もう一柱の守護獣 その1
「……どうだ、ウバン?お前の目には何が見える?」
「何も見えん。黒か雲も蒼か炎もバヌブグナスも、何も見えん」
山間の街道の目と鼻の先まで走り逃れた俺達は、振り返り状況を確認していた。
[土竜の眼]をかけ、焼け跡を端から端まで、徹底して舐めるように見ていく。
バヌブグナスは影も形もない。
「殺しきったんか……?」
「だといいんだけどな」
流石に相手が規格外すぎるからな、断言できないのが痛いところだ。
全力は出した。火力を上げる手は尽くした。しかしそれでも相手が相手だ。100%完全に滅したと考えるのは侮りに他ならない。
……仮に、アレが死したバヌブルの魂が集まったモノだとしたら、今後の長い年月を経て、何十、或いは何百、或いは何千とバヌブルが狩られることで復活する危険性がある。
それが10年後か100年後か、それとも明日か、もしかすれば今日中という事も……完全なゼロとは言い難いだろう。
殺して死体が残る手合いじゃあない、つまり殺した証拠が残らない。即座に100%の確証が持てず、時間を要する。霊体の厄介な所だ。
「しかし……これだけ喧しくどたばた揺らしておいて、未だぐっすり寝てるお前の子供はとんでもないな」
「ああ。うらも驚いとる」
ここに至るまでの間、一度もぐずるどころか目覚めず籠の中で眠り続けるウバンの子供──ルバニ。普通の赤ん坊ならまず起きておぎゃーびえーんと泣き喚いているところだ。図太いという一言でかたずけられるレベルじゃあない。
「とんでもない大物になりそうだな、その子は」
「……しかし、どうすればええがか?こんままだと、ルバニば飢える」
「……」
街道に向き直り、少し外れた場にある廃墟を見る。
赤子。赤ん坊。ベイビー。赤さん。バブさん。呼び方は多々あれど、根本は同じだ。多細胞生命の、他者の助けなしに明日も生きられない程に虚弱な、生命の最初期。ある程度手がかからなくなるまで、とても苦労する存在だ。子供1人を育てるためには、村が一つ必要だと言われる国があるくらいに苦労する。
今の俺達もその例に漏れず、大の男二人で打開策を探る真っ最中。何せ、ミルクのアテにしていた村が既に廃墟になっていたのだ。
村があれば、そこに子育て中の女がいれば、交渉次第でミルクを得る事も出来ただろう。或いは米のとぎ汁のような、そういうミルクの代わりになるものを得られた可能性もあっただろう。
だが、廃墟になっているんじゃあどうしようもない。
単身先行して廃墟を軽く調べた結果、朽ちた家屋に白骨死体がごろごろ転がっていた。
骨格から性別は男のみ。何れもが頭部や胸部等に鈍器による打撲や、何らかの武器による刺突・斬撃の痕跡があった。白骨死体に女子供のモノは一つもない。
推測するに、何年も前に山賊に襲われたのだろう。女子供は攫われ売られたか、性奴隷として消費されたか……。何れにしても、グランヴェルデは統治国家として落第点だ。
……村が地図上から消えているリスクを考えなかったわけじゃあない。街道近く──曖昧とはいえ国境の近くだが、山賊の縄張りにあるのだから。
事実、ラティエッタの依頼で朽ちた塔へのルートを模索する中、街道から回り込むルートが提示された際、アンリは村の存在について何も言わなかった。恐らく消えている事を知っていたのだろう。
「ナナクサ、誰ぞアテないがか?」
「無い。あったらこんなに頭を悩ませちゃあいない」
フィエルザはそもそも大きい方じゃない……いや、それ以前に出ない。母乳は胸が有れば無条件で出るものではないのだ。メロンだろうが絶壁だろうが、子供を授かっていなければ等しく出ない、そういうものだ。
……兎も角、このまま街道を進んでフォルクマルデに戻っても、人肉の売買が行われる程に追い込まれた場所でどうにかなるとは思えない。
「ヤヌイスパん行っても、追い払われっか、殺されっかだ。ほとぼり冷めるまで行けん。……南か北いって国出っか?……無理か。時間ばかかり過ぎる」
赤ん坊は兎に角すぐに腹が減る。胃袋も腸も何もかもが小さいんだ、しょうがない。むしろここまでぐずらなかったのが奇跡だ。
が……そんな奇跡も、バヌブグナスを振り払った奇跡も、全てがその場しのぎでしかなかった。
詰んでいる。詰みの状況だ。だが……。
「かといって……そう、かといって、だ。大の大人が揃い揃って簡単にあきらめるわけにはいかない」
「ぁあ。みっともなか姿、最後ん最後まで見せられん」
ここで簡単に投げ出しちゃあ、これまでの人生経験全てを否定するに等しい。
人生の大半は失敗の経験だ。失敗を積み重ね糧にて、一握りの成功を得る。大多数の人生なんてそんなもの。俺も例に漏れずそうだ。
その失敗経験を何の糧にもできないなら、自分の人生の大半が無価値だと自己否定することになる。それで傷つくのが自分だけならまだしも……。
「ふぇ……ぇあああ……!びぇああああああああ!!!びぇええええああああああああああああーーーーーーーーーー!!!」
ルバニが泣き出した。
「おー、よぉよぉ。ええ子だ、ええ子だから泣き止んどくれ」
泣きわめくルバニをあやすウバン。その顔は、苦悶を無理やり押し殺した笑顔だ。
泣いている間はまだいい。それが出来るだけのエネルギーがあるという事だから。
人体の栄養状態が限界に陥ると、集るハエを振り払う元気すらなくなる。そうなればもはや秒読みだ。
まだ少し、まだ少し時間は残されている。残されているが……。
([グラットストマック]の中に、ミルクに変わる物に加工できるものは無い。離乳食ならヤキソバパンのソースに濡れいないパンを水でふやかして潰せばどうにかできるが……)
……何の妙案も浮かばない。幾度となく頭の中の情報を洗い出すも、希望を見出せない。無駄に時間が過ぎていく。
[アクセルバースト]で単身加速してヤヌイスパに潜り込もうにも、ここにたどり着くまでの間に使った身体強化魔法の維持で体内魔力は本当にカツカツだ。絞っても何も出ない、乾いた雑巾レベルでカツカツよ。回復に要する休息時間と移動時間を合わせたら日を跨いでしまう。燃費さえ良ければ……。
いや、そもそも、そもそもだ。ヤヌイスパではチーズは有れどミルクは無かった。
そりゃあそうだ。液体は重い。それぞれの部族でミルクを出すメェヌと共に有るならば、わざわざヤヌイスパくんだりまで行って重いミルクを買う必要はない。
売ろうにも常温のミルクはあっという間に痛む。苦労して運んでいる最中に痛むだろう。絞ったミルクが漏れない大きな容器となれば、素材は必然金属となり、余計に重くなし用意するコストたって馬鹿にならない。売り手にとってハイリスクローリターンだ。ならばまだチーズの方が売れる。
万事休す、か……?行き詰ると無駄な思考が増えてしまう。それでも思考を止めないのは、足掻きだからだ。無理を無理と認めたくない、砂粒にも満たない可能性を、希望を掴みたいという願いがそうさせる。
「……ん?」
不意に、肌寒さを感じた。
意識を思考の海から引き上げると、いつの間にか、周囲に霧が立ち込めている。
「何ぞ、霧ば出てきおった……?」
ルバニをあやしながら困惑するウバン。
そりゃあそうだ。ついぞさっきまで霧のきの字もない状況だった。ほんの少し、ほんのわずかな時間、意識を思考に没頭している間に広がっていた。
太陽は立ち込める霧に阻まれ朧。肌寒さは太陽光の熱が遮られたからか。……自然発生したものではないな、間違いなく。
軽く手指を動かし、飛び跳ね、感覚を確かめる。……異常はないようだ。
「ただの霧か……いや、そんなわけがない」
[スロウミスト]のような妨害を目的としてモノではない。本当にただの霧だ。
が、その認識は間違いだ。ただの霧がこんなに素早く広がるわけがない。明らかに自然ではない、何かの意志が介在しているモノだ。それがごく普通のただの霧であるわけがない。
[グラットストマック]から金属バット[葬乱]を引っ張り出し、備える。
「ウバン……いざとなったらお前達だけでも離脱しろ」
「……出来ん」
ウバンの片手には、既に抜身の曲刀が握られていた。
どちらから示すわけでもなく、自然と、暗黙の了解のように背中合わせに警戒する。
霧の厄介な所は、視認性が大きく遮られる点だ。何せ、[土竜の眼]の利点が悉く潰されてしまう。ド近眼が眼鏡を奪われるようなものだ。
「ナナクサ、お前ん魔法でどうにか出来んがか?」
「言っただろう?スッカラカンだ」
索敵の[シルフィードウィスパー]を瞬間的に使う余力すらない。
「びぇああああああああーーーーーーーーーーーーーーー!!!ええええああああああああああああーーーーーーーーーー!!!」
ルバニの鳴き声が木霊する中、警戒を続ける大人2人。
だが一向に何も起きない。
……何故だ?
俺は体内魔力からっぽ。ウバンはルバニで片腕が塞がっている状況。俺の体内魔力事情を知らなくても、客観的に見れば襲うに最も有利。
だというのに……一体何が狙いだ?分らん。全く分からん。
『ンメェェェーーーーーーーーーーーーンヌゥ……』
……?獣の鳴き声?
「あん鳴き声……霧……そういうこっか」
いや、どういうことだウバン?
「ナナクサ、武器下ろし。大丈夫だ。こん霧ん主ば、敵やなか」
「待て待て、話が飛んでいる。説明しろ」
「はよ下ろせ。こんままじゃルバニば助からん」
「……」
観念して[葬乱]を地面にぶっ刺し、手を離す。
説明を無理にでも求めたいところだが、ルバニが助かるかもしれないというのなら、一旦飲み込むしかない。
それとほぼ同時に、真後ろから大きな気配を感じ、振り返る。
すっかり濃くなった霧の向こうから、大きな何かの影が近づいている。
朧げな輪郭は徐々にはっきりとしていき……。
「羊……いや、メェヌ……か?」
現れたのは、高さ2メートルは有ろう黄金のモコモコ毛に包まれた羊──いや、これがメェヌか?俺がよく知る羊より角がおおきく太く、三重巻きになっている。
「こん姿ば……守護獣メヌェヌェムがか?」
メヌェヌェムはこちらに近づこうとせず、その場に座り込んだ。
そして……我が目を疑った。
メヌェヌェムの体を覆うモコモコの毛から、まるでかくれんぼでもしていたかのように、ニュッと小さなメヌェヌェム──いや、メェヌが出てきた。それも、2頭。
いやいやいやいや、物理的におかしい。確かに毛量は極めて多いが、今し方出てきたメェヌ2頭を抱え込めるだけの量ではないのは明らかだ。その毛は何なんだ?どこ○もドアか?
メヌェヌェムは立ち上がると、細い尻尾を向けて霧の中をゆっくりと進んでいき……そのまま姿を晦ました。
同時に、立ち込めていた霧は急速に薄くなっていく。あの霧はメヌェヌェムが出したもので間違いないようだ。
2頭のメェヌは、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてくる。
「……あん言い伝えば、本当だったんか」
「いや、何1人で納得しているんだ?説明しろ説明を」
「昔族長ば言っとった。母親ばなくした赤んぼに、メヌェヌェムば雄と雌んメェヌ預けて生きさせっと」
何だ、つまり詰んでいなかったという事か?
近づいた2頭のうち1頭がごろんと腹を向けて寝っ転がると、6つの乳房がみえた。成程、この個体が雌か。
ウバンは雌メェヌに泣きわめくルバニを抱えて連れていき、乳を吸わせた。
泣くことを止めたルバニは一心不乱に乳を吸っている。その姿に安堵したのか、ウバンは静かに、声を上げず涙を流している。
……窮地は脱したようだ。が、新たな疑問が生まれた。
「そもそもメェヌは一体何なんだ?」
「……元々メェヌば、メヌェヌェムから預かった言われとる。部族んメェヌも、始まりば2頭預かったと」
「預かった、ねぇ……。メェヌ側に何のメリットが?」
「メェヌば自分ん毛ぇ刈れん。伸びすぎっと、絡まっち動けんくなるらしか。特に雄ば雌より倍早う伸びる」
絡まって、なぁ。……そういえばずいぶん昔に、トリミングされずに放置された犬が自分の毛で絡まってしっちゃかめっちゃかになったという記事を読んだことがある……気がする。
今でこそ2頭のメェヌが抱える毛量は相当なものだ。これが刈り取られずさらに伸びるとなれば、確かに危ない。足に絡まるだろうし、視界も阻まれるだろう。枯草や枝などのゴミも巻き込むだろう。雨が降ろうものなら大量の水を吸って強制筋トレの上、含んだ水に体温を奪われ衰弱し、最悪死に至るかもしれない。
うーん……メリットがないどころか、平均寿命に直結する大問題だな。成程、毛を駆れる手を持つ草原の民に預けるのは、種の繁栄の為には賢い選択なのかもしれない。
「部族ば無くなっとき、メヌェヌェムば育てとったメェヌば引き取る言われとる。……うらば部族あっとこば周り、メェヌ居なかったろ?」
そういやそうだ。遠くを走る馬は見えたが、今目の前にいるようなメェヌは1頭たりとも見かけなかった。
複数飼っていて、どう考えても馬より足が遅いのになぜ全く見かけなかったのか。あの時点で気にしちゃいなかったが、言われて見るとおかしな点が目立つ。
つまり……バヌブグナスが潰すより先んじて、メヌェヌェムが回収したという事だ。
「じゃっと、バヌブグナスん時と違うて、誰も見とらん。族長ば本当かよう知らん言うとった」
「伝説と与太話、半々だったというわけか」
視線をルバニに送ると、満腹になったのか乳首から口を離していた。
「飲み終わったようだな。……なぁ、今更なんだが」
「何ぞ?」
「メェヌのミルク直飲みって大丈夫なのか?こう、成分的な問題とか……」
「せーぶんとか知らんが、うらば赤んぼん頃ば、メェヌん乳そのまま飲んどったて、族長ば言うとった」
……成程。成分的に問題が無いのか、それとも消化器の性能が人種レベルで違うのか、いずれにせよ草原の民にとって何ら特別な事ではないらしい。
「なら、さっさとげっぷを出させてしまおう」
お読みいただき感謝。あつい、ひからびそう




