4話 頭がおかしくなった扱い
「医者など必要ありませんわ」
「おかしくなったとしか言いようがないだろう!」
少なくとも結婚する前は、デビュタント以前は、こんなにも冷たくなかった。
もうずっと旦那様が笑いかけてくれたこともない。
「いいえ、おかしくなったのは旦那様です」
「何を」
洗脳されている今では、私の言葉は届かないだろう。
けど、言わないと。
今ここで伝える言葉が、後の旦那様戦でいかされるはず。
「私とお話して頂けず、目も合わせない事はおろか、もう随分と笑いかけて頂けなくなりました」
「そ、それは」
「食事ですら共にして頂けず、こうして触れれば拒否されて」
「そ、れは、」
「ええ、存じておりますわ。これがまさか、オスクロの洗脳だったとは私も露知らず」
「え?」
私達の仲を裂くというよりも、王城に勤める旦那様の立場を利用するのが、オスクロの狙いだった。
旦那様は王城筆頭の魔法剣士、騎士団の長も兼ねた人物で、加えて内政にも詳しい。
王が文官としても傍に置きたがっている程の才能を持っている。
旦那様がオスクロの目に留まるのも致し方ないこと。
旦那様の洗脳を解く事も大事だけれど、早くにオスクロを探し出さねば……国の危機だわ。
「旦那様?」
「朝から……何を」
僅かにふるえ、米神がぴくりとしている。
私の言葉は届かぬ程、洗脳が進んでいるという事なのだわ。
「お、奥様!」
「ソフィア?」
いつもなら旦那様の前、許可なく私に声をかけることのないソフィアが、焦った様子で私を呼んだ。
振り向けば、顔を青ざめてナタリアと目を合わせ頷きあっている。
「ほ、本日はご学友とのお約束がっ」
「約束?」
あった記憶がないのだけれど。
思い出そうとしようにも、ソフィアとナタリアが畳みかけるように声を発するものだから、考えるのを一旦止める事になる。
「先程、侍従を通して連絡がありましてっ! ご報告が遅れ、大変申し訳御座いません!」
「急いでお部屋に!」
「え?」
「罰は受けます! お早く!」
「罰なんて、与えないけれど」
珍しくぐいぐい押されて、部屋へ向かわされる。
振り向くと、私のことなどなかったと言わんばかりの旦那様が家を出るところだった。
隣の執事のラモンが、こちらを見ながら、うんうん頷いている。
「旦那様!」
「おおお奥様! お部屋へ!」
「リン様、お願いですから!」
二人の制止を振り切り、階段の踊り場から、旦那様に声をかけた。
「いってらっしゃいませ! 旦那様!」
「……」
いつぶりだろう。
旦那様を見送ったのは。
こちらに振り向きもせず、何も発することなく、旦那様は去っていった。
けど、スプレの話をした私の心は、少しばかり晴れていた。
すっきりしたというのかしら。
「今まで戦士として目覚めてなかったから、こんなにもモヤモヤしていたんだわ」
「リン様、ひとまず何か飲みましょう。少し落ち着きましょう」
「ええ、ソフィアお願い」
私のやることが決まった以上、やらなければならないことが出てきた。
ああ、忙しくなるわね。
でもそれも、楽しみというもの。
「ふふふ」
「楽しそうですね……」
「ええ、使命があるということは凄いことだわ」
すると、部屋の扉がノックされる。
細身の痩せた手、年齢を重ねた男性の手。
ナタリアが対応し、中へ入ることを許可した。
「お早う御座います、オラシオ先生」
「えらい朝早いがどうしたかね、お嬢様」
「あら、私はもうお嬢様ではありませんわ」
「わしからしたら、まだまだ子供だわな」
「そうですか」
いつものやり取りをすませ、席に座ってもらう。
さすがラモン、最速で先生を連れて来るなんて敏腕だわ。
「では先生、少し私の話を聴いて下さいな」
「ああ」
折角なので、私は事情を話した。
スプレとスプリミについても、あらかた分かりやすく。
傍にいたソフィアとナタリアは終始驚いていた。
「なるほど、転生前の記憶か」
「ええ。旦那様も驚かれたことでしょう。なにぶん、まだ洗脳されたままですもの」
「朝から、そんな情報の多い話をされれば、わしが呼ばれてもおかしくはないな」
ドクターは特段驚かず、形だけ診察して終わった。
私の話に耳を傾け、決して否定することはなく。
「わしは前世来世を否定する派ではない」
「ありがとうございます」
「まあわしを呼ばない程度に、うまくやりなさい」
「はい」
小さい頃から診てもらっているからか、私には割と甘い。
「お嬢様のその顔を見ていると懐かしくなるねえ」
「顔?」
「小さい頃と同じだよ。ここ数年はつまらん顔をしていた」
「そう、でしたか……」
らしい顔だと言われる。
スプレもスプリミでも、画面の中のクラシオンは輝いていた。
きっと、あれが、本来の私の姿。
ならばやはり、私は戦士として戦う宿命に間違いない。
「私、やりますわ!」
「おお、あれとうまいことなって、呼ばれるのを楽しみにしているよ」
「ええ、洗脳を解いてみせます!」
「ああそうじゃないんだがなあ」
笑顔を絶やさずに、先生はゆっくりとした足取りで屋敷を後にした。
そして一杯の紅茶を頂いてから、私は腰を上げた。
時間には余裕もあるわ。
少しばかり、いつもと違う朝だったけど、逆にとても目が冴えている。
「リン様」
「学園へ行くわ」
「かしこまりました」
たくさんの小説の中からお読み頂きありがとうございます。