後編
「シンディ・F・レラジット嬢、お久しぶりです。」
来客だと言われて、玄関ホールに迎えに出ると、待っていたのはタグラスだった。
来ると思っていた人物では無かった為、拍子抜けはしたが、それでも田舎貴族を態々訪ねて来る様な身分の人物ではない。
シンディは、背筋を伸ばし淑女らしく優雅にお辞儀をした。
「お久しぶりです。ダグラス・カロン・フリジット様。」
「突然の訪問にも関わらず、お迎えいただきありがとうございました。」
「とんでも御座いませんわ。それよりも、申し訳ありませんが、父は今不在でして。」
「いえ、問題ありません。用があるのは、レラジット家 長女の貴女様ですから。」
「私でよろしいのですか? でしたら応接室へどうぞ。」
「いえ、ここでお話しした方が、都合が良いので、このままでお願いします。」
玄関ホールで立ち話とは、客人を迎えるにしては、いささか失礼ではあるが、本人が良いと言うのならそうさせてもらいたい。なんせ相手は王子の手の者だ、出来るだけ関わり合いになりたく無い。
「でしたら、お伺いましょう。」
笑顔を貼り付けているシンディに、ダグラスはゆっくりと話し始める。
「王都で広まっている殿下の噂をご存知ですか?」
「ええ・・・・。」
「王都で暮らす者達は、殿下の恋物語に酔いしれているようですよ。殿下とガラスの靴の娘との恋物語は本にされ、何処の令嬢がガラスの靴の持ち主かという話題で持ち切りの様です。ちなみに、本の中のエンディングでは、花嫁姿の娘が王子に抱きかかえられ、民衆に手を振るそうですよ。」
ダグラスの声に抑揚は無く、淡々と語られる言葉が、シンディを苛立たせる。
「世間話をしに来られたのですか?」
「いえ、殿下から街での噂をレラジット嬢にご報告してから、用件をすませろとのご命令でして。」
「では、ご用件をお聞きしても?」
「はい。ではこちらを。」
そう言って、ダグラスは小さなクッションに乗せた、ガラスの靴を差し出した。
滑らかな曲線と、つるりとした表面に、少し冷たく硬い感触。
そして、向こうが透けて見えるほどの透明度。
ガラスで作られた美しい靴。
女性であれば、見る者全てが溜息をこぼしそうな美しい靴。
しかし、それを見たシンディの顔は、もう隠す事の出来ないほど引きつり、思わず一歩後ろに下がっていた。
「こちらが、街で有名となっている、ガラスの靴でございます。この度、殿下の命により王城で開催された舞踏会に出席されていた、全ての貴族女性に履いていただいております。」
その言葉と同時に、シンディの後ろに控えて居た者達が、待ち構えていたかの様に椅子を用意し、シンディをその椅子に座る様促した。
そして、その者達は、何かを期待しているかの様に光輝やいていた。
シンディは、全力で逃げたかった。
しかし、そんな事が出来るような状況ではない。
前には王子より正式に命を受けたダグラス、後ろには期待に満ちた目をした使用人達、チラリと振り返れば、庭師から料理人までもが、こっそりとこちらを伺っている。
シンディは小さく溜息を吐き出すと、眉間に深い皺を寄せ、そっとガラスの靴に足をさしこんだ。足は、ガラスの靴に吸い込まれる様に入っていく。
足が隙間なくガラスの靴に嵌ると、シンディの正面で靴を履くのを見守っていた、ダグラスが深々と頭を下げた。
「おめでとうございます。シンディ・F・レラジット様、これで貴方様は・・・・。」
その言葉は “パキリンッ” という、甲高い破壊音で遮られた。
「あら、ごめんなさい。壊れてしまったわ。」
言葉とは裏腹に、シンディの顔には、満面の笑みが浮かび、その足には爪先部分をガラスが覆っているものの、土踏まずから踵にかけての部分は無く、足の下には砕けたガラスが残っている。
それを見てもダグラスは表情を変えない。
「レラジット様、お怪我はありませんか?」
声をかけながらも、後ろに控えていた者に、ガラスを片付けるように、無言で指示を出すと、割れたガラスは手早く片付けられた。まるで、こうなる事を予測していたかの様に、片付けを命じられた者の手には、箒と塵取りが握られている。
「大丈夫よ。でも、これでは確かめられませんわね。残念ですわ。」
全く残念そうでは無いが、ダグラスは気にする素振りも無く、後ろに控えていた者から、何かを受け取ると、シンディの足元に跪いた。
「ご安心して下さい、もう片方ございます。」
足元に差し出されたのは、先程とは反対のガラスの靴。
それを見た、シンディの顔が僅かに引きつる。
「そ・・そう。」
シンディは、先程とは反対の足を先程と同じ様に、ゆっくりとガラスの靴の中へと差し込み、今度は、踵を入れる瞬間、高く持ち上げ思いっきり踏み抜いた。
先程と同様の甲高い破壊音が響きわたり、先程と同様に爪先部分だけが残ったガラスの靴が、足に引っかかっている。
一度目は、まだ事故だと言えただろう、しかし二度目は、目の前で堂々と破壊したのだ、言い訳が効くとは思えない。
しかし、シンディは満面の笑みを浮かべ。
目の前のダグラスは怒るでも無く無表情だ。
「レラジット様、お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ、でも、これでは確かめられませんわね。残念ですわ。」
先程と全く同じやりとり、そして、静かに片付けられるガラスの靴。
これでガラスの靴は、左右とも破壊された。もう靴は無いはず。そうなるとダグラスは帰るだろうと思っていた。
しかし、ダグラスは、先程と同じく後ろに控えている者から受け取り、シンディの足元へ跪く。
そこには、新たなガラスの靴があった。
「・・・・」
「・・・・」
静まる、玄関ホール。
隠しきれないほどに顔を引きつらせているシンディと、無表情のダグラス。
先に言葉を発したのはシンディだった。
「あの、ダグラス様、失礼だと思いますが、ガラスの靴はいったい何足ございますの?」
「10足ほどご用意いたしましたが、今1足分壊れてしまいましたので、残りは9足ですね。あと18回は挑戦できますので、ご安心ください。」
「・・・・」
も一度、静まる玄関ホール。
睨むシンディ
無表情のダグラス
「もし、全ての靴が壊れてしまった場合は、どうされるおつもりですか?」
「そうなった場合は、城下町で流行っている本の通りになさるそうですよ。確か『ガラスの靴は愛を囁く』という名の本を参考になさるそうです。」
途端に背後からメイドの小さな囁き声が聞こえてきた。
「確か、抱き上げたまま街を歩くのよね。」
「そうそう、運命の相手を市民に見せたいとか言われて。」
メイド達の囁き声は上気しているが、シンディの心は冷めきっていた。
街の中を抱き上げられて歩かれる・・・・いったい何処に心動かされるのか分からない。
そんな事をされては、恥ずかしさで魂が全力で逃げ出しかねない。
「一つ、お聞きしてもよろしいかしら?」
「何でしょうか? 」
「他にガラスの靴が合う女性は居なかったのですか?」
「それが不思議な事に、靴に合う足の貴族令嬢は、一人もいらっしゃらなかったのです。皆様、大き過ぎたり小さ過ぎたりと、何故か全く合わず。」
言葉とは裏腹に、無表情を貫くダグラスに、シンディも笑顔を貼り付けたまま答える。
「それでは、きっと殿下の探している方は、貴族では無かったのでしょう。」
「しかし、舞踏会の出席者は貴族の令嬢のみ。しかも、舞踏会で初めてお会いになったのですから、あの日社交界デビューをした令嬢の誰かと考えられます。」
「ですが町の噂では、女性のドレスの色は青と聞いておりましたが?」
「噂は噂だろう。光の加減でライムグリーンが青に見えただけだ。」
玄関ホールに、低く響く声が広がり、皆が声のする方へ目を向けると、慌てて膝をついた。
そこに居たのは長身で、鋭い目をした男性。
この国の第一王子であった。
王子は、シンディの目の前までゆっくりと歩いて来ると、サッとシンディの手を取り立ち上がらせ、その手に顔を近づけると、そっと唇を押し当て顔を上げる。その間一度もシンディから目を反らさず、射抜くような視線でシンディを見据えていた。
「シンディ・F・レラジット嬢、私はずっと貴女を探していた。どうか、私と城へ来てくれないか?」
「誰かとお間違いでは無いですか?」
戸惑いながらも、熱く王子を見つめるシンディ。シンディの様子を伺いながらも、情熱的に見つめる王子、側からはそう見えた事だろう。
「私が君を間違える訳が無いだろう。君の事は既に見つけていたのだが、君を城に迎えるにあたり、色々と整理するのに手間取ってしまい、迎えに来るのが遅くなってしまった。さあ、私と一緒に王城へ向かい、私の両親に会ってくれ。」
「私の様な者が、その様な事は・・・」
「何も心配無い。私と君の物語は王都で広く知れ渡っている。特に市民の後押しは大きい。皆本物の王子が運命の女性を妻に迎える事を楽しみにしているのだ。」
シンディは、笑顔を浮かべているが、目が全く笑っていない。
対する王子は、真剣な表情ではあるが、シンディには、その目が面白がっているように見えた。
そして、その目を見てシンディは確信した。王都で広まっている、王子とガラスの靴の女性の物語。それを広めたのは、間違い無く王子自身であると。
「さあ、ガラスの靴を履いて、私と共に城へ向かおう。」
相手は、この国の王子であり、後の国王とされる人物。
この状況で断れるはずも無い。
シンディは、今度こそガラスの靴に足をそっと入れ・・・・
足を持ち上げ・・・・?
カンッ
甲高い衝撃音と共に、石床にガラスの靴が打ち付けられた。
しかし、シンディの足には、ひび一つ、傷一つ無いガラスの靴が、隙間なくはまっていた。
「どうして・・・。」
シンディは、またもや全力で割る気だった。だからこそ、足に全体重をかけ、割れやすそうな踵を狙ったのに、ガラスの靴は、傷一つなくシンディの足にはまっている。
「シンディ嬢。どうかしたのか?」
微かに笑いの含んだ王子の声に、シンディは勢い良く顔を上げ、王子の顔を見た。
その顔は、真剣なままだが、目が完全に楽しんでいる。
「やはり、靴は貴方の足に合った。さあ、私と一緒に城に向かおう。」
そう言って王子は、シンディの手を取り立ち上がらせると、ふわりと抱き上げた。
「なっ何を。」
悲鳴にも似たシンディの声に、小さく笑いながら、王子は屋敷の前に停められていた馬車へと歩き出しながら、耳元で小さく囁いた。
「ガラスは硬くて歩きづらいらしいからな。それに、この状況で逃げられたら良い笑い者だ。」
「私の知った事ではありませんわ。」
「ほう、このまま尻から地面に落ちたいと?」
「落とされたなら、この国の王子は女性一人も抱えられないほどの軟弱者だと、皆に笑われるでしょうね。」
「皆が私を笑うと? それは楽しそうだ、試してみるか?」
「良いですわ。それなら私が一番最初に笑ってみせましょう。」
満面の笑みを浮かべる二人の姿は、側から見れば、相思相愛の微笑ましいものに見えた事だろう。
結局シンディが落とされたのは、馬車の中のふかふかの椅子の上で、王子は不敵な笑みを浮かべながら、向かいの席へ腰をおろし、少ししてからダグラスが乗り込むと、馬車の扉は閉められた。
「何なんですか、この茶番は。」
ダグラスが乗っているにも関わらず、シンディ声を荒げた。
「何がだ?」
「全部ですわ、城下町に噂を流したのも、わざと貴族の令嬢達に合わないガラスの靴を履かせたのも、ガラスの靴を何足も用意した事も。全部ですわ。」
「何が不満だ、最高にロマンチックにしてやってるだろう?城下町では、王子と運命の女性との話で持ちきりだぞ。」
「だから何だと言うのです。私はきちんとお断りしたはずですわ。」
「何が不満なのだ。」
「何故私なのです。お会いしたのは今日も含め3回だけでしょう。」
「だから、条件が合うのがお前だったと言っただろう。」
「条件だけなら、探せば他にいくらでも居たでしょう。」
「私はお前に決めたのだ。」
「私に決めた?条件が合うから?馬鹿馬鹿しい。」
「何が問題だと言うのだ。」
「それが分からないのですか?」
「分からん。」
互いに睨み合い、言い合いをしている二人を、ダグラスはじっと見つめていた。
じっと・・・
じーっと・・・
そして、ダグラスは気づいてしまった。
「あの、お話中ですが、一言よろしいですか?」
「何?」
「なんだ?」
鋭い視線の二人にダグラスは一瞬たじろぐが、二人の顔を交互に見据え、一呼吸入れてからたずねた。
「殿下、何故 きちんと求婚なさらないのです?」
途端に、馬車の中が静まりかえり、外で響く馬車の車輪の音が大きく聞こえた。
「・・・何を言っている。きちんと求婚しただろう?」
「いいえ、この国で求婚と言えば、相手をどれほど愛しているかを語るものです。殿下の求婚は求婚よりも提案と言った方がいいでしょう。」
その言葉に、先程まで堂々としていた王子が、逃げる様にそっぽを向く。
「べ・・・別に問題無かろう?」
「問題だらけだと思いますが?」
ダグラスの率直な言葉に、王子は口の中でモゴモゴと小さな声で言っている。
シンディは、そんな二人のやり取りを、ジッと見つめていた。
「言えないのであれば、私が言って差し上げましょうか?」
「何を言う気だ!」
「はて、何でしょう? 何か言われては困る事でも?」
「いや・・・あの・・・言うきちんと言う。」
王子の顔は今や、リンゴの様に赤く、王子らしい風格はどこへやら、掌を強く握りしめ・・シンディを見ない。
「・・・・・」
見ない。
「・・・・」
たっぷりと時間をけて。王子は大きく息を吸い込んだ。
「シンディ・F・レラジット嬢・・へっ変だと思うだろうが・・・一目見た時から・・・君の事が・・・す・・・す・・・・す・・・勘弁してくれ。」
王子は乙女の様に、全身真っ赤に染め、両手で顔を覆い、蹲ってしまった。
それは、全身でシンディを好きだと言っている様なものだ。
一方、シンディは、恥ずかしがる王子を冷静な眼差しで見つめる。
「一つお聞きしても?」
全身を赤くし、顔を覆いながらも、王子はシンディの言葉に答えた。
「何だ?」
「何故、命令しなかったのです? 殿下が命令だと言えば、男爵家の私が拒否する事は出来なかったでしょう。」
「そ・・・それは・・・命令では無く、君を口説きたかったのだ・・。」
それを聞いたシンディは、暫く沈黙した後、腹の底から大きな溜息を吐き出した。
その瞬間、王子はハッと顔を上げた。
王子の顔には、何時もの自身に満ち溢れた王子然とした顔では無く、捨てられた仔犬の様に、悲しげに歪んでいる。しかし、その目に映ったのは、少し呆れを含み、困った様なシンディの笑顔だった。
「最初から、そう言って下されば良いのに。私も、殿下の事が好きですよ。」
「へ?」
王子から、間抜けな声が漏れた。
「私、最初から殿下の事が嫌いだとは、一度も言ってませんわ。」
「だ・・だが・・あの言葉は・・・。」
「それは、会って数分で『妻にならないか。』なんて言われては、からかわれたのだと思います。」
「しかし、次に会った時も・・。」
その言葉で、シンディの顔がスッと真顔に変わる。
「気に入ったとか、政治的なバランスの為とか、話されていた事ですか? そんな話を聞かされて、何故婚姻を受け入れてもらえると思ったのです?」
「腹を割って話した方が良いかと・・・それに、気に入っていると伝えただろう。」
顔を真っ赤にして、必死で訴える王子の姿に、シンディはハッとなった。
「気に入っている・・・もしかして、殿下が照れずに言える最大限の言葉だったのかしら?」
「て・・・照れるとか言うな。」
王子は、また両手で顔を覆うと、そのまま大きな身体を小さくして、また蹲ってしまった。
それを見たシンディは、クスクスと小さな笑いを漏らしながらも、目尻を下げ愛おしそうに、真っ赤に染まる王子を見つめる。
「初めてお会いした時から、お慕いしておりました。それに、普段は王子然とした方が、私に愛を囁こうとして、全身を真っ赤に染めておられるんですもの。」
「ほっ本当か?」
「はい。」
花が咲き誇るかの様に、美しい笑みを浮かべるシンディを、王子は逃すまいとでも言うように、強く抱き寄せた。
そんな二人の様子を、真横で見せられていたダグラスは、やれやれとばかりに小さく溜息を吐き出し、二人の邪魔をしないように、窓の外へと視線を移した。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。