私も愛してやった。愛してくれる女を無下にするほど情のない男ではないのだよ。
こんな素晴らしい女神のようなサンドラの絵を描き、前途が明るく見える鷹の絵も描いた。
それをありがたがらない女がいるか? 女はこういうロマンチックなものが好きなのだろう?
近々サンドラの方から婚約の申し出があるに違いない。だからスーザン・マグガレットとの婚約の破棄にも素直に乗ってやったのだ。私だって、愛のない結婚より、愛のある結婚の方が良いからな。
しかし、急に表が騒がしくなったかと思うと、スタイルズ家から使者が来たと報せが入った。
何事かと思ったら、サンドラに贈ったはずの絵を返しに来たという。
「なぜ、スタイルズ侯爵家から?」
キンバリーは不思議に思った。
しかも、使者の口上ときたら、
「スタイルズ家は、ドゥーランド家の令嬢とは婚約を解消した関係にある。なぜドゥーランド家の令嬢の絵をわざわざうちへ送ってきた。嫌がらせか?」
というものだった。
キンバリーは、全く訳が分からなかった。
「なぜサンドラ様に贈った絵が、スタイルズ侯爵家に?」
と使者に詰め寄る。
スタイルズ家の使者は顰めっ面だ。
「そんなもの知りません。おたくが送ったんでしょ」といった態度を隠しもしない。
仕方がないので、キンバリーは、サンドラに贈るよう絵を持たせた使用人を呼び出した。
「おまえはきちんと、ドゥーランド伯爵家のサンドラ様に届けたのか?」
しかし使用人は、急に震え出した。
「すみません、馬車に積んだはずの絵が、ドゥーランド家に着いた頃には、無くなっていたのです」
と言う。
「そんなバカなことがあるか!」
とキンバリーは怒った。
「本当なんです!」
と使用人は泣き出した。
「ではなぜそれを報告しない!?」
キンバリーが頭から怒ると
「すみません、言い出せずに」
とまた使用人は泣く。
「で、その消えた絵がスタイルズ侯爵家に? おまえはどう説明するんだ?」
キンバリーは使用人に厳しい声で詰め寄った。
「そんなこと、分かりません!」
使用人は叫んだ。
「よく分かりませんが」
とスタイルズ家の使者が横から口を挟んだ。
「スタイルズ家は、絵の送り主がわからなかったのでドゥーランド伯爵家の方にも問い合わせました。ドゥーランド伯爵家の方では『恐らくモンテス家の御子息の絵だが、このような気持ち悪いものは寄越さないでくれ』とのことだったと伺っております。ですので、くれぐれもドゥーランド伯爵家に再度送るような真似だけはなさいませんよう」
「何だと! 私の絵が気持ち悪いだと!?」
キンバリーは顔を真っ赤にして憤慨した。
「私の愛がわからないのか! これだから芸術の分からない者はダメなのだ! バカな女! 私が愛してやるというのに」
キンバリーはサンドラを罵った。
そこへ小鬼がひょいと絵の上に乗っかって、キンバリーを見下ろした。
「ははは。縁がなかったなあ!」
「なんだおまえは」
キンバリーが気味の悪いものを見る目で小鬼を見た。
キンバリーはチラリとスタイルズ家の使者や、自分の使用人を見てみたが、彼らには小鬼が見えている素振りはない。
「去れ」
とキンバリーは小鬼に言った。
しかし、スタイルズ家の使者や、キンバリーの使用人は、自分たちに言われたものと勘違いをして、二人して顔を見合わせながらも、一礼してその場を去った。
「あ……」
とキンバリーは思ったが、別段これ以上二人を引き留めておくべき理由はなかった。
「わしは去らないよ。誰がおまえさんの命令なんか聞くかね」
と小鬼はふんぞり返った。
キンバリーは気味悪いものを見る目で、もう一度小鬼を見た。
しゃがれた声で小鬼は薄く笑った。
「わしはおまえの絵は好きだ。特にサンドラの絵姿はいいね! おまえさん、美人に描いたじゃないか! 少し盛ってあったなあ」
キンバリーはこの状況が理解できず、言葉を発せずにいた。
小鬼はニヤリとした。
「悪かったなあ。絵を盗んでスタイルズ家に送ったのはわしだよ。女神様の言いつけだったからね」
「はっ!?」
キンバリーは声を上げた。
「なんだと!? え? 女神様?」
「そう。縁結びの女神様だよ。あの人の命令は絶対なんだあ」
と小鬼はうっとりとした目をした。
「あんたの描いたサンドラの絵姿に、クリントは釘付けさ。あんたもいい仕事するねえ!」
「えっ」
キンバリーは言葉に詰まった。
「もしや……」
「あの二人が寄りを戻すのも時間の問題だろうね。あんたのおかげさ。あんた、絵の才能あるよ」
小鬼は大真面目に言った。
キンバリーは弾けたように口を開いた。
「サンドラは私のことを愛していたのではなかったのか!?」
「ご都合主義だねえ」
と小鬼は笑った。
「あんたは人間にはあんまり好かれてないみたいだ」
キンバリーは言葉を失った。
「なんだい、一端に失恋気取りかい? 残念だが、あんたはあの娘とは縁がなかった! それで終いだ」
と小鬼は笑った。
「縁……」
キンバリーは呟いた。
「知りたいか? あんたの縁」
小鬼は意地悪く笑った。
キンバリーはごくりと喉を鳴らした。
だが、小鬼は意地悪そうな顔をもっと歪めた。
「だが、それを知るということは、どういうことかわかってるかい? 軽い気持ちで知るもんじゃないよ、未来なんてもんは、さ?」
小鬼は脅した。
これは無邪気なサンドラには言わなかったセリフだ。
「まあ、あんたもこれに懲りて、少しは身の程を知っただろうから。女神の御加護がありますように」
小鬼はニッと笑ってパッと消えた。
5.
サンドラは、王宮の近くの国立公園で、スーザンとジョシュアと一緒に鷹の訓練をしていた。
キンバリーに良い鷹をあげてしまったので、新しい子を育てようというのだった。
ジョシュアは若い鷹の足に紐を括り付けている。
この鷹匠訓練は、ジョシュアが趣味でやっていた。それにサンドラが興味を示し、一緒にくっついてやり出した。そして、スーザンも。
私たちは仲良しこよしなんだけどねえ、とサンドラはジョシュアをチラリと見た。この幼馴染とは、幼馴染の縁でしかないというのだから。
「何さ」
とジョシュアは怪訝そうな目でサンドラを見た。
「何でもない」
とサンドラは答えた。
まあ、こんなに長いこと一緒にいて、私たちもいい歳になったのに、「好き」とか「婚約」とか、冗談でも話題になったことなかったもんなあ。
「縁がない……」
とサンドラは呟いた。
「え?」
とスーザンが振り返った。
「あ」
とサンドラが取り繕う。
「あの、良かったわねえ、あの男と婚約破棄できて」
「まったくよ、お兄様とサンドラのおかげ!」
スーザンは晴々とした顔をしていた。
「がんばったのはジョシュアだよ。私は、途中でもうリタイアしちゃったもの」
とサンドラは笑う。
「ほんとだよ。俺ジャンケンで勝ったのに。俺、頑張ったなあ」
とジョシュアも鷹を抱き抱えながら笑った。
「妹の為に、ほんと交渉、頑張ったわねえ」
とサンドラはジョシュアを褒めた。
「本当よ、お兄様。私も社交界で、婚約者だからってあの人のお相手してたけど、いつも5分ともたなかったわ」
スーザンはジョシュアから鷹を受け取りながら、ため息をついた。
「これでスーザンにもいい縁があるといいけど」
と言ってから、サンドラは小鬼にスーザンの縁を聞いとけばよかったな、とぼんやり思った。
「あ、私、もう結婚とかいらないから!」
とスーザンが、鷹を腕に乗せながら、もう片方の手でサンドラを制す。
「えっ!」
ジョシュアは声を上げた。
「あのキンバリーのやろう! うちの妹にとんでもないトラウマ植え付けやがって!」
スーザンは慌てた。
「違う違う、お兄様! これはもともと思ってたの。もう少し鷹匠やりたくてね」
「アホなこと言うな〜!」
「気は確か!?」
ジョシュアとサンドラは同時に声を上げた。
「えっ! なんでそんなに怒られるのよ」
とスーザンは口を尖らせた。
「どこの世界に『鷹匠やりたいから結婚しない』とか言うアホがいるか!?」
とジョシュアは怒る。
「鷹匠と結婚は、全然、全く、関係ないでしょ!」
とサンドラもスーザンの腕を掴む。
「そんなに言う? 鷹匠に失礼ぶっこきまくりじゃない、あなたたち。言いたいことは分かるけど、貴族に嫁いでしまったら、あんまり自由がないでしょう?」
とスーザンはムッとした。
ジョシュアはシュンとする。
「スーザン、キンバリー様が嫌だったんじゃなくて、結婚が嫌だったのかい?」
「いや、キンバリー様は絶対に嫌だった」
スーザンはキッパリ言った。
サンドラは笑った。
「まあ、王太子様が鷹狩り好きらしいから、鷹匠としてお供してたら、王太子に見染められるかもよ」
と言いつつ、サンドラは、「あ、ジェニファー様だっけ」と残念そうに呟いた。
「別にそーゆーのを期待してるわけでもないけど」
スーザンは白い目をして、紐の端をしっかり持ちながら、近くの木を目掛けて鷹を飛ばす。
スーザンの美しい横顔。
ジョシュアはふらふらしながら、
「まあ、おまえの好きにするさ。どうせ頑固なんだ」
とだけ呟いた。
そのとき、馬の駆けて来る音がした。
若い鷹が怯えて飛び立とうとするのをスーザンが宥める。
やって来たのはクリントだった。
サンドラとジョシュアとスーザンは微妙な顔をした。
が、サンドラは気を取り直して笑顔を向けた。
「これはこれはクリント様。キンバリー様の絵の件ではどうも」
「ドゥーランド家の方に寄りましたら、こちらに来ていると聞きまして。お一人ではなかったんですね」
とクリントは早口で言った。
「あ、マグガレット伯爵家のジョシュアとスーザンですわ」
とサンドラはクリントに紹介した。
ジョシュアとスーザンは少し複雑な顔をしてクリントを見ている。クリントがサンドラの元婚約者だったことを知っているから。
クリントは、ジョシュアとスーザンの射るような視線に居た堪れなくなった。
口を開くのを躊躇っている。
サンドラはそのクリントに気づいて、
「ジョシュア、スーザン。少し外すわね」
と二人に声をかけてクリントに近づいた。
クリントは近くの木に馬を繋ぐと、少し歩きませんかとサンドラを誘った。
「はあ」
とサンドラはとりあえず促されるまま従った。
「サンドラ様。結婚を前提にお付き合いしていただきたいと思って参りました」
クリントは早口で言った。
「えっ!」
サンドラは驚いた。
「ああ、ちょっと、ジョシュアにスーザン!」
サンドラは現実から逃げようと二人の方に戻ろうとした。
それをクリントが腕を引き、止める。
サンドラは困った顔でクリントの方を向いた。
ええ、知っていましたよ、小鬼が言っていましたからね。でもこんなに早くその時が来るとは思ってもみませんでしたわ!
「キャスリーン様はどうなさいましたの!?」
とりあえずサンドラは、クリントの状況を聞こうと思った。
クリントは俯いた。
「あの絵が届いた時には、キャスリーンとの関係はもう終っていました。一ヶ月ほど連絡もしていないような仲で」
「はあ」
とサンドラは生返事した。
そんなこと知らんがな。
クリントは苦しそうに語り出した。
「私たちの婚約の破棄で、サンドラ様が身を引いてくださり、私とキャスリーンはお付き合いするようになりました。しかし、どうも私の方が一方的に好きだったようです。向こうも少しは好いていてくれたが、そんなに情熱的ではなかった」
「そうだったんですか」
とサンドラは、どうでもいいな、と思いながら聞いていた。
「一応、こちらが贈り物をしたら、向こうも贈り物をくれて。そのうち、こちらが贈り物をしても向こうはくれなくなり。こちらがして分だけ返して欲しいとかそんなんではないけれど。気持ちが薄れてきたのを感じていました。それが辛かった。もう私の方が疲れてしまって、あの恋はやめてしまいました」
とクリントは言った。
ああそう、とサンドラは思った。
あの小鬼の言葉が蘇る。
『縁がない』
「それって、フラれたんですね」
とサンドラはさらりと言った。
「はい。フラれていたのに、ズルズルとやってしまっていました」
とクリントは言った。
しかし、クリントは熱量のこもった声を出した。
「でも、あのバレンタインデーの日、キンバリー様のあなたの絵を見て、愛の情熱を感じたんです。キンバリー様、苦手な人ですが、凄い絵を描いた。あなたは美しかった。私の罪悪感を全て引っ張り出して、違う感情を植え付ける程に。私は何をズルズルやっているのかと思った。もう一度情熱を取り戻したいと思った。虫の良い話ですが」
「はあ」
サンドラはキンバリーの名前が出て微妙な顔をした。
クリントは跪いた。
「キャスリーンとはもうキッパリと別れました。でもあなたも婚約の解消で嫌な思いをしていたでしょう。今すぐ許してくれとは言いません。でも、こんな私でも……」
「あー、はいはい」
とサンドラは被せるように言った。
クリントは、話を遮られたので、おどおどしながらサンドラを見上げた。
「私とあなた、縁があるんですって。この縁は覆らないそうよ。だから、受け入れるしかないんだと思うの」
とサンドラは言った。
小鬼の言葉がまた蘇る。
『あんた次第だ』
サンドラは
「あの絵があなたの家に間違って送られたあのバレンタインデーの日に、たぶん色々な力が働いたんでしょうね」
と呟いた。
クリントはよく分からない顔をした。
サンドラは微笑んだ。
「私はまだあなたのことが好きか分からないんです。これから、ゆっくりでいいですか?」
「はい」
とクリントは言った。
「縁結びの女神の祝福を」
とどこからか小鬼の声が聞こえたような気がした。
サンドラはふうっとため息をついた。
全て仕組まれていたのかしらね。
小鬼と出会ったあの橋で、もうすでに。
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