全ては無限の可能性の為に その4
ウバンが矢を弓弦に番え、空を覆う黒雲へ向け、引き絞る。
「バヌブグナスの真上狙いがベストだが、多少ズレてもいい。黒雲の高度に届かせる事……それが最重要だ」
ウバンからの返事はない。いや、或いは聞こえていないのかもしれない。
雲を穿つ──それは草原の民の誰もが、幼心に描く夢想。
届きはしない。
見えやしない。
無駄。
矢が勿体無い。
そんな事よりメェヌの乳絞れ。
成長を重ね、そんな現実と向き合う事で消えていく、儚く幼い夢想。
(こんば何んなるか、うらにはわからんが、ナナクサはここまで殺そうとしたうらと、ルバニを助けた。信じっぞ)
引き絞られた強弓から、石の矢が放たれた!
矢は空を裂くように、回転を伴って上昇を続け──ものの数秒で肉眼でとらえられない高度に達する。
その最中、ナナクサはルバニの眠る籠をウバンに渡すと、[グラットストマック]に手を突っ込み、目的のもの取り出していく。
ムジェイが盗み出したグランヴェルデが国宝の一つ、聖晶。
パンゲアストン──否、ゼノストン撃破により獲得した、大聖晶。
それらを左腕に抱え、さらに右手を突っ込み探る。
「借りるぞ、コルネ」
引き抜かれた手に持っていたのは、牙を模ったルビーの飾りが下がった杖──亡きコルネの愛杖[ルビートゥース]だ!
バンッッッッ────!!!
同時に、ウバンが放った矢が黒雲の中で爆ぜるッ!!
まるでミサイルでも着弾したかのように、大気を震わせ、黒雲に大穴をぶち開けた!!
次いで、上空からの暴風が彼らを襲う!
「な……なん!?」
「届いたんだ、お前が放った矢が、黒雲まで」
三式弾という砲弾がかつて存在した。世界大戦の折に運用された砲弾で、空母より発艦する艦載機の、その飛行高度以上の高度に達する事で破裂し、内部に搭載した榴弾を傘状にばら撒く──艦載機殲滅に重きを置いた対空兵器の一つだ。
ナナクサはこの三式弾の破裂構造を応用し、ウバンが放った矢に──鏃に組み込んだ。無論、そこに封入したのは榴弾ではない。何百、何千リットルもの、いや、封入した本人ですら測定を途中放棄した、超圧縮空気だ!
目標高度で破裂する事で大量の空気が黒雲内にぶちまけられ、物理的に黒雲を霧散せたのである!その衝撃は爆弾──いや、ミサイルに等しい!それによって姿を現すは──太陽ッ!!
『ブルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?!?!?!?!?!?』
黒雲の大穴から覗く太陽が容赦なく、バヌブグナスを照らす。
草原に苦悶の鳴き声が響き渡った。
(これで確定だ。奴は間違いなく、神でも何でもない死霊の類。でなければ、太陽光でここまで苦しんだりはしない。ただの死霊であるなら、アレが有効だ。万が一、アラストルが復活して牙を剥いた場合に、完全に殺しきれるように修得した火魔法が!)
ナナクサが[ルビートゥース]を構え──緩やかに、口を開いた。
「浄罪の炎よ。我が意に従い、我が手に集え」
ナナクサの体内魔力が急速に失われていく。
本来ナナクサに必要ない詠唱。速効性に欠ける詠唱。だが、それによってより強固にされたイメージは、速効性を犠牲に根本的な威力を上昇させる。
即ち、現時点におけるナナクサが発動可能な、広域殲滅──対死霊を目的とした火魔法──その最大火力が、顕現しようとしている!
「滅ぼすは不浄。滅ぼすは罪。滅ぼすは業」
2つの聖晶から、失われた体内魔力を補うようにナナクサに流れ込む。
が、それすらも発動させようとする魔法に悉く吸われていく。
「我求めるは裁きに非ず。求めるは第二の死。求めるは三滅の果て」
膨大な体内魔力の消費。それに伴い、激流の如く集う体外魔力。その様相は地上の渦潮か。ナナクサの周囲に、蒼炎が羽衣の様に漂い始める。
「我が前に立ちふさがりし穢れを、過ぎ去りし過去と無限の未来を冒涜する愚者を、地獄の浄罪を以て等しく無へ帰し、罪業に終焉を──ジャハンナム!!!」
ナナクサが地面に[ルビートゥース]の石突を突き刺す。
[ルビートゥース]を起点に、蒼炎がバヌブグナスへ走った!
「炎ば、走りよるか!?」
蒼炎はバヌブグナスの周りを走り囲むと、天まで届かんばかりの炎壁となり、閉じ込めた!
『ブルォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!』
バヌブグナスの鳴き声──否、絶叫が草原に響く。
蒼炎の檻の中で、バヌブグナスは燃えていた。足元にも、腹の真下にも、前後左右も蒼炎。天に至っては蒼炎と太陽。逃げ場のない、完全なる全方位攻撃だ。
無論、巨体のバヌブグナスを閉じ込める炎が薄っぺらい筈もない。バヌブグナスを閉じ込め焼き尽くしている檻はまさに、山。大草原に突如として黒雲を穿つように現れた、蒼炎の山だ。
「あー、しんど……もう[ライト]の1つも出ないわ……」
やることやったナナクサは、その場に胡坐をかいて座り込み、燃え盛る蒼炎の山を見て……否、見ずにそのままごろんと仰向けに寝転んだ。
片やウバンは──
「なんつー……」
言葉が無かった。視た事もない蒼い炎。山の如き炎。守護獣の絶叫。草原における荒唐無稽が、目の前にあった。
「……ナ、ナナクサ。……大丈夫なんか?」
「何がだ……?」
「バヌブグナス……あれで終わりなんか?」
「……そうさな、簡単に説明すると、アレはバヌブグナス相手にならめちゃくちゃよく燃える。加えて、人を殺しまくっていたらさらに良く燃える。そういうモノだ」
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ジャハンナム
殲滅系最上位火魔法、および火術。
目標を中心とした指定範囲を炎の檻で囲い、内部の目標を焼き尽くす。この目標は生物・非生物を問わず、土地を範囲指定する事も出来る。また、あらゆる消火行為の影響を受けない。
この炎の檻は死霊に対し威力が4倍に増加する。また、炎で燃やされている対象が知的生命体の殺害経験を重ねている場合、別途威力が増加する。殺害経験による威力増加率は知的生命体1の殺害で0.01倍加算され、この加算に上限は無い。
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(半端な広さの場所で使おうものなら余計なモノまで焼いてしまうし、酸素も尽きてしまう。特定の対象に絶大な効果を持つ反面、地形の制約が大きすぎる代物。故に、キシュサールが死の谷で定期的に罪人の死体や魔物を焼いていたらしい魔法だ。遮蔽物の無いこの草原なら、遠慮なく撃てる)
使い所が難しいのが火魔法だが、他の追随を許さない威力を持つのが最大の強みだ。
(残るほぼ全ての体内魔力と聖晶の体内魔力を注ぎ込んで基礎威力を水増し、詠唱による底上げ、そこに[ルビートゥース]の威力補助と熱源である太陽下での威力補正。ただそれだけなら、威力は同じ最上位火魔法の[メギドフレイム]に分があるが、相手が死霊であり、長年に渡って途方もない殺害を重ねているならば、威力は[ジャハンナム]が上回る。だが……)
蒼炎の檻の中で、バヌブグナスは藻掻き苦しむ。
どうにか、なんとかしてこの地獄から脱しようと、1歩進む。──が、蒼炎に触れた体は消滅。巨体を構成する黒霧を黒雲から補充しようにも、既に頭上のソレは散り、微かに注がれる黒霧は悉くが蒼炎によって燃やされ、消滅し続けている。
『ブルォォオオオオォォオオオ……!!!オルォオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』
文字通り、手も足も出ない。バヌブルを守護する存在が、守護の為に禁を破った矮小な草原の民を悉く殺してきた存在が、これまで殺してきた矮小な草原の民と同様に、否、計り知れない苦痛と共に成す術もなく消滅に向かっている。
「よし、今の内だ。逃げるぞ、ウバン!」
「逃げ……ちょ、待ち!?滅ぼせんのか!?」
「守護獣とまで言われる相手だ、保証はない!死なば諸共、なんて言葉もある。最悪に備えて、できる限り距離を稼ぐ!」
「…………わーった」
蒼く燃え盛るバヌブグナスを背に、ナナクサとウバンは西へ西へと走る。
『ブルオオオオオーーーーー!!!ブルゥウウォオオオオオオオーーーーーーーーーー!!!』
バヌブグナスの断末魔が呪詛めいて響く。
「ざまぁみれ、クソが」
ウバンが一瞬振り返り、吐き捨てるようにつぶやいた。
『敬意』とは、対象の特徴を見極め適切に対応する事であり、同時に感謝・尊敬の念をもって接する事だ。
バヌブグナスに草原の民への敬意が全く無いとは言えない。完全にゼロならば、そもそもバヌブルを狩る事を許さず、一方的に蹂躙し尽くしていただろう。草原の民に一定の『敬意』があったからこそ、ルールを定めた。
が……それ以上に侮りがあった。時が流れ、死したバヌブルの魂を部分的に取り込み続けたことで力は増し続け、驕った。故に禁を破った草原の民を一族諸共無関係な者まで潰してきた。それが最も思考を必要とせず、己の力を誇示し畏怖させる最もシンプルな手段故に。その果てが──この有様だ。
揺らめく蒼い炎の向こうに消えゆくナナクサとウバン。抱く感情は恨みと憎しみだけ。だがそれは一方的に潰し殺された草原の民が死に際に抱いた感情と同じだった。
因果応報とはこの事か。それに最後まで気づけぬまま──バヌブグナスは誰に看取られることなく、蒼炎の檻の中で燃え尽きた。
この日、大草原の守護獣が一柱バヌブグナスが消滅した。
これによりバヌブル達の姿を隠していた[バヌブグナスの恩寵]が消え、その姿を冒険者や旅人にも表す事になる。消滅後も草原の民は子バヌブル狩りを禁忌として変わらず継承し続け、畏怖と敬意は残り続けた──。
お読みいただき感謝。




