アイス、始めました
再開です。新編ですヨ。
夏。それは俺にとって戦い──否、聖戦の季節だった。北で育ったこの身に、夏の酷暑は容赦なくスタミナを削り取る。さらにお盆前に0時前までの残業上等、大量の納品発注が発生し、過酷な労働の後にコミケという、一歩間違えれば目覚めた朝は知らない天井という展開になりかねない危険な季節だ。
……尤も、最早コミケに行くことがない今となっては、あの過酷な聖戦が懐かしくも思える。何故半ば惰性で行き続けていたコミケを今更に思い出すのか。その理由は目の前にある。
露店街の一角に構えた、俺の露店。日よけの巨大パラソルの下に、木製の簡素なテーブル。パラソルの下に立つ俺はスカイブルーの半袖ワイシャツに、ホワイトカラーのスラックス姿。ちなみにボタンは上3つ開放済みだ。
横のユーディは白の肩出しフリルブラウスにダークブルーのフリル付きプリーツスカートを履いている。どちらもリラとアレリアさんの合作だ。
俺とユーディが互いに自分含め、一定間隔で[錬金術もどき]を用いて汗を[抽出]し、体表から除去している。俺はともかくとして、ユーディの上半身が汗で濡れ下着が透けるなんてのは絶対に阻止しなければならない。
テーブルの上、ひんやりと冷えた金属製の箱からは黄色いアイスキャンディーの棒が何本も突き出ている。その横には、卵を加えてさらに味をランクアップさせたクッキーがびっしりと入った、平たい木箱。そしてそのテーブルの前──俺とユーディの眼前には、老若男女入り乱れ長蛇の列が形成されていた。
「レモンアイスを3本くれ!早くだ!我慢できないんだ!!」
眼前に立つ汗だくの獣人の男がアイスキャンディーを求めるその様は、まるで薬物中毒患者のようだった。
「あいよ、3本で大銅12枚だ」
男から大銅貨を受け取ると、それを自分のすぐ後ろの足元に置いてある木箱に落とし、アイスキャンディーを3本引き抜いて手渡す。
「うへへへ、これだよ、これぇ。レロレロレロレロ」
受け取った男は不気味な笑いを浮かべて列から離れ、3本まとめてしゃぶりついた。彼が列に並ぶのは、これで3度目だ。……念のため言っておくが、麻薬とかMMとかやばいお薬とか入れてないからな?
休む間もなく次のお客さんが注文をしてくる。
「アイス1本とクッキー5枚だ」
「まいどあり。大銅9枚です。ユーディ、クッキー6枚詰め」
「もうやってる」
視線を横に向けると、既に小さい紙袋にトングを用いてクッキーを入れているところだった。
「おい、5枚だぞ?」
「間違っていませんよ。クッキーは5枚お買い上げごとに1枚サービスですから」
「ウホッ!?」
「ん、お買い上げ、ありがとうございました」
ユーディが袋の口をきれいに2回折り曲げて畳み、お客さんへ手渡す。紙袋を受け取ったお客さんはホクホク顔でアイスをしゃぶりながら軽い足取りで去っていった。
アイス1本が大銅3枚、クッキーが1枚大銅1枚。先のお客さんが購入した金額で、その辺の食堂でパンとスープと肉とサラダのセットが大盛りで食える。ガチガチに固いパンと、筋ばかりで味が薄い固い肉と、同じく薄味の微妙なスープに、萎れたサラダのセットが。ちなみに1日の平均給金はおよそ銀4枚分らしい。
アイスがぼったくりだと思うだろう?だがこの額でも世間的には破格の値段だ。氷といえば高級品の代名詞的存在であり、そもそもこのクソ暑い夏場に魔都ウルラントで氷を口にする事など、まず一生かかっても不可能だろうと言われていた。
それを可能にできる[錬金術もどき]、および氷術が使えるのが、俺とユーディだけ。冷蔵庫が氾濫する日本とは環境の前提がまるで異なるのだ。
理由はまだある。安価で提供すると、夏場に水売りをする少年少女らの客層を根こそぎ奪いことになるからだ。そうなればお客さんは一気に膨れ上がり、とてもじゃないが生産が追いつかない有様になってしまう。下手すりゃカロウシだ。水を売り家計を助ける彼らの仕事を奪う事になるし、氷欲しさに水分摂取を怠り、脱水症状に陥ってしまうが増えるのは明白だ。冷蔵庫を普及させることが出来れば大分状況は変わるんだが、温度維持の加減が難しく実用には至っていない。
ちなみにユーディは氷術の他に火術・水術・陽術の資質があった。おまけに俺と同じく[錬金術もどき]も使用できた。特に水術・氷術・陽術は無詠唱で、手足の延長であるかのように感覚で扱えていた。カーバンクルとはいえこの資質の数は多すぎるというのがリレーラの意見である。……まあ、今更の話だ。俺と同じ[自己再生]と[錬金術もどき]が使える時点で、俺が持つ資質を獲得することもあり得るのではと予測していたしな。
と、まあ、そういった背景からある程度の値段設定にしたのだが、それでも冷たいアイスは魅力的らしい。特に毛深い獣人の客層が厚い。やはり毛皮分暑いのだろう。
「アイス10本くれ!」
「2本サービスで12本、銀4枚になりますが……持てます?」
「なんとかしてみせる!!」
決して安くはないというのにこの大行列。まるでシャッター前の大手サークルにでもなった気分だ。10時きっかりから店を開けるその前から、列をなして待っているというこの気合の入り様。売りはじめの3週間前では想像できなかった。
1日目は予想通りの閑古鳥だった。だもんだからあえて売り物のアイスキャンディーをユーディとと食べている所を見せ、食べ物だとアピール。興味を持って寄ってきたお客さんには、アイス1本とクッキー1枚を赤字上等で無料で配った。
2日目以降は店を開ければすぐに群がるお客さんの山。押し合いへし合いで、周囲の露店にまで迷惑をかける有様になったもんだから、ついこう叫んでしまったわけですよ。
「一列に並べねぇんだったら、いくら積まれても売らねぇぞ!!解ったら大人しく並べ!!解らねぇんだったら帰れ!!」
およそ物を売る商売人のセリフではないが、結果的に今の大行列を整形するに至った。叫んだ後に暴動を覚悟し、力づくでねじ伏せるかと思ったが、そんなことは起きることなく、彼らはざわつきながら列を整形していった。時折横から入り込む馬鹿もいるが、善良なお客さんが99%を占めている。悪政の下で彼らを真っ当に教育したご両親に、心の中で感謝した。
カラーンカラーン
昼を告げる鐘が鳴り響く。ここまでで列はおよそ半分まで捌けた。
「ユーディ、後ろの在庫確認頼む」
「ん、りょーかい」
俺たちの背後に停めた四輪の木製荷車に積み込まれた金属箱と平たい木箱の数を数えさせる。用意する数は毎日同じだが、もう何本売ったのか把握しきれていない。
「アイスキャンディーが3箱、クッキーが4箱」
アイスが1箱50本、クッキーが50枚、もう半分切ったか。
「わかった、後ろでお昼にしてくれ」
「ん……」
ちょっぴり寂しそうな顔をするのは、多分俺と一緒にお昼が食べられないからだろう。一緒に昼休憩を取れば、その間列は貯まりつづける。客商売において、お客さんを必要以上に待たせるのはいけないことだ。
ちなみに本日のお昼は、ユーディの成人祝い時アレリアさんに好評だったクリームシチューパイだ。無論今回は一口サイズではない。
「レモンアイスキャンディー3本とクッキーを20枚頂けるかしら?」
「はい、ありがとうございます」
そうして2時間後──
「アイスキャンディー本日分完売致しました!!」
大声で残り少ない列へ叫ぶと、落胆のうめき声を上げる者もいれば、頭を抱えるもの、地に手をつけて項垂れる者まで。
「くっそー……あと少しだったのに……」
「まじかよ~」
「なんてこと……はぁ……」
ああ、分かる。目の前で新刊セットが完売したりとか、確保したかったタペストリーが無くなるとか……そう言う経験があるから君らの思いはよくわかる。
「店長、もっと作れないのかい?」
「できないことはないんですが、ただ、それをやると結構な負担になってしまうんで、最悪数日店を閉めるという事態になりかねないんですよね……」
「うっ……それは……こまるな……」
ちょっと言いすぎだが、負担が増えるのは事実だ。
増量して開店時間に間に合わせるには、アイスの氷結速度を上げ、積み込みの速度も上げなければならない。それができなければ睡眠時間を削らなければいけないだろう。それこそが問題なのだ。
偉大なる隻腕の大先生(漫画家)は仰った。「睡眠時間を削ると早死するんです」と。
寝る間を削って作品を仕上げていく大御所の漫画家さんが早々にお亡くなりになっていく中、睡眠時間をきっちり確保してきたかの大先生だけは長く長く長く存命だった。これほど信憑性の高い情報はないと思っている。
俺もユーディも、何度も[自己再生]を使っている。寿命を代償に傷を癒している説が有力である以上、これ以上寿命を縮めたくはないのだ。少しでも長く寄り添いたい、と。だから夜ふかしだけは絶対にしない。どれだけ遅くても日が変わる前には横になって瞼を閉じるのだ。
そうしてアイスだけ目当てのお客さんが散り、クッキーだけでも確保したいお客さんだけが残る。列すべてを消化した頃には、クッキーの残りは8枚になっていた。
「この辺で畳むか。ユーディ、今日もお疲れ様」
「ん、ナナにぃもお疲れ様」
巨大パラソルを畳み、テーブルの足を引っこ抜いて分解して乗せ、売上が入った木箱を真ん中に埋まるように、空箱を敷き詰めて荷車に積む。落下防止と、強奪防止のためだ。強奪されても始末は容易いが、後始末含めると時間がもったいないのだ。早々強奪なんてされないとは思うが、洒落にならない量の現金なので慎重に取り扱わなければならない。気分は現金輸送車の護衛だ。そうしてようやく俺の昼食である。
「もぐ……うん、我ながら旨いな」
仕事の後の飯はやはり美味い。今日のこれはユーディとの合作だし、それもあるのだろう。
「ナナにぃ、今日はこのあとは?」
「あー……ちょいと待ってくれ」
たしかクッキー用の小麦在庫は、あと3日分はあったはずだ。卵は朝一で配達されるから大丈夫で、アイス用のレモンは……ちと厳しいな。芯棒は……どうだったか?
「ユーディ、アイス用の芯棒はあと何本あったか覚えてるか?」
「ん~……12束?」
600本か。明日定休日とは言え、早めに親父さんとこに行ったほうがいいな。明日は午後から行きたい場所があるし……。
「とりあえず、帰宅しながらレモンの売りを見つける。見つからなければ明日に持ち越し。帰宅して軽く体を流したら、雑貨屋の親父さんところに芯棒受け取りに、だな」
レモンだけ、というのもやはり厳しいな。捌けるまでの時間は長くなりつつあるが、それでも完売続きだ。……バリエーションを増やすべきだな。レモンを長々と大量確保できる保証はないし。ライチか……あるいはミルクバーでも作るか。ライチの受けはおそらく狙えるが、ミルクバーは賭けだな。どちらも少量生産で数日様子見が必要だろう。
「ユーディはどうする?」
「んぅ?ついていくよ?」
聞くまでもなかったか。残りのパイを口に放り込み、咀嚼して飲み込む。俺が荷車を引き、ユーディが左側に並んで歩く。荷車の横幅が二人で引くには狭いため、引くときは俺だけだ。
「んぅ?車輪から変な音する」
「なぬ?」
振り返ってユーディのすぐ側の左車輪を注視する。リレーラほどではないが、こういった騒がしい場で小さな異音を拾えるくらいには耳がいい。3週間前に出来立てを購入して使い始めたばかりだ。傷んでいるとは考えたくないが……うーむ……。虫にでも食われたか?
「……念のため、ゆっくりゆー-っくり行くぞ。ユーディも引き続き注意していてくれ」
「ん、りょーかい」
後で点検だなぁ……最悪、木工所に持っていかなきゃならないだろう。
*
さっと全身の汗を流し、体を拭き、髪をタオルで拭きながら裏庭の倉庫へ向かう。
屋敷の裏庭の片隅──厩舎の隣には倉庫が有る。この倉庫、かつてここがシルヴィさんの本宅であった時は、いろいろなものが詰め込まれていたらしい。木造でありながらも300年以上倒壊することなく、建てらられた当時のままだというこの倉庫は、やはりキシュサールの手によってあの魔術書と同じく、何らかの術がかけられているのだろう。それを屋敷に掛けなかったのは、それを可能に出来るだけの魔力がなかったか、その不足を補う術式を組めなかったか、あるいは何らかの欠陥があったからか、まあ、いろいろ想像できる。
両開きの扉を全開にし、荷車を中へと運び込む。荷車の下に土を山盛りにした木箱を滑り込ませ、[錬金中もどき]で土を円柱状に[圧縮]し、縦に伸ばすことでウィンチがわりにして荷車を浮かせた。
「さぁて、どんなもんやらな……」
問題の車輪内側が見えるよう下部へ潜り込み、豆のような極小の火種で照らし、各所丹念に確認していく。
木製車輪における形状の精度、およびその強度は職人の技術に依存する。木材は生モノだ。割れもするし、腐りもするし、虫も食う。そして水分を吸い、吐き出す。だもんだから、熟練の職人が手がけたものだとしても、使う側としては油断ならないのだ。
特に、接地面を金属でカバーしている部分。もっと具体的に言えば、接地面の金属と木製車輪を結合させている釘の部分。この釘が原因で車輪にひびが入ることが多々あるらしい。金属もまた温度で体積は変化するが、木材ほど顕著ではない。つまり、歪みが生じるのだ。その歪みの負荷が、金属底面と車輪本体をつなげている釘部分にしわ寄せになってくる。早い話、環境の変化に弱いのだ。
「あ、こりゃダメだ……」
一点一点チェックしていくと、軸との連結部分にヒビが入っていた。異音の原因はこれだろう。台座とシャフトの重さがモロにかかるポイントだ。シャフトとその接面に油を塗っても、摩擦がある以上どうしてもねじれが生じて負荷がかかる。いくら硬い木材とは言え、鉄と比べれば脆い。
総金属製にし、台部分の側面を格子状にすれば大幅な軽量化が見込めるが、ここらでは金属は高い。代わりに森林が近くにあるため木材は豊富、そのため、木工技術が発展していったのだ。そしてそれは、金属加工技術が育たなかったということも指し示す。鉄パイプなんか作れないわけだから、総金属製にした場合に使用する鉄の重量は当然かさむ。値も高くつく。大量の鉄、希少な加工技術、そして技術の未熟という三重苦だ。
それらの結果、代々の職人らによる長年の木工技術の研鑽により、未熟な金属加工技術で作られた高価な荷車よりも、洗練された木工技術と摩耗する部分を金属でカバーした木鉄混合荷車に軍杯が上がったのだ。……まあ、そんなことはどうでもいいか。
とりあえず応急処置して様子見だな。3週で1輪が割れるなら、残り3輪もどうなるかわかったものじゃない。しばらく、休日の習慣になりそうだな……。場合によっては営業後の日課になりそうだ。
処置を施し、荷車の下の石柱をゆっくりと崩して土に戻す。ゴトリと車輪が接地したのを確かめた後、下部へ潜り込ませた木箱を引っ張り出して、倉庫の片隅へと押して追いやる。
さて、ぼちぼちユーディが風呂から上がった頃だろう。乾かすのを手伝ってブラシの後は、雑貨屋の親父さんとこだな。
お読み頂き有難うございました。
隻腕の大先生は説明するまでもなくあのお方しかおりません。




