剣姫は婚約者の顔を見れない
柔らかなベッドの上で暖かな布団に包まれて、俺は心地良い微睡みの中にいた。
夢と現の間を意識が揺蕩っていると、眩い光が浴びせられたのを感じる。
「ほら、ちょっと」
ついで、よく通る女性の声が聞こえ、体が揺さぶられた。
「んん、あとごふん……」
「またそれ? いい加減一発で起きなさいよね!」
自分でも何を言ってるのかわからないまま俺が呟くと、呆れたような女性の声が聞こえる。
「ほら、起きなさい!」
「おっ……!?」
次の瞬間に布団を強引に剥ぎ取られる。
突然外気に晒されて、俺の意識が一気に覚醒へと向かった。
「おはよう!」
「ん……おはよう……」
俺が布団を取り戻そうと上半身を起こすと、挨拶が聞こえたので無意識で返す。
「起きたってことでいいわよね? それじゃ、先に食堂に行ってるから!」
そして扉が閉じる音がして、足音が遠ざかって行った。
「…………今の、イリスか……?」
「はい」
別に質問の意図があった訳じゃないが、俺の呟きにアリーシャが答えた。
俺の寝起きの悪さから、イリスが朝、俺を起こす際に強引な手段をとるのはいつもの事だ。
けれど、起きたかどうかも定かではない状態の俺が、挨拶を返したからと起きたと判断して足早に立ち去るなんて初めてのことだった。
「前回の決闘からすぐに遠征に行ってしまったのもおかしな行動だったしなぁ」
いつもなら俺の今後の予定を聞いて、特に午前中に用事がない期間を選んで遠征に赴くはずだ。
勿論、野盗の討伐が主な目的である以上、緊急性が高い場合もあるだろう。
けれどやっぱり、不自然に思う。
それならそれで、イリスは俺にすぐに出発しなければならない事情を話して行くだろうからだ。
そう言えば、遠征に行ってくるという報告すらなかった。
決闘の翌日、朝にイリスが起こしにこなかったので昼近くまで惰眠を貪っていた。
朝昼兼用の食事を摂っている最中にアリーシャにイリスの事を尋ねて、初めて遠征に行った事を知ったんだ。
今までにない行動だ。
「料理の秘密特訓でもしてるんだろうか……」
「さあ」
俺の着替えを手伝うアリーシャは軽く相槌を打つが、長い付き合いだ。その言葉に含まれた感情に俺は気付く。
楽しそうだ。
それも愉快とか享楽といった方向性じゃない。
俺の知らない事を知っていて、それに俺がいつ気付くかを眺めている。
そんな嗜虐性の高い快楽だ。
「……何か知っているか?」
「いいえ」
半眼を向けてそのように聞いても、返って来たのはそんな言葉。
あー、それは知ってる感じだな。
同時に絶対に教えてくれない感じでもある。
まぁ、何か俺に不都合な事があるなら隠さずに教えてくれるだろうから、アリーシャが何も言わないって事は、特に問題がある訳じゃないんだろう。
なら、それを俺自身で考えるのも一興だ。
「おはよう」
着替えを済ませて食堂に入ると、先にイリスが座っていた。
しかし彼女の目の前にはカットフルーツが一切れ乗った皿があるだけだ。
「お、遅かったわね」
こちらと目を合わせようとしないイリス。
俺が目を覚まして着替えをしている間に食べてしまったという事だろうか。
しかしこれも妙だ。
今までなら、俺が来るまで待っていたはずだ。
それこそ、朝食の提供も俺が来てから始まっていた。
俺が席につくと、侍従たちがてきぱきと朝食の準備を始める。
白パンに炒り卵、野菜クズのスープ、焼いた魚の半身。
いつも通りの質素な朝食。
それでも、このソルディークでは豪華な部類に入る食事だ。
王国全体で見れば、やはり質素だけどな。
流石に平民でこの朝食を超えるレベルが出るのはエルダードの領民くらいだろうけど。
あとは、それなりに大きな商家とかだろうか。
平民の食事事情にそこまで詳しくないからその辺は想像でしかないけどな。
流石に体が資本の軍人でもあるイリスが、俺の朝食代を捻出するために自分の朝食を抜くとは考えにくい。
だからやっぱり、先に食べたのだろう。
そして俺がスプーンを手に取ってスープを掬い、それを口に運んだ瞬間、イリスも自分の目の前の皿に置かれていたフルーツを口に入れた。
「それじゃ、私は先に行くから! 予定に同行する必要があるなら、あとで人を寄越して!」
ほぼ咀嚼もせずに飲み込むと、イリスはすぐに席を立ち、それだけ言い残して食堂から出て行った。
俺を起こした日は朝食を共にする。
決闘で定められた約定を、今ので果たしたと言わんばかりだ。
朝食を共にした日の午前中は一緒に行動する事にもなっている。
それも、今までは俺がイリスのいる場所まで呼びに行っていた。
人を寄越して彼女を呼び出すなんて、今まで一度もなかったはずだ。
なんか、避けられてる……?
「俺、なんかしたかな……」
朝食を摂りつつ呟くと、背後のアリーシャから笑いを堪えている気配が伝わってきた。
チョロインと鈍感系主人公