正体不明のナニカ
そこは10数年前までは中学校だった。
校舎には沢山の生徒と、先生。
ただ、山を切り開き建てられたから、長い急な坂道を上がらなければ校舎には辿り着けず、生徒からは「地獄坂」と呼ばれていたが、春には坂道に植えられた桜が咲き、道はピンクに染まり、春時期には桜坂とも呼ばれていた。
まだ、桜の時期には早い坂道の下、校門前に女性が一人立って、その場所から何かを見ている。
腰まで届く長い髪がたまに吹く風に揺れる。
彼女が見ているのは小さな蜘蛛。ハエ取り蜘蛛とも呼ばれる蜘蛛だ。
その蜘蛛は糸を出しゆらゆら、風に弄ばれているようにも見え、彼女はその蜘蛛を見つめている。
蜘蛛がふわりと風に乗り、彼女の目の前でピタリと止まった。
彼女と蜘蛛の距離は10数センチ。
蜘蛛は風に乗ると言うより見えない何かに張り付いているようにも見える。
蜘蛛が動き出す、小さな8本の足を使い空を這う。
彼女はそれを見て、ニコッと笑った。
蜘蛛は彼女側へは行けない。見えない壁がある為に進めないのだ。
シールド。
彼女と彼女の仲間はその見えない壁をそう呼んだ。シールドは学校区域を守るように張られている。そのシールドを作ったのは彼女だ。
彼女には生まれつき、不思議な力があった。
その力の一つがシールドを張れる事。
「懲りないね」
彼女の真後ろで声がした。
「漣…うん、懲りないね」
彼女は振り向き、話掛けてきた男性の名前を呼んだ。
漣も彼女の仲間。
背も高く、整った綺麗な顔をしている。
ほのかに色気もただようイケメンだ。
懲りないと言う言葉は蜘蛛に対しての言葉。
前にもあった…、鳥だったり、猫だったり、人だったり。
シールドを越えようと何度も姿を変えては様子を見に来るのだ。
でも、シールドは越えれない。
シールドはあるモノに憑依された生き物は通れないようになっているからだ。
漣や彼女と他の仲間達はシールドを通れないモノとずっと戦ってきたのだ。
一般の人間にない力を持つ為にこの校舎に連れて来られた。
「貘か…」
漣が蜘蛛を見つめ呟く。
貘シールドを越えれない憑依している本体の名前だ。
蜘蛛はシールドの向こうを這っている。
「すみません」
フイに声がした。
声を掛けて来たのは自転車に乗った郵便配達員。配達員は自転車から降りると手紙を持ち、校門の前まで来た。
「えっと、渡辺さんって方こちらに?」
手紙の宛てなは渡辺所長と書いてあった。
漣が頷くと配達員は一歩前に出ようとしたが、
「待って。」
と漣は配達員の影を踏んだ。
配達員は彼の行動にキョトンとしながら、手紙を彼女に渡した。
「お疲れ様です」
ニッコリ微笑み、手紙を受け取ると配達員は軽く頭を下げ、自転車に乗り走り去った。
漣の足元に影を残し。
「本当、懲りないよね」
漣は影へ視線を落とし、目を閉じた。その瞬間、影が水みたいに道路へ溶け込んで消えた。
それは漣の能力のひとつ。
「あ、見つけた!漣にユリコ、所長が呼んでるよ」
坂の上から男性が叫んでいる。
ユリコと呼ばれた彼女は蜘蛛をチラリと見る。
漣が蜘蛛を掌に包み込み、黒い水滴に変える。そして、掌を広げると黒い水滴はさっきの影みたいに道路へ溶け込んで行った。
「斗真、呼びすてしないくれる?私の方が年上なんよ!」
ユリコは呼びに来た男性の肩を軽く叩く。
「ちびすけのくせに」
斗真も嫌味を返す。
「どこがチビなのよ、バカ斗真!」
彼女が怒ると斗真は子供みたいに舌を出し、走っていく、それをユリコが後を追い、漣はまた始まったとため息をつき、彼女らの後を着いていく。
校舎を入り、廊下を歩き、『職員室』と書かれた看板の下の引き戸を開け、3人で中へ入る。
元職員室は机も棚も学校だった頃の名残を残している。
真ん中に大きめのテレビがあり、ブラウン管を見ていた中年の男性が3人の方へ視線を向けた。
「渡辺所長、手紙ですよ」
ユリコはその中年男性へさっき受け取った手紙を渡す。
「ありがとう」
と笑顔を見せた中年男性が斗真や漣、ユリコ達の指揮を取る渡辺所長。
「テレビ見てみろよ」
そう言ってブラウン管を指差したのは、たかお。彼も仲間だ。
渡辺所長は無精ヒゲも似合う渋い男性で、たかおも渋いと言えば…そうかも知れないがかわいらしさの方が目立ち、ヒゲは似合いそうもない。
「ちょっとグロいけどね」
と言った斗真は漣と同じ歳だが童顔で未だに高校生に間違えられていた。
「貘ですか?」
漣が聞く。