1話 白い結婚
「お早う、ソフィア」
「お早う御座います、奥様」
いつもの朝、私付の侍女がカーテンを開ける。
差し込む光に目を細めながら、ゆっくりとベッドから出る。
変わらない朝。
「奥様」
髪を整えてもらってるところで、扉が叩かれる。
この音はよく知った子、どうぞと言って入らせる。
元来、耳のいい私はこうした戸を叩く音だけで、誰が叩いているかわかってしまう。
ちょっとした特技、知る者は少ないけど。
「ナタリア」
「こちらを」
もう一人の私付の侍女が小さいながらも高価な箱をもって近づいた。
見てすぐわかる。
その包みは王都でも随一と呼ばれる宝石商のもの。
私と旦那様の指輪と同じ購入先。
「旦那様からです」
包みを開けると、小さなメッセージカードが入っていた。
「少し早いが誕生日に、か」
「素敵なネックレスですね」
「ええ、そうね」
「リン様?」
旦那様の元へ嫁ぐ前からの私付の侍女は、人前でない限り、基本こうして親しく話してくれる。
こうして愛称で呼んでくれることも。
「もう何年も、誕生日に旦那様の顔を見ていないわ」
「まあそうですけど」
「ナタリア、旦那様は今年もお仕事?」
「はい。遅くなるとのことです」
「やっぱり……」
毎年贈り物はあるのに、二人で会うことはない。
これが私の誕生日。
嫁いでから数年は一緒に食事くらいはとってくれていたけど、十四歳のデビュタントを迎えて以降は、この形になった。
「で、でも、王都で流行りのごってごてのじゃなくて、リン様が好きそうなシンプルで綺麗なデザインですよ?」
「そうね……」
旦那様が私に愛想を尽かしているなら、とうに離縁を申し込まれているはず。
こうして贈り物一つにしても、きちんと考えて下さっている。
手に取るネックレスにあしらわれた小さな石が揺れて光った。
「つけていくわ」
「かしこまりました」
階下で一人で朝食を頂いて、少し時間をとった後に家を出る。
馬車に揺られて通うのは学園、マヒアエスクエラだ。
私はまだ学生の身分、旦那様からすれば子供なのだろう。
馬車から降りれば、すぐに親しい友人が声をかけてくる。
旦那様の事はひとまず置いて学業に励む事にしよう。
「クラシオン!」
「カミラ」
「お早う」
「ええ、お早う」
カミラはこの国の王女、正統な王位継承権を有した人物だ。
レヒーナ・カミラ・アナ・デ・ボン・グレイシア。この国における、第五位王位継承者。
本来なら名前を軽々しく呼んでいいものではないけれど、人前でない限り、こうしてミドルネームで呼ぶことを許されている。
「カミラ、リン」
「アンへリカ、お早う」
「お早う」
遅れて合流したのはアンへリカ。
ライムンダ侯爵夫人であり、彼女の旦那様である侯爵は、私の旦那様と同じく王城に勤めている。
ちなみにアンへリカ自身は留学や出産等の関係で、私やカミラより年上だけど、同じ学年。
「あら、クラシオン」
「?」
胸元に光るネックレスを見て、カミラが笑う。
「ん? なになに?」
アンへリカにカミラが伝えると、アンへリカは途端黄色い声をあげた。
すぐに旦那様からの贈り物だと気づく二人は、さすがとしか言いようがない。
「エヴィターったら! センスいいじゃない!」
夫婦ぐるみで関わっているからか、アンへリカは旦那様のことをファーストネームで呼ぶ。
旦那様が城でどんな仕事をしているか分かるのは、いつもアンへリカ経由。アンへリカの旦那様の御蔭だ。
普段、旦那様と話さなくなってしまったから、こうして人伝で旦那様の事を知るのが私の日常になってしまった。
「てことは、今年もエヴィターはリンと一緒じゃないってこと?」
「お仕事が忙しいみたいで」
「んなの、本人次第でどうとでもなるわよ。あいつの立場分かってんでしょ」
「ええ、まあ」
「お父様に掛け合って、クラシオンの誕生日は公休日にするのも、やぶさかじゃないわよ?」
「い、え、そこまでは!」
「あらそう?」
いけない、下手に影響力がある二人だから、本当に実現しそうで怖いわ。
侯爵家の中でも、王城にて宰相を務めるアンへリカの旦那様は、国の法律にだって携わっている。
そして継承権第五位の王女殿下は、さらに影響力を増す。
本人はあまり興味を示していないけれど、才女と謳われている学園首席の彼女なら、いつ王位を継いでもおかしくない。
「いいのよ、贈り物を頂けただけで幸せだわ」
「リン! なんて健気な子!」
「けど、何年もクラシオンを避けているのは、見過ごせないわ」
この二人にはこっそり話している。
旦那様のこと。私の気持ち。
デビュタントを超えてから三年、旦那様は私を意図的に避けている。
会話らしい会話も数える程度。
ましてやキスも、夫婦としてのその先もない。
俗に言う、白い結婚と呼ばれる形になってしまった。
「婚姻が早すぎたのかも」
旦那様も子供のお守りなんてしたくないだろう。
結婚した時、私は十歳だった。
その前から旦那様には家同士の関係からか、会うことはあって、よく面倒を見てもらったとは思っていた。
だから、旦那様にとっては、手のかかる妹を結婚相手にされたみたいなものだろう。
妻として見ることが出来ないと言われても、仕方ないことだと思う。
「それはないわよ、リン」
「アンへリカ」
「ことエヴィターに関しては、後ろ向きね」
「カミラ」
「普段の貴方なら、飛び込んでいきそうなものを」
応えられなくて曖昧に笑う。
旦那様には嫌われたくない。
離縁も嫌。
私はずっと旦那様が好きだから。
たとえ旦那様に女性として見られていなくても、小さい頃からずっと憧れて、結婚するなら旦那様と、そう思っていた。
それが叶った時は、とても嬉しかったのに。
今はこんなにも淋しいなんて、こうなってしまうなんて、あの頃は考えてもいなかった。
「二人ともありがとう」
「クラシオン……」
「貴方、また我慢して」
「いいえ、違うわ」
私は充分幸せ。
旦那様を夫とし、こうして毎年違うものを誕生日に贈られて。
「私、幸せよ?」
全50話予定。
2話を翌日朝7時に予約投稿、3話が翌日夜で、以降一日一話夜に投稿予定です。