沈む失敗作
雨が止んだ暗闇の中、畑に罠を仕込みを終えた俺達はエルッケの森入口前まで泥飛沫を上げながら駆けた。
「リラ、なんとか持たせられるか?」
「がんばる~~」
「全部終わったら、腹いっぱいケーキ食べさせるぞ!!」
「やったぁ!!」
へにょった状態から持ち直したリラが先行し、走りながら黒い竜翼を広げて空へと上がる。翼は宵闇に溶けこみ、見えなくなった。
未だ炎が燻る森からアラストルの巨体が起き上がる。ゆっくりと前進を始めて森を抜け、巨体の全てを現わにした。
「なん、だ……ありゃ?」
奴の右足に目を奪われた。右足首関節部の鱗は破壊され、真っ赤な血が噴き出している。吹き出した血は地に落ちるやいなや発火しだした。
なるほど、あれがブレス以外の発火手段……か。あれじゃあどっちにしろ凍結作戦は使えなかったな。やったのはグレンだろう。そしてあれが、不自然な発火の原因……転げまわって傷口から血飛沫が拡散した結果か。
右眼は瞼が閉じられ、そこから流血し続けている。目として機能しているようには全く見えなかった。
いや、注目すべきはそこではない。胴が目からの出血で僅かだが血濡れになっているにも関わらず、全く燃えていない。単純に耐火性能が高いのではなく、出火という事象そのものを否定しているのか?流石最強の失敗作……。
……っし、焦らず、確実に、始末する。グレンの安否確認を出来るなら最優先にしたいが、それができる状況にするには、目の前のこのデカブツが邪魔だ。何をしようにも、コイツの存在が邪魔だ!!
「ジーク!リラのアシスト任せる!!」
「おウ!!」
ジークが進路を左へと逸らす。俺はそこですかさず、空いた右手から雷球を出す。中位の雷術、[スパークボール]だ。
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スパークボール
射出系中位雷術。
雷球を作り出し、対象へ向けて射出する。
雷級の大きさは・威力は消費魔力量に比例し、雷球への射出あるいは接触まで状態は維持される。
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バチバチと弾ける雷球により、俺とユーディの周囲は明るく照らされる。
これは攻撃の為のものではない。光源を発生させることで、その周囲の暗闇を強調することが狙いだ。つまりこれで、奴に残された左目には俺とユーディのみが映るはず。
ズシリ、ズシリと、ゆっくりと一歩ずつ前進を始めるアラストル。ギロリと、残る左眼が俺たちを睨んだ。
「グルゥォァアアアアア!!!」
大口を開け、その中心に赤い光が収束し始める。
撃ってくる、間違いなくこっちに!
その光が放たれようとしたその瞬間、小さな漆黒の影がアラストルの右顔面に衝突した。
「ゴゲァァアア!??」
俺たちに放たれるはずだった爆炎は、見当違いの上空に打ち上げられ、雨雲を貫いた。貫かれた雨雲から差し込む月明かりは、光の階段のようだった。
アラストルは攻撃者を探そうと見回すも、既に攻撃を仕掛けたリラは闇に溶けて逃げている。
リラの仕事はアラストルの火炎を徹底的に妨害する事。全開の状態ならば正面で殴り合いもできるだろうが、空腹でヘロヘロの状態では、これがギリギリだろう。この暗闇に加え片目が潰れて半減した視界でなら、例え空腹でも3次元的に動けるリラにとって隠れる場所はいくらでも存在するのだ。
俺もユーディも、アラストルの炎を受ければ、修復すら間に合わず黒焦げで死ぬ。ジークなら即死だ。仮に狙いがそれたとしても、水濡れの甜菜畑であろうと容易く燃やし灰にするだろう。自在に飛び回るリラが妨害することで、炎を打つことそのものが無駄であると思わせるのだ。結果的に撃つ間隔が少しでも長くなれば上々。
この作戦のタイムリミットは、防御の要であるリラが力尽きるまで。そして俺達の仕事は、アラストルを目的地まで釣り上げることだ。
「よし、ばらまくぞ!!」
「ん!」
俺とユーディは揃って後退を始める。俺は[スパークボール]を、ユーディは[アクアアロー]をアラストルの前面へとばら撒く。
元の威力も大したものではない上に分散しているためダメージは微塵もなく、俺に至ってはノーコンだが、釣り上げるだけの挑発にはなった。グレンの進路妨害に始まり、リラにブレスを妨害され、その上効きもしない攻撃を逃げながら撃たれる。思い通りにならない状況に、頭に来ないはずがない。
「グルォァアアアーーーーーー!!!」
「よし、ユーディ!!」
「ん、まかせて!」
俺はユーディを抱き上げて、畑の目的地点へ一直線に駆ける。その間腕の中のユーディは、アラストルに[アクアアロー]を撃ち続ける。
「グルォァアアアアアアアアアアアア!!!」
振り返ることなくアラストルの速度に合わせて走り続ける。徐々に大きくなる揺れと足音から近づいてくるのがわかる。恐らく後方の畑は踏み荒らされ、収穫前の甜菜はボロボロの有様だろう。必要経費とは言え……あーもったいねぇ……。その畑の一角、仕込んだ目的地は目と鼻の先だ。
「跳ぶぞ!!」
全力で駆け、踏切りと同時に[アンチグラビティ]をかける。地面に対してほぼ水平に、幅跳びのごとく低く、遠くに跳んだ。跳躍距離は既に世界記録をゆうに超えている、が──
「とっ、ととととととっ!?」
それでも若干跳ぶ距離が足らなかった。仕込みの場所に足がつきそうになり、慌てて[アンチグラビティ]を追加でかけ、沈まないように走る。仕込んだ場所を走り抜き……
「ナナにぃ、かかるまで3秒、2、1!!」
「グゥロ!?」
アラストルの困惑の声を聞き、そのまま振り返った。
アラストルの巨体はズブズブと俺たちが跳び越えた『泥沼』に沈んでいく。もがけばもがくほど沈み、まとわりつく泥によって機動力を奪われていく厄介な代物だ。
「グルォォオオオ!!」
俺が土術、ユーディが水術。二人がかりの水土術[ボトムレスヴォグ]。底なしの泥沼。これが俺達の策だ。
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ボトムレスヴォグ
天地系水土術。
指定範囲の土を過剰な水で撹拌し、泥沼を作り出す。
この泥沼に有効時間は存在せず、埋め立てや乾燥等の干渉が無い限り存在し続け、範囲・深さは消費魔力量に比例する。
指定範囲に大量の土と、その土を超えるだけの水が無ければ使用できない。
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普通、眼前に不自然な泥沼が出来ていればわざわざ踏み越えはしない。見え見えのトラップだ。避けて当然である。だが今は事情が違う。雨によって広範囲が濡れ、さらに暗闇によって足元はよく見えない有様だ。雲の穴から零れ落ちる月明かりがその闇をさらに強調し、畑の土と泥沼の判別も覚束無い。そこへさらに挑発行為をすれば、周囲の環境へ注意を回すだけの精神的余力は皆無に近いと言っていい。罠にはめる必殺の布陣だ。
「グゴァァァァァアアアアアア!!!」
俺とユーディへ向けて、苦し紛れに火炎を吐き出すが、その炎はこちらには届かない。
「やらせないよ~っ!!」
宵闇の中迸るリラが吐き出した火炎が、アラストルの爆炎にぶつかり、相殺。炎の欠片を周囲に降らせたが、落ちた先は泥水の上と、甜菜の葉の上。水気は十分にあるため、火災には至らない。ただそれでも、相当数の甜菜がゴミに変わってしまっただろう。あーもったいねぇ……。
「う~、も~だめ~……」
上空でリラがぐらりとバランスを崩し、翼が消滅した。翼を無くしたために滞空状態を維持できず、落下していく。
「ジーク!!出番だ!!」
闇の中で影が走る。ジークはリラの落下地点に先回りし、抱き留めて回収。
「大丈夫ダ!打ち合わせ通りにやル!」
「頼むぞ!!」
そのままジークとリラはウルラント方向へと撤退した。
実際、変身できないリラはそのままにはしておけないし、接近攻撃手段しか持たないジークに底なしの泥沼を泳いで攻撃させるわけにもいかない。
「グルゥウウウ!!!」
あっというまに、アラストルの胸の下まで泥に埋まった。このまま最後まで沈みきれば、肺に泥水が満たされ呼吸を奪い、全身が泥沼に絡め取られ窒息死だ。
作戦の仕上げのためにユーディを下ろし、沈みゆくアラストルを睨みつける。
「卑怯だと思うか?そう思うなら、未熟ってことだ。これは俺達ウルラントの住民とお前との『戦争』。戦争で手段を選ぶ奴は、慢心自惚れ三流野郎だ。戦争はな、手段を選ばないクソ野郎が勝つんだよ」
「グルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
アラストルは両腕をかき分け、這い出そうともがく。しかし、それ以上にズブズブと沈んでいく。巨体、そして全身を覆う超密度のカルシウムがベース素材だと思われる鱗。それらの重量があまりにも重すぎた。
もし、アラストルに翼があったのなら、犬かきが出来たならば、もっと軽かったら……あるいは、俺たちが敗北していたかもしれない。まあ、まだ勝利したというわけでもないが……。
「しかし、まだ足掻くか。いいね。その姿勢、嫌いじゃない」
右手を天に向け、以前子供たちに見せた[スパークリングノヴァ]を展開。戯れに子供たちへ見せた段階では未完成だったが、これは完全版。そこへさらに持てる限りの魔力を注いだ代物だ。大きさもふた回り大きく、電圧も更に上がっている。概算で落雷の10倍以上のエネルギーだ……と、思う。並大抵の生物なら感電死だ。並でなくとも相手が水分を有するならば、どれだけ硬い装甲であろうと無視して感電させられる。
「んっ、まぶしぃ……」
その光量は凄まじく、辺り一帯が昼間のように明るく照らされた。このまま時間を与えるつもりはない。爪先から脳天までシビれさせて……。
「沈め」
腕を下ろし、アラストルへ向けて放たれた[スパークリングノヴァ]は──
パァァァァッァン────……!!
命中し、そのままアラストルを電撃で焼いていく。さらに追撃と言わんばかりに爆ぜ、衝撃が周囲に、そして中心のアラストルに襲い掛かる。肉が焼け焦げる匂いが周囲に漂った。
未だ沈まないアラストルの体から白煙が昇る。微動だにせず、残りすべてが沈むまであっという間だった。
「おわった……の?」
「ああ。もう脱出する術はないだろう」
「ふにゃ……」
ぺたりと、その場に腰を落としてしまった。
「いろいろすごくて、腰、抜けちゃった……」
「スカートが泥だらけじゃないか……よいしょっと」
再度ユーディを抱き上げ、周囲を一望する。火種燻るエルッケの森に、踏み荒らされた甜菜畑、その一角にできた巨大な泥沼……大荒れの一言で済む規模ではないが……なんとか、終わったのだ。
「私、役に立った?」
「もちろん。もしいなかったら詰んでた」
世辞抜きでそう思う。ユーディがいなければダメ押しの[スパークリングノヴァ]を打てるだけの余力はなかった。
「ん、ならご褒美……ほしいな」
「それを言うなら俺だってご褒美が欲しい」
ユーディの両腕が首に回されて、軽く唇が触れ合った。
キマイラ戦を経験してなければ、間違いなく敗北していただろう。キマイラ相手では未遂に終わったが、未経験で対峙していたなら確実に…………。
まあ、日々の鍛錬があってこその勝利───
『まだだ。まだ終わらん……!!!』
ゾクリと、冷や汗が流れる。
頭の中で[危機察知]のサイレンがやかましく鳴り響いている。アラストルが現れたにも関わらず鳴り響かなかったサイレンが、今更になってガンガンガンガンと。
……まさか?
「っ!?何か、出てくる!?」
泥沼に無数の波紋が浮かぶ。
波紋の中心から、欠片のようなものが大量に浮かび上がり、水濡れの甜菜畑へまるでミサイルのように降り注ぎ埋もれる。なんとか落下する物体を目で追うと、それは白く、鱗のような物──いや、アラストルの鱗そのものだ。
ここにいるのは危ない。そう思った俺はユーディを抱いたまま全力で泥沼から離れた。
「往生際が悪い……」
ウルラント側へと駆けてちらりと後ろを振り返ると、落下した鱗を起点に、竜の頭蓋を持つスケルトンが畑から這い出してきた。泥沼を中心に、その周囲がスケルトンで埋め尽くされていく。
「天上位の[メイクアンデッド]だと!?それもこれだけの数をやれるだけの余力があったのか……!」
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メイクアンデッド
使役系天上位陰術。
任意の不死者を錬成し、意思無き下僕として使役する。錬成する不死者は、任意種族のソンビ、スケルトンから選択可能で、単純な命令のみ受け付ける。
錬成にはベースとなる素材が必要であり、素材が無ければ錬成されない。 また、錬成された不死者はベース素材の特性を有する。
錬成時に魔力を追加消費することで、ゾンビ系ならば上位種であるレヴナント、リッチ、アークリッチから、スケルトン系ならばスカルソルジャー、ドラグボーンウォリアー、スカルジェネラルから選択できる。各系統、後者になればなるほど消費魔力が増加する。
この使役数に上限は存在せず、一度錬成すれば完全に破壊するまで命令を実行し続ける。
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天上位──術における格付けの頂点。
それらは総じて複雑な発動式と長ったるい詠唱を有し、膨大な魔力を消費して発動に至る……ああ、くそ。あの野郎、天上位の術を感覚で使いやがったのか?
「あれって、ジークが言ってた……の、だよね?」
「……恐らくあれは、ドラグボーンウォリアーだ。精鋭兵のガチ装備でろくに歯が立たないっていう……まっずいな……」
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ドラグボーンウォリアー
砕けた竜の骨から生まれると伝わる不死者。
その強度は金属レベルにまで達し、本来弱点である打撃と対し高い耐性を得るに至る。
凡そ弱点らしい弱点は陽術と太陽光以外になく、たった1体に町を滅ぼされた記録が残っている。
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目視可能なだけでもゆうに100は超え、今なお増え続けている。ジークもリラも戻してしまったし、グレンもいない。ここで俺達が食い止めなければ、市街地へなだれ込まれてしまうだろう。
だが……。
「ユーディ、余力どれだけある?」
「んぅ……あんまり……」
「俺もだ……追加の[アンチグラビティ]が響いたな……。せめてもう一発[ボトムレスヴォグ]が出来る程度には鍛えておくべきだったな……」
いや、撃てても無呼吸のアンデッドには通じないだろう。這い上がるまでの時間稼ぎにしかならない。[スパークリングノヴァ]は撃ててもあと1発。……撃てば俺が確実に倒れるだろう。
雷術は対生物に特化した属性だ。仮に撃っても骨相手にはろくに効きはしない。相性が悪すぎる。その上ベース素材がアラストルの鱗だとすれば、ゾディアックバーンはおろか火術も効かないだろう。
いや、効こうが効くまいが圧殺される。戦いは数……まさにそれを表している。覆しようがない戦力差だ。
「どうすれば……」
お読み頂き有難うございました。




