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俺はニートでいたいのに  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第一章:剣姫の婿取り
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その少女、苛烈につき


 イリス・ソルディークは怒っていた。

 突然伝えられた婚約。そして一年後には結婚という話に。


 勿論、彼女はソルディーク伯爵家の長女として、貴族の結婚がどういうものかをわかっている。

 幼い頃に読んだ恋愛英雄譚のように、胸が焦がれるような相手との結婚など、お伽噺でしかない事はわかっていた。


 それでも彼女は怒っていた。

 彼女の結婚相手に対してだ。


「『算盤貴族』のエルダード伯爵家など、冗談ではありません! せめても長男ならともかく、次男ですらなく、三男とは……!」


 金勘定が得意な貴族をこの国では『算盤貴族』と呼ぶ。

 そのような細かい仕事は高貴なる血筋の者には似合わない、という概念からできた揶揄だが、レオナールは初めてその言葉を知った時、『算盤はあるんだ』と別のところに引っ掛かりを覚えていた。


「しかもその三男は貴族の矜持も持たず、平民と交わり、日がな一日本を読んでいるだけだと言うではありませんか! そのような軟弱者、栄光あるソルディーク家の婿に相応しくありません!」


 形の良い眉を上げ、怒る姿も絵になっていた。

 雄々しいというよりは凛々しい。

 猛々しいのではなく神々しい。

 

 『剣姫』と呼ばれるソルディークの至宝は、今日も変わらず激しく、そして美しかった。


「だが、我が領土の経済は最早支援なしでは成り立たぬ。王国最強たるソルディークの武威を維持するためにも金がいるのだ」


 対するイリスの父、ユリアス・ソルディークは落ち着いた態度と声色で激昂する娘を諭す。


 ソルディーク伯爵家は、二十年前まで続いていた帝国との戦争において多大な功績を挙げ、ユリアスとその父の二代で騎士から伯爵にまで駆け上った武家であった。

 『血塗られた爵位』と揶揄される事もあれど、ソルディークの騎士団は自他共に認める王国最強。

 国民の誰もが彼らを讃え、彼らを頼りにしていた。


 しかしそれも二十年前までの話。

 元々土地が痩せ、特別な産業も無いソルディーク家の領土では税収などしれたもの。質、量ともに王国最強を誇る軍事力は、国からの援助と戦の報奨で維持されていた。

 当然、戦が無くなれば収支は崩れる。


 本来なら軍事を縮小し、土地の開発に力を回すべきなのだが、王国最強の矜持がそれを許さなかった。

 元々は領地を持たない騎士の家系という事もあって、領地経営のノウハウが全く無かったというのも、方針転換を妨げていた。


 王国は国内法によって私戦を認めている。

 私戦を挑まれた側は、自分の領地の一部を戦場に指定、そこでのみ戦争を行う事が許可されていた。


 簡単に言えば、軍事力はあるが経済力に乏しい貴族が、その逆の貴族に私戦を挑み、金を巻き上げるか、略奪をするかして収入を得る、というシステムだ。

 王国成立当初、貴族の力を抑えるため、あるいは貴族同士の団結力を弱めるために制定された法なのだが、この二百年、一度も行われた事はなかった。

 しかし戦争終了後から、二十年で実に三十回近い私戦が行われており、挑まれた側が事前に金を支払い、申し込みを取り下げた事例を含めれば、百回に届きかねなかった。

 それほど、戦争で領地の経営がままならなくなった貴族が多いという事でもあり、王国にとっても悩みの種だった。


 法律を改訂してしまえばいいだけなのだが、それで戦争の時に王国を支えた貴族が滅んでしまう事は避けなければならなかった。


 そんな中にあって、ソルディーク家は一度も私戦を起こしていない。

 他の領地に軍隊を貸し出す事で、ソルディーク家は軍事力を維持していたのだ。

 戦争が終わっても、野盗の討伐などの治安維持、それこそ、私戦の発生などで軍隊を必要とする場面は多い。


 しかし、ただでさえ戦争特需が終わった国内で、軍隊という金食い虫を戦争中と変わらず維持できる貴族は少ない。

 ならば必要な時だけ金を払えばいい傭兵に頼るのは当然の話であり、同じ借りるのでも、いつ裏切るか知れない輩よりは、国内の貴族の方が信頼できるのは当然だった。

 当然、王国最強たるソルディーク家は引く手あまたであった。


 だが、それも限界を迎えつつある。


 このままではいずれ私戦を挑まねばならなくなる。

 帝国領へ勝手に攻め込むという選択肢もあるが、折角訪れた平和を、その平和を勝ち取った自分達の手で崩してしまうのは気が引けた。


「それで選んだのが、援助を前提とした政略結婚ですか!?」


「その通りだ。しかもその三男は、確かに武術はからきしかもしれんが、エルダード伯爵家の食料生産量を二倍にも三倍にもしたという才覚の持ち主だ。我が領にはまたとない人材であろう」


「しかし……!」


「よろしいでしょうか?」


 そんな親子のやり取りに口を挟む者がいた。

 誰あろう、イリスの婚約者となったレオナール・エルダードその人である。


 丁寧に整えられた艶のある金色の髪に、宝石のような碧い瞳。

 血色の良い白い肌は、まるで少女のそれのようだ。

 しかし、決して頼りない印象を与えないのは、服の上からでもその鍛えられた体がわかるからだろう。


 背筋を伸ばし、両の足で堂々と立つその姿は、『本の虫』という世間の評価とは真逆の印象を見る者に与えた。


「お嬢様が望まれないのであれば、この婚約、反故にさせていただいてもよろしいですよ?」


「待て、レオナール殿、それは困る!」


 レオナールの言葉にユリアスは慌てたように声を上げる。

 そんな父の狼狽した姿にイリスは幻滅する。

 同時に、そのような醜態を父に晒させたレオナールに、嫌悪に近い感情を抱いた。


「そうは言われましても、閨を共にしたら文字通り寝首を掻かれかねない相手に婿入りするのは躊躇われます。ご安心ください。父にはこれまで通りに王室を通じて援助するよう伝えますので」


「それではもう保たんからこの縁談を受けたのだ!」


 縁談を持ち込んだのはエルダード伯爵家側であった。

 最初から、三男の婿入り、という条件だった事を考えれば、どれだけ下に見ているのか、とその場で断られても文句は言えなかっただろう。

 だが、ユリアスは受けた。


 それはそのまま、ソルディーク家の窮状を表していた。

 それを理解した重臣達が、イリスから目を逸らして唇を噛む。


「資金の援助に加えて、其方の持つ知識が必要なのだ! せめても領民の生活だけでも、税収で支えられるようにならねば、早晩ソルディーク家は滅びる!」


「元々騎士の家系です。領地を返納すればよろしい」


「それはできん! 戦が終わったと言っても、帝国との講和などあってないようなもの。ソルディークがいなくなる訳にはいかんのだ!」


「父上、このような不届き者の力を借りる必要などございませぬ! 足りないならば国内の巡回回数を増やせば良いだけです!」


「それでは騎士団にかかる負担も増える事になろう」


「民を領地を守るのが騎士団の役目。そのためならば、どのような艱難辛苦も望むところです!」


「伯爵閣下、それでは一つ賭けをいたしましょう」


「賭け……?」


 平行線の親子の間に、再びレオナールが割り込む。


「自分も望まれぬ婚姻は本意ではありません。しかし、ソルディーク家が困窮しているのも事実。ならば方法は一つ、お嬢様にこの婚姻を納得していただく他ございません」


「何を言われようと、貴様のような軟弱者とのけ、結婚など……」


「ですので、閣下、自分はお嬢様に決闘を申し込みます」


「決闘……また古いルールを持ち出してきたな」


 古から、貴族が名前と誇りと命を賭けて行われていたのが決闘だった。

 その方法もまた、法律によって定められている。


 とは言え、要点は二つ。

 決闘内容は挑まれた側が決定する事ができる。

 決闘前にお互い賭ける内容を第三者に公開し、決闘後はそれを遵守する。


「お嬢様は自分に軍事的な才能がないから結婚に反対しているご様子。ならば、自分に軍事的な才能がある事を証明してみせましょう」


「ほう……」


「ふん、できるものならやってみせよ!」


「お互いに五十人の兵を率いて試し戦を行いましょう。細かいルールはあとで決めるとしまして、そうですね、屋敷の前からそれぞれ別の方向に向けて行進を開始。十キロ離れた戦場へ向かい、双方が到着したら戦闘開始。全滅するか大将、この場合は自分とお嬢様ですね。この大将を討ち取った方の勝ち。いかがですか?」


「そんな回りくどい事をせずとも、互いに戦えば良いだろう!?」


「自分もお嬢様も一軍を率いる将ですよ。ならば必要なのは剣を振るう才能ではなく、采配を振るう才能ではないでしょうか?」


「む……」


「それとも、明らかに自分より弱い相手を一対一で叩きのめすのは得意でも、兵を指揮して戦う事は苦手ですか?」


 それは明らかな挑発だった。

 誰の目にも、わかりやすい釣り針が見えていた。


「いいだろう! その決闘、受けた!」


 頭に血が上り、冷静さを失っている『剣姫』以外は。

 決闘内容は挑まれた側が決定する事ができるというルールも抜け落ちているほどに、彼女は興奮していた。


「兵はソルディークの兵で構いません。上から百人を選んでおいてください。決闘を申し込んだのはこちらですからね。自分は下の五十人で良いですよ」


「ふん、そんな言い方をすれば私が下の五十人を選ぶとでも思ったか? 望み通りに私が上の五十人を選ばせて貰うぞ!」


 あたかも浅慮な策を看破されたかのように、レオナールは肩を竦めて見せた。


「ではそのように。決闘は一ヶ月後。明日、実際に戦う場所と、そこまでの行軍ルートを決めましょうか」


「よかろう」


「決闘に勝った際の要求は、お嬢様が婚約を受け入れる事です。そちらは?」


「二度と姿を見せるな」


「ではそのように。閣下、いかがでしょう?」


「…………我が娘ながら、強引に推し進めれば自らの首を貫きかねん。レオナール殿に任せる他ないのだろうな」


「いいえ、父上。私は自ら命を絶つくらいなら、一人でも多くの敵を道連れにしてごらんにいれます!」


 強引に婚約を進めるならば、レオナールを切って捨てる。彼女はそう言っていた。


「では、一ヶ月の間は世話になりますよ。決闘までは婚約者である事は変わりませんからね」


「好きにしろ、ただし、私に近寄るな!」


「必要がなければそのように」


「ふん!」


 そして大きく足を踏み鳴らし、イリスは謁見の間から退室した。


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