帰ってきたよ、アホだよ
レバンシュット領ダルエダを出発し、塩の街道を通って数日、俺たちの眼前には経年劣化と修繕放棄によって崩れたままの、懐かしきオンボロ壁に囲まれたウルラント──と、検問待ちの長蛇の列。
「帰ってきたな」
「ん」
行きはバネタヌキの横断に足止めされたり、賊を皆殺しにしたり色々とあったが、帰りは特に問題なくすんなりだった。
予定通り十字街で1日買い物に費やしたが、いい買い物ができた。ジーク・グレンがどこからか買い付けてきたカカの実も大量に仕入れることが出来たし、茶葉や珍しい香辛料も手に入った。果物も大量に仕入れることが出来て万々歳よ。
それらの代金の殆どは魚と引き換えだ。十字街までくれば塩漬けにも干物にもなっていない新鮮な魚介類は希少だ。その上海竜騒動も相まり希少度は跳ね上がっている為、取引材料には申し分なかった。一生涯かけても食べきれない程保有しているためWIN-WINの取引である。
うどんの作り方を伝授した宿に向かうと、半分うどん屋になっていた。さらに宿の看板がうどん亭になってた。何を言っているのかさっぱりわからねーと思うが……いや、そんなことはないな。
要約すると、うどんが食堂の看板メニュー化し、うどん目当てで泊まるお客さんまで出るようになった為だそうだ。口コミでどんどんお客さんが増えており、数日の間とはいえ黒字経営が続いている、と。
そして翌日夕刻に宿場町リュウゲンに到着。明けて今に至る。
それにしても……。
「なあ、なんか妙に酒樽が多くないか?」
眼前に並ぶ荷馬車の積荷は、日よけの色濃い布で覆われているものの、隙間から覗くそれは樽 樽 樽 樽と、樽ばかりだ。風に乗って仄かにワインの香りが漂ってくる。
この傾向は十字街を出てから既にあった。最初は周辺集落や宿場町向けの輸出物だと思っていたが、ウルラントへ運び込まれるこの大量の樽を見る限り、どうも違ったらしい。
「何かあるのかも」
何か、とユーディは言うが皆目見当つかない。なのでそれに関して考えるのをやめた。
そんなことよりも早々に決めなければならないことがある。北の連峰に住まうという、俺が思い描き、生み出したと思われる竜帝フィエルザの事だ。
「ん、ナナにぃが……産んだ、でいいのかな?」
「男が生んだとか言うと、どこからか腐臭が漂ってきそうなんだが」
経緯的に見れば俺とジローの子って言えなくもないし。
俺が子供の頃に描いた氷の竜フィエルサがこの世界の、ノースブリス連峰に居を構えていると言う話を旅行中に聞いた。名が同じだけのただの偶然か、それとも本当に俺が描いたフィエルザなのか……。生み出した疑いがある以上、この目で確かめなければならない。かろうじて全体像は覚えている。いや、思い出したという方が正しい。
だが、事はそう簡単な問題ではない。どっしりとセキトリを思わせるような安定感と存在感で、北と南を物理的に分断するノースブリス連峰の標高は富士山を超えている。山頂は現在すっぽりホワイトアフロ雲で覆われて見えない。
レバンシュット領が夏季が長いのと同様に、ドワーフらが住まうコルヌクヌス領の大半を占めるノースブリス連峰は冬季が長い。1年のおよそ半分が冬らしく、春?なにそれ新しい金属?だとかなんとか。
頂は春先から夏の初めまでのわずか2ヶ月の間のみ肉眼で見ることが出来、それ以外は常に分厚い雲に覆われている。かつてバランドーラ死地から見たノースブリスの姿がその状態に当たるのだろう。
その分厚い雲へと至るまでの道なき道には大型の魔物が跋扈し、備えと前知識なしにホイホイ登れば間違いなくアッーという間に喰われる。
しかし、いつの時代にも命知らずな好奇心の塊・冒険家というものは存在するようで、そんなデンジャラスな山に、あえて雲が覆う時期に頂へと命を賭して挑んだ者がいた。
当時、四星に負けず劣らずの猛者と称された彼は、魔物の跋扈する中腹までを攻略、頂を覆う雲の中へと一歩踏み出し、目に映ったその光景から逃げ帰って冒険家を引退。その後は自分の冒険話を孫に聞かせながらポテトを作って余生を終えたという。曰く──
「雲の中は死に満ちた荒れ狂う嵐氷の世界だった」
──と。
……なんでこんな詳細な情報を俺が知っているのかって?その冒険家の記録を分析して挑んだ、シルヴィさんの息子であるキシュサールの手記に事細かく記されていたのだ。
彼は師であり魔王の頭脳と呼ばれたケルヴァと共に、雲がかからない時期を選んで、都合3度に渡って登頂に挑戦していた。
結論から言えば、尽く失敗に終わっている。
手記には「師匠ともども、引き返すその判断が間違っていたと、一度たりとも思ったことはない。我々は最後まで頂へと、氷の世界へ至ることは叶わなかった」と残されている。それだけ過酷な環境だったのだろう。……何を求めてアタックしたのかまでは、知ることはできなかったが。
時間だけはたっぷりあった。十字街でノースブリスの頂を除いた全体を、魔物の巣に至るまで詳細に描き記した地図を購入することができた。値は当然張ったが、新鮮な魚介類の力は偉大だったとだけ言っておく。それからは性交して眠りに落ちるまでの間、馬車に揺られて暖かな日差しを受けながら、食事の準備をしながら、あらゆるルートであらゆる可能性とリスクを想定。
結果、大なり小なり、命を賭けなければならないということだけははっきりした。それだけしかはっきりとしたことが言えなかった。
余談だが、食事中、前戯・性交中、ユーディの髪を梳く最中はその件の一切を考えないようにしていた。ユーディに対し失礼だからな。
「ナナにぃ、[ヒートコート]あるからだいじょうぶ、じゃないの?」
まあ、冷気だけならそれでなんとかなるだろう。冷気相手に本領発揮する魔法だし。
だが雪山の敵は冷気だけではない。
「足場の不自由と視野不良までは覆せない。……ユーディは、雪の上を歩いたことはあるか?」
「ん、ない」
「雪が積もるとな、前に進むだけでも一苦労なんだ。足がとにかく重くなる。まるで動きの自由が利かなくなるんだ」
「んぅ?足枷つけたみたいに?」
「お気に入りのアレは革製で、鎖もなにも付けないからまるで重くだろう?」
「付けてもいいけど?」
「なら今晩からな。……感覚的には、海の浅瀬を歩くと水の抵抗で歩くのがちょい疲れただろう?あれをきつめにした感じだ」
見てくれだけなら真っ白でキレイダナーで済むんだが、日常生活のために真っ向から立ち向かうと本当に骨が折れる。実際通勤途中で転んで骨折し、3週ほど戦闘不能になった。その間の家の前の雪かきは、本当にしんどかったし、社会保険の手当てが給料の80%しか支給されないから金銭的にもきつかった。
「じゃあ、直接飛んでいく?」
「中腹までならそれでショートカットできるが、この時期に頂まで登るなら、さっき言ったとおりだ。雲の中に飛んでつっこんだ瞬間、揃い揃って煽られて叩きつけられて、仲良く即死だ。だから真正面から進むしかない。魔物をぶち殺しながら……最悪、雪の中を掘り進みながらか。余力を見誤れば、氷漬けは避けられない」
「私が雲を散らしたらどうかな?」
「日差しで雪が想定外に溶けて、最悪の大雪崩で麓が壊滅する」
麓にはドワーフの大小様々な規模の集落が点在していると地図には記されている。つまり雪崩が起きれば間違いなくいずれかの無関係の集落が巻き添えになるのだ。
「無差別殺人鬼はゴメンだしなぁ」
あれもダメこれもダメと、自分で言っていて巫山戯た場所だと実感する。おまけに対案が出てこない。どこぞの無能集団のようで嫌になってくる。
もひとつ加えれば、殲滅主体の俺がそんな場所で巨大な魔物と荒っぽく戦うことになれば、その衝撃でも雪崩が起きかねない。
その辺加味すると、現地では慎重な戦闘が要求されるわけだ。足場と視界が悪い中、奴らのホームグラウンドで暗殺者のように一撃必殺で葬り続けなければならない。あの海底洞窟──いや、海底神殿でキルスフィアシリーズ相手に後ろから撃つのとはわけが違う。
いつだったか俺の足を撒き餌にしておびき寄せたブラックベア相手に、正面から眉間をぶち抜く以上の難易度が連続で要求される。その持久戦の果てに余力がなくなれば──いや、正しくは帰還するに足りる余力がなくなれば確実に凍死するだろう。
これまでの経験から考えて、[自己再生]の対象は破壊された細胞、および損失した部位が対象だ。……付け加えると、再生加減は任意調整できる。これはユーディと初めて致した翌日に、彼女が破瓜の痛みを[自己再生]で回復させ、かつ、その晩に破った膜が再生していなかったことから発覚した。凍傷は細胞が破壊されているため再生可能だろうが、体温低下は傷ではないのだから、どうにもならない。
長々と考察したが、一行で要約すると、
相手は難易度HELLアルプス山脈。
一言で言えば、
大自然最強チート。
マジ怖いです。自然ほど恐ろしいものはないと、前世で嫌というほど味わっているからな。
そもそも登頂に挑めるタイミングは、店舗の営業開始前である今か、客足が落ち着いて、かつ、雇用した従業員の腕が俺のお墨付きになってからだ。まず1日2日で済む事ではないし、情報収集含めて複数回のアタックが必要になるだろう。
前者の場合、絶賛冬季真っ最中であるためリスクは非常に高い。後者の場合、そもそも何もかも目処が立っていない。
っていうか、黒字経営できるかどうかがまだ、な。屋台を出してから随分と間を空けてしまったし……。
話を振り出しに戻す。これらのリスクを犯してまで今登る価値が有るかだ。
「……ないな、うん」
あくまで、今に限って、だ。確かめるために会いに行く事そのものが無価値だとは言っていない。
「その竜にとって、ナナにぃはお父さん、でしょ?」
「それを確かめるために登るんだ。俺が忘れたせいで、この世界に落っこちちまったんだ。……もしも、この世界に来る前のことを覚えているなら、恨まれていないと言い切れないんだよなぁ」
いち生命として存在している以上、生み出した俺は会わなければいけないと思っている。知っていながら放っておくのはあまりに無責任だ。
だが、ここまで連峰の情報が揃っているにも拘らず、気持ちだけで無理攻めし命を落とそうものならば、頭蓋の中に脳ミソの代わりにプッティンプリンが詰まっている稀代のマヌケ英雄として、未来永劫世界が消滅するまで語り継がれること請け合いだ。
そしてフィエルザはこう思うだろう。リラもこう思うだろう。
「こんな馬鹿が親だなんて、恥ずかしすぎる」────と。
それに……今の俺の命は、俺だけの物ってわけじゃあない。前世でもついに得られなかった信頼できる友がいる。出来た耳年増の娘が居る。そして、死ぬときは一緒とまで言ってくれる嫁が居る。だから家族を脅かす驚異は取り除きたく思うわけで、同時に何があっても死ぬわけにはいかない。
「ナナにぃ、私はね、産んでくれた私が知らないお母さんとお父さんにも、育ててくれたお父さんとお母さんにも、感謝してる。いなかったら、私はナナにぃに会えなかったから。今の幸せを知らないで、死んでいたかもしれないから。その子がどう思っているのか分からない、けど、私みたいに感謝しているかもしれないよ?」
「感謝、ね。……そうだな、奴らが俺を産まなければ、存在させなければ、俺はユーディとは出会うことはなかっただろう。その一点に限っては、感謝する他ないな」
その一点に限って、な。他は糞だ。肥溜めにでも捨てちまえばいい。
「ナナ……にぃ?」
「……何でもない」
俺があの時、コルフグラブをフルスイングしたことに一切の後悔はない。むしろあの一件で、肉親ですら信頼が置けない真実を知ることができた。あれがその後の人間関係の土台だ。
む……いかん、眉間にシワが。
あーだめだな、客商売はじめようってのに、こんなガチガチのシワシワじゃあダメだ。客商売に重要なのはスマイルだ。スマイル0円?いいえ、スマイル押し売りです。どっかのスナイパーみたいなツラしていちゃあいけない。
「あ、そういえば……」
「どした?」
「お店の名前、決めたの?」
これから開くお店の?甘味所の?…………あ。
「うっわやっべ!!今の今まで完全に忘れてた!!」
「え……ええええええ!?」
なんてこった。俺としたことが、余りにもトンデモ案件が多すぎて素で忘れていた!!
まざかの返答にユーディもポカンとした顔で俺を見ている。そんな目で見ないでくれっ!!
「アホだ俺何やってんだよ……。いくらバタバタしてるからって……。「お前、実は5歳まで馬に育てられたんだろ?」とか言われても反論できないくらいアホだ……」
凹むわーマジ凹むわー……。店開くつもりで店の名前が未だ決まっていないって……。そうだよアホだよ笑えよ!!!エビバディセイッ!!!
「元気出して。まだ時間あるから、待ってる間に考えよ?」
「……せやな」
お読み頂きありがとうございました。……マジで店の名前どうしよう。




