カスケイド=レバンシュット
三日後、俺達は十字街のはずれにある小さな宿を経営するディーヴ族の夫婦とその子供に見送られ出発した。
「「またのご利用を心よりお待ちしております!!」」
「帰りも寄ってくれよなー!!ぜったいだぞーー!!」
なんでこうなったのかって?……こう、十字街を西にずーっと進んで、喧騒が静かになったあたりの場所に一軒の宿屋があったわけよ。
「元気になりすぎ、かも」
「だなぁ……」
ドアをくぐった先にいたのが、今まさに決死の覚悟で旅立とうという感じの、尻尾をカクカクのカチンコチンにしたおっさん。やだ、なにこれ。と、素でつぶやいてしまった。
聞けば熱病に犯された息子のために、ノースブリス連峰の頂近くから氷を持ち帰るつもりだったという。
ちょいと上がらせてもらい失敬して熱を測れば、およそ40度にまで熱が上がっていた。移動日数的に仮に氷を持ち帰ることができても、熱で脳が深刻なダメージを受け死んだほうがましな状態になりかねないことを説明して引き止め、その場で水を[抽出]し、[凍結]させてデカい氷塊にして渡した。鳩が豆鉄砲どころか、レールガンを食らったような形容しがたい表情だった。わからんでもない。
ウィルゲートで普通に氷を手に入れるには、年中頂辺が雪で白く覆われているノースブリス連峰を登らなければならない。そこ以外では冬の時期になっても、雪こそ降れども氷点下にまで気温は下がらず積もることもないという。
故に氷を作ることはほぼ不可能。採取しようにも往復のリスクに加え、その重さと、運搬中に溶けることまで踏まえると、こぶし大の大きさで金貨が数枚飛んでいくとかなんとか……。
そんな高級品を、こぶし大どころか、酒樽一つ程度の大きさの氷をぽんと出したのだ。ほんの軽い気持ちで。こっちが申し訳なくなるくらいお礼を言われ、その時になってようやく、一夜戦争で巨大氷塊を落としたのはいろんな意味でやりすぎだったのだと気づいた次第だ。
んで、一泊タダで泊めてもらい、翌朝には熱が下がったのを確認。息子さんが「腹減ったー」というくらいには回復したので、自分らの朝飯ついでに厨房を借りて全員分の手打ちうどんを打つことにした。
ウルラントでは強力粉、中力粉、薄力粉とそれぞれが揃っていた。なんで食に無頓着なくせにバターとか酢とか調理酒とか揃っているのか謎だったが……その謎はここでも適用された。考えても答えは出なかった。そのうちナナクサは考えるのをやめた。
うどんは醤油ベースで短冊大根と人参、それに刻みネギにスライスしたゆで卵を入れた一品だ。久方ぶりに打ったうどんはコシがある、とてもうまいものだった。自画自賛。
これが大いに好評で、夫婦に売上であろう金が詰まった革袋を山積みにされて、作り方を教えてくれと請われた。具体額は伏せるが、後々営業が厳しくなるだろうことは目に見えていた。
なんで、貸一つということで教えることにした。発展するであろう十字街の一角にコネを作るのは、後々有益だろうからだ。夫婦とユーディにうどんの仕込みの基本を教え、その日はうどんの日となった。
そして最後の晩に裏庭に風呂と囲いを[成形]して、十分に体を洗って……今に至る。
「ちょっと、昔を思い出しちゃった」
「……あの日か」
あの日……それが暗い雨の夜に、ユーディを助けた日のことだと直ぐにわかった。
「ん、あの日。あの時も、ナナにぃ必死だったなって」
そりゃあな。もしあの時点で死んでしまえば、元の時代に戻った時にユーディがいないことが十二分に考えられた。生き物は基本的に死んだら終わりだ。俺のように記憶を持って転生するなんて、まずありえない。例外中の例外だ。
「死ってのは……永遠の別れだからな……」
ぽつりと、そう小さく呟いた。
手の中で弱まる脈。脈が止まった後微動だにせず、徐々に冷えていく弟だったモノ。棺桶に横たわる土色の遺体。長い長い煙突から空へと登る煙。……忘れられるはずがない。
「……ナナにぃ」
「うん?」
「血、飲ませてって言ったら、いや?」
「…………美味くはないだろう?」
鉄の味しかしないだろ?甘いとか辛いとかだったら、俺もうどうすりゃいいのか……。
「というか、なんで?」
「飲みたくなったの……あの時みたいに」
「吸血鬼にでもなるつもりか?」
いや、吸血鬼の好物は女の血だったか。吸血鬼的趣向からすりゃあ、俺の血はドブのような味だろうな……たぶん。
「……んぅ?」
「どうした?」
ユーディが鼻をすんすんと可愛らしく鳴らす。何かを嗅ぎ取ったようだが、俺には何も臭わない。僅かに正面から風が吹いている。匂いの元はこの道の先だろう。
「ん~……ちょっとコンブみたいなにおい?」
「潮の香りか。近いな」
どうやら、僅かな潮の香りを嗅ぎ取ったようだ。俺の鼻でもわかるくらいになるには、まだまだ先だろう。だが、確実に海に近づいている。
「待ってろよ、海のお魚ちゃん!丸焼き煮込みつみれ汁、刺身以外のあらゆる手段で食い尽くしてやる!!」
「おー!!」
口内に溢れる涎を飲み込み、ホースゴーレムの速度を気持ちちょっぴり早めさせた。
*
その頃、レバンシュット領主の館では……。
「遅い、奴らからの連絡はまだか?」
執務室にて苛立ちを隠さず、部屋の真ん中をウロウロウロウロと無意味に往復する年齢不詳の馬面──否、馬頭の男がいた。ウルラントにはいない馬頭族だ。この男こそがレバンシュット領主にして、ゴニンジャの雇い主、カスケイド=レバンシュットである。
安くない金を払ってゴニンジャを雇い、放つこと既に12日。そろそろ何らかの連絡が来る頃だ。成否の報告を待ちつつ、ナナクサの天にも昇るような料理の味を思い出し、とても執務をこなせるような精神状態ではなかった。
最初に縁談を手紙にしたためたのはカスケイドだった。だが、各地に放った密偵からの報告で、縁談を持ちかけたのは自分だけではないことが発覚し、冷静になったところでじっくり考えることにした。
カスケイドは万人が見ても馬の頭だ。カスケイドをはじめとしたレバンシュット一族は皆馬頭族なのだから。付け加えれば、領内での馬頭族は彼らだけである。
まず思い浮かべるは自分の娘だ。賢く美しく育ってくれた、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘である。だが、馬頭だ。自分から見ればリザーディアも牛頭族も、顔が似たようなもので大差はない。つまりナナクサから見ても、自分と娘の顔に大差はないのではないか?
だが、そこでとんでもないことに気づく。仮に自分と立場が置き換わったとして、自分が牛頭族の年頃の娘に欲情できるだろうか?と。円満な夫婦関係を築き、恒久的関係を持てるだろうかと。
無理ではないか。
無理としか結論は出なかった。
そもそも、一族が馬頭族のみで構成されているのは、同族以外に異性を異性として見ることができなかったからだ。政略的に別種族間での結婚をしたことも過去に記されているが、いずれも破綻し、プラスになるようなことはなかったと記されていたことまで思い出す。
とすれば、このまま推し進めればナナクサに選ばれることなく、娘が傷つくだけの結果に終わるのではないか?
いかんな……これはいかん。
そう思い撤回を手紙にしたためるも、ならどうすればいいかと耽る。
料理人たちの頑張りには目を見張る。日々技術は向上し、確実にナナクサの腕に近づいている。だが、亀の歩みだ。果たして自分が生きている間に──否、まともに飯が食える間にそこまで行けるか。撤回の手紙を出した後、その不安は日に日に増していった。増大する不安が正常な判断力を奪い、カスケイドを実力行使に踏み切らせる。
連れ去ってしまえばよかろう。
そうして、ゴニンジャが雇われた。彼らの提示したプランでは、既に成否の結果が伝えられているはずだった。だというのに何の連絡もない。
苛立ちウロウロするカスケイドの部屋にノックの音が響き、執事の報が続いた。
「旦那様、エルモッド商会経由でお荷物が届いております」
「荷物だと?」
「はい。差出人は、シルベイクァン=バルフィリアス様にございます」
カスケイドの背に嫌な汗が流れた。このタイミングでシルベイクァンが荷物を送ってきたというのが、不自然極まりない。
「中身は何だ?」
「それが……必ず、カスケイド様の前で開けろという言伝が……。危険物ではないと、シルベイクァン様より……」
(危険物ではない?)
そうして、一つの木箱が執務室に運び込まれた。それほど大きすぎず、小さすぎることもないそれは、床に置かれると中で何か軽いものが当たる音がした。蓋は釘が打ち込まれ、天地無用、取り扱い注意の札が貼られている。言うまでもないことだが、引っくりかえすな、乱暴に扱うなという意味だ。
(食器か何かか?何故今?)
それらの札は、陶器やガラス細工などの場合に貼られることが主だ。しかし、そういうものが贈られる何かはなかったはずだ。妻との結婚記念日はまだ半年も先であるし、即に区切りのいい年数というわけでもなかった。
「只今、蓋を外します」
執事はバールのようなもので1本1本釘を引き抜く。普段ここまで厳重に梱包するものが贈られてくることはなく、作業に四苦八苦する様子をカスケイドは文句を言うことなく見ていた。苛立ちは既に何処へやら、頭の中は冷静だった。
そうして最後の釘が引き抜かれ、執事がふたを開けると……。
「「ヒェェェェーーーーーーーーーーーー!!!」」
カスケイドと執事はそろって悲鳴じみた奇声をあげ、後退り尻餅をついてしまった。
「だ、だだだだだ旦那様!?あああああれは!?」
「おおおおおちつけメットン!?」
ドタドタとかける音が近づく。奇声を聞き、執務室の異常を察知した館の兵士が急ぎ足で近づいてきていた。そして、焦る心を代弁するかのような乱雑なノックが響いた。
「カスケイド様!!何事ですか!?」
瞬間、カスケイドの脳が高速で回転した。
「な、なんでもない!!蜘蛛が鼻の上に乗っただけだ!!もう始末した!!大事無い!!持ち場に戻れ!!」
「さ、左様でございましたか……」
なんとも間抜けな言い訳であるが、実際蜘蛛が鼻の上に乗ったことは過去にあった。だから兵士たちは特に疑うことなく、持ち場に戻っていった。
「だ、旦那様……わたくし、腰が……」
「わしもだ……ええいくそ……」
這うように、開けられた木箱に近づき、改めて中を見る。見間違いではなかった。そこにあったのは、5つの髑髏。そして、しなびた一本の指。
(どこが危険物ではない、だ!!腰が抜けてしまったではないか!!……ん?)
カスケイドは視界の隅の、木箱の蓋の裏面に赤黒い何かを見た。
「ヒェ……!!」
先と同様の悲鳴じみた奇声をすんでのところで飲み込み、カスケイドは震え上がった。蓋の裏には血文字でこう書かれていた。
『お前も髑髏と筆に変えてやろうか?』
カスケイドは全てを悟った。このおぞましい髑髏は、自分が差し向けたゴニンジャのモノだと。この文字はその指で書かれた血文字。シルベイクァン名義で送られてきたということは、全てお見通しという事。
「まずい、まずいまずいまずい……!!」
そして文面を直訳すれば、「ぶち殺すぞこの馬鹿めが」となる。
(まさか、あのシルベイクァンがこれほどに……普段温厚な者ほど怒ると怖いというが、まさにこのことか!!)
ガクガク震えていると、今度は控えめなノックの音が響いた。
その後、床とドアの隙間から、スッと紙が差し込まれる。床を這って執事はそれを手に取り、開いて中を検めた。
「どうやら十字街の密偵からの報告のようです」
カスケイドは今後の貿易における重要地点になると、早くから十字街に目をつけていた。しかしまた何故このタイミングで?またもカスケイドの背に嫌な汗が流れた。
「……旦那様、ナナクサ様がこちらへ向かってきているそうです」
「なんだと……!?」
ナナクサらが十字街滞在中に、ゴニンジャの髑髏輸送は彼らを追い抜いたのだ。が、カスケイドからすればナナクサによる挨拶参りとしか思えなかった。
(ま、まずい……非常にまずい!!)
向こうにその気があるにしろないにしろ、接触するのはまずい。レバンシュットにもシルベイクァンの密偵は潜んでいる。彼ら経由でナナクサと接触したという情報が行き渡れば、害意の有無に関係なく物理的に抹殺される危険性がある。
「メ、メットンよ。私はしばらく……うむ、ひと月ほど病に伏せることとする。その間絶対に誰も通すな!!」
「ぎょ、御意に……ん?」
メットンが木箱の底のある物体に気づく。蝋で封がされた手紙だ。蝋に押された印は龍を象ったもの……ウィルゲートにおいてシルベイクァンだけが用いる印である。封を切り、中身を改め……メットンは自分の主を憐れみの目で見た。
「旦那様……こちら、ナナクサ様の結婚式の招待状にございます」
「ほぁ!?」
「日取りは……12日後となります」
「ほああぁ!?!?」
「それと、宴席にて振舞われる酒代の請求書が同封されております。……頭が痛くなる数字ですぞ」
メットンから渡されたエルモッド商会からの請求書には、とんでもない量と種類の酒と、とんでもない金額が記されていた。まるで一都市全員で酒を飲み交わそうというような、常識はずれの酒の量だ。
「おっふ……」
エルモッド商会は大陸全土に網を持つ大商会だ。もし踏み倒そうものならば、ほぼ全ての商人からの信用を失い、領内の物流は間違いなく死ぬ。『かの商会には歯向かうべからず』が、行商人の共通意識だ。つまり、一声でレバンシュット一族は──否、レバンシュット領は終わる。最悪、先代魔王を超える救いようのない馬鹿として歴史に名を残すだろう。最早カスケイドのライフは0だった。
「メットン……わしはもう寝る……」
そうしてカスケイドは、出発の日まで自室に引き篭ることを決めた。
お読み頂きありがとうございました。




