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機律士ボールトの後悔

作者: ニコネコ

機律士ボールトの後悔



※機源哲学……

機巧の電脳メインメモリに介在する情報が、生物に酷似した脳のα反応を示すことから、機巧に有機物類の性体、反射反応が生成され、あたかも人間のような精神を持つとする研究理論から生まれた学問。

主にリアリズムとリベラリズムの大理論に分割され、前者は機巧が持つのはCPUメモリーの記録反復でしかないと主張し、後者は高次の電子回路は人間の脳構造を解読し終え、それを再現していると主張する。




その酒場では、暖色の明かりの下、大杯の酒を片手に談笑する客達の声で溢れていた。


巻き煙草の紫煙と、むせ返るような鼻を突く蒸留酒の匂いが辺りを満たす。

杯を片手で呷る客は男達ばかりで、テーブルの狭い隙間を縫うようにして給仕の女性たちが愛想良く動き回っている。


途切れることのない笑い声と、食器のかち合う音の中、端のカウンターで1人、杯を傾ける男がいた。

お世辞にも身なりの整ったとは言えない旅支度の格好だ。

つばの広い帽子を目深にかぶり、首にかかる髪はくすんだ赤を見せている。

肩に斜めにかけたベルトから背にぶら下がる古びたギターが、酒場の天井に吊り下がったオレンジの照明を鈍く反射させていた。


「―――どうした、ボールト! いつもの元気が無いじゃねえか」


男の纏う暗い雰囲気を破るように、肩を叩きながら声をかける者がいた。


大きな体を旅装に包み、茶色の縮れた髪を後ろで結った大男だ。

腕や胴回りは人の2倍もあろうかという巨大さだが、それはぜい肉ではなく、鍛え抜かれた筋肉で引き絞られているのが服の上からでもわかる。


座っていた男は、肩を押さえて振り返った。

大男は右手に持った酒のジョッキを口に運びながら笑顔で続けた。


「そんなところで一人寂しく座ってないでよ。いつもの歌を聞かせてくれよ」


がはは、と巨漢の男は豪快に笑う。体格も相まって、愛想の良い熊のような印象を覚える。


ボールトと呼ばれた男は苦笑した表情を見せた。


「今晩は勘弁してくれ、ワロイク。そんな気になれない」


ざんばらな赤い髪の隙間から覗く、これもまた深紅の瞳が懇願を伝える。


「ん。どうかしたのか」


沈んだ様子を窺い知ったワロイクが訊いた。

しかしそれには答えず、ボールトは黙って飴色の酒の入ったグラスを軽く掲げた。

そのまま背を向け、背負ったギターの吊りベルトの位置を無言で直した。




夜は更けていく。


外には星空が広がり、静寂の中、聞こえるのは暗闇のどこかから鳴く夜鳥の低い鳴き声だけだった。


四方を山に囲まれた小さな村で、人々は眠りにつき、立ち並ぶ家の明かりは既に消えている。

しかしひとつだけ橙色の明かりが窓から漏れ、中の人間の笑い声がかすかに外に聞こえてくる場所があった。


酒場「寝ずの葉」。


そこは、交易路の山越えの為に逗留する、様々な職業の男たちの休息と憩いの場だ。




「……みんな心配してるよ。あんたの元気が無いってんでね」


人声の絶えない中、カウンターの奥に立つ給仕の女性がボールトに話しかけた。


日に焼けた肌が健康的な女性だった。

大きな目と少々目立つそばかすが親しみやすい印象を受ける。腕まくりをし、慣れた手つきでテーブルを拭いている。


「……あっちのテーブルでエルロイが噂してたよ。ボールトが沈んでるのは、投棄された美人の機械人器を修理してやって、そのあまりの美しさに恋しちまったからだって」


「あの野郎、出まかせを……」


くすくすと笑いながら言う女性のその言葉に、ボールトは振り向いて遠くのテーブルを見やる。


幾人かに囲まれ、何やら得意げに話をしていた金髪の青年と目が合った。

まだ少年のあどけなさを残した若者だ。若者は、それとわかるとボールトに笑顔で手を振った。


「くそガキ、あとで仕置きしてやる」


やや気色ばんでそう言うボールトを、まあまあ、と女性がなだめる。


「いつもここに来る時はあんたが構ってやってるから、寂しいんでしょ。その気が無いんだったら放っておきなよ」


「信じるなよ、リュー」


リューと呼ばれた女性は、はいはい、と頷きながら空になった男の酒瓶を取り上げ、新たな瓶を置いた。


「でも本当にどうしちゃったのさ? いつもなら一仕事終えてここに来る時は新しい歌曲の一つでもぶら下げてくるじゃないの。仕事がうまくいかなかったの? 」


『ボールトはいじけているのさ! つい先日に関わった機械に、カウンターパンチをくらったもんだからね』


突然どこからか快活な声がした。

子どものように高い、しかし奇妙にざらついてしゃがれた男の声だ。

なにやら言葉の端々に、古いラジオのようなノイズも混じっている。


「てめえ、マンチェスタ。余計な事を言うんじゃねえ」


ボールトは不機嫌そうに首を後ろに向け、背負ったギターに言い放った。

リューが背中越しに話しかける。


「あらマンチェスタ、いたの?」


『ハイ、リュー。久しぶりだね。何だよボールト、本当のことだろ?』


ギターが微かに振動して反論する。

反省のかけらも見えない軽薄な口調に、ボールトは小さく舌打ちしてグラスに入った酒を一気に飲み干した。


「天下の凄腕、機律士ボールト様でも、手に負えない機械があった?」


リューが優しく訊く。ボールトは考え込むように少し黙り、そして、


「……リュー、機械ってのは、死ぬ時にどんな事を考えてるんだと思う?」


と、問いかけた。


「機械? ……そうねえ」


突然の疑問に驚かず、顎に軽く手を当てて考える。


「そういうのはあんたの方が詳しいんじゃないかい?」


「俺は君の意見を聞いてんだ。……例えばフォーティーン、彼女さ」


そう言ってボールトは、トレーを持って歩く一体の擬人機を顎で指した。

スレンダーな女性の身体を模した、しかしやや錆びの目立つ金属の部品や関節が剥き出しのその擬人機は、顔全体を覆う模様布を揺らしながら丁寧に客に酒と料理を配っていく。

頭についた2本の長い動物の耳のような感覚器が、時折店内を見渡すかのように動いていた。


「機源哲学(※)かい」


「機械に人間のような心が無いなんて古典的な考えはないだろ? そんな古臭い議論をしたいんじゃない。どんな機械だって、それこそ造機塔遺跡に違法投棄された自律巧機だって、パーツに堆積した残滓記憶から形成された自我を持ってる。……フォーティーンは、造機塔で拾ったんだったよな? 」


「ええ、そうね」


「あんたが彼女を拾った時、彼女はなんて言ったんだ? 命乞いか?」


「……ああ」


リューは考え込むように手を顎に当てる。


「そうねえ。私がフォーティーンを見つけた時、特に何も彼女は言わなかったよ。ただ、私が見つめていたら、じっと見つめ返して握手を求めてきてね」


こんな感じで、と彼女は腕を前に伸ばし、身振り手振りで伝える。ボールトはそれを見ていたが、やがて苦い顔で下を向いた。


カウンターから離れたテーブルに座っていた男たちが、リューに手招きをして呼んだ。


「リュー、もっと酒くれ。こっちのテーブルだ」


「はーい、ちょっと待ってね」


明るく返事をすると、リューはカウンターの奥へと引っ込む。


「……」


ボールトは黙って、杯を口に運んでいる。奥から出てきたリューが両手に酒瓶を抱え、テーブルへと足早に向かった。


「ありがとうな。悪いね」


受け取った男たちが赤ら顔で笑顔を見せる。


「いいけど、飲み過ぎて潰れたら助けてあげないよ。ここで寝なね、枕は酒瓶だ」


にやりと笑って言うリューに、男たちは豪快な笑い声をあげた。


酒盛りの喧騒に混じり遠くから聞こえるそれを、ボールトは無視しながら杯を空けるペースを少し早めていく。


しばらくしてリューがカウンターに戻り、洗ったグラスを拭き始めても、ボールトは無言のままだったが、やがてぽつりと呟くように言葉を漏らした。


「……そいつは俺のことを“殺し屋”と呼んだよ。“機械の殺し屋さん”と」


「……」


リューは少し悲しそうに眉をひそめた。拭いたグラスを黙って棚に上げる。


「――はっ。ふざけてやがる」


ボールトは自嘲のために顔を歪めた。グラスを握る手に力がこもる。


「誰が殺し屋だってんだ……俺は機律士だぞ。……医者だぞ?ふざけるんじゃねえよ」


そのままぐい、と残りを喉に流し込む。リューは少しの間それを見つめて言った。


「あんた、後悔してんのね。その機械を直せずに、殺したこと」


「……手遅れなのは、わかってた」


ボールトは苦い表情のまま酒を注ぎ足す。


「……そもそもが古代兵器なんてのは、中枢回路のイカれた発狂AIだと相場は決まってる。ましてや、機齢1000年……言葉が通じただけでも奇跡ってもんだ」


「でも――直るかもしれないって思ったんでしょ。だから今、そんなに悔やんでいるんでしょ」


「……わからん」


下を向いてボールトは呟く。


「……報酬に目がくらんだ訳じゃねえ……許したんだ。1000年も人を殺し続けた機械は、木端微塵にしちまうべきだって――死んで当然だって思った」


「……」


「人間が機械を憎むことを、それで機械が死ぬことを、俺は許した……」


ぼそぼそと呟くのを、リューは黙って受け止める。再び空となった酒瓶を、カウンターの下へと下げた。


「全部が全部、あんたのせいじゃないでしょ。そいつが罪を重ねたのも本当だし、憎むなって言っても、どうしても何かを憎まなきゃ生きていけない人間だっている。たまたまそれが重なっただけだよ」


「……」


ボールトは沈んだ表情のまま、答えない。リューは溜息を吐くと、手を伸ばしてその肩を撫でるように叩いた。


「……元気出して。あんたがくよくよすると、酒場全体の士気に関わってくるんだ。悔やみ終わりを見極めなよ」


「ざけてんじゃねえ……自分の仕事を悔やんだことなんざねえ、俺は……俺はな」


ボールトの口調が、次第に酩酊した者のそれとわかるようになってきていた。言葉の終わりがなかなかはっきりと紡がれない。


背中のギターが唐突に甲高い声で言った。


『ボールトはいつだって感謝されたいのさぁ。“ああお医者様ぁ、直してくれてどうもありがとう”ってな!今回はそれがなかったから、いじけてんのさ』


「黙れマンチェスタ!バラすぞ!」


殺気立って振り向くボールトに、微かに怯えたような振動を残してギターは沈黙する。慌ててリューがたしなめた。


「ちょっと、マンチェスタ!……よしなよボールト、今夜は飲み過ぎだよ」


ギターを肩から外して拳を振り上げかけたボールトを制する。


「もう宿に戻りなよ」


「馬鹿言うな……これくらい、平気だ……」


酒のグラスが音を立てて倒れ、中の液体がカウンターへ飛び散った。


ぐらり、とボールトの上半身が傾く。


「ああっ、もう」


カウンターの外へと出たリューは、椅子から転げ落ちそうになるボールトを急いで支えた。遠くのテーブルで騒いでいる若者へと大声で叫ぶ。


「エルロイ。エルロイったら! あんた、噂話はそれくらいにして家へ戻りな。ボールトを宿まで送ってっておくれよ」


「……冗談じゃ、ねえ……俺は……俺の仕事はなぁ……」


上半身を半ばリューに預けるようにして、泥酔したボールトは尚もぶつぶつと何事か呟いていた。




「うっ、ぐ……おえ」


込み上げ続ける吐き気に呻くボールトに、エルロイが声をかけた。


「大丈夫か? 珍しいよな、そんなに酔うなんて」


肩を担がれ、2人は暗い森の夜道を宿へ向かっていた。

辺りに電灯が無く、全くの闇の中だったが、道を知るエルロイの案内で進んでいく。


「なあボールト、今日はどうしたんだ?擬人器に恋したっていうのは本当なのか?」


「……っあんま……揺らすな…」


「え、何?聞こえないよ」


吐き気に襲われ続けるボールトは、答えられずただ口を押さえる。


「なあ、また機械を直した話、聞かせてくれよ。次の本に挿れたいんだ。今度いつこの村に来る?」


エルロンはそんな様子には構わず、きらきらと目を輝かせて話し続けた。


「南都の編集士との交渉が進んできてるんだよ。きっと今年も、一冊作ることが出来る。一つインパクトのある話が冒頭に欲しいんだよ。何かネタ持ってるだろ?」


「……」


まくしたてる若者に、足取りのおぼつかないボールトは無視しながら歩き続ける。

しかし、ふと見上げた先の光景に目を見開いて、思わず足を止めた。


「……どうしたの?」


訝しがるエルロイに取り合わず、彼は口を半開きにしたまま夜空を見上げている。


見上げた先、澄んだ濃紺の夜空には、びっしりと星々が広がり輝いていた。

数え切れない程の光が静かに、ただ圧倒的な美しさだけを湛え、宝石のように瞬いている。

漆黒の森と、2人の男と、その場にいる他のなにものをも凌駕し、あるのはひたすらな輝きだけだ。


「……きれいだ」


ボールトは真上に輝く、こぼれ落ちてきそうな星々をしばらくの間見つめた。

人間が縛られる煩わしさやしがらみを一切取り払い、悲しみも苦しみも喜びもどうでもいいものだと感じさせる、それは一方的で無秩序で、それでいて芳醇な眺めだった。


「……畜生……」


「え?何?」


そう呟くボールトの横顔は、何故か今にも泣き出しそうな表情をしていた。

悔しがる子どものような表情だった。


「ボールト……?」


「……何でも、ねえよ」


男はすぐに視線を落とし、また歩き出した。


「エルロイ。……明日の正午、宿に来い……リューとフォーティーンも連れて……な」


「いいけど、なんで?」


「……墓参り、だよ……」


「墓参り? 誰のさ」


「……知らねえ……」


「ええ? 何だよ、それ――」


話し続けながら、肩を支えあった男達は、ふらふらと宿屋への道を歩いていった。


満天の星空と穏やかな森の闇が、2人を静かに包みこんでいく――。





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― 新着の感想 ―
[一言] 短編ながら寂しさが伝わってくる、良い作品でした。
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