クリナの友達
「いってきまーーす!!」
昼下がり、ウルラントに店舗を構え、日用品などを主に取り扱う『雑貨店ジェナ』に元気いっぱいの声が響く。
正面口から勢いよく出てきたのは、ピンと左右に伸びた長い耳と、少し色素が薄い三つ編み金髪の少女──看板娘のクリナだ。ウルラント──いや、ウィルゲート唯一の、隔世遺伝によって生まれたエルムである。
それなりにめかしこみ、肩からポーチを下げ、頭上には小さなクマが……いや、小さなクマのぬいぐるみがしがみついていた。
「クリナ、もうちょっとおとなしくして!おっこちちゃう……!!」
「あ、そうだった。さっちゃんごめんね」
しかもこのクマ、しゃべる。カタコトではなく、違和感なく流暢に喋る。クリナはすんなり言うことを聞いて、大人しく普通に歩き出した。
「クリナは毎日ご機嫌だね」
「当たり前よ。短い間に友達がいっぱい増えたんだもの」
(でも今日は特にご機嫌だと思う、うん)
このクマのぬいぐるみのさっちゃんこと『サダル』は、クリナによって作られた渾身の作品であり、一時、店舗の棚に商品として並べられたこともあった。
この2人の出会いは、現在不本意ながらも五大英雄と呼ばれているナナクサ・ユーディリア・ジーク・グレン・リラおよび精鋭兵団と古き厄災アラストルの戦いの夜まで遡る。
ウルラント全域に避難勧告が出され、荷造りも早々に住民が続々と魔王坂の先、魔王城の地下へと避難に向かっていた。
雑貨店ジェナの看板娘クリナと、父親にして店長、巨体の持ち主である灰熊族のゴルドーも例外ではなかった。しかしそこは商売人。留守中、盗人から商品を最低限守るべく、きっちり戸締りをして避難に向かった。実際その夜に大量の窃盗犯が捕まり、漏れなく処刑され、その後の治安は向上したという。
かくして、五大英雄と精鋭兵団によって、一夜戦争は終結した。避難に向かう道中、坂から遠目ながらも戦いの一部始終を見ていた住民は、その様子を興奮気味に語りながら帰路に着いた。
ゴルドーとクリナも自宅兼店舗へと戻り、留守中に盗まれた品はないか、薄暗い店内をランプ片手に検品が行われた。
「あれ?」
「何だ、何か盗まれたのか?」
「盗まれた……かなぁ?」
クリナの視線の先は、手製の小さなぬいぐるみを並べた棚だ。……その棚から、1体のぬいぐるみが姿を消していたのだ。しかも、一番出来のいい子が。
「んー、あんまりお金にならないよね?お父さん、売上は大丈夫だった!?」
「そっちは大丈夫だ!」
結局消えたのはぬいぐるみが1体のみだったが、奇妙なことこの上なかった。
(おかしいなぁ……)
原材料が布の端切れである上に小さいため、比較的安価で購入できるぬいぐるみ。同等の大きさでそれ以上の価値のものならば、ぐるっと見渡せばそこそこに目に入る。わざわざ鍵を開けてまで盗むほどのモノではないのだ。
「たすけてーー」
(あれ?……なにか聞こえたような?)
店内を見渡してもだれもいない。ゴルドーはまだ、奥にいるままだ。
「たすけてーーー」
「ひゃ!?ま、ままさか幽れ……なわけないよね。声が全然怖くないし、なんか可愛いし」
クリナは耳に神経を集中し、音の出処を探る。ピクピクと、長い耳が揺れ動く。どうやら店の端にある壺からのようだった。
酒の中に口噛み酒というものがあるのをご存知だろうか?でん粉を含む芋などの穀物を噛み、それを貯める事で糖化・発酵させて酒を造るのだ。偶然の産物かどうかは定かではないが、最古の醸造法とも言われている。
酒飲みのゴルドーは、節約と興味の観点からその口噛み酒を実践し……失敗。3度ほど失敗したところで醸造を諦め、その主役たる壺は店頭に並ぶ事となった。しかし、重い、でかい、地味の三拍子そろったことも相まり、店頭に並んで5年、未だに売れ残る有様だった。
(もしツボのおばけだったらどうしよう。売れ残った残念無念がおばけになったとか……うぅぅ)
恐怖半分でランプを壺に近づけ、恐る恐る中を覗き込む。
「おろ?」
壺の中にいたのは、盗まれたと思われた小さなクマのぬいぐるみだった。
「ほぁぁぁぁ……!!」
自信作と言える出来のぬいぐるみが、ぽつんと壺の中からクリナを見上げているのだ。それも、半ば泣きそうな表情で。
「たすけてーーー」
(え、なに?夢なの?また私寝ぼけてるの?……そうだよねー。こんなこと現実にあるわけないよねー。でもいいや。可愛いからもう夢でいいやー)
「おいでおいで、怖くないよ~」
こうしてクマはクリナによって壺の中から救出され、サダルと名付けられた。2人は友達になり、自室で目一杯遊んで……翌朝サダルに起こされて、昨晩の出来事が夢ではないことに一生分は驚いた。
……と、いうことがあってからというもの、それ以降クリナの頭には常にサダルがくっついている。サダルが自力で歩こうにも、クリナとの歩幅の差は比べることがおこがましいレベルの差がある。加えて、サダルには特殊な目があった。
「さっちん、なにか面白いものあった?」
「なんにもないよ。いつもと同じ」
サダルの目は万物の情報を読み取ることができた。その目を用いて情報を収集し、この街を、世界を知ろうとしている。そのために見晴らしが利くクリナの頭の上にいるのだ。
「それでクリナ、今日は何をするの?」
「今日は師匠に呼ばれてるのよ。ゆーちゃんのウェディングドレスが何着か出来てるから、デザインの意見を聞きたいって」
「この世界にもウェディングドレスがあったんだ……」
「さっちゃん?」
「あ、なんでもないよ。その、師匠ってどんな人?まだ僕会ってないよね?」
「そういえば前はちょうど洗濯中だったね」
サダルの定位置がクリナの頭の上に落ち着く以前は、とにかくあちらこちらを身軽に動き回った。なにせ中身が綿だ、とにかく軽い。
その結果、中も外も埃まみれになり、手もみで洗われ、十字架に磔になった神の子よろしく、磔のクマの子状態で干されていた。が、本人は特に苦ではなかったらしく、「明確な終わりが見えているし、たった半日動けないだけなら全然平気だよ……アレに比べれば」と語っている。
「師匠はね、ちっちゃくて可愛い英雄さんよ?」
「英雄……?」
サダルが首をかしげる仕草はクリナには見えないが、していると確信していた。
「……もしかして、ドレスが見られるからいつもよりご機嫌なの?」
「そ、そそそそんなことはございませんですますわよ?」
(壊れてる……。まあ、女の子だし、元は……だしね、僕と違って全く覚えていないみたいだけど)
しばらく歩き、ナナクサら5人が滞在しているシルベイクァンの屋敷前へとたどり着き……クリナは周囲の異変に気づいた。
「なんだろ……なんか甘ったるい匂いが……」
「甘ったるい?どんな?」
「ナナクサさんが持ってきてくれたクッキーより……って、クッキーってわかんないよね?ごめんごめ────」
「あー……換気しないでたくさん焼くと結構クるよね」
「え?」
「え?」
サダルのその発言は、クリナと、そしてサダル自身を驚かせた。サダルには前世の記憶があった。いや、正確には前世数千年分の記憶だ。
それは全く代わり映えのない記憶だった。サダルの前世は手足を持たない無機物だったからだ。変化のない日常は時間の感覚と精神を狂わせ、経過する途方もない時間は古い記憶を消していった。
自身の転生に関しては既にサダル自身がクリナに打ち明けていた。何を思って己の秘密を打ち明けようと思ったのかは定かではない。つまるところ、前世も今世も無機物であるにも関わらず、クッキーの存在、その甘い匂いを知っているということは矛盾しているのだ。
「おかしいな……なんで僕……あれ??」
混乱するサダルを他所に、クリナはしばし考え、一つの結論に行き着いた。
「もしかして、前々世の記憶だったり?むしろ私的には別の世界にもクッキーがあったほうが驚きだよ」
「うーん……そう、なのかなぁ……どうなんだろう……」
じっくりと記憶を手繰り寄せるも、唯一対話した女神の記憶、微かに残る崇め祀られた記憶、クソまみれの記憶、土の中の孤独な記憶、世界崩壊の記憶、そして、最後の瞬間の記憶……。それ以上はどうしても思い出すことはできなかった。
二人は正門をくぐって屋敷の正面口にたどり着く。甘い匂いが漂う以外、特に変化はない。が、何かが引っかかった。
(あれ?そういえばナナクサさんとゆーちゃんは新婚旅行中だから……あれ??それじゃあ、この匂いは誰が??)
ようやく違和感の正体に気づく。今屋敷に残っているのは、総じてお菓子を『食べる側』だけ。『作る側』はいない筈だ。
銅でできた竜の頭をかたどったドアノッカーに手をかけ、コンコンとノックを響かせる。……しかし、誰も出てこない。
「留守かな?」
「それじゃあ誰がこの匂いを出しているんだい?」
「それもそっか。さっちゃん、どうしよう?」
「裏の勝手口に回ってみたら?匂いの元も台所だと思うから、そこまで行けば間違いなく気づくと思う」
2人は裏手に周り、勝手口の前に立つ。と、やたらめったら甘ったるい匂いがそこから漏れ出していた。
「な、なんかちょっと怖いんだけど?」
「なら開けなければいいよ。このまま帰るのも選択肢のうちだよ?」
「だめだめだめ!」
ボッチが長く寂しかったクリナには、せっかくの友達の誘いを蔑ろにするという選択を取ることはできなかった。いや、そもそも選択肢自体が存在しなかった。
コンコン
意を決してノックをする……と、数秒の間を置いて、ゆっくりとドアが開かれた。
「およ……くりなん?あーもうそんな時間だったんだ……」
「こんにちは、師匠……って、甘っ!!」
開かれたドアから栗色のポニーテールを巻いたリラと共に、ひどくあまったるい空気がクリナとサダルに襲いかかった。砂糖単体では出し得ることができないこの甘い匂いを前に、彼女はふと、昔父親であるゴルドーから聞いた話を思い出した。
「北の方にはバニルイーターって甘ったるい匂いを出す植物の魔物がいてな。そいつは自分で移動できない代わりに、とんでもねぇ甘い匂いを出す実を実らせて、虫や動物をおびき寄せてガブッと食っちまうんだ。その実は匂いこそ甘ったるいんだけどな、味の方は甘いどころかクソ苦いらしい」
「ししょー……これって、バニルの実の匂い?」
「うん、てきと~に入れたらこうなった~」
「……入って、いいのかなぁ」
クリナは図上のサダルに問いかけるも、当のサダルは一言もしゃべれない。否、微動だにしない。
「さっちん?」
「…………僕帰っていいかな?」
「え?」
全く予想外の言葉に、クリナは動揺を隠せなかった。嗅覚を持ち、この異常な甘い匂いにさらされてウンザリしているならばまだ分かる。が、嗅覚を持たないサダルには関係のない話だ。
(……もしかして?)
ここで、ひとつの可能性に行き着く。サダルの目には、リラが異常な存在に見えているのではないか、と。
確かに異常だ。その幼い容姿で五大英雄と称され、黒竜の翼を用いた立体的な戦いを得意とする。その戦闘力に加え、洗練されたデザインの服をいくつも生み出している。
もしリラが普通ならば、自身を含め、自分が知る多くの人物は、尽くが平均以下の塵芥ということになる。
「あれ~?くりなんの頭のクマって……しゃべるの~?」
「う、うん、しゃべるの」
(僕を話題に出さないでよ!!クリナのおばかぁぁああああ!!!)
この時ばかりは、サダルはクリナを大いに恨んだ。が、まさに蛇に睨まれたカエルの如し。ピクリとも動けなかった。
「リラだよ~、よろしく~~」
サダルの綿が詰まった脳みそはフル回転していた。その回転速度は、前世での経験内ですら凌駕していた。
(どうする?ここは挨拶するべきかな?するべきだ、ここで無視したら粉々にされてもおかしくない。でもそういうことをするような子には見えない。だめだだめだ、外面で騙されちゃいけない。この子は、いや、コレはヤバイ。これは幼女の皮をかぶった化物だ。……よし)
「サ、サダル、です。ドーモ」
「ササダル=デス=ドーモ?」
「……サダルです」
「リラだよ~、よろしく~」
お互いに、いや、サダルだけはぎこちないお辞儀をした。
結局、藪をつついてラスボスが出られてはかなわないと思い、流されることにしたのだった。それが生還するための最良の選択だと結論づけて──。
お読み頂きありがとうございました。やっとくまっこ出せたよ。5ヶ月とか長すぎる……orz




