循環する力
ユーディと手を繋いで跳び、そのまま海竜の真上に向かって[アンチグラビティ]を使って飛翔する。……当たり前の話だが、今回もやはり注目されている。
「あぅ、スカートめくれちゃう……」
ユーディの焦りが混じったつぶやきを聞き、即断で正面から抱っこする体勢に変えた。自分の妻のパンチラを他人に見せる趣味はない。昨晩致しているところを意図的に誰かさんに見せたが、それはそれ、これはこれでだ。……まあ、恥ずかしがるユーディは可愛い、うむ。
海竜の真上で静止し、改めて見下ろし確認する。街からでは甲羅と首だけしか確認できなかったが、甲羅から前後一対ずつの肉厚なヒレが目視確認できた。水面からプカプカと浮く頭部には一対の白い角、その下の、頭部両側面に薄く扇状に広がったヒレ。そして、全身が魚のそれとは比べ物にならない大きさの鱗で覆われている。厚さも相当なものだろう。
「でかいな……」
首が伸びきった状態だから余計にそう感じる。甲羅だけでも5mはあるだろう。全長は15mを軽く超えるはずだ。
「接近するぞ」
「ん」
頭部の真上へと移動し、ゆっくりと降下する。注意深く反応を見ながら高度を下げるが、一切反応はない。近づけば近づくほど、首や前ヒレなど、随所に見られる分厚い鱗を砕き貫いた噛み傷がはっきりと確認できた。何らかの存在と戦ったと思われるが、その相手はとんでもない顎の持ち主の様だ。それにしても、もう数mの距離まで近づいたというのに全く反応がない……マジで死んでるんじゃないのか?
半分海面に浸かった頭の前、海面すれすれに立つように浮き、話しかけてみた。
「生きとる?」
……返事はない。
「ナナにぃ、この子、私たちの言葉分かるの?」
あー、そうか。かつてスレイプニルのハヤブサに問いかけたが、それはアレがヒトの言葉を聞く機会があったから、理解して噛み砕けき吸収するだけの知能があったからこそできた意思疎通だ。海に住まう海竜に、陸の言葉を理解しろというのは無茶ぶりもいいところか。
なんて思ったが……海竜の一対の目は、俺たちへと向けられていた。ただそれだけ。それ以上何かするわけでもない。少なくとも生きているようだが……。
「ちから、でないの」
「む……聞こえた」
微かにだが、漏れる吐息に乗って意思が伝わってきた。[全言語理解]と知恵の実コンボすげぇな……。
「んっ、私も聞こえた」
ほむ……ユーディも聞こえたなら、知恵の実は無関係か。コンボ成立してなかった……。ということは、俺と同じ[全言語理解]をユーディも得ているのか。
で、力が出ない、と。疲労か、それとも衰弱か。あるいは両方か?
「もうちょっと、詳しく」
って言っても、通じないか。一方通行だもんなぁ、うっかりうっかり……。
『しっぽ、いたいの』
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!」
「ナナにぃ、おちついて……?」
「ぷぇ」
また頬をムニムニされてしまった。……煩かったのは認めるが、単にほっぺムニムニしたいだけなんじゃないのかと勘ぐってしまう。俺もしたいけどさ。
「すまんすまん、つい、な。叫ばないといけない義務感のようなものに駆られたんだわ」
しかし、尻尾、ねぇ……。
ぐるりとまわり込んで、海面下の尻尾を覗き込む。
「うわっ……こいつはひどい……」
しっぽが途中から食いちぎらたのか、肉と骨がむき出しになっていた。もしも元のままならば体長は20mに近いのかも知れない。
昔、銃で撃たれたりナイフで刺されたりしたことがあるが、流石に身体部位欠損の痛みは未経験だ。流血こそ止まっているが、そこへ至るまでに大量の血を流したのは明白。それに加えて全身の噛み傷……かなり激しい戦いだったと思われる。それらが今に至るまでの間に気力をごっそり削ぎ落としたのだろう。
推測するに、何らかの驚異が近海に存在するということだ。いや、既に滅された後か。俺が狩る側ならば、ここまで深手を与えた相手を逃しはしない。この重症で生きてここまで流されたという事実、それがこの海竜が戦いの勝者だった証拠だろう。辛勝だったのは間違いない。
「ユーディ、[ヒールライト]できたよな?」
成人後、ちょくちょく陽術による治癒のコツをつかむべく、リレーラの元を訪れていた。俺にはできないからアドバイスのしようがなかったしな……。
「ん、こんなにおっきな傷初めて。包丁で切ったりとか、たんこぶできた時とかだけだから……」
「だろうな……。可能な限り頼む。ここでそれができるのはユーディだけだ」
「ん……がんばる![ヒールライト]!」
ユーディの手に光が集い、尻尾の傷口へと移動していく。やがて断面が光で覆われ、しっぽ周りが明るく輝いた。同時に、つないだ手から何かが流れ込み……ちがう、これは循環だ。
「!?これ……あったかい……!」
この感覚は、アラストルとやりあった時に、先日のゲェムの際に感じたものと同じだ。何かが……魔力が循環している?いや、それ以外の何かも巡っているように思える。3度目になるがこの感じ……ロンゲ神から感じたものに似ている。
まさか神力?
いや、そんな筈はない。俺は魂に内包した神力全てを消費してきた筈だ。だがこの感じに思い当たる節はそれしかない。それがなんで俺とユーディの中にあって循環しているんだ?
「ん、終わった……!」
黙考している間に、ユーディは海竜の治療を終えたようだ。噛まれて砕かれていた鱗は治っていないが、その下の噛傷は完全に塞がって海水を阻んでいる。食いちぎられた尻尾は元通りにはならなかったが、露出していた骨は隆起した肉に包まれてもう見えず、断面は皮膚のようなもので覆われていた。
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ヒールライト
治癒系下位陽術。
対象の負傷部位に対し、簡易治療を施す。
失血、自然治癒によって塞ぎきった古傷には効果が無く、部位欠損は断面を皮膚で覆うに留まる。
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それにしても……傷の多さ、重症度に対して、余りにも治療速度が早い、早すぎる。
「うーん……どういうことだ?」
思えば昨日のゲェムの最中も、限界を超えた成果を出していた。特に昨日……いくら[アンチグラビティ]のコストを軽くできたとはいえ、想定を超えている。今もそうだ。治癒したユーディ本人が成果に驚いている。共通するのはやはり──
『キュー』
俺の思考は海竜の鳴き声で遮られた。
こいつなかなか可愛い声を出すんだな……。アザラシのゴ○ちゃんを彷彿とさせる。
「かわいい~」
ユーディも同じ思いだったようだ。
だらんと海面に浮かんでいた首は空へと伸び立ち、こちらを見下ろしている。そして首を下ろしていき、顔を俺たちの前に近づけた。
「もう良さそうだな」
『キュー……』
良さそうだが、なんだか妙に沈んでいるように見える。そりゃあ、体の一部がなくなってテンション上がるなんてのはありえんしなぁ。……なんか、水族館でイルカに餌をあげようっていうあれ、イベントあるやん。あれを彷彿とさせる。気づけばポケットの中に何かないか、まさぐっていた。
お……あった。
「それ、飴玉?」
手の中にあるのは包み紙に包まれた飴玉だ。ちなみにイチゴ味。でもなぁ……。
手の中の飴玉と、海竜の頭を交互に見る。大きさの対比が、顔とハナクソっていうレベルじゃねぇ。こんなサイズで味がわかるのだろうか?……いいか、あげてみよう。少なくともまずいと思われることはないと思うし。
「いいものやるから口あけてみ」
『クァー』
パックリと疑いなしに大口を開かせる。巨大な舌に、上下綺麗に生え揃った巨大で鋭利な白い牙。魚のような生臭さと野生動物特有の獣臭さが混じった息が吹き掛かる。
……少しは疑えよ。純粋培養が過ぎるぞ?あまりにもいい子ちゃん過ぎるでしょう?
などと思いながら包み紙を剥き、その巨大な舌の上にイチゴ飴を放り込む。直後に、バクンと巨大な口を閉じた。
『キュー!あまいの!おいしいの!』
「お、この味がわかるか。っていうかわかっちゃうんだ、その体格差で」
『もっとほしいの!!』
「あー……すまん、あれが最後の1個なんだ」
ズボンのポケットを左右両方つまみ出して、本当にないことを示す。実際、出てきたのは繊維カスだけだった。
『うぅぅ……もっとたべたいの!!ちょうだいったらちょうだいなの!!』
「子供かっ!!……いや、子供だな、これ。言動が幼稚園児の駄々のそのまんまだ」
このサイズで子供なのか……。ということは、成長しきった海竜はどれだけでかいんだ?……想像するだけで恐ろしいな。
「それよりも、おうちに帰ったほうがいいよ?結構遠くまで来ちゃった、でしょ?」
「だな。心配して探してると思うぞ?」
『うん……』
……あれ、なんか一気に凹んだ。踏んじゃいけない地雷を踏んでしまったのか?家庭内暴力か?ネグレクトか?人間社会の問題は、海竜にまで存在するのか?
などと考えている間に、海竜はちゃぷんと静かに潜り、その巨大な姿を消した。
「……とりあえず、これで一件落着か?」
「そう、だね」
まあ、数日は様子見になるかもしれないな。よそ者の俺が住民に経緯を話しても、信じやしないだろう。まだ近くにいるかも知れないから危険──そう思うのは何らおかしいことではない。
「こりゃ向こうに帰るまでに、どれだけ魚食えるかわかんねぇな」
「じゃあ、釣る?」
「……そうだな。戻って一応カスケイドさんとこに話を通して、朝飯食ったら、釣りと洒落込もうか」
釣り糸を垂らすのは何年ぶりになるだろうか?……釣れるかどうかもだが、毒の有無も確かめなければならないだろう。まあそこは地元民の知識を拝借すればいいか。
ユーディを抱いてゆっくりと飛行し帰還する。
釣りをしながらさっきの循環現象の再現ができるか、確かめてみるか。……しかし、子供の海竜、か。なんか、嫌な予感とは別の、変な予感がするんだよなぁ。何事もなければいいんだが……。
*
沖合の、深い深い水底。人が潜れば水圧で容易く潰れるような、暗い深海。そこに、老いた海竜が横たわっていた。
全長はおよそ200mをゆうに超える巨体だ。だが、所々の鱗は欠損し、頭の一対の白い角は右側が折れ、残る左側も傷だらけ。次元の果が生まれ、そして落とされてから今日まで、数多の戦いをくぐり抜けた傷跡だ。古傷にごく最近に負った傷が混ざっており、一部の傷口は未だ塞がりきっていない。甲羅には、かつては赤い珊瑚が生え彩っていたのだろう、今ではその死骸が残るのみだ。だが、黄金に輝く瞳は強い意思を感じさせ、瞳の主が老いた海竜であることを忘れさせる。
その老海竜に泳ぎ近づくのは、ナナクサらが助けた幼い海竜だ。老海竜その存在に気づき、目を見開いた。
『ばーちゃ、ばーちゃ!』
『おお!ハルネリア!!よかった、無事だったのかい!?』
この老海竜こそ、幼海竜ハルネリアの始祖にして【大海の覇竜】の異名を持つ、蒼海帝ゼブリアノムだった。
『あのね、ヒトがね、海に立ってて、ピカピカでなおって、ちっちゃくてあまかったの』
『訳がわかんないねぇ。……うん?』
ゼブリアノムはハルネリアの全身を満遍なく観察し、異常に気付く。
(妙だね、あの子に食いちぎられた尻尾がない以外、傷一つない……。いや、尻尾を見る限りこれは、治されている?それにこの微かに残る力は、神力じゃないかい!?)
ゼブリアノムはこの次元の果が現在のように形作られる以前、混沌の時代を生き抜いた存在だ。謂わば、この世界の原初の生き証人である。
その長い歴史の中で、幾度となくゼブリアノムは神々と接触する機会があった。想像によって紡がれた物語諸共忘れ去られ、陸と海と空と、そして住民共々流れ着いた被造の神々に。当然ながら、幾度となく神々の奇蹟を目の当たりにしてきた。故に、普通の生物には感じることができない神力を感知することができたのだ。
(寄せ集めの被造神は、皆全て【神喰い】に喰らい尽くされた。いま神力がこの果ての世界にあるはずがない。だけど、現にこれは神力、それも、あたしの創造主の神力に近い……。もしかしたら……神々に関わった日本人が?)
『ばーちゃ?ねえ、ばーちゃ?』
(このろくでもない状況が、ひっくり返せるかもしれないねぇ……)
『ばーちゃ……お返事してほしいの……』
『あ、ああ。すまないねぇ。ちょっと考え事をしていたんだよ。本当に、あんたが無事で良かったよ……』
『ばーちゃは、どこにもいかない?いじめない?』
『ああ、まだまだばーちゃは長生きするさーねぇ。あんたが大人になって、いい男を貰うまでは死にきれないから、安心し』
『やっなの!ずっと死んじゃ、やっなの!ぐすっ……』
ハルネリアはゼブリアノムに寄り添い、そのまま丸くなって眠りについた。
お婆ちゃんっ子のわがままの様に聞こえるだろうが、そう単純な話ではなかった。ハルネリアにとってゼブリアノムは、自分に残った最後の家族であり、最後の同族なのだ。この広大な海には、もうどれだけ探してもこの二頭以外の海竜は存在しない。そうなってしまった事実以上に、ハルネリアの尻尾を食いちぎった存在が、彼女の幼い心を大きく蝕んだ。
(時間は、なさそうだねぇ。取り返しがつかなくなる前に接触……その前に、見極めないといけないかね)
ゼブリアノムは静かに目を閉じ、再び眠りにつく。未だ体中に残る傷を癒し、動けるようになるために。
お読み頂きありがとうございました。




