全ては無限の可能性の為に その3
イバに跨るウバンは今、全速力で西へ駆けていた。
その後方には山の如きバヌブグナス。巨躯に似合わず、足音一つ立てずに迫る。
(バヌブグナス……族長ん言う通り、足音一つ立てん。なら、このまま進むしかなかな)
背後から迫る死の恐怖に晒されながら、ウバンは幼き日の記憶を、族長からの教えを頼りに逃げ続ける。
(守護獣バヌブグナスば、草原から出れん──族長ん言う事が本当なら、草原捨てるしか道はなか。しかし……)
幼き日に聞いた族長の語りが偽りであったなら──バヌブグナスが大草原の外でも活動できるならば、逃げ道は無い。あらゆるものを巻き込みながら逃げ、その果てに潰されて死ぬだろう。
「イバ!もうちょいきばれ!!」
「ブルゥ!!」
「あん男は……ダメか」
「誰がダメだって?」
不意に聞こえた声にはっとするウバン。
いつの間にか、ナナクサはウバンの少し先を走っていた。無論、その速度はヒトが出せる速度を逸脱している。強化系魔法と倍率低めに調整した[アクセルバースト]の合わせ技だ。
[アクセルバースト]の欠点は、寿命加速以外にもう1つ存在する。意思疎通──言葉だ。
使用者が加速した状態で紡がれる言葉も同様の速度と化し、他者の耳には早口言葉のように紡がれる。即ち、加速が過ぎれば周囲から聞こえる言語は1音1音が引き延ばされ、マヌケな牛の鳴き声と化してしまうのだ。
これを解消するには、言葉を紡ぐ使用者本人が、意識してゆっくりとしゃべらなければならない。無意識で早口になりがちな興奮状態は最も敬遠すべき状態異常といえるだろう。
これらは単身での行動なら問題にならないが、意思疎通を要とする複数人での行動において、致命的な大問題といえる。
故に倍率を互いの声が辛うじて聞き取れる範囲に──2倍程度までに抑え、強化系魔法による身体強化を合わせる必要があった。言い換えれば、これ以上の倍率増加──更なる加速は望めないと言っていい。
「いつん間に……!」
「ウバン!バヌブグナスの情報を寄越せ!」
「……アレに矢は通じん。聞いた通り足音立てん。傷付けっ事も追い払う事もできん。ば、族長ん言う事が本当なら、奴は草原から出られん」
「やはりか……いや、傷つけられないの解っているなら止めてくれ!」
「今ん今まで忘れとった!」
「ならしょうがない!」
容易く許すナナクサ。人は過去の記憶を奥底に仕舞いながら生きている。それを理解しているからこそ、だ。
「他に何か情報は!?」
「無い……と、思う!」
走りながら、ナナクサはこれまで獲得したバヌブグナスの情報を統合し始める。
そして、一つの結論に達した。
(守護獣バヌブグナス……アレは恐らく、バヌブル共の深層意識が生み出したモノ──神のなりそこないか、或いはバヌブルの死霊が集まったモノ。どちらでもなければその両方か。
だが、死の神フィアーフェリスのように受肉していない、精神だけの霊体。それなら[アイスコフィン]による氷の棺桶をすり抜ける事が出来ても何ら不思議じゃない。物理的な矢が通じない事も納得できる。対生物に特化した電撃の効果が無い事も、草原というバヌブルのテリトリーから出られない事も。……まあ、実際本当に出られないのかは置いておくが)
刻一刻と背後からのプレッシャーが増していく中、さらにナナクサは考える。
(……バヌブグナスは黒雲の後に出現した。となると──)
視線を上空へとむける。有るのは不自然な現れ方をした、太陽を遮る黒雲だ。
(──太陽光を遮る黒雲の下にしか存在できない可能性。太陽光か、或いは単純な光が弱点である可能性がある!仮にそうなら、死霊と同じ弱点を持っている可能性もある!
……いや、圧力で押し潰す球は全て黒雲から降ってきた。なら、バヌブグナスの本体は巨躯の牛ではなく、黒雲の方?それとも補助存在に過ぎない?最悪……両方とも本体か?最悪を想定するなら、両方に対処しなければならな──光?……あるやんけ!!)
光ならある──ナナクサは見落としていた手札にようやく気付いた。
(物は試しだ。大してコストもかからんし、思いっきりばら撒いて反応を見てやる!!)
ナナクサは両腕を広げ掌を地面に向け光魔法[ライト]を連続使用。無数の光源をばら撒いた!その数は100を下らない!
「ん……ぬお?何ぞ!?後ろば明るい!?」
「さて、どう出るか……」
ばら撒きを止め、迫るバヌブグナスの動きを見るナナクサ──と、ウバン。
遠のいた光源の前にバヌブグナスが──たどり着いた。
『ブルゥア……』
その反応を、彼らは見逃さなかった。
一瞬、僅か一瞬、躊躇したのだ。ばら撒かれた[ライト]を前に、踏み潰し前進する事を!
バヌブグナスが何を思ったか。顔は天高い闇の中だ、確かめる事は出来ない。
一瞬の躊躇を見せたものの、そのまま無数の[ライト]を踏み潰し──
『ブモオオオオオオーーーーーーーウウウウ!?』
微かな苦痛と困惑が混じった鳴き声を響かせた!
が、止まるまで至らない。前進する次の足が鈍る。ただそれだけだが……値千金の情報だ!
「多少効いたと思うんだが……どう思う、ウバン?」
「うらもそう思うば、大して効いとらんがか?」
「だろうなぁ」
サイズ比を考えれば、足の裏に画鋲が刺さった程度以下、或いは足つぼマッサージマットを踏みつけたか、どちらであっても致命傷には程遠い。
「だが……与えたぞ、初めでダメージを」
にやりと嗜虐的な笑みを浮かべるナナクサ。
これの意味する事は即ち、光を発するものであればダメージになり得る可能性があるという事だ。
(単純な光源という条件なら[スパークリングノヴァ]──電撃も該当するが、効いたようには全く見えなかった。ならもう1つの光、試す価値は十分にある!)
駆けるナナクサは僅かに跳ぶと、右足を軸にぐるんと回転しながら──
「[フレアブラスト]!」
──[フレアブラスト]を横薙ぎに放ち、草原を焼き払いつつバヌブグナスの足を炙る!!
そしてすぐさま正面に向き直り着地し、先行するウバンを追いつつ、ちらちらと背後を見ながらバヌブグナスの反応を伺う。
『ブルウウッ!?』
走る炎に足を焼かれ、動きが止まる!草原を燃やし闇を照らす炎を前に、前進を躊躇![ライト]を踏み潰した時以上の反応を見せた!
「バヌブグナス……火ば嫌っとるか?」
「らしいな。炎そのものか、炎の熱と光の両方か……共通して弱点なのは死霊の類だが、もうこの際なんで死霊が守護獣やってるのかとか、どうでもいい。死霊、その事実が重要だ」
少なくとも、足止めにはなる。逃走中に[ライト]をばら撒き、時たま背後を向き[フレアブラスト]で草原諸共焼き払う。繰り返すことで一定の距離を保ったまま走り続ける事ができるだろう。
──アレが知性の無い機械だったならば。
『ブモオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!』
──雄叫びが草原を震わせた。
呼応するように、黒雲から圧力球が無作為に、草原の至る場所に降り注ぐ。
彼らの耳に届く落下音は50を下らない。いや、音の重複を考慮すれば、或いは意図的に重ねようものなら、数倍にも──。
「なんぞ!?」
「判らない……ヤケクソか?」
「バヌブグナスばそんなマネしよるか!?」
「しないか!!……ッ!?あれは……!!」
ナナクサとウバンは目を見張った。
地面に降り注いだ圧力球は、その悉くが凝縮を始め、バヌブルを模ったのだ!
「ウモオオオオオオ!!」
「ブモオオオォオオ!!」
「ブルォオオオオオオオ!!」
それはまるで影のバヌブル。前後左右、四方八方から、ナナクサとウバンを葬らんと足音無く駆ける!その速度はナナクサの足よりも、愛馬たるイバよりもわずかに速い!
「速いっ!自力で追いつく事を諦めたのか!?」
「正面来よるぞ!!」
正面から迫る影のバヌブル群。その数は最早群れ。漆黒の絨毯。風景画にぶちまけた墨汁だ。
が、その間には第三者!金属めいた鈍色に輝く2メートル超の巨大カマキリだ!
「ギ──!?」
巨大カマキリは迫る影のバヌブルに気づくも、時すでに遅し。
突進の直撃を受けてぶっ飛ばされ、立ち上がる間も与えられず、そのまま続く影のバヌブル達に踏み潰されていく!
「ぶっ飛ばしよった!?なら……ルバニば頼む」
「は、ちょ、おい!?」
ウバンはナナクサにルバニが眠る籠を無理やり渡すと、弓を取り、石矢を番え、放つ!!
それは明らかに、先の戦いでナナクサへ向けて放ったものよりも疾い!!
「っ!?」
が、当たらない!いや、すり抜けた!バヌブルの眉間を正確に射ぬくも、血一滴垂らさない!
「何でだ!?魔物ぶっ飛ばして何で当たらん!?」
「……降ってくる球と同じだ。あの影のバヌブル、恐らく接触時に圧力を任意で加える結果を残すんだろう。ぶつかりもすり抜けも自在──つまり……性質はバヌブグナスと同じだ!アレに物理攻撃は効かない!」
正面に迫りくる影のバヌブル。左右何れかに逸れても、まるで合わせ鏡のように進路を合わせてくる。このままでは吹っ飛ばされた魔物の二の舞だ!
(この速度で正面を[フレアブラスト]で焼き払うのは無理だな。撃った傍から自分が炎に突っ込み羽目になるし、仮にできても草原が燃えて、ウバンの馬が走れなくなる。かといって……左右どちらかに大回りで回避は、バヌブグナスに追いつく時間を与えてしまう。奴が群れを操れようが操れまいが、ただ自ら直進すればそれで事足りる。……うん?性質がバヌブグナスと同じ?)
一瞬だけ、背後に迫るバヌブグナスを見、向き直り迫るバヌブルの群れを観察するナナクサ。
「……試すか。それでダメなら、大回りで迂回するしかない。ウバン、石の矢1本寄越せ!」
「何ばするつもりだ!?」
「時間が惜しい!!早くしろ!!」
有無を言わさぬ気迫。半ば恐喝だ。
が、それが現状打開に必要な費用であることは、ウバンも理解できた。
「ほれ!1本でいいのな!?」
「ああ!」
石の矢を受け取ると、籠を抱える手に持たせ、鏃を眼前に向けた。
「[成形]──先端部鏃、格子状円錐形」
鏃が一回り大きい円錐状に、かつ鳥籠を思わせる格子状に形を変えた。
さらに──
「[ライト]!」
──鏃の格子内部に[ライト]を閉じ込める。
ナナクサは出来上がったソレを空いている手に持ち替え、ウバンに渡した。
「そいつで前の群れを撃て!効果が無かったら迂回する!」
「任せえ!!」
ウバンが矢を番え、弓弦を引き絞り──放つ!!
ピィイイイイーーーーーーーーー!!!
甲高い鏑矢の如き音を響かせ、光の矢が影のバヌブル群へ放たれる!
「ブルォ──」
──光の矢は影のバヌブル群のど真ん中を貫き、一直線の道を作り出す!
光を前に、影のバヌブル消滅したのだ!
「うらん矢ば効いた!?」
「正確には光だ!やはりアレもバヌブグナスと同じ、光に弱い!サイズが小さい分、あの程度の光量でも効果絶大だ!」
[ライト]はあくまで、その場に留まり場を照らすだけ。質量を持たない設置物だ。そしてそれは、物質的な制約を受けず、物理的に斬る事も潰す事も出来ず、すり抜けるのみ。
だが、魔法によって作られた物体なら話は違う。魔力を用いた同じ魔法である共通点がある以上、質量の有無に関わらず相互に干渉してしまうのだ。
その性質を、ナナクサは利用した。ウバンが作り出した精密な石の矢を、鏃に限定して[ライト]を閉じ込める檻にし、光の矢としたのだ。
[創造]は行使に魔力を介さず、0から石の矢を作り出しても、[ライト]に干渉し閉じ込める檻にはできない。ナナクサが[ストーンアロー]で石の矢を作っても、ウバンのような精密さを持つレベルには至れない。
しかし、既に魔力で形作られたモノを、さらに[創造]を以て形を作り変えれば……。
[ノーコン]のナナクサに、[ライト]を正確に群れの中に放る事は出来ないし、生半端な速度で放っても、自分たちがそれを追い抜いてしまう。ウバンの石の矢と弓の腕があってこその結果だ。
「ナナクサ!もっと矢!作れ!群れん穴ば塞がる!」
「問題ない。効いたという事実が判れば、それでいい。それだけでいいんだ」
ナナクサの周囲に、光が漂う。否、これは[フォローライト]。常に使用者の傍に有る、追尾する光だ。ひとつ、ふたつ、みっつ……増え続ける!
「こがな……なんて明るさだ……!!」
ほんの僅かな、驚きの間に、100を超える光の球に囲まれている!周りはどんより暗いというのに、ナナクサとウバンの周りだけは、まるで昼間のように明るく輝いている!まるで闇夜の空を流れる彗星だ!
「このまま俺が先行する!」
「……そう言う事か!!」
真っ二つに裂けた影のバヌブル群が、再び一つになろうと隙間を埋めつつ前進する。
その隙間めがけて、光を纏うナナクサとウバンが一列に並び、突貫!
「失せろ!!!」
1枚の紙を真っ二つに割くように、影のバヌブルを消滅させながら突き進む!突き進む!!
そして──
「「抜けた!!」」
──影のバヌブル群を抜けた!!
眼前に障害となり得るモノは何もない。逃げ込む街道は目前だ。
ナナクサとウバンはゆっくりと後ろを振り返る。
バヌブグナスは減速する影のバヌブルを踏み潰しながら、しぶとく追ってきている。
だが、本気の追跡とは到底思えない。その速度はナナクサが[ライト]をばら撒く前と比べ、明らかに遅かった。
(……本気さがもう見えないな)
(半分諦めとるのか?諦め……だと?そん程度ん怒りで……?)
「……なあ、ウバン?」
「何ぞ……?」
「このままでいいと思うか?何もかもを潰されて、負け犬のように逃げて……それでいいと思うか?」
ナナクサの静かな、それでいて圧が籠った問いに──
「……良いわけ無か。良いわけ無か!!何ば守護獣か!あんなもんクソ以下だ!!」
──ウバンは怒りを爆発させた。
「何でみんな潰されなならん!?潰しよるのはバカタレだけでええだろが!!ふざくんな!!!何ば禁か!!!何ば守護獣か!!!こん程度で諦める怒りで、皆潰されたんか!?草原の民舐めんのも大概にせぇよ!!!」
「なら……消して(・・・)いいな?」
「……できるんか?」
ナナクサは減速の後に止まり、追い迫るバヌブグナスに向き合う。釣られてか、ウバンもイバの足を止めさせた。
「お前はどうする、ウバン?」
「うら、か?」
「お前の弓の腕があれば、より一層追い詰める事が出来る。が、相手は草原の守護獣。滅ぼす事に少しでも躊躇があるなら──」
「んなもん無か。アレ滅ぼせんなら、うらん力が役ん立つなら……言え、ナナクサ。うらば何すればええ?」
ウバンの瞳は揺らがない。それは明確な敵として、バヌブグナスを滅ぼす覚悟の証か。
「オーケー、お前のその怒りと覚悟、確かに受け取った。……矢、1本寄越せ」
言われるままに、ウバンは矢筒から矢を1本抜き、渡す。
「[成形]──[圧縮]────[成形]──強度はこの程度か」
空気が、ナナクサが[成形]を繰り返す鏃に集約していく。
それは風となって、彼らの熱い体を撫で、冷ます。
出来上がった鏃はまるでランスの穂先のように長い。
いや、ドリルだ。鏃は螺旋溝が掘られており、射る事で石の矢羽と同調し、回転が増す構造になっているッ!
「出来た。これで黒雲を穿て。届こうが届くまいが、俺は次の準備にかかる。その際──」
ナナクサがルバニが眠る籠に視線を落とす。
意図を理解したウバンは頷いて返した。
お読みいただき感謝。




