平穏へ
思ったより早く書きあがったので。
迷宮探索から二週間が経過した。
俺がこっちに来てからまだひと月程度だが、体感では半年は経過していると錯覚する。それだけ、生前と比べて濃厚な時間だった。
しかし、いずれその体験も色あせて、朧月夜のように、そして輪郭は曖昧となり霧散するのだろう。生前もそうだったし、それはとても寂しいことだ。
特にこの世界には、写真や動画などで記録する媒体が存在しない。いや、写真は嫌いだが。
まあ、いずれは俺も死ぬのだろう。死の瞬間に、俺はどれだけのことを思い出せるのだろう?
正直に言えば、怖いのだ。経験の忘却が。
経験とは、人生の欠片であり、人生とは経験の──過去の集合体だ。経験の忘却とは即ち、人生の欠落に他ならない。しかし欠落と同時に新たな経験を得、人生の一部となる。その繰り返しだが……老いて脳が衰え行けば、いずれ失う量が得る量を凌駕していくだろう。
だからこうして、生前含め30年の人生において、一度として3日と持つことがなかった日記を書き記していこうと思う。尤も、書き記すのは何かしら変化があった日だけになるだろう。
特に誰かに見せる予定もなく、読まれるのはひどく恥ずかしい。
以上の理由でこの日記は日本語で書き記す。ああ、そんなこともあったなと、己の死を悟り、多くを忘れている事に気づき、自らの在り様を振り返ることができるように。
「前置きが長げぇ……」
ボールペンを置き椅子の背もたれに寄り掛かると、ため息が漏れる。
自分で書いておいてなんだが、長い。ただの日記の冒頭に、俺は一体何を書いているんだ?日記ってこういうもんじゃないよな?絶対違うはずだ。これはあれだ、夜中の謎テンションだ。
……ボールペンだからなぁ、破り捨てるか。
「ナナにぃ、何書いてるの?」
振り向くと後ろに黒のネグリジェ姿のユーディが立っていた。
「日記だ。別の言い方をすれば旅日記、レポート、セーブデータ……なんてな」
ユーディは横に立ち、机の上の開かれた日記帳を覗き見る。
ネグリジェはリラと色違いでおそろいの、リラお手製……いや、体内生成物というほうが正確だろう。裾にフリルをあしらった、デザインもさることながら細部までしっかり作られた逸品だ。言うまでもなく透けている部分は一切ない。しかし、いつの間に部屋に入ったのやら……。
「むー……よめない」
「そりゃな、俺が俺のために書いている日記だ。誰かに読ませる前提じゃあない」
全文が日本語だしな。
生前出版した、俺の生還までの体験をまとめた本はそこそこ売れたが、書店に並んでいるのを見て、手に取られているのを見て、「これなんて羞恥プレイだよ!!」と思ったもんだ。出版社の編集ともまあ、推敲はしたが……そのとき思った。俺は根本的に出版業界は向いていないと。出版業界で印税生活できるのは、才能が有って、駄作を含めた自分の作品を読まれても一切の羞恥心が働かない豪の者だけだと。
「で、今日はリラは一緒じゃないのか?」
「ん、譲ってもらった」
「さよか……。それなりに書いてから寝るつもりだが、どうする?」
聞くと、ユーディは無言で俺の膝の上に載った。
「書き終わるまで起きてる」
いや、あの……ね?すごく、書きにくいです。
お風呂上がりのいい匂いが、鼻孔をくすぐる。ピンと立った耳が触れてくすぐったい。
「……わかった、わかったよ。おとなしく寝る」
ユーディの事だ、冗談抜きで書き終わるまでずっと起きているつもりだろう。俺は筆の進みが遅い。場合によっては夜明けまで書き続ける事になる。きりのいいところまで、のつもりで最後まで書いてしまうんだよなぁ……例の体験記のときがそうだった。
ユーディを抱き、ベッドまで運び寝かせ、俺も横になり毛布を掛ける。
念のために言っておくが、一切手を出していない。出してはいないが……。
「今日もお話し、聞かせて?」
この、甘える声が……最近やばい。俺は決してロリコンじゃあないが……困ったことに、精神が揺れ動いている。
時に欲求不満で暴走しそうになれば、鋼の自制心とトラウマのバイオセキトリを思い出し抑え込んでいる始末だ。まさか自らのトラウマに縋りつく時がこようとは、このナナクサの目をもってしても見抜けなんだ。ほんと、何が人生の糧になるかわからん。
まあ、あれだ……はっきり言おう。手を出したい。しかし出せば後戻りできない領域を突っ走ることになる。単純に、生前の倫理観が抜けていないのだ。こっちの世界じゃ結婚前提で手を出したりとか年の差婚とか当たり前だというのに。正直、こんなん続けてたら長く持ちそうにない。
「うーむ……ブーメラン売りの戦士はこの間話たよなぁ……。……なら、方向性を変えて、ヘンゼルとグレーテルにするか」
この二週間にあったこと。
同盟調印が無事行われた。
シルヴィさんと宰相殿から晩餐会の料理を頼まれた時には、俺なんかに務まるのかと不安になり精神を病みかけた。
相手が専属料理人を伴ってやってくる、大陸のトップらが相手だぞ?彼らの舌を納得させることができなければ、俺を押したシルヴィさんと宰相殿の顔に泥を塗ることになる。
……まあ、何とかなったが。
この大陸には、調理法は煮る、焼く以外に存在しなかった。炒める、蒸す、揚げるが存在しなかったのだ。
それをアレリアさんから聞いたとき、これは突破口になると思った。そして同時に、金の種になるとも。それで俺は吹っ切れたね。
酵母を用いたふっくらロールパンと、チキンカツ。肉まん。コーンポタージュスープ。鳥肉と野菜の味噌炒め。半熟ふわとろのオムレツ。好き勝手に作らせてもらった。
最後の一品を出す際に、
「レシピ、買います?」
「「「「「「「「「「「「買った!!」」」」」」」」」」」」
予め6セット用意しておいたが、さらに6セット追加で書くこととなった。ジェバンニではないわけだからひと晩でどうにもならなかった……。
まあ、調印式後3日に渡って連日会議が行われた為、時間は何とかなった。そのおかげで手元の資金が金貨1200になった。価値換算して一億二千万。
柔らかいパンの作り方、新たなる調味料ケチャップ、ソースのつくり方、揚げ物のテク、中華鍋の図面等、これまで存在しなかった技術についた値段だ。
ちなみに値を付けたのは俺ではない。領主の皆さんに問いかけた後は、まるで競りそのものの様相を呈していた。
「金20出すぞ!」
「ならあたしは金30!!」
「譲れるか!!吾輩は金70だ!!この技術はエディッセレク領の革命になりえる!!」
「それはこちらも同じだ!!」
「金300だ!早くくれ!!」
「はー……スープのおかわり、下さらない?それと、そのレシピって、一つだけなのかしら?」
「「「「「「「「「「「あ」」」」」」」」」」」
と、同盟そのものが崩壊する一歩手前まで行った。結んだその日のうちに同盟破棄とか、シャレになりませんからね?
さてさて、そんなこんなで値段に関しては皆さんお代わりを食べながら、真剣に話し合いをしていた。
何せ、中華なべやお玉、金網等の金属製品、調味料等の保存容器であるガラス容器、自領にはない食品の種や栽培法に、雑草扱いだった植物の可食法。
書き出せばきりがないほどに、あらゆる分野の経済をかき回す劇薬である。各々の領内の税を用いて、独占せず領内に技術を流すという条件を取り決めたうえで話し合いが行われた。
その結果、一昔前の宝くじの一等(連番購入時)と同等になったわけだ。無論、金目当てでもあったが、それとは別の目論見が俺にはあった。
ウィルゲート大陸は、ほぼ徹底した地産地消のスタイルだ。食料の輸出入が一部を除いて全く存在しない。なぜならば、食材を傷めずに輸送するシステムが存在しないからだ。
西の海沿いの、魚が特産と言われるレバンシュット領では素潜り漁業が盛んだという。貝類なんかもよくとれるそうだ。だが、とれた魚はほぼ全く他領に流通しない。魚を鮮度維持した状態で出荷するには、大前提として氷が必須だ。低温保存し、それを維持したまま輸送できなければ、内陸で海魚を食うことはできない。
そう、大前提の氷を作れる術士がいない。技術もない。氷は北のノースブリス連峰の山頂付近に存在するというが、それを鮮度維持できるだけ大量に持ち帰ることまで勘定に入れる場合、魚1匹の内陸輸送に金10枚以上かかる試算になってしまうのだ。
故に水揚げされた魚はその日のうちにほとんど食われ、残りは干物となる。その干物はレバンシュットにおける貴重な保存食でもあり、早い話が輸出に回せる余裕0なのだ。
他領でも産物は違えど似たような状況にある。つまり、俺が知らない食材が存在していても、俺自身が足を向けない限りはお目にかかることはほぼ不可能であり、調理し食すこともまた不可能なのだ。
ならばと、俺は料理技術を金に変えることを決断した。
金は欲しかったし、いずれは大陸安行もしたく思っていた。その出先の料理がまずかったりするのは頂けない。これでうまいものが食えるならばという思いだ。それに……保身の為でもあった。
もし調理技術を出さなかった場合、魅了された領主らが俺を囲い込もうと躍起になる。シルヴィさんが、あくまで友人として滞在していると、調印三日前に公言してしまったし。その時点で、知識・技術を売却しないという選択肢は完全に消滅し、夜を徹しての技術書作成が始まった。
実際囲い込みが始まれば、手荒な手段に出てくる奴も出てくるだろう。あの様相を見る限り、ありえない話ではなかった。シュヴァルグロヌ領を統べる喧嘩っぱやいオウガ族の領主とか、メルジェーフェナ領を統治するラーミア族の領主とか。最悪、俺の周囲が巻き込まれることもありえた。さらにこれまでやってきた専属料理人らの顔も潰れ、復讐に走られることも……。
と、いうわけで、恥ずかしながらも先達の遺産を金に換えさせてもらった。
机の上に、金貨を10枚ずつ積んで並べ、数え終わって出てきたのは歓喜の笑い声ではなく、深い深い安堵の息だった。
もういい加減荒事は遠慮したいと、迷宮の件で一層そう思うようになった。元々は俺とジークとグレンで店を構えて、男3人慎ましく暮らす方針だったし。……思い通りにいかないもんだな、本当に
。
そうそう、新硬貨の発行が決まった。
銅山の現鉱脈が掘り尽され、新たな鉱脈の発見までのつなぎのために、既存の銅貨と銀貨の中間価値、要は百円玉と同価値の硬貨が発行されることになった。
簡単に言えば、銅貨3枚分を溶かして銅貨10枚と同価値の硬貨を作り、7枚分を浮かせ、ほかに回すという。
以前から硬貨の不便さは方々から指摘されていたが、先代魔王がアレだったために何もできなかったわけだ。
いくつかの大手商会と手を組み、既に銅貨回収に動いている。ちなみに提案したのは俺だが、細かいことは宰相殿が中心に進めている。商会側の利益とかそこまで込み入った話は知らんが、うまくやっているだろう。……銅貨の純度下げも、もしかしたら並行してやっているのかもしれないな。
また、奴隷制度の徹底的な見直しと、違法取引の取り締まりの強化を徹底するという事で、会議最終日は〆られた。公の大きな出来事はこれくらいだろう。
俺自身のほうは、術も色々覚えたし、[錬金術もどき]の料理への応用方法を複数確立させることに成功した。包丁を用いず空中で玉ねぎをみじん切りにしたり、ミンチ肉を作ったり。冷却温度の調整をより高精度にできるようになった為、冷蔵庫、冷凍庫も不要になった。
さらにピンポイントで微生物を殺す術[ビリオンズキール]を習得した為、菌による食中毒も無縁となった。
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ビリオンズキール
即死系上位陰術。
指定範囲に存在する微細生物を即死させる。この微細生物には観測不能なものまで含まれる。
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普通に考えて、相当に使い勝手が悪い。いや、使いどころが皆無だ。
だが、サルモネラ菌や数多のウィルス、寄生虫には絶大な効果を発揮する。最早食卓の守護者と言っても過言ではない。恐らくは最初から、そういう目的の為に作られた術なのだろう。そうでなければ、観測不能な微細生物を抹殺するなんて効果の術にはしない。
習得した結果、安心安全のマヨネーズが作れるようになった!たまごかけご飯が食えるようになった!!半熟卵もばっちこい!!万々歳である!!……まあ、マヨネーズの製法は今のところ絶対に表には出さないけどな。
マヨネーズで大儲けとか異世界転移系ラノベではテンプレだが、相手は生卵だ。サルモネラ菌然り、未知の菌とかウィルスには殊更警戒しなければならない。地球でさえ、生卵をサルモネラの警戒なしに食えるのは日本くらいしかないのだから。
仮に製法を流したとして……何れ金を儲けたいだけの食に対するリスペクトが微塵もない馬鹿が、ローコストでマヨネーズを作ろうと痛みかけの卵で作るのが目に見えている。そういう奴は必ず現れる。「どうせいろいろ混ぜるんだ、10個のうち1個や2個傷んだ卵を混ぜてもバレやしねー」っていう考えの馬鹿が。
実際、日本の食品加工現場でも、国産原料が足りない場合に中国産とかアメリカ産とかニュージーランド産とか混ぜたりやってるとこも未だにある。表に出ないだけで偽装は深部で行われているのだ。断言しよう。食品偽装は無くならない。
しかし、いくら偽装していたとしても、食えないものは流通させはしない。最後の良心とかもあるのだろうが、そもそも食中毒問題が起きれて保健所立ち入りになれば悪事の全て明るみになり、会社が終わってしまう。偽装しているからこそ、鮮度に対し細心の注意を払っている節があるだろう。その辺一切お構いなしの食肉加工業者が腐りかけの肉を流通させて大問題になった事件は、ちょいと調べれば簡単に出てくるくらいに有名だ。
そんな加工業者の製品と同レベルか、あるいはそれ以上に危険なマヨが我が物顔で流通することを見過ごせようか?無理だ。。味が違うとかいう次元を超えて顧客の命に関わる。一昔前に起きた、毒ギョーザ事件のような、ね。
そうすると、マヨネーズになじみが薄い消費者らはどう認識するだろうか?想定される未来は、マヨネーズそのものの存在が悪となり、真っ当なマヨが淘汰され、最悪、技術を流した俺が吊し上げを喰らうわけだ。悪いのはクソな材料を使って作った側だというのにな。
……まぁ現状、[ビリオンズキール]がなければマヨネーズは作れない。この環境が変わらなければ、製法は流せないだろう。流すにしても、認知度を常識レベルまで上げて、その上でブランドを確立させ、徹底して差別化を図る必要が出る。危険を孕む調味料を安全に定着させるには、長い時間を要するのは避けられない事だ。
さて、ここ最近の話になるが、リラが裁縫にはまった。正しくは、体内生成だが……。
リラの中には、同人誌や漫画などに描かれている衣類の情報が入っている。特にお気に入りは、セーラー服。甘ロリゴスロリもいけるらしい。
で、リラ曰く、「変身するのめんどくさい!」とかいうので、生地と糸を渡したら体内生成して作ってしまった。例を挙げるならば、セーラー服、プリーツスカート、ワンピース、フリルエプロン、ネグリジェ、下着等々……。
ちなみに鉱石類を原石からインゴットへの体内生成にも成功している。純度も超高い。俺には一歩及ばないが、それも大陸最高水準に当たる。
……たぶん、鍛冶に関しては俺を超えている。刀工の本、確か本棚に入っていたはずだ、あと武器事典も。が、本人は裁縫しかやる気がないようだ。
ちなみに俺の上着もリラ謹製である。最近はアレリアさんと組んで、いろいろ作っているようで、双方ノリノリである。アレリアさんの表情が、なんだか生き生きとしてきているように見えるのは、気のせいじゃないだろう。
「そうして森の中を歩いていると、二人はお菓子でできた家を見つけた」
「お菓子って……お砂糖?」
「いや、お菓子はお菓子だろう?キャンディーとか、クッキーとか、ジャムとかケーキとかチョコレートとか」
「んー……わからない」
……え?ユーディ?ちょ、待ちや、一体何を言っている?
「……まさか、どれも聞いたことがない?」
「ない……」
背に嫌な汗が流れる。
…………まさか、お菓子のレシピが存在しない?いや、決めつけるのは早計だ。先代魔王アルガードスが砂糖を独占していたんだ。お菓子の製法を門外不出にしていても不思議ではない。
思い返せば、外を歩いた時に焼き菓子などの甘い匂いがしたことがなかった。……これは、少々確かめる必要があるな。
「分かった、近いうちに作ろう。……この話の続きは、その後だな」
「ん……」
ユーディの頭を撫でると、毛布の中でもふもふの尻尾が動く。
本当に慣れというものは怖いな。最初のうちこそ、諦め半分で一緒に寝ていたが……完全に日常になってしまった。俺がユーディの抱き枕になっている現状も含めて……。
「良くも悪くも……変わっちまうもんなんだな……」
「んぅ?」
「何でもない」
翌朝、廊下で鉢合わせた白のネグリジェ姿のリラの第一声。
「おはよ~。妹いつできるの~?」
……うん?リラにとっての妹?
………………おいィ。
「予定は無い。無いったら無い」
どうやらリラはユーディの援軍的立場らしい……。
お読みいただきありがとうございました。現在過去分の誤字脱字をちょこちょこ修正しております。




