1.雪の日の絶望
よろしくお願いいたします。
白い雪が降り続く中、ルクス=ハーベルライトは、城の高い塔の中にいた。
夕闇迫る冬空の下、窓から身を乗り出すと、覗き込んだ地上は薄暗い闇に包まれようとしている。
(雪が積もっているけれど、この高さなら問題ないかな……)
そう思いながら、窓枠に足をかける。
ルクスは思いつめていた。
自分は自殺するよりほかにない、と。
それは、“火族”としての才能がないためであった。
火族は、火炎魔術に長けた種族のことである。
生まれながらにして炎を操り、その“炎”だけが地上最凶の魔獣群「氷龍」を倒すことができる。
ゆえに、自力では氷龍を滅ぼせない人間たちは、自然と火族を崇めるようになった。
“炎”こそが火族の力であり誇り。
であるにも関わらず、ルクスはその炎が出せない。
炎が出る前に体内の熱によって、自分自身が融けてしまうのである。
リコリアス王国でも名門の火族一家であるハーベルライト侯爵家の男子として、これは致命的なことであった。
ルクスが生まれて10年。あらゆる治療も訓練も空しく終わった。
とっくの昔に父には見放されている。
あと数か月のうちにルクスが炎を出せなければ、家から追い出そうとするだろう。
そうなったら、ルクスには生きていく術はない。
(そうなる前に……死のう……)
城の外で生きていくことなどルクスには考えられなかった。
このまま蔑まれ、嘲られながら生き恥をさらすより、潔く死を選ぼう。
ハーベルライトの名に恥じぬ、誇り高い死を選ぼう。
体を窓の外へ預け、重力に身を任せようとした瞬間――
「ルクスっ!」
思わず振り返ると、部屋の入口に青ざめた顔の一人の女性がいた。
義理の姉、リューズだ。
「ダメっ!」
と、駆け寄ってくるリューズに構わずに、外へと身を投げた。
地面へと引っ張られていくような感覚。
だが、次の瞬間、ルクスの横を虹色に輝く炎の奔流が地面へと駆けていった。
そして炎は雪の積もった地面に当たると、あっという間に大量の水蒸気を発生させる。
「うわっ!」
水蒸気と地面からの爆風がルクスの身体を受け止めた。
風に煽られてゆっくりと回転する。
塔の上を見ると、窓からリューズが身を乗り出していた。
その手は静かに燃えて、全身から七色の光が放たれている。
リューズが放つ“虹の炎”はリコリアス王国でも5本の指に入ると言われる美しい炎だ
義姉は唇を噛みしめ、美しい眉は弟の蛮行を悲しむように寄せられ、大きな瞳からは珠のような涙が零れ落ちている。
後光が差しているかのような彼女の姿。
熱気に抱かれながら、それをぼんやりと眺めていると、ガクンと身体が揺さぶられるような衝撃に襲われた。
地面に落ちたルクスの視界は暗転していった。
* * *
「……!?」
気が付くと、見慣れた天井が見えた。城内にある自分の部屋だ。
「ここは?」
あたたかなベッドの中に寝かされていることはすぐに分かった。
「!おにいさまっ!!」
小さな影がルクスの首にしがみついた。
ルクスの妹、ジェシアだ。
「うあぁあああぁん!!」
「ジェシア……」
ただただ泣きじゃくる妹の背中を、ルクスはそっと撫でた。
「そうか、リューズ義姉さまに助けられて……あ、ね、義姉さまは?」
「リューズさまは、10日前、氷龍討伐遠征にご同行されました」
と部屋にいたメイドが答えた。
リコリアス王国内にいる火族たち十数家で構成された氷龍討伐部隊。
年1回、厳冬期に王国北部へと派遣される部隊の当番に、今回はハーベルライト家も含まれていて、代表としてルクスの兄ドレクが、そして夫に帯同する形でリューズも参加している。
「10日!?」
ルクスは驚いた。それじゃ、討伐部隊の出発予定日から逆算すると……1週間以上、自分は眠っていたのか。
「うくっ、お、おにいさま、もう、めをさまされないかと、お、おもって……」
顔をぐしゃぐしゃにしながら泣いているジェシア。
「ごめん……本当にごめん」
妹を抱きしめるルクスの目にも涙が浮かんだ。
ジェシアはリューズとともに、このハーベルライト家でのルクスの数少ない理解者だ。
出来損ない、と疎まれているルクスにいつも寄り添い、励ましてくれている。
先日も、ルクスのことを気遣い、大切にしていたペンダントを、「お守り」だと言ってプレゼントしてくれたのだ。
そんな無邪気で可愛い妹のことを、自殺する瞬間には忘れていたことをルクスは恥じた。
そのとき、外が急にあわただしくなった。
「なんだろう?」
胸騒ぎがしたルクスは、支えてもらいながらベッドを降りて部屋の扉を開けた。
その予感は当たっていた。
早馬でもたらされたのは凶報だった。
氷龍との交戦状態に入っていた討伐部隊の一部が消息を絶ったこと。
そして、行方不明になった者の中には、リューズも含まれていた、ということだった……
* * *
「そこをおどきください!父上!」
城の正面広場でルクスは、父のゴーデンと向かい合っていた。
急いで旅支度を整え、周囲が止めるのも聞かずに城を飛び出そうとしたルクスは、城の跳ね橋へと続く道に立っている父に、行く手を塞がれた。
ゴーデンは分厚い体に甲冑を纏い、手には太い杖を持っている。
「ならぬ。城へ戻れ」
眼光鋭くにらみつけてくる父に、息子は
「しかし、義姉上が!兄上も行方不明なのでしょう!?」
と反駁する。
使いの者の話によれば、氷龍討伐部隊は目的地に到着するなり、氷龍の群れに襲われたという。
そして交戦中に、群れの中でも最も大きな氷龍が逃走したため、これを追撃する小隊が急遽編成され、ドレクとリューズもそれに参加した。
しかし、翌朝になっても追撃隊が戻ることはなかった……
ルクスはリューズを探しに行きたかった。
ただ自分を優しく支えてくれただけでなく、今や命の恩人ですらあるのだ。
「行方不明者については、王国で捜索が行われる。お前ごときが出る幕ではない」
冷たくあしらう父に、
「それなら、その捜索隊に私をお加えください!」
ルクスは食い下がるが、ゴーデンは「何ぃ?」と言って額に青筋を立てると、
「ふざけたことを抜かすなぁ!!」
杖で地面をドンと突いた。
地響きが起こり、杖の先端からは数十メートルの高さに炎が吹き上がった。
そして、紅蓮の炎はぐっと縮まり、輝きを増していく。
“凝縮”された炎は半ば物質化して、巨大な槍の穂先になった。
「貴様はでくの坊だ、ルクス。もしこの城を出て、氷龍の棲む山なんぞに入れば、炎を出せぬ貴様などたちまち死んでしまうだろう。捜索隊に入りたいだと?フン、ろくに城から出たこともない小童がほざくなっ!」
「だが、いくら出来損ないであろうとも、今や貴様がこのハーベルライト家で唯一の男子であることは事実。それを失えば、ハーベルライトは滅亡だ!ここからは決して出さぬぞ!」
もはや、問答は無用か。
ルクスは覚悟を決めて、腰にさした剣を抜いた。
その様子を見てゴーデンは歯ぎしりする。
「貴様ぁ……その身、バラバラに打ち砕いてくれるわ!!」
そう言って槍を掲げると、一気に振り下ろした。
三日月状になった炎が、ルクスめがけて飛んでくる。
地面を蹴って走り避けると、炎の刃は遥か後方の城壁まで飛んで炸裂した。
火族が持つ城である以上、この程度の攻撃ではびくともしないが、衝撃はすさまじい。
「ぬん、ぬぅん!!」
ゴーデンは矢継ぎ早に炎を飛ばしてくる。
ルクスは間合いを取りながらそれを次々と避けていく。
確かに炎を出すことはできないが、それ以外の部分でルクスは鍛錬を積んでいた。脚力も剣技も、家中の誰にも負けないくらいに鍛えてきたのだ。
実際、縦横無尽に走り回るルクスは、ゴーデンを翻弄していた。
しかし、さすがに避けているだけではらちが明かない。
(なんとかここを抜けなくては!)
ルクスは一策を講じることにした。
ゴーデンの正面に来ると、剣を構えた。
「真向勝負か、よかろう!」
ゴーデンは槍を頭上に掲げると、両手で大きく回転させ始めた。炎の刃はたちまち円い軌跡を描いて燃え盛りはじめる。
周囲を巻き込む上昇気流に引かれるように、ルクスはゴーデンへと一気に走り寄る。
「はぁあああっ!!」
父が渾身の一撃を放つ。灼熱の刃が頭上に迫る刹那、ルクスは自分も剣を振り下ろしてわずかに後ろへと飛びのく。
「!」
炎の槍から生じた爆風に乗って一回転すると、地面を割った槍の刃の上に降り立ち、
「はっ!」
一気に父の頭上を跳び越す。
「くっ!」
上手くいった!
正面から槍を受けると見せかけて空振りさせ、武器を封じる作戦は成功だ。
地面に降りて、一気に駆け出す。目指すは城門だ!
「甘いわぁ!!」
ゴーデンは振り向きざまに槍を繰り出す。
槍の炎はたちまち伸びてルクスへと襲い掛かった。
「ぐっ!」
ルクスも咄嗟に振り向いて剣で防ぐが、勢いは止めようもない。
そのまま近くにあったレンガ組の建物まで飛ばされて叩きつけられる。
槍はルクスの身体をレンガ壁に押し付けると、レンガに亀裂が走った。
「がはあぁ!!」
ボコっとレンガの一部が崩れて、身体がめり込んだ。
磔になったまま、ルクスは胸に当てられた炎の槍に焼かれる。
「ぐあああぁ!!」
ルクスも火族である以上、この程度の炎では死なない。
だが苦しいことには変わりない。
(……やっぱり、ダメだ。炎が出せなければ、父上には敵わない!)
この土壇場の中で、ルクスはまだ一度も成功したことのない、“炎”の生成に挑戦することにした!
否、この極限状況だからこそ、成功させられるのでは、と考えたのだ。
苦しい息のなか、剣を持っていないほうの腕に意識を集中する。
魔力が腕へと流れ込むのが分かる。
やがて、手のひらは赤く光り輝き始めた。
表面からは陽炎が立ち、それはやがて白い煙へと変わっていく。
(もう少し……あと少し……)
今にも手のひらから炎が立ち昇るか、と思われた瞬間。
ドロっと、ルクスの両手は「融けて」しまった。
スライムのようにオレンジの半固体となった自分の手を見て、
「くっ!」
ルクスは落胆した。
やはりダメか。
今まで何千、何万回と挑戦してきたときと同じように、炎が出そうに感じると腕が融ける。
これの繰り返しだ。
義姉を救いたい!
父になんとしても勝ちたい!
そう願う状況においても、ルクスの身体は思うようには動いてくれない。
(やはり、自分には何もできないのか……?)
落胆とともに、気力が限界を迎えていた。
痛みがフッと消えると同時に、意識は暗がりへと転がり落ちていった……
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