剣姫、レオナールの思惑を推測する
三人称視点です
イリスは悩んでいた。
レオナールの真意が読めなかったからだ。
望まない婚約に反発したイリス。
レオナールが決闘を提案したのは、そんな自分を納得させるための策だったはず。
だからこそ、レオナールは自分の得意とする頭脳戦を仕掛けて来たはずだった。
軍を指揮しての試し戦という、こちらの土俵と思わせて決闘そのものを拒否する選択肢を奪う方法は、今にして思えば見事だった。
あそこでコテンパンに負けたからこそ、それ以降の決闘にも前のめりになってしまったのだ。
しかしここにきて歌を勝負に選んで来た。
それが、イリスには理解できなかった。
イリス自体は歌に自信はない。
貴族としてのたしなみと、軍隊と音楽は強いつながりのある要素であるため、それなりには嗜むが、それは下手ではない、というだけの話であって、明確に誰かと勝負して勝てるかと言われると、即答は避ける事になるだろう。
「やっぱり上手なのかしら……」
他領地の山賊退治の遠征途中、大休止で腰を下ろしたイリスはそう呟いた。
色々と気になる事があってあまり遠征に集中できていない。
これはよくない傾向だ。
本物の戦ではないとは言っても、実戦である事は変わりない。
どこからともなく飛んで来た毒矢に射られる可能性もある以上、集中力を欠く事はできない。
だからこそ、この問題を早期に解決したかった。
しかし、なんとなく部下達に相談するのは憚られた。
部下達もレオナールに大分掌握されているから、ではない。
勿論それもあるが、既に結婚自体はイリスも受け入れる心積もりになっており、部下達もそれを理解している。
だから、敢えてイリスが不利になるような情報を与えないだろう。
だからこそ、部下達には相談できないように思われた。
「以前なら気軽に評判を聞いたりできたのに……」
その自身の心情の変化に、イリスはまだ気づいていない。
自らの恋心を自覚せぬままに、初恋を終わらせるほど、色恋沙汰に疎いのがイリスだ。
「そうですね。普通に考えれば、歌が得意という事なのでしょう」
陣幕内でイリスの世話をしながら、リーリアが答えた。
イリスの幸せのためにはレオナールと結ばれるべきだと考え、専属の侍女という立場でありながら、彼女はレオナールの味方をしていた。
一時は疑心暗鬼になっていたものの、今はイリスが結婚を受け入れた事を理解しているため、彼女の真の意味での味方になっていた。
「しかしそういう話は聞きませんね」
普通に考えれば二人の考えた通り、勝つ自信があるから歌を決闘内容に選んだのだろう。
特にリーリアは、レオナールがイリスの心変わりと、それに周囲が気付いたために、頭脳勝負での決闘に二の足を踏むようになった事を知っている。
だからこそ、イカサマの入り込む余地のない純粋な勝負を提案してきたのかもしれない。
イリス達が、レオナールが歌が上手いという話を聞いた事がないのと同じように、レオナールも、イリスが歌が上手いという話を聞いた事がないだろう。
こちらは不確定の情報だが、レオナールならその裏取りはしていてもおかしくはない。
「でも、それなら最初から歌で挑んでこなかったのはどうしてかしらね」
イカサマなら確実だから、と言っていいものかとリーリアは悩んだ。
イリスが歌が上手いという情報を得ていなくても、下手だという話も聞かないはずだ。
それなら、人前であまり歌を披露していないというだけで、本当は上手という可能性がある。
レオナールの歌の技巧がどれほどのものかはわからないが、仮にプロの歌手と遜色ない実力だったとしても、気付かれていないだけでイリスがそれを上回る可能性があるのだ。
スラム街で拾われた子供が、ちょっとした指導で宮廷で披露できるほどの実力を身に着けたという話は、虚実合わせて昔から多く存在していた。
「実は上手ではないということも」
「え? じゃあなんで決闘に選ぶのよ」
レオナールの思惑はともかく、リーリアは主人の思考を誘導する事にした。
イリスの心はレオナールに傾いているとはいえ、まだその天秤は不安定で危うい。
「お嬢様を口説いているのでは?」
「は? ……え!? な、なにを……!?」
「意中の相手に自分の得意なものをアピールし、最後に愛の歌を捧げるのは、求愛の行動として最もポピュラーなものです」
「!!!」
リーリアの言葉は事実だった。
しかし、それは平民の話であり、しかもとっくに廃れた習慣だった。
そういったロマンチックな行為を殊更重視している人間がかろうじてやっている程度のものである。
だからこそ、創作の世界では根強く残っている因習でもあった。
そして、イリスはそういった書物を幼少の頃は好んで読んでいた。
「しかも多少なりともお嬢様の嗜好に合わせる行動もしておりますからね」
次の決闘にレオナールが勝った場合、彼が望んだ時にイリスが訓練を施す事になっている。
それは果たして勝者の特権なのか? と思う事ではあるが、イリスの好みに寄せた要求であると考えると筋が通る。
「え? ちょっと、もう、え? ほんとうに……?」
頬を赤く染め、挙動不審な態度をとる主人を見て、自分の目論見が上手くいった事を理解するリーリア。
だが、同時にイリスの心が今回の遠征から遠く離れてしまってもいた。
それとなく、部隊の指揮官にイリスの動向を注意しておくように忠告しておこう。
口元がにやけそうになるのを必死に抑えているイリスを眺めながら、リーリアはそんな風に考えていた。