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クリーム

 裏口を経由して厨房に入ったクリナとサダルは、そのあまりの惨状に目をつぶりたくなった。


「やだ、なにこれ……」


 白色のクリームが入った金属ボウルが大量に、所狭しと置かれているのだ。その数は30を下らない。その一つ一つから無駄に甘ったるい匂いが漂っているのだ。


「ひぇあ!?」


 そんな厨房に、まるで死体と見紛うかという有様で床に気絶して──否、眠っているのは、真紅の鱗を持つサラマンダーのグレンと、密かにファンクラブができつつあるホブゴブリンのジークだ。……その寝顔は、とても人に見せられない凄惨たるものだった。


「し、ししょー、何がどうなってるの?」

「あはは~、実はね~……」


 ぽつぽつと、2日前から取り組んでいるウェディングケーキの作成を語りだした。

 ベースたるスポンジ生地はグレンの手によって、ふんわりふっくらとした、それ単体でも売り出せそうなレベルのものがなんとか仕上がった。


 だが、快進撃はそこまで。

 クリーム作成段階で暗礁に乗り上げ、丸1日全く進展しなかった。出来るまでやるの精神で取り組んでいた3人は、夜を徹しての試行錯誤を繰り返し……。


「ご覧の有様~」

「…………」


 おそらくは、今並ぶボウルの数以上の試作が行われたのだろう。調理道具は無限に存在するわけではないのだから。


「さっちん、あれ全部毒とか入ってないよね?」

「うん、全部バタークリーム(・・・・・・・)だよ。半分位はバニルエキス……バニルの実を絞った汁を入れすぎてるみたいだけど」

「バニルエキスでね~、クリームの生臭さを中和してるの~」

「「中和?」」

「クリームって、材料が動物由来だから、香り付けが必要なんだって~。パパが言ってた~。でも全部硬いの~。甘いけど固くて~、なんか油っぽい~?」


 油っぽいとか硬いとか言われても、目指すものを知らないクリナには返答のしようがなかった。……だが頭上のクマは例外だった。


「いや、バタークリームだから当たり前。それにあれ色的に……ちょっと黄色が付いてるけどイタリアンメレンゲだよね?アングレーズならともかく、バニラビーンズ──じゃなかった、バニルエキスは不要だよ?」


 頭にハテナマークを浮かべるリラにサダルは言い放った。クマの顔が僅かに歪み、呆れ混じりの表情を見せる。


「え?生クリームだよ~?」

「いやそれ全部バタークリームだから」

「え?」

「ん?」


 何かが食い違っている、一同がそう認識し、そして結論へと至ったのはほぼ同時だった。


「「「レシピ混ざってる?」」」




 さて、バタークリームとは、バターを主原料としたクリームを指し、乳白色・黄色み・ベージュ色の3つのタイプが存在する。


 昭和期のケーキに用いられるクリームはバタークリームが主だった。3タイプのうち2タイプが保系性に優れたためだが、はっきり言って不味かった。いや、ただ不味いだけではなく、フォークがクリームに刺さらない(・・・・・)。生クリームにも言えることであるが、安かろう不味かろう、である。


 少年少女期を昭和の時代に過ごした大人たちには、バタークリームに対して苦手意識──否、総じてまずいという偏見を抱く者は多い。が……これも生クリームにも言えることだが、美味いバタークリームは本当に美味い。バタークリームが出来損ないなのではなく、安かろう悪かろうの精神で調理する精神こそが出来損ないなのだ。




 リラはバタークリームの材料を用いて生クリームができると思っていた。と、いうよりはクリームに種類があることを知らなかった。頭の中にクリームのレシピは複数入っているが、どのレシピ、どの材料の組み合わせてやっても同じ物が作れると、素で思っていたのだ。

 さらに厄介なことに、リラが読み取ったページには、ナナクサが手書きで書き足したカスタードクリームのレシピが記載されていた。


 結果、バタークリームの──イタリアンメレンゲと呼ばれるタイプのレシピに、部分的にカスタードクリームの材料が加わった形で知識として吸収しまったのである。


「生じゃなきゃダメなのかい?美味しいバタークリームは生に匹敵するよ?」

「おねーちゃんのドレスの白に合わせて、純白で仕上げたいの~」


 サダルは何故知識があるのか考えるのをやめた。今考えるべきは、乳白色のイタリアンメレンゲが黄色寄りになる原因である。


 そも、イタリアンメレンゲが乳白色なのは卵の、卵白のみを使用するからだ。つまり原因があるとすれば……。……と、流しに残るコケトリスの卵殻が目に付いた。


(そういうことか)


 そこに若干残る卵白は僅かに黄色味を帯びていた。クリームの黄色みを帯びた色は原料由来の色だったのだ。


「あ、そうだった。ししょー、ドレスは……あーうん、やっぱりいいです」


 あまりのインパクトに、当初の目的を忘れていたクリナだった。ようやく思い出すも、日を改めたほうがいいと判断し、引いた。


「よ……よもや……レシピの間違いであったとは……なんたる……」

「けド……やっと先がみえタ」


 のろのろと、床から這い上がるジークとグレン。目元にはクマ(・・)ができており、今日までの苦労が垣間見える。


「ジーク、グレン、おはよ~」

「ああ、おはよう……。お客人、このような状況で、申しわけない」

「おはようダ。……リラ、なんで窓開けなかったんダ?」

「慣れたから~」

「「慣れる前に開けろヨ」」


 息のあったジーク・グレンの突っ込みには、ほんの少し怒気が混ざっていた。


「少し、表の空気を吸ってくる。頭の芯までクリーム漬けになった気分だ……」

「オレも行ク」


 そう言ってグレンは裏口から出ていき、ジークは流しに備え付けられた蛇口をひねってコップ2つ水をたっぷり注いで後を追った。


「ん~」


 クリナは頭の上にしがみつくサダルを表と両手で掴み、目の前に持ってくる。


「何もわからないの?」

「何が?」

「クリームの違い、なんで知ってるのって」

「……なんでだろう?」


 そもそも、クリームの種類とかそういう知識自体が一般的ではない。というよりは、この世界でクリームという存在そのものが、全く認知されていないのだ。

 にも関わらず、まるで自分が食べたことがあるように、作ったことがあるように言ってのけたサダル。クリナが本当に前世以前を覚えていないのか、疑うのも無理からぬ話だ。


「ごめん、ほんとに分からないんだ。……少し、一人にしてくれないかな?」


 そう言って返事を待たずにクリナの手から逃れ、腕を伝って肩から滑り落ちるようにポーチへと滑り落ち、隙間から中へと潜り込んだ。


「……ごめんね」


 クリナはそう言って、そっと潜り込んだポシェットを撫でた。それに答えるように、もぞもぞとポーチが動く。




 その後、窓を開けて空気を入れ替え、リラ・ジーク・グレンにクリナ・サダルを加えて、生クリームの試作が始まった。


 レシピにある食材全てが、この世界に必ずしも同一で存在するわけではない。リラが食べたナナクサ手製のケーキも、当然ながら錯誤の果てに生まれたものなのだ。


 不足する原料を買い足したり、クリーム作成のために簡易遠心分離機を作ったり……。


 そして日没を前に、ぼそぼそだがクリームが完成した。とても売り物にできるようなレベルのクリームではないのは明白だったが、それは確かな前進だった。一同歓声を上げ、解決のカギを握っていたサダルは胴上げをされ、天井に勢いよくぶつかり、瞬間的に潰れた。




 その後、クリナはリラにウェディングドレスを見せてもらい、デザインの意見を出し合った後、帰路に着いた。


「はぁぁ……真っ白で綺麗だったなぁ……。……はぁぁぁ……」

「もうそれ4回目だよ」


 僅か10分足らずで、同じことを4度繰り返すクリナに、呆れるサダル。


「だってだって~、あんなにきれいだなんて思ってなかったんだよー。なんていうか、もっと、もっさりしているかなって」

「もっさりねぇ……」

「まあ、私には似合わないかなー。お相手もいないしね」

「…………」


 長寿であるエルムのクリナ。若々しいままの姿が何百年と約束された種族だが、それは同時に、伴侶の旅立ち(・・・)を見送る宿命の下にある事も示す。


 エルムの寿命は、短くとも700年、長寿ならば1000年を超えたと伝承にある。

 そんな長寿のエルムがクリナ以外に存在しない今、シルベイクァンのように400年以上も生きる者は、それこそ竜種か[オリジン]持ちくらいしか存在しない。

 結婚すれば、いずれ愛したものの最後を、身を痛め産み落とした子の最後を、その子が生んだ孫を、ひ孫を看取らなければならないだろう。


 幼い頃に母を亡くしたクリナは、その当時を全く覚えていない。が、母に先立たれ、日々奮闘する父親をクリナはずっと見てきた。

 夜遅く酒を飲み、一人涙する様をこっそりと何度も見てきた。普段絶対に見せることがない父親の涙。暖かく大きな背中が、その時ばかりはとても小さく見えてしまった。


 結果的に、長年のそうした環境がクリナを恋愛に対して臆病にさせてしまったのだ。クリナには気丈に振る舞い自分を育てた父親(ゴルドー)のように、残されても強く生きる自身が全くなかった。


「似合うと思うよ?」

「え?」

「僕は似合うと思う」


 冗談交じりではない、真面目な口調でサダルは言った。彼の紛うことなき本心からの言葉だった。あまりに予想外の言葉だったのか、クリナは歩む足を止めてしまっていた。


「え、ああう、その……あ、ありがと……。あーうー……あ、さっちん!結局あの時何が見えたの!?」


 自身の容姿を褒められることに全く慣れていないクリナは、ふと思い出したことを聞き、話題をそらすことにした。これ以上のあの空気は耐えられなかったのだ。


「…………あの子、僕らと根本的に違うよ?」

「え?」

「簡単に言うとねあの子は────」









 この世界の全ての神を喰らった、最強最悪の存在だよ──。









(なんて言えるわけないじゃないか……あんなに楽しそうだったクリナに……言えるわけない)


 言いかけた言葉を飲み込み、一息ついてゆるりと語り始めた。


「まあ、そうだね、赤ん坊の頃すごくやんちゃだったっていう認識でいいんじゃないかな?」

「そんなものなの?」

「そんなものだよ」


 結局、サダルは真実を語らなかった。いや、語れなかった。


(これ以上下手に詳しく喋って、クリナが距離を置くようになるとか、変に刺激しちゃうとどうなるかわからないしね。クリナも前世の神力を未だに持っているし。……僕自身も、ちょこっと持っているし、触らぬ神に祟りなしさ)


 クリナと自身の保身を考えると、何も知らないまま、自然体の関係のままのほうがいいだろうと判断したのだ。


(一番危険なのは、あの子が言うパパとお姉ちゃん、なんだよねぇ……。出来るだけ……こんな体だから、本当に焼け石に水みたいな感じだけど、目を光らせておかなくちゃ。クリナを守るために)


 モヤモヤとしたものを抱えながら再び歩き出す。クリナは今日の夕飯を考えながら、サダルはこの先何も起きない事を願いながら……。


お読み頂きありがとうございました。GWなんて大嫌いだ……あれ?去年も同じこと言ってる気がする

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