海へ
日が昇り、ジークとグレンの弁当準備を済ませ、いつもどおり屋敷の全員が揃って朝食を取っている最中、俺は海行きの話を切り出した。
「と、いうわけで、海に行く。異論は認めない」
「異論もなにも、儂は止めはせんよ。そんな権限もなかろう」
「2週間を目処になんで、その間食事番から抜けるんですけど?」
あっ、と驚くシルヴィさん。完全に失念していたな、これは……。そこにコホンと咳払いをするモントさん。
「2週間ほどでしたら、私が代わりにいたしましょう。ナナクサさん直伝のレシピを試すまたとない機会です。元は私の仕事、何も問題はありませんよ」
「ありがたい、感謝」
モントさんにはレシピを実演込みで教えていたのだ。俺がここからいなくなった後のために、そして、引退後に故郷の孫達に食べさせたいという願いからだ。
モントさんの腕前は、元々のシルヴィさんの舌を満足させられる程で、特に味噌汁に関しては俺とは比べ物に──いや、比べるのが失礼な程だ。ユーディもなかなかの速度で技術を吸収していったが、モントさんはそれに輪をかける速度でモノにしていった。好きこそ物の上手なれ、才覚、そして今日までの経験。これらの下地があってこその成長力なのだろう。
「で……俺とユーディの他に誰が行く?」
ぐるりと一同を見渡す。
……ん?今リラの目が光ったような……気のせいか?
「オレはいかなイ」
意外にも最初に行かない宣言をしたのはジークだった。
「オレがいなくなるト、指示を出せるやつが足りなくなル。それに、近いうちニ地下水道の掃除もすル。だからだめダ」
ああ、下のスライムとジャイアントバットの掃除をついに始めるのか。……まあ、精鋭兵団もこのところ畑仕事ばっかりで溜まっている頃合だからなぁ。発散するにはいい頃合だし、加えて、死体相手ではなく、生物相手の初実戦。頭がいなければ話にならないな、確かに。
「という事は、グレンもか?」
「はっ。本来ならば安全の為、ナナクサ殿とユーディリア嬢に同行するのが筋。しかし、今の立場上、それは部下を見捨てると同義。団長となった今、その責務を放棄できませぬ」
あのアラストルとの戦いの後、ジークとグレンは団長、副団長の立場を固定化させた。
それはジークにとって、グレンの武が自分よりも先に行っていること、最早一朝一夕で追いつけないことを示している。
「残念だ……。ジーク、グレンが無茶しようものなら全力で止めろ。生還すれば勝利だ。忘れるな」
「おウ」
「しかと心に」
そうなると後は……。
「ん、リラちゃんは?」
「う~ん、いかな~い」
なん……だと……。まさかリラまで行かないとな!?
「な、何故に?」
いかん、動揺が漏れている。落ち着け、予想外だとはいえうろたえちゃあいけない。大黒柱はうろたえないっ!
「え、えっと、急いで作ってみたいのがあって~……あと、お友達のお手伝いもしたいの~」
……手伝い?
「ナナクサ殿、あの日クーダらが背負い連れてきた子らです。確か名は、テッシ、ミカ、ハクヤクでしたか……。ここ連日、畑の復旧に従事している孤児院の子らです」
孤児院の?…………あー、あの3人か。そういやぁ前に術兵団の教官やってた時、物好きに見学していたな。
畑の復旧労働の給金は出来高制だ。一般的な仕事の多くは日当制であり、給金は労働後に雇用者の裁量で支払われる。つまり日本のように時給・日給で金額が定まってはいない。
そんな状況だから、店が儲けても労働者への給金は増えない、客が入らなければその分減る。さらにそれどころか、セクハラを対価に給与を増やす。最悪なのは、セクハラの対価としてクビにせず雇用し続けてやるという形だ。畑の復旧労働は、こうした従来の悪習をぶち壊す楔の側面を持つ。
要は、働けば働くほど儲かる。至ってシンプル。それでいて確実に手応えを感じることができる。結果的に労働意欲の向上につながり、一人あたりの生産性が底上げされるわけだ。
しかも、確実に最初に提示した条件の額が支払われる。それも、胴元は国だ。約束を違えずに支払うことで、前政権とは確実に違うと認識させることにつながる。
で、その結果、手隙の子供に加え、水売りの少年少女、兼業ハンター等をはじめとした収入が安定しない層を労働力として取り込んだ。クレーターを埋めるだけならば俺とユーディなら1日足らずで終わらせることはできるが、シルヴィさんはあえてそうせずに労働者の意識改革に利用したのだ。
……あれ?ちょっと待てよ。
「出来高制だから、リラが頑張った分は全部リラの取り分になるよな?」
「ぎくっ」
っていうか、リラ自身が生きたブルドーザーのようなものだから、1日あれば穴埋め終わるよな?
と、疑問にぶち当たっていると、マイルズが口を挟んできた。
「まっあれだ。何か考えがあるってことじゃねぇのか?俺らが思いつかないような、な」
「そ、そうそうそう、たぶんそう。きっとそう~」
…………なんか企んでるな。うん。まあ、いいか。詮索したところで口を割るとは思えんし。悪事でないならば問題ないだろう。
「んじゃー、俺とユーディで行ってくるわ。西のレバンシュットまで」
「つまり夫婦水入らずの新婚旅行、ですね」
ここまで沈黙を貫いてきたアレリアさんがさらりと言った。
「……そうなる」
「のかな?」
新婚旅行……ね。
「「…………」」
そうなるな、どー考えても。……まあ、式は上げていないけど。いや、式は上げたいがそういうのこっちでは一般的ではないらしいし、『郷に入れば郷に従え』というじゃない。それに神のいない世界で神の前で愛を誓うってどうなん?
婚礼祝いの宴会はする慣わしらしいが、今の食糧事情でこの面々だけで贅沢をするわけにはいかない。英雄であろうとも、どー考えても都市住民からバッシングを喰らう。なもんだから、悲しいことに延期するしかなかった………。すまぬ……ユーディ……。
「とりあえず、お土産は期待しておいてください。可能な限り魚積んできますんで」
「それは良いが、お主、魚を捌けるのか?」
「当たり前です」
ただまあ、うなぎは経験値がかなり不足している。何せ高い。もう中国産でもいい値段なんだ。経験積むだけでどんだけ金かかるかわかったものじゃなかった。釣ろうと思って釣れるような相手じゃないしな。蒲焼?経験値0です。天ぷら同様、焼きそのものが一生ものの修行です。超食べたいけど今は無理です。
*
そんなこんなで、3日後……。俺とユーディは幌馬車を引いて屋敷を出発した。俺が手綱を持ち、その左隣にユーディが座る。中には金に着替えに食料・調味料に調理道具を積み込み済みだ。
この幌馬車は車輪など、全体のほとんどを[ジ・イソラティオン]を用いて時間停止させ、劣化・破損を防いでいる。
更に購入から今日までの間に、各所改良を施した。走行時の振動対策に、四輪全てを独立させてスプリングを組み込み振動を軽減。御者台にはリラお手製のふかふかクッション(取り外し可)を敷くことで劇的に振動を緩和。合わせて御者台からの落下防止に腰に装着するシートベルト的なものを取り付けた。
…………まあ、そんな馬車を引いている馬がまた、アレなんだけどな。
「ほんとには走ってるね、アレ」
「ああ」
視線を馬車から正面の馬へと戻す。いや、馬と呼ぶべきか?馬というかもうUMAだ。確かに、馬の形はしているが……なぁ……。見事なUMAだと感心するが別にどこもおかしくはない。
「石でできてるのに、不思議」
一対の目が怪しく緑色に光っている。そう、目の前のUMAは全身が石で出来ているのだ。
その名を、ホースゴーレム。主人の言葉にのみ従う音声認識変速機能付きで、非常に踏ん張りがきくすごいヤツ。ただし速力は一般的に馬車を引かせているワイルドホースと同等で、スレイプニルには及ばない。だが、食事や休息を不要とするため、一昼夜走り続けることも可能だ。
普通馬車を引くのは飼いならされたワイルドホース・ユニコーン・バイコーンなのだそうだ。ワイルドホースは商人の幌馬車を見る際に割と見かけるが、ユニコーン・バイコーンは癖が強いために採用されにくいらしい。癖については割愛。
そもそもスレイプニルは本来、早馬の役割に特化した種なのだそうだ。あの時糞豚の馬車を引いていたのがスレイプニルだったのは、予算の問題だったのか、あるいは軽量故に問題ないと判断したのか、今となっては知る由もない。スレイプニルに牽かせていた豚が特殊なパターンだったのは間違いない。
ちなみに、音声認識の性質上、手綱はお飾り。馬という体を少しでも保つための小道具だ。
んで、言うまでもなくこのホースゴーレムの出処は……。
「ケセラのやつめ……まあ、確かに、実用化できればこの上なく有用だが……」
地下迷宮の主、ケセラからである。
「ほう、結婚したのか?ならばこいつをやろう。試作機だが、充分役に立つ筈だ。乗るなり馬車を引かせなり、自由に使てt暮れて構わぬ。改良点を挙げてもらえると有難い」
と、つい先日受け取ったのだ。
今、ウルラントが必要としているものは、純粋な戦力ではなく、各所に融通が利く戦力だ。……簡潔に言ってしまうと、兵力兼労働力。マンパワー。
現状急務なのは、新規農地開拓だ。エルッケの森の対岸者焼失し、長期的に肉の供給が減る分、家畜の頭数を増やすことになるが、育ち切るまでの間の不足分は農作物で補わなければならない。それ抜きにしても、非常時のための備蓄まで手を回すには、現状の農地面積では足らない状況だ。
農地の新規開拓というのはとにかく面倒で、重機がない以上、人力で土を丹念に混ぜ、ほじくり返さなければならない。これだけでもかなり面倒だというのに、そこから大小入り混じった石の除去、さらに切り株があろうものならば、その除去はとんでもない重労働に変わる。開拓者ってすごい。
この状況下で、疲れ知らず、低コストで運用、単純労働──そんな都合のいい労働力としてゴーレムが槍玉に上がったのだ。
しかし、運用する以上指示を聞かなければ話にならない。それは農業でも戦闘でも同じだ。言うことを聞かない兵は、その存在だけで自軍の壊滅につながる癌細胞でしかない。その試作機が、このホースゴーレムだ。
ソフト面に問題がなければ同様の機能を搭載した小人型ゴーレムを大量に用意し、農地開拓に従事させ、有事の際には戦力として取り扱うスンポーだと。……ま、流石に信用しきれんから、よく香辛料だの珍しい食材だのを購入しているとある大商会のツテを使い、結構な量の硫黄・硝石を料金前払いで発注した。どちらも最深部に仕掛ける爆薬の主要原料だ。ケセラは元々、ウルラントを含めたゴルボード平原全体を支配下に置こうとしたやつだ。降参したとはいえ、用心するに越したことはない。
「しかし、なぁ……やっぱこれ、頭だけでも馬マスク被せたいな」
こう、ド○キあたりで売ってるパーティーグッズのな。今現在、露店街を横切って西門へと移動中だが、いくら手綱つけててもこれはさすがに目立つ。商人連中からの好奇の視線が刺さる刺さる。もう穴だらけだ、蜂の巣だよ蜂の巣。
「んぅ……魔物にしか見えないと思う」
そっかー……それじゃあだめか……。っていうか、実際かぶせたら馬頭族がうるさそうだ……。
*
蜂の巣になるほどの視線を浴びたが、特に何事もなく馬車は露店街を抜け、西門を通り抜けた。
西門の先は麦畑と野菜類が半々で育てられている。東・南と違うのは、ある程度の先まで石畳によって舗装されている点だ。
「あんまり揺れないね」
「まだ舗装の上だからな。1個先の宿場町までは舗装が続いているらしい。その先は、未舗装だと」
「中途半端?」
「……これから、というか、今まさに通っている『塩の街道』って名前は、昔、レバンシュット領の北、ノーチェスタン領で塩の生産が始まり、そこからレバンシュット経由で伸びる街道から内陸に輸送された際についた名前だと。なんでも、こぼれた塩で地面を舐めるとしょっぱいからだとか」
「な、舐めたの?」
「舐めた奴がいるからそんな逸話があるんだろうなぁ……」
あるいは、道の表層を削って塩を抽出した奴がいたのかもしれない。
「まあ、晴れた日には塩の結晶が浮かんでいたのかもしれないな」
塩は人の体には不可欠。それでいて、単純な調味料でありながらも産地によって味わいが違う。……んだが、ウィルゲートに流通している塩はノーチェスタン産かリューリンゲル産の2種だそうだ。立地的にノーチェスタンの北の霊峰を挟んでリューリンゲルがあるわけで、塩の味に差異はなかった。
「で、当時ちょうど貨幣制度が出来た頃で、塩の流通に乗って貨幣制度を全土にって考えたんだとさ。この街道の舗装も、その一環だったらしい」
「でも、中途半端」
「それな。結局時間切れだったんだそうだ。初代魔王エヴェルジーナが没して世代交代したが、シルヴィさんが罵倒するレベルの暗君っぷりだったようだ。んで、舗装計画は頓挫。残ったのは自然整形された宿場町と、中途半端な舗装街道。……多少の悪路でもまるで問題がなかったこともあって、ほったらかしだったとさ」
それを今、シルヴィさんは再開しようとしているわけだ。まずは魔王領内、次いで塩の街道を領地境界線まで。商人が心臓だとすれば道路は物流の血管だ。整備が行き届けば交通量が増え、カネとモノの流れも加速する。端的に言えば、街道に面した街は経済的に豊かになる。
現在は各商会へ融資交渉段階で……まだまだ始動したばかりだ。
「しばらくは似たような風景が続くはずだ。後ろで寝ていてもいいぞ?」
「夜寝れなくなるからいい。それに……」
こてん、と、頭を肩にあずけてくると、ほんの少しの重さと温度が伝わる。仄かに赤く染まった頬に、柔らかな笑顔。
「一緒なら、退屈しないよ」
「……そうだな。退屈とは無縁になりそうだ」
あーもーほんといい子だな!!ほんと俺にはもったいないわ!!
まったりした気持ちで街道を進んでいく。この旅行は楽しいものになりそうな気がした。
お読み頂き有難うございました。




