第八話 神官少女と『真面目』な話・20/2/5改
感想等もらえると嬉しいです。
20/4/5追記。
ここから向こう大きな変更がある回には『改』の文字と変更をつけあります。
現時点での最新回までの伏線等の内容は概ね変わっていませんが、順番が前後したりしているので以前からの読者さんには読み直してもらえると嬉しいです。
食後、先輩がトイレに行くと言い残して部屋を出てしばらく。
二人で身の上話ともいえない下らない会話をしていたのだが、ふと話が途切れたので折角だからと気になっていた質問をすることにした。
「なあ、お前のとこの神殿は一体どうなっているんだ?」
知らない人が聞けば、その質問はとても漠然としていて分かりにくかったであろう。実際、ユノだって一瞬きょとんとした顔をしていた。でも俺はそうとしか問えない。
『神殿にお金がない』とか言う割に主神が異世界まで遊びに来ていて、『他の神から嫌われている』のに主神が主神たり得て、『ノルマを設定するほど信者に飢えている』けど神官はみんなふざけている。
ユノが育ったという、そんな神殿。
彼女にとって唯一無二であろうその場所が、しかし俺にはどこか矛盾をはらんでいるようにしか思えて、俺はその疑問を口にしたのだった。
答えは、ない。
ホウホウと遠くで鳶が二度ほど鳴いて、山から静かな風が下りて来る。
なんだかんだふざけていたせいで山にいると言うことも忘れてしまっていた。
一分近く、心臓が何べんも鼓動を打つ音が俺の中を通り抜けて行って、それからユノはゆっ
くりと姿勢を正し口を開いた。
「真面目な話、していいの?」
その表情はどうしようもなく真剣だった。
ゴディタニナの前にいるときの感情を殺した仕事モードの無表情ではなく。
俺達の前でふざけていた『感情を表すことすらめんどくさい』ような曖昧で気の抜けた表情でもなく。
ただただ真剣。まっすぐこちらを見るその表情に俺は一歩踏み込んでいいものか逡巡する。
数秒ののち。俺は彼女が見せたあからさまな異常に、踏み込むことを決めた。
「ああ。してくれ」
彼女の様子はこちらを攻撃するようでもあったが、同時に何かから硬く身を守っているようにも見えて、だからこそ俺はようやく見え始めた彼女の本音へと、一歩足を踏み込んだ。
「私の世界はね……、いま、壊滅の危機にあるの」
彼女の言葉にそんな馬鹿な、と言いそうになって俺は慌てて首を振った。
されど同時に何事も一笑に付すべきではない。かつて勇者として幾度となく『ラスボス』を倒してきたせいで、すべからくあっさり解決できるものだと思ってしまっていた節があるが、そうではないのだ。俺は彼女の話を聞くことに決めたのだ。真正面から受け止めてやらねばなるまい。
「それは、戦争によって? 或いは魔王やそれに類する災害によって?」
ゆえに、俺は想定しうるいくつかの『世界の危機』を具体化して尋ねた。
だが、彼女は首を振った。
「ううん。違う。もっと根本的な問題なの」
『世界の危機』、その言葉は俺にとってだいぶ身近なものである。
誠に、残念ながら。
しかし、一番近くでそれら『世界の危機』を見てきた俺だからこそ、返す言葉で茶化すことはできない。彼女の言葉を一笑に付すわけにはいかない。
「それは、どういう意味なんだ?」
慎重に、言葉を区切るように問う俺にユノは真摯な瞳を向ける。
俺はその口から芝居だったとか、ふざけただけだとか言う言葉が出てくるのを期待する。
けれどそんなもの期待に意味などない。短い付き合いながらも彼女がそんなつまらないジョークを言わないと知っているからだ。
「もちろん、字面通りの意味だよ。私たちの世界はそう遠くないうちに滅びる。『世界の危機』と言うからには危ない機会な訳であって。どれくらい危ないかに差は有れど、その行く末が滅びでしかないのは変わらないんだよ」
そう、口先だけで笑むと彼女は今日何度か見せたように、されどいつもと違ってふざけず、俺には理解のできない話題転換を行う。
「さっき三人でご飯を食べていた時、この世界に魔法が存在しなくて、大半の人間が神の存在を知らないことを不思議がって私が質問したの、覚えてる?」
「ああ」
その言葉に、どう答えていいかもわからず俺はただ頷く。
「私からすれば考えられないことだけど、でも現にこうして世界が成り立っていて、御柱が驚くくらい、ともすれば私たちの世界以上に発展しているのだからきっとそれで何とかなっているんだよね?」
「それが、どうしたのか?」
彼女はまるで核心に近付くのをためらうようにゆっくりと話す。話し方も、内容も。
昼過ぎに、自分が孤児だとかの身の上話をしていた時にも全く動じなかった彼女の足が少し狭まって肩が小刻みに震えているように見え、俺は薄ら寒い緊張感が自分の中に張り詰めていくのを感じた。
「強いて何と言うなら、私たちの世界を私たちが見るにおいて世界が『成り立つ』には神と言う存在は不可欠だったんだ」
彼女がこうも煙に巻くような言い回しをしているのに対して、普通なら感じるべきいら立ちはない。むしろ俺が感じているのは恐怖だ。
「つまるところ、私たちの世界では神とは絶対であり、不可侵であり、最強にして最上位の存在であったわけだよ」
そこで彼女が区切った言葉の続きを聞きたくないような聞きたいような、その葛藤を断ち切る前に彼女は次の言葉を放つ。
「けど、二十三年前に私たちの世界に召喚された勇者は敵を倒すほどどんどん強くなって、ついには……」
「ついには?」
まだ言いづらそうにする彼女に対して、俺は葛藤を断ち切って続きを促す。
「勇者は冒険の末、様々な事件の黒幕であった堕天した神の一柱・ヴェールデシュネカを倒してしまった。ただ、それが人に害をなす悪い神であったという理由で」
彼女が言いきった続きの一言。その言葉に、冷や汗が止まらない。
どこかの誰かも似たような事をしていなかったか?
ただただ敵であるからと断じて『堕ちし神』とやらを倒した男が居なかったか?
「でも、それは私たちの世界ではあり得てはならないことだった。それこそ、地震を起こすからと言う理由で住処たる大地を粉砕できないのと同じように。洪水を起こすからと言う理由で畑の貴重な水源たる川を埋められないように」
けれど、ユノは言葉を止めない。俺の冷や汗も止まらない。
俺があの『堕ちし神』と戦ったのは二十三年前などではなくほんの数カ月前であるというのに。体が冷たくなって血が止まるような思いがする。
「結果私たちの世界はどうしようもなく壊れた。『人が神をも越えられる』と言う可能性は私たちにはあまりにも重すぎた。あらゆるものが寄りかかっていた『神』と言う大きな木がかしいで、誰もがその安定性に不安を抱いた。それこそ、『神』自身さえも」
うん、そう一言呟くように頷いてから彼女は息を付いた。
「結果として、神々の戦争が起こった。人々は神殿に疑いを持つようになった。冒険者や権力者の中には己の力を過信し、あるいは己もまた神を超えんと望むものが現れ、秩序が崩壊した。神殿の権威は失墜し、魔物たちの勢力は勢いを増した」
何処か空々しい口調で、もしくは誰かの作った歌でも歌うような口調で。語る彼女に俺はその言葉に自分がその勇者その人であったかもしれない、と言うべきか否やか逡巡する。
次いで、それがどうしたって自己満足にしかならないだろうと気付き言葉を探す。
何せ彼女の世界はもう壊れてしまったのだ。『勇者の力』は何かを壊すことはできても、壊れてしまった秩序や世界を修復するにはあまりにちっぽけだった。
やがて俺は、かつて『勇者』と呼ばれた者の責任として言わねばならぬことがまだある、と奥歯を噛み締め反論した。
「でも、この世界がそうであるように『神』以外の寄る辺を見つけられれば……ッ」
「無理だよ」
対するユノの言葉はどこまでも冷たい。
「一度神の存在を知ってしまった以上、それを超える安定性を持つ者なんて見つけられるわけがない。私たちは『神も人も万全ではない』という漠然とした事実を以て全ての拠り所を失った。それに万が一他に寄る辺があったとして、それに寄った世界なんてもはや別の世界でしかない。私たちの知っていたそれではないんだよ」
そうだ。『神』に仕える彼女にとって、『神』の居場所がない世界など滅んでいるも同じであり。
『神』を拠り所としていた彼女の世界の人々にとって、暴力をもって神を打倒しうるという現実は、あまりにインパクトが強すぎた。
「そう、か」
「そう。実際問題。今の私の世界が混沌としているだけで、もう百年もして私がおばあちゃんになって死ぬころには世界は秩序を取り戻すんだと思う」
考えてみれば彼女が言ってる『世界の滅び』だって、歴史的には『宗教革命』とか言って教科書の見開き一ページ程度に収まってしまうことなのかもしれない。ただ、それを納得できない誰かがいるだけで。
きっと彼女は、信仰に狂えるほど愚かではなく。信仰を捨てられるほど不義理でもなかった。これはそういう話なのだろう。
そういう意味で言えば、彼女の相談もまた自己満足でしかないと断じることだってできてしまう。それを断じることに納得できない誰かもまた、いるだけで。
だから俺は最後に自己満足を彼女へとぶつける。
「その、勇者の名は?」
「ハジメ・イガラシ、そう名乗っていたそうだよ」
彼女がわざわざ演技をしてまで悪い冗談を言ったという可能性もある。けれど、俺はなぜか彼女の言葉が真実であると確信していた。或いは彼女が昼間言ったように俺のことを対等の存在と見ていたがゆえに、吐けた弱音であったのかもしれないが。
「ユノはその件について……」
「何とかできるとは思わないし、してもらいたいとも思わないよ」
わざわざ俺の言葉を切って、諦めたような言葉調子でありながらもきっぱりとした言いようで彼女は返した。
その顔はすでにいつもの気の抜けた無表情に戻っていた。




